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人が疎らに散らばる駅のホーム。電光掲示板には最終の文字が赤く光り、そこはかとない寂寥感が漂っては風により質を持たせる。マフラーも厚手のコートも出番はまだなのに肌寒く感じてしまうのは、彼との別れが近いからだろうか。
「ほなね」
鉄の塊が進行方向に照らす灯りに目を細めつつ、笑みを張り付ける。先程まで包まれていた体温にも別れを告げ、物足りなさだけが残った。それを誤魔化すように右、左、と交互に自身の手を折り合うも、簡単に納得できる仕様には作られていない。
「ごめん。家まで送れなくて」
眉を下げ、情けない表情で謝罪を口にするのは恋人の貞。予定の時間よりも引き留めてしまったのは私なのに、自分が悪人かのような顔で謝るのは止めて欲しい。何も悪い事をしていないのだから。それに私は彼と違って、実家暮らし。最悪両親のどちらかに迎えを頼むことだって出来る。
「すぐ近くやから大丈夫やよ」
彼がきちんと帰るように誘導しながら、ホームに規則正しく並ぶ点字ブロックを見つめる。しかし目が行くのは、あと数秒後にいなくなる隣のブラウンの革靴。次、いつ会えるのだろうかと頭のスケジュール帳を捲った。
「気を付けて」
大きな手が私の後頭部に触れ、撫でるような手つきが感傷を誘った。そのせいでふいに零れそうになるものをぐっと堪え、頷く。
電車が緩やかに停止し、扉が左右に開く。隣にいた革靴は私を置いて、隙間を飛び越えた。ホームと車両の僅かな隙間がいつになく遠く見え、柄にもなく鼻に痛みを覚えてしまう。足元の点字ブロックがぼやけて、ただの黄色い直線が続いているように見える。出来る事なら彼と一緒に電車に飛び乗って、なんてことを考えたけれど、すぐに頭から消した。ただでさえ忙しい合間を縫って私と会う時間を捻出してくれた彼を困らせるわけにはいかない。
大丈夫。今世の別れとちゃうんやから。
笑顔とは裏腹に、入場券を持っていた右手に力を込めた。すると、背後にあった階段から駆け込み乗車をする人間が視界を掠めた。はよせな危ないのに、と他人の心配をしながら目の前の彼に対し、もう一度挨拶をしようと右手を上げた瞬間だった。見ていたはずの風景が一変し、プシューと空気の漏れる音が背後から聞こえた。
今私に分かるのは、上げようとした右手は貞に捕まれている事と、彼と一緒に電車に乗っている事。どうして自分が車内にいるのかが分からなくて、発車後の揺れを何度か感じとってから現実へと戻った。
「貞、なんで、」
「ごめん」
理由を問う前に差し込まれた謝罪。もう戻れへんのに、どうするつもりなん? 握られたままの右手の熱がじわじわと体の芯まで伝わり始める。
「君の顔見てたら、離れたくなくて」
貞の言葉に、堪えていたものが全て溢れ出しそうになる。本当なら怒るところなのに、それを上回ってしまう感情が邪魔をするから、どういう表情をしたらいいのかが分からない。開けたままの瞳から一筋、頬を伝えば、ようやく彼の輪郭を捉えた。申し訳なさそうに眉を顰める彼にどうしようもない感情が込み上げる。
「……ずるいわ、そんなん」
私のせいにするん止めてや。普段なら口に出せる言葉も、今は喉で詰まって大渋滞を起こしている。せめてもの仕返しだと言うように、私は彼の胸板に額をぶつけた。その拍子にまた雫が零れては床に小さな水玉を作った。
「私だって、離れたなかったのに、」
貞だけとちゃうんよ。同じ気持ちなの、分かってたんやったら一言ぐらいくれたってええやん。忙しいあんたのことを思って我儘を呑み込んだのに。
ぐすりと鼻をすすると、上から軽やかな返答が降りかかった。
「うん。だろうね」
「はあ!?」
盛大に驚嘆の声を上げたが、周囲から刺さる視線に小さく頭を数回下げた。羞恥が大半の理由を占めた赤い顔で目の前の彼をきつく睨めば、悪びれることなくへらりと笑っていた。もう一言でも物申すべきかと考えていると、貞は緩んだ口元を自身の手で隠しながら言葉を口にした。
「俺と同じ気持ちなんだって思ったら、君の手を引いてた」
貞はそう言いながら、私を引っ張った手を擦っていた。私はそんな彼の姿を、涙の引っ込んだ瞳で見つめながら溜息を零していた。私の生まれた怒りを知ることなく微笑む彼をどうしても憎めない。だって、私も同じように口元が緩みかけているのだから。
「……もっと、理性的な人かと思うてた」
独り言のように呟き、貞の服の裾を掴んだ。すると、彼は少し体を屈めて、普段よりも明度を落とした声色で囁いた。
「残念?」
意地の悪い音に、背筋がぞくりと震える。裾を掴んでいた手に入った力のせいで、手の内にまで彼の服を迷い込ませた。
「ちょっと喜んでるから、悔しい」
不満気に唇を尖らせながらも、言葉は素直に返した。貞は私の答えに満足したのか、クツクツと愉快に肩を揺らしている。
「随分と素直だね」
こないなときに嘘吐いたってしゃあないやろ。負けじと意味ありげに口角を上げてやると、彼の手が後頭部に回った。そして、再び胸元に頭部を預けた。
「誰かさんが珍しい事するから」
私は悪ないよ、なんて責任転嫁をした。貞は貞で私の髪を撫でるように梳きながら「こういうことは理屈じゃないからね」と知った口ぶりで話している。本当にどの口が言ってんだか、と思いつつ、最寄り駅に着くまでの間が、いつもよりもずっと、ずっと待ち遠しかった。
「ほなね」
鉄の塊が進行方向に照らす灯りに目を細めつつ、笑みを張り付ける。先程まで包まれていた体温にも別れを告げ、物足りなさだけが残った。それを誤魔化すように右、左、と交互に自身の手を折り合うも、簡単に納得できる仕様には作られていない。
「ごめん。家まで送れなくて」
眉を下げ、情けない表情で謝罪を口にするのは恋人の貞。予定の時間よりも引き留めてしまったのは私なのに、自分が悪人かのような顔で謝るのは止めて欲しい。何も悪い事をしていないのだから。それに私は彼と違って、実家暮らし。最悪両親のどちらかに迎えを頼むことだって出来る。
「すぐ近くやから大丈夫やよ」
彼がきちんと帰るように誘導しながら、ホームに規則正しく並ぶ点字ブロックを見つめる。しかし目が行くのは、あと数秒後にいなくなる隣のブラウンの革靴。次、いつ会えるのだろうかと頭のスケジュール帳を捲った。
「気を付けて」
大きな手が私の後頭部に触れ、撫でるような手つきが感傷を誘った。そのせいでふいに零れそうになるものをぐっと堪え、頷く。
電車が緩やかに停止し、扉が左右に開く。隣にいた革靴は私を置いて、隙間を飛び越えた。ホームと車両の僅かな隙間がいつになく遠く見え、柄にもなく鼻に痛みを覚えてしまう。足元の点字ブロックがぼやけて、ただの黄色い直線が続いているように見える。出来る事なら彼と一緒に電車に飛び乗って、なんてことを考えたけれど、すぐに頭から消した。ただでさえ忙しい合間を縫って私と会う時間を捻出してくれた彼を困らせるわけにはいかない。
大丈夫。今世の別れとちゃうんやから。
笑顔とは裏腹に、入場券を持っていた右手に力を込めた。すると、背後にあった階段から駆け込み乗車をする人間が視界を掠めた。はよせな危ないのに、と他人の心配をしながら目の前の彼に対し、もう一度挨拶をしようと右手を上げた瞬間だった。見ていたはずの風景が一変し、プシューと空気の漏れる音が背後から聞こえた。
今私に分かるのは、上げようとした右手は貞に捕まれている事と、彼と一緒に電車に乗っている事。どうして自分が車内にいるのかが分からなくて、発車後の揺れを何度か感じとってから現実へと戻った。
「貞、なんで、」
「ごめん」
理由を問う前に差し込まれた謝罪。もう戻れへんのに、どうするつもりなん? 握られたままの右手の熱がじわじわと体の芯まで伝わり始める。
「君の顔見てたら、離れたくなくて」
貞の言葉に、堪えていたものが全て溢れ出しそうになる。本当なら怒るところなのに、それを上回ってしまう感情が邪魔をするから、どういう表情をしたらいいのかが分からない。開けたままの瞳から一筋、頬を伝えば、ようやく彼の輪郭を捉えた。申し訳なさそうに眉を顰める彼にどうしようもない感情が込み上げる。
「……ずるいわ、そんなん」
私のせいにするん止めてや。普段なら口に出せる言葉も、今は喉で詰まって大渋滞を起こしている。せめてもの仕返しだと言うように、私は彼の胸板に額をぶつけた。その拍子にまた雫が零れては床に小さな水玉を作った。
「私だって、離れたなかったのに、」
貞だけとちゃうんよ。同じ気持ちなの、分かってたんやったら一言ぐらいくれたってええやん。忙しいあんたのことを思って我儘を呑み込んだのに。
ぐすりと鼻をすすると、上から軽やかな返答が降りかかった。
「うん。だろうね」
「はあ!?」
盛大に驚嘆の声を上げたが、周囲から刺さる視線に小さく頭を数回下げた。羞恥が大半の理由を占めた赤い顔で目の前の彼をきつく睨めば、悪びれることなくへらりと笑っていた。もう一言でも物申すべきかと考えていると、貞は緩んだ口元を自身の手で隠しながら言葉を口にした。
「俺と同じ気持ちなんだって思ったら、君の手を引いてた」
貞はそう言いながら、私を引っ張った手を擦っていた。私はそんな彼の姿を、涙の引っ込んだ瞳で見つめながら溜息を零していた。私の生まれた怒りを知ることなく微笑む彼をどうしても憎めない。だって、私も同じように口元が緩みかけているのだから。
「……もっと、理性的な人かと思うてた」
独り言のように呟き、貞の服の裾を掴んだ。すると、彼は少し体を屈めて、普段よりも明度を落とした声色で囁いた。
「残念?」
意地の悪い音に、背筋がぞくりと震える。裾を掴んでいた手に入った力のせいで、手の内にまで彼の服を迷い込ませた。
「ちょっと喜んでるから、悔しい」
不満気に唇を尖らせながらも、言葉は素直に返した。貞は私の答えに満足したのか、クツクツと愉快に肩を揺らしている。
「随分と素直だね」
こないなときに嘘吐いたってしゃあないやろ。負けじと意味ありげに口角を上げてやると、彼の手が後頭部に回った。そして、再び胸元に頭部を預けた。
「誰かさんが珍しい事するから」
私は悪ないよ、なんて責任転嫁をした。貞は貞で私の髪を撫でるように梳きながら「こういうことは理屈じゃないからね」と知った口ぶりで話している。本当にどの口が言ってんだか、と思いつつ、最寄り駅に着くまでの間が、いつもよりもずっと、ずっと待ち遠しかった。