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ジジ、と虫の羽音が聞こえる。唯一の灯りに集る黒い物体は変わりなく飛び回っていて、近くに設置されたブランコに揺られる私の視界によく映った。
誰もいない公園にただ一人。丁寧にラッピングされた箱や袋、小さなブーケが詰め込まれた紙袋を片手に、錆びたチェーンをゆったりと鳴らした。先程まで大人数で騒いでいたのが嘘のようで、未だ浮遊感が残る。体内に入れたアルコールのせいだろうかと思いつつ、コートのポケットからスマホを取り出した。画面には、二十三時と書かれている。
私は今日、誕生日だった。友人やらバイト先の人やらと沢山の人にお祝いされ、気分よく一日を過ごした。もちろん嬉しいのだけれど、一番祝われたい人からは何もないのだ。私が勝手に片想いをしているだけで、彼にとってはその他大勢の内の一人なんだろうけれど、この日ばかりはと期待してしまっていた。普段から話す間柄になったのだから一言くれたってと願っても、メッセージアプリの通知が増えようとも、あの人から来ることはない。
まあ、そうでしょう。脈なしって事なんでしょう。というか私、あの人に誕生日伝えたっけ。
根本的な問題に溜息を吐いた。こんなことなら私誕生日なんだよね、とアピールしておけば良かった。
浮かれていた気持ちはみるみる内に沈み始め、諦められない気持ちが『不二』と名付けられたトーク画面を開く。今度新しく出来たラーメン屋行こうね。取り付けた約束を確認しては視界が滲んだ。そう、私が待っているのは不二からのお祝いの言葉だった。
大学に入学して二年、共通の友人から紹介されて知り合った。でも関係はそこまでで、努力しても二人で食事にいくのが限界だった。大方私は友達止まり。不二の彼女になれる人はもっとお淑やかな人で、ふわふわした可愛い恰好の似合う子なんだ。時たま見かける、そういった類の女の子が隣にいる度に私は胸を痛めた。不二も私といるときは楽しそうだけれど、それが恋愛に繋がるかと言えば首を縦に触れない。つまり、私は不二に相応しくないのだ。
勝手に濡れた頬を、スマホを握った手の甲で拭った。夜遅くに一人、公園にいる事が惨めに思えて、余計に零れそうになる。天を仰げば、空に広がる星がいつもより多く見えた。
なんだかこのままでいる事が悔しくなってきて、開いたままのトーク画面に四文字を打ち込んだ。どうせ見ないんだ。見ても明日の朝だ。酔った勢いで送ってしまえ。止める人は誰もいないのだから。そう考えると同時に、親指が矢印のマークを押していた。
『ラーメン』
酷くぶっきらぼうな四文字だと思う。小学生が「先生、トイレ!」と授業中に叫ぶのと似ている。
流石にこれ以上公園にいるのも面白くないと、ブランコから立ち上がろうとした瞬間だった。ラーメンの横に既読の文字が付いた。その二文字が目に入ると、私の心臓は突然叫んだ。痛くて、苦しくて、泣きそうになった。急に悴む指先でスマホを握り締めれば、言葉が二つだけ飛んできた。
『いいよ』
『どこ?』
軽率に送った言葉がこんなにも簡単に返ってくるなんて。私は慌てて返信を送った。
「やあ」
二十三時半。不二はいつも通りの笑顔を携えながら、鼻を赤くさせて私の前に現れた。
「……本当に来たんだ」
「そこまで薄情ではないかな」
そこまでってどこまで? 喉まで出かかった疑問を飲み込んだ。聞けばこれから先が本当に無くなってしまう。でも、目の前の男の優しさが寒さを溶かすようで、引いたはずの涙がまた零れそうになる。惨めな足掻きだと思いつつも、私はブランコから立ち上がった。
公園を後にし、二人で深夜まで営業しているラーメン屋へと向かう。駅からさほど離れていなかったお陰で選びしろはいくつかあった。でも、そんなことはどうでもよくて、夜という昼間よりも特別な時間に、私という時間を割いてくれたのが嬉しかった。誕生日を祝われなくても、こうして不二と一緒にいられることが嬉しい。どういう理由でここまで来たのかは知らないけれど、不二という存在が私を簡単に喜ばせる。
私は適当に店を選び、不二と一緒に飛び込んだ。最後の〆に訪れたサラリーマンが座席のほとんどを占めていたけれど、丁度空いていた二席に座ってメニュー一覧を眺めた。すると、激辛と大きく表示されたものが視界に入る。不二はあれで決まりだろう。
「醤油にしよっかな」
コートを脱ぎながら独り言を零せば、不二は店員に向かって指を二の形にした。
「醤油二つ、お願いします」
不二はてっきり激辛を選ぶと思っていたからコートを丸める手が止まった。今日は気分じゃないのか、それとも夜だから止めたのか、と勝手に理由を考えながら真向かいに座る不二を見つめた。しかし不二は私の視線に気づかないのか、同じようにコートを脱いでいる。やはり私の気にし過ぎなのだろうか。違和感は拭えなかったものの、不二もたまには違うものが食べたい時もあるんだろう、と一人でに納得した。
ラーメンを待つ間、レポートの進捗具合だったり、バイトの話だったり、と他愛もない話ばかりをした。不二は私の持つ紙袋に触れなければ、私も遠回しに伝える事はしなかった。
ああ、本当に知らないんだな。私の誕生日。それを面と向かって突きつけられるのが嫌で、私は逃げていた。
すると、私達の机に二杯のラーメンが到着した。それと同時に箸立てから二膳取り出し、一膳不二に渡す。相も変わらず彼は優しい顔をして「ありがとう」と礼を口にした。
「いただきます」
両の手のひらを合わせ、不二と頭を突き合わせる。出来たてはすぐ食べるべきだ。私はいそいそと箸を割り、麺を適当に取った。お互いにズルズルと勢いよく麺を口に運び続ければ、突然不二の手が止まった。
「ねえ、名字」
「ん?」
「なんで僕がわざわざ来たと思う?」
つるり。麺が汁を弾いた。
「……さあ? 暇だったからなんじゃないの」
期待を胸に抱えながら、スープと一緒に胃の中に流し込む。期待するのはもう止めたんだ。初めに出された水で食道を冷やし、冷静さを取り繕った。
「へえ」
「正解は?」
箸を止めて聞き返した。しかし不二は私との会話がなかったかのようにズルズルと麺を啜っている。
「不二?」
「まあ、君は知らなくてもいいけどね」
「聞いた意味」
私を置いて不二は一人だけ笑って楽しんでいる。結局何が言いたかったんだ、と勝手に唇が尖った。これは不二の悪い癖だ。一人で完結させて、話す相手を置いてけぼりにする事がある。所謂マイペースなところがあるのだ。こういうとこ、分かんないんだよなあ。そう思いながら首を捻っては、再び麺を啜った。
今度は私がラーメンに夢中になっていると、不二が顔を上げた。
「名字」
「んー?」
「誕生日おめでとう」
ズル、と麺を啜る口が止まった。聞き間違いかと自身の耳を疑った私は最後まで麺を啜ってから顔を上げる。目線の先には店内の薄汚れた時計。針は十二時を超えていた。
「……日付過ぎてますけど」
「寝るまではその日だよ」
目を細めて不満をぶつけても、不二は珍しい言い訳をして逃げる。いつもなら私がするような逃げ口なのに、と意外に思う言葉が零れた。
「不二でもそんな理屈捏ねるんだ」
「うん。だって君相手だし、一筋縄じゃ面白くないと思って」
求めていたはずなのに嬉しくない。なんだこれは。悶々と沸き起こる違和感が私の目を不二に縫い付ける。中途半端に残った麺よりも、目の前の男の方に意識が集中するのは投げかけられた言葉のせい。
すると、不二は箸を使って、まだ残っている麺をスープの中で泳がせ、言葉を続けた。
「あと、僕が最後になりたかったんだ。君を祝うの」
ぽかんと口が開いた。不二は徐に顔を上げたけれど、その顔は笑っていなかった。真剣な顔のまま切れ長の瞳が私を射抜くから、諦めていた気持ちが蘇る。
あと三秒。不二が正解を口にした後、私はまた頬を濡らすのだ。
誰もいない公園にただ一人。丁寧にラッピングされた箱や袋、小さなブーケが詰め込まれた紙袋を片手に、錆びたチェーンをゆったりと鳴らした。先程まで大人数で騒いでいたのが嘘のようで、未だ浮遊感が残る。体内に入れたアルコールのせいだろうかと思いつつ、コートのポケットからスマホを取り出した。画面には、二十三時と書かれている。
私は今日、誕生日だった。友人やらバイト先の人やらと沢山の人にお祝いされ、気分よく一日を過ごした。もちろん嬉しいのだけれど、一番祝われたい人からは何もないのだ。私が勝手に片想いをしているだけで、彼にとってはその他大勢の内の一人なんだろうけれど、この日ばかりはと期待してしまっていた。普段から話す間柄になったのだから一言くれたってと願っても、メッセージアプリの通知が増えようとも、あの人から来ることはない。
まあ、そうでしょう。脈なしって事なんでしょう。というか私、あの人に誕生日伝えたっけ。
根本的な問題に溜息を吐いた。こんなことなら私誕生日なんだよね、とアピールしておけば良かった。
浮かれていた気持ちはみるみる内に沈み始め、諦められない気持ちが『不二』と名付けられたトーク画面を開く。今度新しく出来たラーメン屋行こうね。取り付けた約束を確認しては視界が滲んだ。そう、私が待っているのは不二からのお祝いの言葉だった。
大学に入学して二年、共通の友人から紹介されて知り合った。でも関係はそこまでで、努力しても二人で食事にいくのが限界だった。大方私は友達止まり。不二の彼女になれる人はもっとお淑やかな人で、ふわふわした可愛い恰好の似合う子なんだ。時たま見かける、そういった類の女の子が隣にいる度に私は胸を痛めた。不二も私といるときは楽しそうだけれど、それが恋愛に繋がるかと言えば首を縦に触れない。つまり、私は不二に相応しくないのだ。
勝手に濡れた頬を、スマホを握った手の甲で拭った。夜遅くに一人、公園にいる事が惨めに思えて、余計に零れそうになる。天を仰げば、空に広がる星がいつもより多く見えた。
なんだかこのままでいる事が悔しくなってきて、開いたままのトーク画面に四文字を打ち込んだ。どうせ見ないんだ。見ても明日の朝だ。酔った勢いで送ってしまえ。止める人は誰もいないのだから。そう考えると同時に、親指が矢印のマークを押していた。
『ラーメン』
酷くぶっきらぼうな四文字だと思う。小学生が「先生、トイレ!」と授業中に叫ぶのと似ている。
流石にこれ以上公園にいるのも面白くないと、ブランコから立ち上がろうとした瞬間だった。ラーメンの横に既読の文字が付いた。その二文字が目に入ると、私の心臓は突然叫んだ。痛くて、苦しくて、泣きそうになった。急に悴む指先でスマホを握り締めれば、言葉が二つだけ飛んできた。
『いいよ』
『どこ?』
軽率に送った言葉がこんなにも簡単に返ってくるなんて。私は慌てて返信を送った。
「やあ」
二十三時半。不二はいつも通りの笑顔を携えながら、鼻を赤くさせて私の前に現れた。
「……本当に来たんだ」
「そこまで薄情ではないかな」
そこまでってどこまで? 喉まで出かかった疑問を飲み込んだ。聞けばこれから先が本当に無くなってしまう。でも、目の前の男の優しさが寒さを溶かすようで、引いたはずの涙がまた零れそうになる。惨めな足掻きだと思いつつも、私はブランコから立ち上がった。
公園を後にし、二人で深夜まで営業しているラーメン屋へと向かう。駅からさほど離れていなかったお陰で選びしろはいくつかあった。でも、そんなことはどうでもよくて、夜という昼間よりも特別な時間に、私という時間を割いてくれたのが嬉しかった。誕生日を祝われなくても、こうして不二と一緒にいられることが嬉しい。どういう理由でここまで来たのかは知らないけれど、不二という存在が私を簡単に喜ばせる。
私は適当に店を選び、不二と一緒に飛び込んだ。最後の〆に訪れたサラリーマンが座席のほとんどを占めていたけれど、丁度空いていた二席に座ってメニュー一覧を眺めた。すると、激辛と大きく表示されたものが視界に入る。不二はあれで決まりだろう。
「醤油にしよっかな」
コートを脱ぎながら独り言を零せば、不二は店員に向かって指を二の形にした。
「醤油二つ、お願いします」
不二はてっきり激辛を選ぶと思っていたからコートを丸める手が止まった。今日は気分じゃないのか、それとも夜だから止めたのか、と勝手に理由を考えながら真向かいに座る不二を見つめた。しかし不二は私の視線に気づかないのか、同じようにコートを脱いでいる。やはり私の気にし過ぎなのだろうか。違和感は拭えなかったものの、不二もたまには違うものが食べたい時もあるんだろう、と一人でに納得した。
ラーメンを待つ間、レポートの進捗具合だったり、バイトの話だったり、と他愛もない話ばかりをした。不二は私の持つ紙袋に触れなければ、私も遠回しに伝える事はしなかった。
ああ、本当に知らないんだな。私の誕生日。それを面と向かって突きつけられるのが嫌で、私は逃げていた。
すると、私達の机に二杯のラーメンが到着した。それと同時に箸立てから二膳取り出し、一膳不二に渡す。相も変わらず彼は優しい顔をして「ありがとう」と礼を口にした。
「いただきます」
両の手のひらを合わせ、不二と頭を突き合わせる。出来たてはすぐ食べるべきだ。私はいそいそと箸を割り、麺を適当に取った。お互いにズルズルと勢いよく麺を口に運び続ければ、突然不二の手が止まった。
「ねえ、名字」
「ん?」
「なんで僕がわざわざ来たと思う?」
つるり。麺が汁を弾いた。
「……さあ? 暇だったからなんじゃないの」
期待を胸に抱えながら、スープと一緒に胃の中に流し込む。期待するのはもう止めたんだ。初めに出された水で食道を冷やし、冷静さを取り繕った。
「へえ」
「正解は?」
箸を止めて聞き返した。しかし不二は私との会話がなかったかのようにズルズルと麺を啜っている。
「不二?」
「まあ、君は知らなくてもいいけどね」
「聞いた意味」
私を置いて不二は一人だけ笑って楽しんでいる。結局何が言いたかったんだ、と勝手に唇が尖った。これは不二の悪い癖だ。一人で完結させて、話す相手を置いてけぼりにする事がある。所謂マイペースなところがあるのだ。こういうとこ、分かんないんだよなあ。そう思いながら首を捻っては、再び麺を啜った。
今度は私がラーメンに夢中になっていると、不二が顔を上げた。
「名字」
「んー?」
「誕生日おめでとう」
ズル、と麺を啜る口が止まった。聞き間違いかと自身の耳を疑った私は最後まで麺を啜ってから顔を上げる。目線の先には店内の薄汚れた時計。針は十二時を超えていた。
「……日付過ぎてますけど」
「寝るまではその日だよ」
目を細めて不満をぶつけても、不二は珍しい言い訳をして逃げる。いつもなら私がするような逃げ口なのに、と意外に思う言葉が零れた。
「不二でもそんな理屈捏ねるんだ」
「うん。だって君相手だし、一筋縄じゃ面白くないと思って」
求めていたはずなのに嬉しくない。なんだこれは。悶々と沸き起こる違和感が私の目を不二に縫い付ける。中途半端に残った麺よりも、目の前の男の方に意識が集中するのは投げかけられた言葉のせい。
すると、不二は箸を使って、まだ残っている麺をスープの中で泳がせ、言葉を続けた。
「あと、僕が最後になりたかったんだ。君を祝うの」
ぽかんと口が開いた。不二は徐に顔を上げたけれど、その顔は笑っていなかった。真剣な顔のまま切れ長の瞳が私を射抜くから、諦めていた気持ちが蘇る。
あと三秒。不二が正解を口にした後、私はまた頬を濡らすのだ。