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「待たんかァーーー!!」
鼓膜が破けそうになるほどの声量が廊下中、いや、学校中に響き渡る。風通しの悪い廊下と怒りの矛先が私であるという事実に通常の倍以上の汗が穴という穴から噴き出していた。
私は声の主から逃れなくてはならなくて、捕まってはいけないと足を動かし続ける。捕まってしまえば、私には社会的な死が待ち受けている。でも、風紀委員として走ることは躊躇われた。だからこそ私の足は膝を伸ばして競歩の如く掻き回していた。
なぜ私が校内を逃げ回っているのかと言えば、遡る事数分前。私は叫び声の主である真田くんと委員会の仕事をしていた。私としてはまたとしてない好機で、同じクラスと言えど滅多にない二人きりの空間に胸を高鳴らせていた。本当は柳生くんも一緒のはずだったけれど、B組の仁王くんに用事があるから後で参加するとのことだった。でも、それが悪かった。
私と真田くんとの二人きりで仕事をこなす。大したことのない雑務だけれど、真田くんの性格上無駄な私語はしない。本当だったら他愛もない話をしながら和やかに進めたかった。でも、必要のないことをべらべらと話して彼に嫌われでもしたら大変だ。それこそ私が死んでしまう。
淡々と作業を熟せば、雑務は簡易的なものだったせいか柳生くんが来る前に片付いてしまった。あっさりと終わりを告げる二人きりの空間に寂しさを覚える。
「柳生には俺から伝えておく。帰っていいぞ」
真田くんの配慮に気分は沈んだ。本当は彼の善意からの行動だから喜ぶべきなんだろうけれど、もう少し一緒にいたいという気持ちを抱えている私にとっては悪意にもとれてしまった。私だけがそう思っていると、明確な意識の差が浮き彫りになっている。
夏は終わり、以前のように教室からせかせかと出ていく姿は過去のものになった。だから時間の余裕はあるはずなのだけれど、それを判断するには私は彼を知らなさすぎる。一方的に抱く想いをずっとひた隠しにし続けている。
ここで本音を曝け出す事が出来れば可愛い女の子になれたのかな。でも、どう考えても私にそういった行動を起こせるほどの勇気は持ち合わせてない。
「うん、分かった。じゃあまた明日」
「ああ」
通学用鞄を肩に掛け、教室を出ようとした瞬間、真田くんから声がかかった。彼からの声かけが嬉しくて扉に向かっていた足が急停止して、勢いよく振り返る。
「さな、だ……くん……」
絞り出した声は彼の名を呼んだ。でも、私の目の前には彼が、彼自身がいた。私が急停止したことと、彼の一歩が予想外に大きかったせいで、私達の物理的距離はほぼないと言ってもいい。
「あ、え、えっと……」
彼は何か用があったはずで、それで私に声をかけた。でも、急激に縮められた距離のせいでお互いの顔は赤く染まっている。真田くんも真田くんで目線をうろうろと彷徨わせている。
すぐ目の前にある真田くんの顔。間近で見るのは当たり前だけれど初めてで、張り裂けそうな胸とは裏腹に見入っている私がいる。男らしく筋の通った鼻や、性格を表すような鋭い目つきを含めた精悍な顔は、いつだって素敵だ。元々真面目なところに惹かれてはいたものの、テニス部を引退した彼と一緒に仕事をしていると、以前は見られなかった柔らかい表情をするものだから、私の想いは落ちるところまで落ちてしまった。
離れなくちゃならないのに、こんな機会はないからと私の足は動こうとしなかった。
「す、すまん……」
いつもの威勢は息を潜め、おろおろと狼狽えている。一歩後ろに下がった真田くんに、私は追い詰めるように一歩詰め寄った。これは無意識下の行動だった。
「好き。真田くんのことが、好き」
零れてしまった感情。暫しの静寂が私達を包む。
え、私今なんて言った?
校舎外の暑さにも負けない熱気が体中を駆け巡る。自分の失態を自覚した途端に冷静さが戻ってくる。真田くんは赤い顔のまま、口をぱくぱくとさせ言葉を失っている。
やってしまった。これは死んだ。
サーッと血の気が引き、呆然とする真田くんから距離を取り、全力で教室から脱した。風紀委員として廊下は走らないと決めた掟にずっと従っていたため、逃げている最中の今も走るに走れない。
すると、背後から刃物のように鋭利さを持った叫び声が私を襲った。
「待たんかァーーー!!」
こうして冒頭に至る。真田くんの怒号で学校が揺れているんじゃないかと思いつつ、早歩きをする足は止めない。
どうして口を滑らせたのかなんて私が知りたい。好きすぎたのがいけないのか、私の気が緩んでいたのが悪いのか、何がダメだったのか意味が分からなくて混乱したままだ。
振り向く余裕もなく階段を降り続け、校内の端にある茶室に逃げ込んだ。茶道部だから堂々と隠れられるし、ありがたいことに今日は部活が休みだった。浅い呼吸しかしなかったせいで喉はカラカラに渇き、胸は大きく膨らんだりへこんだりを繰り返している。ようやく呼吸が戻り始めたところで、畳の香りがした。香り慣れたい草が心を落ち着かせた。
すると、扉の向こう側から足音が聞こえた。バタバタと雑な足音。恐らく真田くんのだろう。さすがに茶室にいると思わないだろう。彼は私が入っている部活を知らないだろうし、言い逃げは出来る。しかし、願いとは裏腹に足音は茶室へと近づいてくる。扉の傍にしゃがみ込み、両の手を重ねては「来ないで」と強く念じた。その瞬間、ぴたりと足音が止まり、身体の一部が減ったような消失感が私を襲った。
「見つけたぞ……!」
扉の方に顔を向ければ、息を切らした真田くんが私を睨みつけていた。
「さ、さなだ、く……!」
再び逃げ出そうと立ち上がるも、呆気なく彼に手首を掴まれる。普段テニスラケットを握る手が、私の手首を掴んでいる。それが何だか悪いことをしているような気持ちになってしまう。堪える気持ちが雫となって零れてしまいそうで、目の奥に感じる痛みを何とか紛らわそうと画策するけれど、方法は何一つとしてない。
「さっきのことは、忘れて、」
精一杯引き出しにある言葉を口にすれば、真田くんは威圧感のある声でその意味を問うた。
「なぜだ」
「だって、振られるのやだ……!」
同じクラスでも親密に話す間柄ではないし、委員会が一緒なだけ。私が彼と一緒にいたいから風紀委員会を選んだだけ。私は、真田くんのことを何も知らない。
自覚すれば、堪えていた涙が頬に筋を作って零れ落ちた。手首を離してもらおうともう一度動かしてみるけれど、彼は微動だにしない。
早く離して欲しい。一人にして欲しい。追いかけないで欲しい。もう限界だ。
真田くんを殴ってでも逃げ出そうかと考えていると、掴まれていた手首が引っ張られる。熱い体温が私を焼き尽くす。逞しい腕と身体が私を包んでいる。
「なぜ俺がお前の告白を断る事が前提なんだ!!」
怒鳴り声が茶室に響く。部屋の隅がミシ、と軋んだ。洗剤の香りとほんのりと漂う彼自身の香りが私の熱を上昇させる。蒸し暑い空間が私を茹でていく。
「お、俺も……その、だな……お前の事が……」
真田くんは私を抱きしめたまま、声を震わせた。私は彼のシャツを握りながら続く言葉を待った。しかし、額から伝った汗が顎から垂れた途端、眩暈がした。
「さなだ、くん、」
「ん?」
「溶けちゃう……」
「名字ーーーーーッ!!」
私は真田くんの腕の中でぐったりと倒れてしまった。
どうやらその後、保健室に運ばれ目を覚ましたときには日が暮れかけていた。真田くんは床と平行になるほどに頭を下げていたけれど、私が無事だったのは真田くんがいてくれたおかげ。
「真田くん」
「なんだ」
「さっきの続き、教えてくれる?」
保健室の先生に聞こえないように囁けば、顔を真っ赤にして黒の帽子を深く被った。
「……帰り際に、改めて言う」
そう言って差し出された厚い手に、私は自身の手を重ね合わせた。
鼓膜が破けそうになるほどの声量が廊下中、いや、学校中に響き渡る。風通しの悪い廊下と怒りの矛先が私であるという事実に通常の倍以上の汗が穴という穴から噴き出していた。
私は声の主から逃れなくてはならなくて、捕まってはいけないと足を動かし続ける。捕まってしまえば、私には社会的な死が待ち受けている。でも、風紀委員として走ることは躊躇われた。だからこそ私の足は膝を伸ばして競歩の如く掻き回していた。
なぜ私が校内を逃げ回っているのかと言えば、遡る事数分前。私は叫び声の主である真田くんと委員会の仕事をしていた。私としてはまたとしてない好機で、同じクラスと言えど滅多にない二人きりの空間に胸を高鳴らせていた。本当は柳生くんも一緒のはずだったけれど、B組の仁王くんに用事があるから後で参加するとのことだった。でも、それが悪かった。
私と真田くんとの二人きりで仕事をこなす。大したことのない雑務だけれど、真田くんの性格上無駄な私語はしない。本当だったら他愛もない話をしながら和やかに進めたかった。でも、必要のないことをべらべらと話して彼に嫌われでもしたら大変だ。それこそ私が死んでしまう。
淡々と作業を熟せば、雑務は簡易的なものだったせいか柳生くんが来る前に片付いてしまった。あっさりと終わりを告げる二人きりの空間に寂しさを覚える。
「柳生には俺から伝えておく。帰っていいぞ」
真田くんの配慮に気分は沈んだ。本当は彼の善意からの行動だから喜ぶべきなんだろうけれど、もう少し一緒にいたいという気持ちを抱えている私にとっては悪意にもとれてしまった。私だけがそう思っていると、明確な意識の差が浮き彫りになっている。
夏は終わり、以前のように教室からせかせかと出ていく姿は過去のものになった。だから時間の余裕はあるはずなのだけれど、それを判断するには私は彼を知らなさすぎる。一方的に抱く想いをずっとひた隠しにし続けている。
ここで本音を曝け出す事が出来れば可愛い女の子になれたのかな。でも、どう考えても私にそういった行動を起こせるほどの勇気は持ち合わせてない。
「うん、分かった。じゃあまた明日」
「ああ」
通学用鞄を肩に掛け、教室を出ようとした瞬間、真田くんから声がかかった。彼からの声かけが嬉しくて扉に向かっていた足が急停止して、勢いよく振り返る。
「さな、だ……くん……」
絞り出した声は彼の名を呼んだ。でも、私の目の前には彼が、彼自身がいた。私が急停止したことと、彼の一歩が予想外に大きかったせいで、私達の物理的距離はほぼないと言ってもいい。
「あ、え、えっと……」
彼は何か用があったはずで、それで私に声をかけた。でも、急激に縮められた距離のせいでお互いの顔は赤く染まっている。真田くんも真田くんで目線をうろうろと彷徨わせている。
すぐ目の前にある真田くんの顔。間近で見るのは当たり前だけれど初めてで、張り裂けそうな胸とは裏腹に見入っている私がいる。男らしく筋の通った鼻や、性格を表すような鋭い目つきを含めた精悍な顔は、いつだって素敵だ。元々真面目なところに惹かれてはいたものの、テニス部を引退した彼と一緒に仕事をしていると、以前は見られなかった柔らかい表情をするものだから、私の想いは落ちるところまで落ちてしまった。
離れなくちゃならないのに、こんな機会はないからと私の足は動こうとしなかった。
「す、すまん……」
いつもの威勢は息を潜め、おろおろと狼狽えている。一歩後ろに下がった真田くんに、私は追い詰めるように一歩詰め寄った。これは無意識下の行動だった。
「好き。真田くんのことが、好き」
零れてしまった感情。暫しの静寂が私達を包む。
え、私今なんて言った?
校舎外の暑さにも負けない熱気が体中を駆け巡る。自分の失態を自覚した途端に冷静さが戻ってくる。真田くんは赤い顔のまま、口をぱくぱくとさせ言葉を失っている。
やってしまった。これは死んだ。
サーッと血の気が引き、呆然とする真田くんから距離を取り、全力で教室から脱した。風紀委員として廊下は走らないと決めた掟にずっと従っていたため、逃げている最中の今も走るに走れない。
すると、背後から刃物のように鋭利さを持った叫び声が私を襲った。
「待たんかァーーー!!」
こうして冒頭に至る。真田くんの怒号で学校が揺れているんじゃないかと思いつつ、早歩きをする足は止めない。
どうして口を滑らせたのかなんて私が知りたい。好きすぎたのがいけないのか、私の気が緩んでいたのが悪いのか、何がダメだったのか意味が分からなくて混乱したままだ。
振り向く余裕もなく階段を降り続け、校内の端にある茶室に逃げ込んだ。茶道部だから堂々と隠れられるし、ありがたいことに今日は部活が休みだった。浅い呼吸しかしなかったせいで喉はカラカラに渇き、胸は大きく膨らんだりへこんだりを繰り返している。ようやく呼吸が戻り始めたところで、畳の香りがした。香り慣れたい草が心を落ち着かせた。
すると、扉の向こう側から足音が聞こえた。バタバタと雑な足音。恐らく真田くんのだろう。さすがに茶室にいると思わないだろう。彼は私が入っている部活を知らないだろうし、言い逃げは出来る。しかし、願いとは裏腹に足音は茶室へと近づいてくる。扉の傍にしゃがみ込み、両の手を重ねては「来ないで」と強く念じた。その瞬間、ぴたりと足音が止まり、身体の一部が減ったような消失感が私を襲った。
「見つけたぞ……!」
扉の方に顔を向ければ、息を切らした真田くんが私を睨みつけていた。
「さ、さなだ、く……!」
再び逃げ出そうと立ち上がるも、呆気なく彼に手首を掴まれる。普段テニスラケットを握る手が、私の手首を掴んでいる。それが何だか悪いことをしているような気持ちになってしまう。堪える気持ちが雫となって零れてしまいそうで、目の奥に感じる痛みを何とか紛らわそうと画策するけれど、方法は何一つとしてない。
「さっきのことは、忘れて、」
精一杯引き出しにある言葉を口にすれば、真田くんは威圧感のある声でその意味を問うた。
「なぜだ」
「だって、振られるのやだ……!」
同じクラスでも親密に話す間柄ではないし、委員会が一緒なだけ。私が彼と一緒にいたいから風紀委員会を選んだだけ。私は、真田くんのことを何も知らない。
自覚すれば、堪えていた涙が頬に筋を作って零れ落ちた。手首を離してもらおうともう一度動かしてみるけれど、彼は微動だにしない。
早く離して欲しい。一人にして欲しい。追いかけないで欲しい。もう限界だ。
真田くんを殴ってでも逃げ出そうかと考えていると、掴まれていた手首が引っ張られる。熱い体温が私を焼き尽くす。逞しい腕と身体が私を包んでいる。
「なぜ俺がお前の告白を断る事が前提なんだ!!」
怒鳴り声が茶室に響く。部屋の隅がミシ、と軋んだ。洗剤の香りとほんのりと漂う彼自身の香りが私の熱を上昇させる。蒸し暑い空間が私を茹でていく。
「お、俺も……その、だな……お前の事が……」
真田くんは私を抱きしめたまま、声を震わせた。私は彼のシャツを握りながら続く言葉を待った。しかし、額から伝った汗が顎から垂れた途端、眩暈がした。
「さなだ、くん、」
「ん?」
「溶けちゃう……」
「名字ーーーーーッ!!」
私は真田くんの腕の中でぐったりと倒れてしまった。
どうやらその後、保健室に運ばれ目を覚ましたときには日が暮れかけていた。真田くんは床と平行になるほどに頭を下げていたけれど、私が無事だったのは真田くんがいてくれたおかげ。
「真田くん」
「なんだ」
「さっきの続き、教えてくれる?」
保健室の先生に聞こえないように囁けば、顔を真っ赤にして黒の帽子を深く被った。
「……帰り際に、改めて言う」
そう言って差し出された厚い手に、私は自身の手を重ね合わせた。