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夏の本番はまだ先だと言うのに、じんわりと汗ばむ気持ち悪さが嫌いだ。雨の気配など息を潜め、顔を出すのは元気のいい太陽ばかり。雨が好きなわけではないけれど、目を細めて眉間に皺を刻ませる程の晴天はお呼びじゃない。兎角、曇りで良いじゃないかという話。
しかし、今の私に天候は関係なかった。刺さるような日光が降り注ぐ太陽があろうと、肌を叩くような雨粒に打たれようと、気持ちは悶々としている。
放課後、部活に行くはずだった足は素直に向かわず、靴箱へと動いていた。何となく。何となく真っ直ぐ帰りたくなくてローファーに履き替えた後も校舎の周辺をぶらぶらと彷徨った。別に今日は部活に行かなくても大丈夫な日だったし大目に見て欲しい。誰に頼んでいるのかは全くもって不明だけれど、自分なりの逃げ道という名の理由付けである。
コツン、と地面に転がった石が爪先とぶつかった。顔を持たないはずの石が妙に私を見つめた。無性に腹が立った私は再び同じ石を故意的に蹴り飛ばした。心は晴れない。
不機嫌に陥る確かな理由なんてない。ふわふわと落ち着かない心緒が気持ち悪い。あるとすれば、思春期の面倒くさい欲。堂々巡りの何もしたくないという後ろ向きな欲。なんて言語化してしまうと恥ずかしいこと極まりないのだけれど、心内に留めているから顔一つ動かさずに冷静を装える。まあ、誰かに会うということもないのだけれど。
それにしても暑い。じゃあ帰るか避暑しろよ、と思うのは至極当然の事なのだが、それさえも受け入れられない。今こうして無駄に過ごしている一分一秒が誰かの生きたかった時間なんだぞ、と怒られても、言葉の主を殴り飛ばす自信ならある。いっその事、気持ちと天候が入れ替わってしまえばいい。そうすれば、私の心も穏やかに澄み渡るはずなのに。
部活中の賑やかな声が至る所から聞こえ、自身の行動の無意味さを痛感する。部活も勉強もしたくない。怠惰なのは自覚しているけれど、成績は悪くないから今日ぐらい許してほしい。
歩き続けていると一際賑やかな一画があった。どうやらテニス部らしい。私は人が多いのは嫌いだ。知り合いに会って言葉を交わすのも気が引ける。顔に出してしまって心配されるのも面倒。
全てを回避するために踵を返そうとすると、大きな影に捕まった。少しだけ注ぐ光が和らいだ気がした。徐に顔を上げると、同じクラスの友人がいるではないか。会いたくないからと返した踵が会いに行ってどうする。
「珍しいな。こんなところにいるなんて」
眼鏡のブリッジを上げる乾貞治と鉢合わせてしまったのだ。言葉では一驚しているように見せてはいるが、態度は丸切り嘘を吐いている。中々食えない男だけれども、それを楽しめるぐらいには距離を詰めている自覚はあった。
「あー……まあ、いろいろと」
自分の顔が反射する硝子から目を背けた。普段座った状態で話す事が多いから、こうして首を上げて話すのは身体が慣れない。それに加え、ジャージ姿も新鮮に映った。制服姿しか見ない私にとって、仄かな喜びとして身体中に広がる。
「そう」
納得したのか、していないのか、正式な解答は行方不明だけれど、乾はそれきり深堀することはなかった。乾なら詮索しないだろうと無意識に感じ取っていたのか、それとも乾になら詮索されてもいいと思ったのか。嫌な時に出会したにも関わらず、浮遊感は消えていた。
「今休憩中?」
「いや、自主練中。練習試合でコート使えなくてね」
歓声の理由はそれか、と遠目にコートのある方角に首を回した。そのついでに周囲に人気を確認してから乾に尋ねた。
「見ててもいい?」
「つまらないと思うよ」
突き放すような物言いに腹が立った。確かにテニスの知識は体育の座学と家で見るテレビのスポーツニュースから得た僅かなものでしかない。しかし、間髪入れずに即答するものだから、思わず顎が出てしまって下唇もそれに続いた。
「乾のこと見ててつまらない時ないよ」
首をぐんと伸ばして見えない目を見つめた。見透かせないのに見ようと手段を画策するのは知性が欠落しているだろうか。いや、これは乾に対しての純粋な探究心であろう。
すると、乾は顔のパーツを一つたりとも動かさずに手にしていたノートを開いた。少しだけペンを走らせて文字列を数秒眺めた後、一度だけ頷いた。
「……なるほど」
「なるほど?」
「こっちの話」
時々乾の言動に着いていけない事がある。今みたいに会話中に突然ノートに書き込み始めたり、話の腰を折って全然違う話題を持ち掛けたり。頻繁にある訳ではないけれど、時折見せる顔に疑問は払拭出来ていない。
それが知れたらどれほどいい事か。不満を募らせつつ、傍にある木陰に腰を下ろした。乾はラケットとボールを手にすると、壁に向かってボールを打つ。同じ場所を狙っているのは素人目でも判別がついた。凄いなあ。初めて直に見る姿に暑さも忘れて見入ってしまった。長い腕が振るラケットは、近距離で見ていると迫力が増長している。背が高い方が足も手も長いのだから有利なんだろう。それにグリップを握る手も大きいのだろう。教室で席に着いた時、後ろを向けば乾がいる。その時に握られたシャーペンが小さく見えるのは、乾の手のせいに違いない。私の頭に置かれたら、すっぽり収まってしまうんじゃないだろうか。
そんな事を考えながら、口元を両手で覆って観察を続けていた。教室にいる乾とは大違いだから目は釘付けになる。
すると、パコン、パコン、と調子よく続いていた音が途絶えた。どうやら壁打ちを終えたらしい。
「今度こそ休憩?」
「うん」
乾は私の傍に寄ると、置いていたタオルで汗を拭きながら隣に座った。その瞬間、ふいに風が戦ぎ、毛先が頬をつついた。いつもなら元の位置に戻してやるのに、この時ばかりは自由に遊ばせていた。毛先の悪戯を気にすることなく、私の意識は隣の乾へと差し向けられている。
「ねえ、乾」
「ん?」
「好きって言ったら、データ外?」
汗を拭う手が止まった。暫しの沈黙が流れ、止まった手が木陰へと落ちる。私は変わらず隣の男を凝視しては反応を待った。
「君が、俺を?」
「そう」
沈黙を破って漸く口にした言葉は確認だった。ご丁寧に人差し指を使って私と本人を交互に差し示している。反応が希薄な彼の習性には適応済みなのだけれど、こういうときまで難易度の高い態度を取らなくてもいいじゃないかと悪態をつきたくなる。もっと顔に出すだとか、口に出すだとか、何かあってもいいじゃないか。乾は眼鏡のブリッジを上げると、一つ一つ確かめるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「……確かに範囲外だったけど、希望的観測ではあった」
もしかして歯切れの悪さは動揺の表れだったのか。データ不足だな、と隣の彼を思いながら心の中で反省をした。すると乾はやっとこちらに目を向けた。
ああ、今なら分かる。今、奴は笑っている。頬もよく緩んでいる。私はここまでだらしのない顔をする乾を初めて見た。
「その反応は……肯定的に受け取っていいのかな」
乾の言葉に、身体中が熱を帯び始めた理由が導き出されてしまった。今度は私が負けてしまって反射的に俯いた。乾はタオルを傍に置くと、代わりに脱力した私の手に触れた。指先から触れて、私の手を攫う。先程までグリップを握っていた手が、私の手を包んでいる。溶けて一つになってしまいそうな熱が、じくじくと内からも外からも流れ込んでくる。
「乾がそうしたいなら、いいよ」
自分から発したくせに、傲慢な許可を下す。もう少し言い方というものを勉強した方がいいのかもしれない。
「じゃあ、そうしようか」
握られた手に力が入り、黒縁が距離を詰めた。理解する前に動いた瞼が目に蓋をする。
乾も馬鹿だな。でも、乾が教えてくれる熱は嫌いじゃないよ。だって私達、思春期だから。
しかし、今の私に天候は関係なかった。刺さるような日光が降り注ぐ太陽があろうと、肌を叩くような雨粒に打たれようと、気持ちは悶々としている。
放課後、部活に行くはずだった足は素直に向かわず、靴箱へと動いていた。何となく。何となく真っ直ぐ帰りたくなくてローファーに履き替えた後も校舎の周辺をぶらぶらと彷徨った。別に今日は部活に行かなくても大丈夫な日だったし大目に見て欲しい。誰に頼んでいるのかは全くもって不明だけれど、自分なりの逃げ道という名の理由付けである。
コツン、と地面に転がった石が爪先とぶつかった。顔を持たないはずの石が妙に私を見つめた。無性に腹が立った私は再び同じ石を故意的に蹴り飛ばした。心は晴れない。
不機嫌に陥る確かな理由なんてない。ふわふわと落ち着かない心緒が気持ち悪い。あるとすれば、思春期の面倒くさい欲。堂々巡りの何もしたくないという後ろ向きな欲。なんて言語化してしまうと恥ずかしいこと極まりないのだけれど、心内に留めているから顔一つ動かさずに冷静を装える。まあ、誰かに会うということもないのだけれど。
それにしても暑い。じゃあ帰るか避暑しろよ、と思うのは至極当然の事なのだが、それさえも受け入れられない。今こうして無駄に過ごしている一分一秒が誰かの生きたかった時間なんだぞ、と怒られても、言葉の主を殴り飛ばす自信ならある。いっその事、気持ちと天候が入れ替わってしまえばいい。そうすれば、私の心も穏やかに澄み渡るはずなのに。
部活中の賑やかな声が至る所から聞こえ、自身の行動の無意味さを痛感する。部活も勉強もしたくない。怠惰なのは自覚しているけれど、成績は悪くないから今日ぐらい許してほしい。
歩き続けていると一際賑やかな一画があった。どうやらテニス部らしい。私は人が多いのは嫌いだ。知り合いに会って言葉を交わすのも気が引ける。顔に出してしまって心配されるのも面倒。
全てを回避するために踵を返そうとすると、大きな影に捕まった。少しだけ注ぐ光が和らいだ気がした。徐に顔を上げると、同じクラスの友人がいるではないか。会いたくないからと返した踵が会いに行ってどうする。
「珍しいな。こんなところにいるなんて」
眼鏡のブリッジを上げる乾貞治と鉢合わせてしまったのだ。言葉では一驚しているように見せてはいるが、態度は丸切り嘘を吐いている。中々食えない男だけれども、それを楽しめるぐらいには距離を詰めている自覚はあった。
「あー……まあ、いろいろと」
自分の顔が反射する硝子から目を背けた。普段座った状態で話す事が多いから、こうして首を上げて話すのは身体が慣れない。それに加え、ジャージ姿も新鮮に映った。制服姿しか見ない私にとって、仄かな喜びとして身体中に広がる。
「そう」
納得したのか、していないのか、正式な解答は行方不明だけれど、乾はそれきり深堀することはなかった。乾なら詮索しないだろうと無意識に感じ取っていたのか、それとも乾になら詮索されてもいいと思ったのか。嫌な時に出会したにも関わらず、浮遊感は消えていた。
「今休憩中?」
「いや、自主練中。練習試合でコート使えなくてね」
歓声の理由はそれか、と遠目にコートのある方角に首を回した。そのついでに周囲に人気を確認してから乾に尋ねた。
「見ててもいい?」
「つまらないと思うよ」
突き放すような物言いに腹が立った。確かにテニスの知識は体育の座学と家で見るテレビのスポーツニュースから得た僅かなものでしかない。しかし、間髪入れずに即答するものだから、思わず顎が出てしまって下唇もそれに続いた。
「乾のこと見ててつまらない時ないよ」
首をぐんと伸ばして見えない目を見つめた。見透かせないのに見ようと手段を画策するのは知性が欠落しているだろうか。いや、これは乾に対しての純粋な探究心であろう。
すると、乾は顔のパーツを一つたりとも動かさずに手にしていたノートを開いた。少しだけペンを走らせて文字列を数秒眺めた後、一度だけ頷いた。
「……なるほど」
「なるほど?」
「こっちの話」
時々乾の言動に着いていけない事がある。今みたいに会話中に突然ノートに書き込み始めたり、話の腰を折って全然違う話題を持ち掛けたり。頻繁にある訳ではないけれど、時折見せる顔に疑問は払拭出来ていない。
それが知れたらどれほどいい事か。不満を募らせつつ、傍にある木陰に腰を下ろした。乾はラケットとボールを手にすると、壁に向かってボールを打つ。同じ場所を狙っているのは素人目でも判別がついた。凄いなあ。初めて直に見る姿に暑さも忘れて見入ってしまった。長い腕が振るラケットは、近距離で見ていると迫力が増長している。背が高い方が足も手も長いのだから有利なんだろう。それにグリップを握る手も大きいのだろう。教室で席に着いた時、後ろを向けば乾がいる。その時に握られたシャーペンが小さく見えるのは、乾の手のせいに違いない。私の頭に置かれたら、すっぽり収まってしまうんじゃないだろうか。
そんな事を考えながら、口元を両手で覆って観察を続けていた。教室にいる乾とは大違いだから目は釘付けになる。
すると、パコン、パコン、と調子よく続いていた音が途絶えた。どうやら壁打ちを終えたらしい。
「今度こそ休憩?」
「うん」
乾は私の傍に寄ると、置いていたタオルで汗を拭きながら隣に座った。その瞬間、ふいに風が戦ぎ、毛先が頬をつついた。いつもなら元の位置に戻してやるのに、この時ばかりは自由に遊ばせていた。毛先の悪戯を気にすることなく、私の意識は隣の乾へと差し向けられている。
「ねえ、乾」
「ん?」
「好きって言ったら、データ外?」
汗を拭う手が止まった。暫しの沈黙が流れ、止まった手が木陰へと落ちる。私は変わらず隣の男を凝視しては反応を待った。
「君が、俺を?」
「そう」
沈黙を破って漸く口にした言葉は確認だった。ご丁寧に人差し指を使って私と本人を交互に差し示している。反応が希薄な彼の習性には適応済みなのだけれど、こういうときまで難易度の高い態度を取らなくてもいいじゃないかと悪態をつきたくなる。もっと顔に出すだとか、口に出すだとか、何かあってもいいじゃないか。乾は眼鏡のブリッジを上げると、一つ一つ確かめるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「……確かに範囲外だったけど、希望的観測ではあった」
もしかして歯切れの悪さは動揺の表れだったのか。データ不足だな、と隣の彼を思いながら心の中で反省をした。すると乾はやっとこちらに目を向けた。
ああ、今なら分かる。今、奴は笑っている。頬もよく緩んでいる。私はここまでだらしのない顔をする乾を初めて見た。
「その反応は……肯定的に受け取っていいのかな」
乾の言葉に、身体中が熱を帯び始めた理由が導き出されてしまった。今度は私が負けてしまって反射的に俯いた。乾はタオルを傍に置くと、代わりに脱力した私の手に触れた。指先から触れて、私の手を攫う。先程までグリップを握っていた手が、私の手を包んでいる。溶けて一つになってしまいそうな熱が、じくじくと内からも外からも流れ込んでくる。
「乾がそうしたいなら、いいよ」
自分から発したくせに、傲慢な許可を下す。もう少し言い方というものを勉強した方がいいのかもしれない。
「じゃあ、そうしようか」
握られた手に力が入り、黒縁が距離を詰めた。理解する前に動いた瞼が目に蓋をする。
乾も馬鹿だな。でも、乾が教えてくれる熱は嫌いじゃないよ。だって私達、思春期だから。