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ミモザアカシアが咲いた



ため息とともに煙を吐き出した。落ち込んでいる時の煙草ほどまずいものはない。
目の前のキャンバスは相変わらず真っ白のままだ。筆をとってもなんのアイデアも降ってきやしない。
「...はあ、今日もだめか」
これこれ二時間はこうして白いキャンバスとにらめっこしている。体は描くことを望んでいるが、何を描けばいいのか分からないのだ。描きたいのに描けない。俺はいわゆるスランプというやつに陥っていた。
苛立ちを静めたくてもう一度胸いっぱいに煙を吸ってみる。
「まっず...」
吐き出した煙は部屋の中でゆらゆらと揺れていた。


フランスの東部にある街、コルマール。パステル調の洒落た街並みに運河の水が美しいこの街は、"フランスのヴェネチア"なんて呼ばれることもある。この美しい街で暮らすようになって四年程経つ。
パリで生まれた俺は小さい頃から絵を描くことが大好きだった。芸術の都パリ、と言われるように街には多くの芸術家で溢れていた。芸術が溢れる環境で育ったせいか、気がついたら自然と画家の道を志すようになっていた。猛勉強の末とはいえ、パリの有名な美術学校へ入学できた俺は幸運だったのだろう。しかし有名な美術学校ともなると上手いやつなどごろごろいる。そんな環境に意気消沈していたこともあったが、昔から人一倍負けず嫌いだったこともあって決して諦めることはなかった。そのおかげで成績はいつも上位に入っていたが、コンクールではどんなに頑張っても二位、三位止まりで最優秀賞を取ることはできなかった。秀才ではあったが天才ではなかったのだ。
大学卒業後は当然画家一本で食っていけるわけもなく、雑誌の挿絵を描いたりアルバイトをしながら細々と生計を立てていた。しかしそんな俺も今年で三十歳になる。大学の同期には既に画家としてそこそこ名を馳せているやつもいるというに、俺ときたら未だ個展も開けない無名な画家だ。
そこで俺は賭けに出ることにした。三ヶ月後に大きな絵のコンクールがある。そこで絵を出すことにしたのだ。そしてもしそのコンクールで最優秀賞を取れなかったら画家をやめて、安定した職を探す。そう決めたのが今から一ヶ月前の話だ。そう決めたのはいいものの描きたいものが思い浮かばず、終いにはキャンバスを前にしても何も描けないという状況になってしまっていた。コンクールまであと二ヶ月。どうすればいいのだろうか。未だ答えは見つかっていない。

***

その日もいつも通り何も描けないことに落ちこみながら夕飯の支度をしていた。一人暮らし歴が長いので家事はお手のものだ。
昨日作ったスープを温め直して、その間に近所のおばちゃんからもらった野菜で簡単なサラダを作る。最後にスープと一緒に食べるフランスパンを切ったら完成だ。質素だがお腹はそこそこいっぱいになるので問題ない。
席に座り一人で済ますこの味気ない食事にも慣れたものだが、やはり寂しさは拭えない。
普段あまり見ることはないが、気分転換もかねてテレビをつけてみることにした。すると画面いっぱいに白い場所が写った。観客にぐるりと囲まれた楕円形のそこは、どうやらスケートリンクのようだ。大会が行われているのだろう。たった今誰かの演技が終わったようで、画面には点数が表示されていた。
「フィギュアスケートか」
一人暮らしをしているとついつい独り言が増えてしまう。
演技を終えた選手へのインタビューをそれとなく見ていると、リンクに次の選手が現れた。黒髪の男だ。画面越しでもわかるくらい細身だが締まったいい体をしている。その彼は何周かリンクを滑ると中央に行き、ポーズをとった。ゆっくりとした音楽が流れ出し彼が動き出す。その瞬間俺の体に電流が走った。細く長い足から繰り出されるステップ。ジャンプ着地時のバランスの美しさ。体を捻るような動きをした時に目立つ腰の細さ。そして憂いを帯びたような表情。スケートのことなど全く知らないが、彼の全てが俺を惹きつけてやまない。
やがて彼の演技が終わり、会場から再び大きな歓声があがった。俺はいつの間にか息をすることすら忘れていたようだ。
画面には黒髪の彼と銀髪の美しい男が嬉しそうに抱き合うシーンが映し出されていた。黒髪の彼は先程までの憂いを帯びたような表情から変わり、へにゃりとした幼い笑顔を浮かべていた。演技中との違いに驚かずにはいられない。
そこから場面は切り替わり、彼らは点数を待つ席のような場所に座っていた。二人はプードルのぬいぐるみを見て微笑み合っている。なんというか恋人同士の戯れを見ているような甘い雰囲気だ。
そこからしばらくして点数が表示された。黒髪の選手と銀髪のコーチらしき男は嬉しそうに抱き合っている。いや、正確には銀髪の男が抱きついていると言ったほうがいいだろう。
画面が切り替わり黒髪の選手の出番が終わった後も、俺の頭は先程の彼の演技でいっぱいだった。
ーー彼を描きたい
一目惚れに近いものだった。といっても恋愛対象としての意味でなく、純粋に絵の対象としてだ。
俺は急いで食事を済ますと、携帯で彼の名前を検索した。テレビで見た時すぐに覚えた名前、勝生勇利。日本のトップスケーターで、去年の世界大会では二位をとっているようだ。しかしそれ以前の成績は日本国内では負けなしだが、世界大会では思うような成績を残せていなかったらしい。一度は世界大会で最下位という辛い経験をしたにも関わらず、そこから見事に返り咲いた。そんなところも彼の不思議な魅力を形成いる要素のひとつのように感じた。
又、彼の隣にいた銀髪の男はただのコーチでなく、現役選手とコーチ業を両立させているらしい。そして勝生勇利は現在そのコーチの国であるロシアのサンクトペテルブルクをホームリンクにしているとも書いてあった。
過去の演技の動画も見てみたが、どの演技も目が離せないほど美しいかった。
つい先程まで何も描きたいものがないと思っていたのが不思議なくらい、今すぐにでも彼を描きたくてたまらなかった。試しに動画を見ながら描いてみたが、どうしても物足りない。やはり生で見ないと意味がない。彼にモデルになってもらいたい。しかし俺のような無名な画家のモデルを世界のトップスケーターが受けてくれるはずもない。ならば俺ではない他のやつに仲介を頼むのはどうだろうか。少なくとも俺個人が頼むよりはずっといいだろう。
そうと決まれば明日早速行動に移さねば。その日はさっさとベッドに入り、明日に備えることにした。久しぶりにみた夢は、今日見た勝生勇利は俺の目の前で踊っているという幸せなものだった。


次の日、俺はパリにある出版社に来ていた。生まれ育ったこの街に来るのも少し久しぶりだ。受付けに行きアポをとっていたことを伝える。すると確認が取れたようで、すんなり中へと案内された。エレベーターで上がり、目的の部屋まで行くと、見慣れた顔が嫌そうな顔でこちらを見ていた。
「よう、ローラン。何しにきた」
「おいおい、久しぶりに会った友人にそれはねえだろ」
「んで、いきなり連絡した理由はなんだよ」
「はあ、相変わらずせっかちだな」
俺が昨日連絡をとったのは出版社に勤めている友人だった。口は悪いしせっかちなところがあるが、仕事がなくて困っていた俺に雑誌の挿し絵の仕事をくれたのはこいつだ。なんやかんや気が合うので、たまに一緒に飲みにいったりもする。
今回こいつに連絡を取ったのには理由がある。というのもこの男、一応この出版社の中では結構な重役に位置するのだ。そこで俺はこいつなら、日本の勝生勇利のエージェントに取り合ってもらえるのではないかと思い連絡した。つまりこいつに仲介を頼みたいというわけだ。
俺はそのことをこいつに相談してみた。するとある程度予想していたが、やはり難しい顔をして口を開いた。
「絵のモデルって...お前、相手は国を代表するトップスケーターだぞ。俺はお前の画家として腕を勝ってはいるが、世間からしたら無名も同然だ。はあ...やっかいな話の気がしてたが、予感は的中したみたいだな」
「俺だってそれくらいわかっているさ。でも二ヶ月後のコンクールにはどうしても勝生勇利の絵で勝負したいんだ。彼じゃなきゃだめなんだ」
俺も必死に食い下がった。今の俺には勝生勇利以外のモデルなど考えられなかった。ここまで何かを描きたいと思ったのは本当に久しぶりなのだ。今この機会を逃したら今後思うような絵を描けなくなるこもしれない。俺はそれほどまでに切羽詰まっていた。
しかしそんな俺の様子を見ても、やはりそいつは難しい顔をしたまま首を横に振った。
「悪いが力にはなれそうにない。すまんな」
「...そうか。まあそんなに期待してなかったからいいさ」
期待してなかったと言っても多少は落ち込む。とにかくこれ以上ここにいても仕方がないので、さっさと帰ることにした。
「じゃあ俺は帰るよ。邪魔して悪かったな」
「こっちこそ何もできなくて悪いな」
「できる限り自分でやってみるわ」
「おう、今度飯でも行こうぜ。それとお前髭剃ったほうがいいぜ。せっかくの男前が台無しだ」
「うるせえ。じゃあな」
軽口を叩いた後、俺は出版社を出た。外は憎たらしいほどいい天気だった。
「どうすっかな...」
わざわざパリまで足を運んだのに結局目的は果たせなかった。自分でなんとかするとは言ったものの、どうするかまでは考えていない。とりあえずここで突っ立っていても仕方がないので家へ帰ることにした。

家に帰りいつも通り夕飯の支度をする。しかし昨日までの元気さは今の俺になかった。
ようやく描きたい対象ができたというのに、相手は雲の上の存在も同然。友人に頼ろうとしたが結局失敗に終わった。本日何度目かわからないため息をついている頃には、今晩の夕飯が出来上がっていた。
食事をしながら動画サイトで勝生勇利の演技を見る。画面の向こうで見る彼は相変わらず美しくて、食事の手が自然と止まってしまう。彼の動画を見ればみるほど描きたいという意欲は強まっていくばかりで、見飽きるなんてことがない。
食事を終えた後シャワーを浴びながら、どうすれば勝生勇利に会えるかを必死に考えたが、思いついたのは直接に会いに行くというシンプルかつ無謀な案のみだった。しかし今の俺にはもうこの方法しか残されていないのも事実だ。
「当たって砕けろっていうもんな。よし、行ってみるか!」
自分に喝を入れるつもりで冷水を思いきりかぶってみたが、ただ寒いだけだった。
風呂から上がり、すぐに飛行機のチケットを取ることにした。勝生勇利が拠点を置いているというロシアのサンクトサンクトペテルブルク行きのチケットだ。なるべく早く行きたかったため明日のチケットを取ろうとしたが、流石に席が空いていなかった。しかし明後日のチケットはまだ余りがあったようなので、とりあえず行きのチケットだけ買うことにした。本当に行き当たりばったりの旅になりそうだが、こうなったら何がなんでも勝生勇利に会うしかない。
気持ちが高ぶっているせいか、その日はなかなか寝付けなかった。

***

「寒い...」
俺は今サンクトペテルブルクにいる。パリからサンクトペテルブルクまで乗り換えを含め約五時間かかったが、思ったより安く来ることができた。
四月だというのに道には雪がまだ残っていて歩きにくい。慎重に歩かないと滑ってしまいそうだ。俺の住んでいるところと違ってまだ春は訪れていないようで、上着がないと寒くて凍えてしまいそうだった。
なんとかホテルに着きチェックインを済ませた後、まだ時間もあったので勝生勇利が使っているというチムピオーンスポーツへ向かうことにした。ホテルもそこの施設の近くを事前に取っていたので、歩いて行ける距離だ。地図アプリを使いながら慣れない道を歩き十五分程歩いた後、ようやく目的地へと着いた。しかし着いたからといって浮かれてはいられない。まだ勝生勇利に会えるとは決まっていないからだ。普通に考えて会えない確率の高いだろう。しかしそんなことはここに来る前から分かっていたことだ。俺はとりあえず建物に入り、受付けの女性に勝生勇利が今日来ているかどうか聞いてみた。しかし相手は英語が話せなかったようで、結局不審な目で見られただけでなんの収穫も得られなかった。こうなったら待てるだけ待ってみるしかないだろう。俺は入口近くの椅子に座っているか、いるかどうかもわからない相手を待つことにした。

人が帰っていく姿を何回見送っても、その中に勝生勇利の姿はない。どれくらいこうしてここに座っているだろうか。トイレに行っている間に見逃したなんてことがないように、トイレに行くのも我慢しながらかれこれ三時間は待っている。しかし既に日はどっぷりと暮れている。いくら男の身とはいえ、知らない土地を夜に出歩くのはなるべく避けたい。ここらが潮時だろう。重い腰をあげ、ため息をついた時だった。前方から銀髪の美しい男が歩いてくるのが見えた。間違いない。彼は勝生勇利のコーチだ。テレビや動画で何度も見ているのだから間違いない。俺は急いで彼に近寄った。
「失礼、勝生選手のコーチのニキフォロフさんですか?」
「ああ、そうだけど。君は?」
ようやく英語の通じる相手と会えたこともそうだが、勝生勇利と最も近いともいえる彼と出会えたことに嬉しさが込み上げた。
「突然すみません。実は...」
その時だ。前からもう一人誰かがこちらに向かってきた。
「あれ、ヴィクトル? 何やってるの?」
俺はその瞬間思わず息を呑んだ。そこには俺の目的の人物である勝生勇利がいた。練習終わりなのだろうか、しっとりと汗ばんだような黒髪にジャージ姿の彼は不思議そうにこちらを見ていた。
「勇利、実はこの方に話しかけられてね」
「あっ、お話の途中にすみません!」
勝生勇利は俺がヴィクトル・ニキフォロフに用があって話しかけたと思ったのか、慌ててその場を離れようとした。
「待ってくれ!俺はあなたに用があってここで待っていたんだ」
俺は咄嗟に離れようとした彼の手首を掴んでしまった。男にしては細い、しかし女とは全く違う華奢な手首に俺はほんの少しどきっとしてしまった。
「僕に話...?」
「ああ。時間は取らせないから少しだけでも聞いてもらえないだろうか」
必死な俺の様子を見てか、彼らは顔を見合わせた後こくりと頷いてくれた。

***

施設の中にあるカフェスペースへと案内された俺は、なるべく完結に身の上の話と勝生勇利をモデルに絵を描かせてほしいという話をした。困ったような顔をする勝生勇利とは違い、ヴィクトル・ニキフォロフはどこか面白がった顔をしている。
「なるほどね。ところで今絵を持っていたりする? 良かったら君の絵を見せてもらいたいんだ」
「ああ、スケッチブックはいつも持ち歩いているから。自由に見てもらって構わない」
ヴィクトル・ニキフォロフは俺のスケッチブックを受け取るとパラパラとめくり始めた。彼が絵を見ているのを勝生勇利も横から覗いている。
「わあ!この絵僕凄く好きだな」
「うん、俺も好きだな」
二人は楽しそうに俺のスケッチブックを見ている。今になって自分の絵を見られているということにじわじわと恥ずかしさが込み上げてきた。
彼らが絵を見ている間、俺は断られた時のことを考えてきた。勢いでこんなところまで来たはいいが、良く考えてみたら自分は何をやっているのだろうか。まあ、断られたとしてもこんな近くで本物の勝生勇利を見れただけでも俺は幸せ者だろう。
「...ねえ、ねえローラン、だっけ? 話聞いてる?」
「えっ、ああ、すまない!少しぼーっとしていた」
考え込んでいたせいか、話しかけられていることにも気が付かなかったらしい。話しかけてきたということは、どうするか答えが決まったというこだろう。心の準備はできているとはいえ、やはり気分が沈みそうになる。しかしヴィクトル・ニキフォロフは予想もしていなかったことを口にした。
「勇利をモデルにするって話、喜んで引き受けさせてもらうよ」
「......え?」
俺は思わず口をぽかーんと開けてしまった。
「俺はこれでも、今まで芸術に関わるあらゆるものを見てきたから審美眼に自信があるんだ。だからこそ君の絵に惹かれた。君がどんな風に勇利を描くか興味があるんだよね。それに勇利も引き受けてもいいみたいだし」
そう語るコーチの隣にいる勝生勇利は、俺のことをじっと見ていた。
「あの、僕なんかで良ければモデルの話引き受けさせて下さい。僕はヴィクトルと違って絵に詳しいわけではないけど...でもあなたの絵好きです。絵から優しさとか温かさが伝わってくるから」
俺は夢を見ているのではないだろうか。そう思ってしまうほど彼はあっさり引き受けてくれた。しかしこっちから依頼しておいてなんだが、彼は国を代表するスケート選手だ。多忙な彼にそんなことをお願いしていいものかここにきて急に不安になってきた。
「引き受けてもらえるのは嬉しいんだが練習は大丈夫か?君は選手だし大会もあるんじゃ...」
「ああ、それなら大丈夫だよ。実は勇利は今オフシーズンなんだ。今日も次のプログラムの練習を軽くしたくらいだし」
俺の不安をよそにヴィクトル・ニキフォロフは明るい声でそう言った。
「それよりローラン、画材は持ってきてるの?」
「ああ、一応。でも本当に引き受けてもらえると思ってなかったから簡単なものしか持ってきていないな」
「なるほどね...あ、そういえば君フランスのどこに住んでるって言ってたっけ? パリ?」
勝生勇利勇利本人より圧倒的にコーチと話している気がする。まあ勝生勇利はあまり口数が多いようには見えないから、代わりにコーチが話しているのかもしれない。
「パリ出身だが、今住んでいるのはコルマールだ」
「コルマールか。一度だけ行ったことがあるよ。とても綺麗な場所だよね。あっ、そうだ!勇利が君の家に行くっていうのはどうだい? 君だって自分のアトリエで描いたほうがいいだろし。それに勇利も次のプログラムで行き詰まっているみたいだから、美しいものに触れて気分転換でもしたら何か掴めるかもしれないよ。どうかな?」
「俺は彼がいいなら構わないが...」
ちらりと勝生勇利を見ると、彼は一瞬だけ悩んだ素振りをしたが、大丈夫ですと言ってくれた。
「ただオフシーズンとはいえ毎日最低二時間は練習したいんですけど、そっちにスケートリンクってありますかね?」
「いやコルマールにはないな。でも隣町にはあったはずだから、俺が車で連れていくさ」
「じゃあ決まりだね。実は俺明後日から一週間他の仕事が入っているせいで勇利の練習を見てあげられないんだ。だからその間君のところに勇利を泊めてもらるかな? 」
「勿論だ」
話が決まったあと、俺は彼らと一緒に夕食を共にした。コーチのおすすめだという店は家庭的な料理を扱っていて、とても美味しかった。
ヴィクトルは華やかな見た目の割に気さくな男で、話の話題も豊富で面白かった。芸術と名のつくあらゆるのに目がないというのは本当のようで、特に絵画の話をするのは楽しかった。勇利も最初こそ大人しい人物かと思ったが、ヴィクトルに遠慮なくものを言うあたり、俺の勘違いだったようだ。演技をしている時とは違って、こうして話してみると普通の青年だ。しかし彼はその体に誰も知らない魅力を秘めている気がする。俺はそれを描きたい。
俺と勇利は明日フランスへ発つことになった。サンクトペテルブルクに来たのも急だったが帰るのも急だ。結局この町には一日だけの滞在となった。時間があったら行ってみたいと密かに思っていたエルミタージュ美術館はまた機会があったら行くことにしよう。

彼らと別れホテルに帰った後も夢心地から抜けきれず、鼻歌を歌いながらシャワーを浴び、ベッドへダイブした。こんなに心躍るのはいつぶりだろうか。ずっと自分のことをついていない男だと思っていたが、今回ばかりは違う。俺は世界で一番ついている男だとさえ思う。なんたってあの勝生勇利を一週間独り占めできるのだ。
誰にも描けないない彼の姿を描いてみせる。そう心に誓ったのだった。

次の日、ヴィクトルは俺が泊まっているホテルまでわざわざ迎えにきてくれて、勇利と俺を空港まで送ってくれた。
「勇利...気を付けてね。毎日連絡してね。俺もするから」
「うん...ヴィクトルも仕事頑張ってね。無理しちゃだめだよ」
出発まであと少しとなった今、勇利とヴィクトルとぎゅっと抱き合い甘ったるい会話をしていた。たかが一週間だというのに根性の別れかのような雰囲気の二人の様子にため息がでる。
ーーこの二人は恋人同士なのか?
ヴィクトルの勇利を見る視線は熱く、腰にはしっかりたくましい腕を回している。おまけに勇利はヴィクトルにぎゅっと抱きつき、頬を彼の胸板に押しつけている。
これで恋人じゃないというならなんだというんだ。コーチと選手という関係だから深い絆で結ばれているが故に仲が良いのかもしれないが、どうも俺にはそれだけではない気がしてならなかった。
「あのー、おふたりさん...お邪魔して悪いんだがそろそろ行かないと間に合わないぜ」
俺のその一言に我に返ったのか、勇利は慌ててヴィクトルから離れた。勝手に推測するならば、自分がヴィクトルと公衆の面前で抱き合っていたことに今更気がついて恥ずかしくなった、といったところだろう。まああくまで推測だが。
「ローラン、勇利をくれぐれもよろしく頼むよ。俺の大切な王子様なんでね」
ヴィクトルはフランス語でそう言った。フランス語を話せるなんて聞いていなかったから一瞬驚いてしまった。しかも"俺の王子様"ときたもんだ。キザなセリフも色男が言えば様になるもんだと妙に感心してしまう。
「わかってるさ。じゃあ、ありがたくあんたの王子様借りてくぜ」
「二人とも何話してるの?」
フランス語がわからない勇利は自分だけ会話についていけないからか、拗ねたような顔をしている。正直こんな小っ恥ずかしい会話知らないほうが幸せだとは思うが。
「勇利のことをよろしくねって言っただけだよ。それよりほら、もう行かないと間に合わないよ」
ヴィクトルはそう上手く誤魔化すと勇利を行くように促した。
「う、うん。じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」
ようやく甘ったるい雰囲気から抜け出し、俺は勇利と共に搭乗ゲートへと向かった。





To be continue...
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