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ボス、と空気の抜ける音が部屋に響く。隣に座る男の顔に、珍しく微笑みはない。私と同じようにソファに沈む体は力が抜け、だらりと四肢が放られている。私はと言うと、スマホの画面を下から上へと何度もスワイプを繰り返すのみで、特別何をしているということはない。
家の時間を二人きりで過ごすとき、いつも私が一方的に話す。内容が面白かろうが、そうでなかろうが、何だって彼は聞いてくれる。所謂聞き上手というやつで、乗せられれば何だって口にしてしまう。周助は自らの事を多く語る人ではないけれど、人の異変には誰よりも早く気付く人だった。
「今日は、静かだね」
肘置きに放り出された腕が、指先が、遊び始める。何か考え事をしているような、居心地の悪さが隣から伝わった。
「そう?」
画面上を滑る指が止まる。でも、私が周助を見ることはない。私は再び、事務的に画面を触った。
「いつも話してくれるの、結構楽しみにしてるのに」
「……そんなに毎日毎日面白いことなんてないよ」
眉を上げてひょうきんに答えた。でも、声色には備わっていない。理由は簡単。今、嘘を吐いたから。ざわざわと騒ぐ胸が、冷静さを失っている象徴だ。
本当はいっぱいある。周助に聞いてほしい事で埋もれてしまいそうな程、私の頭の中の棚はぎゅうぎゅうに詰まっている。日々過ごす中で、今度周助に話そう、聞いてもらおうと話の種を大切に拾い集めていた。でも、今日は言えない。それを一瞬で打ち壊すくらい嫌な出来事があったせい。嫌な事でも周助に聞いてもらうことで精神の均衡を保っていたのに、今はそれさえも出来ない。思い出すのも嫌で、現実として突きつけられれば今すぐ泣き喚きたくなる。吐き出せば少しは楽になるかもしれないけれど、なんとなく言いたくなくて閉口の一途を辿るばかり。どうにもならない感情の処理の仕方が、大人になった今も不明のままだ。
暗く沈んでいく顔色を誤魔化せず、トイレに逃げ込もうと腰を上げた。
「どこに行くつもりなのかな」
開いた目が、私の動きを止めた。全てを見透かしていそうな瞳がずるく思える。そのせいで居心地の悪さの濃度が高くなり、真実を言う唇が縫い付けられる。
「トイレ」
「さっきも行ってたよね」
十分前にも同じことをした。トイレに籠って溜息という溜息を吐きつくしたつもりだった。一向に晴れない靄が表面にまで浸食するのは時間の問題だったようだ。
すると、忍び寄ってきた手が私の手を握った。尖る心の先端を削っていく温もりがじわじわと広がっていく。冷房と精神の両方から凍った手が溶かされる。
いつもは周助だって冷たいくせに、こういう時には温かく感じてしまう。振り払いたくても払えない温もり。普段友達みたいな関係のくせに、こういうときに感じる男に弱くなる。甘えてもいい。吐き出していい。そう言われているようで、私の眉間には皺が寄った。
プス、と小さく空気を抜きながら座り直せば、周助は私の手を引いた。そして、逃がさまいと胸に飛び込ませれば力一杯抱きしめる。近づいた瞬間、彼の指が私の髪を潜り抜けて、くるりと巻き付けて遊んだ。その間、ずっと聞こえる鼓動が、一定のリズムが、私に安心感を与えてくれる。
「僕が、何も見ていないとでも思った?」
優しく諭すような口調が、静かに鼓膜を震わせた。その瞬間、強ばっていた肩から力が抜け、彼の首筋に顔を埋めた。目の奥に痛みを感じると共に、彼の服に小さな染みを作る。
彼と比べれば、私は自分の機嫌の取り方さえままならない子供。つくづく周助には敵わないと思い知らされると共に、彼がいないと耐えられないとも痛感させられる。
私は、離れないで、と伝えたくなる想いをぐっと堪え、彼の背中に腕を回す。背中には、縋るように作った皺が深く刻まれていた。
家の時間を二人きりで過ごすとき、いつも私が一方的に話す。内容が面白かろうが、そうでなかろうが、何だって彼は聞いてくれる。所謂聞き上手というやつで、乗せられれば何だって口にしてしまう。周助は自らの事を多く語る人ではないけれど、人の異変には誰よりも早く気付く人だった。
「今日は、静かだね」
肘置きに放り出された腕が、指先が、遊び始める。何か考え事をしているような、居心地の悪さが隣から伝わった。
「そう?」
画面上を滑る指が止まる。でも、私が周助を見ることはない。私は再び、事務的に画面を触った。
「いつも話してくれるの、結構楽しみにしてるのに」
「……そんなに毎日毎日面白いことなんてないよ」
眉を上げてひょうきんに答えた。でも、声色には備わっていない。理由は簡単。今、嘘を吐いたから。ざわざわと騒ぐ胸が、冷静さを失っている象徴だ。
本当はいっぱいある。周助に聞いてほしい事で埋もれてしまいそうな程、私の頭の中の棚はぎゅうぎゅうに詰まっている。日々過ごす中で、今度周助に話そう、聞いてもらおうと話の種を大切に拾い集めていた。でも、今日は言えない。それを一瞬で打ち壊すくらい嫌な出来事があったせい。嫌な事でも周助に聞いてもらうことで精神の均衡を保っていたのに、今はそれさえも出来ない。思い出すのも嫌で、現実として突きつけられれば今すぐ泣き喚きたくなる。吐き出せば少しは楽になるかもしれないけれど、なんとなく言いたくなくて閉口の一途を辿るばかり。どうにもならない感情の処理の仕方が、大人になった今も不明のままだ。
暗く沈んでいく顔色を誤魔化せず、トイレに逃げ込もうと腰を上げた。
「どこに行くつもりなのかな」
開いた目が、私の動きを止めた。全てを見透かしていそうな瞳がずるく思える。そのせいで居心地の悪さの濃度が高くなり、真実を言う唇が縫い付けられる。
「トイレ」
「さっきも行ってたよね」
十分前にも同じことをした。トイレに籠って溜息という溜息を吐きつくしたつもりだった。一向に晴れない靄が表面にまで浸食するのは時間の問題だったようだ。
すると、忍び寄ってきた手が私の手を握った。尖る心の先端を削っていく温もりがじわじわと広がっていく。冷房と精神の両方から凍った手が溶かされる。
いつもは周助だって冷たいくせに、こういう時には温かく感じてしまう。振り払いたくても払えない温もり。普段友達みたいな関係のくせに、こういうときに感じる男に弱くなる。甘えてもいい。吐き出していい。そう言われているようで、私の眉間には皺が寄った。
プス、と小さく空気を抜きながら座り直せば、周助は私の手を引いた。そして、逃がさまいと胸に飛び込ませれば力一杯抱きしめる。近づいた瞬間、彼の指が私の髪を潜り抜けて、くるりと巻き付けて遊んだ。その間、ずっと聞こえる鼓動が、一定のリズムが、私に安心感を与えてくれる。
「僕が、何も見ていないとでも思った?」
優しく諭すような口調が、静かに鼓膜を震わせた。その瞬間、強ばっていた肩から力が抜け、彼の首筋に顔を埋めた。目の奥に痛みを感じると共に、彼の服に小さな染みを作る。
彼と比べれば、私は自分の機嫌の取り方さえままならない子供。つくづく周助には敵わないと思い知らされると共に、彼がいないと耐えられないとも痛感させられる。
私は、離れないで、と伝えたくなる想いをぐっと堪え、彼の背中に腕を回す。背中には、縋るように作った皺が深く刻まれていた。