このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

毒飲む少女、毒売る老女

 妹が死んだのは、今から五十年近く昔のことだった。
 当時のあたしはまだ十九で、妹はまだ十七歳の小娘だった。
 あたし達は魔法毒屋の娘だった、遡ると結構古くまで遡ることができるらしい、老舗の小さな店。
 毒屋といっても毒だけではやっていけなかったので薬になる物も売ってはいたが、基本は魔物退治なんかに使う用の毒ばかり取り扱っている。
 そんな店の長女として生まれたあたしは、毒というものを厭った。
 妹は逆に毒を愛し、のめり込んだ。
 妹は幼い頃から自分で毒を作って、それを飲み続けていた。
 身体が痺れる毒、激痛を感じる毒、触感が消える毒、他にも色々。
 あたしは多分、妹のことが嫌いだったのだと思う。
 気狂いだと思っていた、好き好んで毒を飲む頭のおかしい狂人だと思っていた。
 それでも別にそれだけだった、だって妹は確かに狂人の類ではあったが、その毒をけして悪行には使わなかったからだ。
 だから、それだけだった。
 気持ち悪いとは思っていたけど、別に消えて欲しいとか死んで欲しいとかは思っていなかった。
 逆にこれだけこの妹が毒というものにのめり込んでいるのだから、自分が店を継ぐ必要はないだろうとその存在にどこか感謝していた事もあった。
 妹は様々な毒を作り、それを自分に、時に死んでも生きていても意味もない魔物に試した。
 幼い頃からそんなことを続けていたから、妹は毒に対してかなりの耐性を持っていたらしい。
 そして、幼い頃から毒作りに没頭し続けていた妹は、どんどんとおぞましい毒を作るようになった。
 生物の脳の機能を破壊する紺碧色の毒、香りを嗅いだだけで五感を失う翡翠色の毒、たった数滴口にしただけで全身が腐り落ちる緋色の毒。
 妹は、なにかを害するつもりもなく、ただ好奇心だけで恐ろしい毒を作り続けた。
 だけどあの日、妹は今まで見たことがないくらい空虚な目で自分にこう言った。
『ねえ、姉さん。今更気付いちゃったんだけどさあ、わたしって多分誰でも殺せちゃうんだよね、しかも大勢、とにかくたくさんの人をその気があればまとめて一気に殺せちゃうの』
 そう言った後、妹は五十年近くたった今でも思い出したくない遺言を残して、あたしの目の前で緋色の毒を一気に煽って、その身を腐らせ死んだ。
 いくら毒に耐性があるとはいっても、そんなことが関係ないくらいその緋色の毒は強力なものだったのだ。
 妹の肉は完全に腐った、かろうじて残った骨のいくつかもぼろぼろに壊れていった。
 あたしは、目の前で崩れた妹に、何も言えずに突っ立っていただけだった。

 妹が死んで、結局店はあたしが継ぐことになった。
 慣れない接客業に顔をひきつらせながら、店番の片手間で必死に毒と薬に関する勉強をした。
 店を継いでしばらく経った頃、うちの馬鹿叔父が妹が作った毒のレシピを売っ払いやがった。
 慌てて止めようとしたときにはすでに時遅し、妹が作った毒は若くして死んだ天才少女が作り出した猛毒として世に公表されてしまった。
 叔父には一応社会的制裁を加えたけど、一度広まってしまった妹のレシピを世の中から消すことはできなかった。
 いっそこんな事になる前に焼いてしまえばよかったと後悔にかられた事も何度もあるが、きっと過去に戻れたとしてもあたしはあれを自らの手で処分することなどできないのだろう。

 店を継いで数十年も経てば、接客業も慣れ毒の扱いにも苦労しなくなった。
 あたしは世間一般からすると少々偏屈で皮肉っぽい嫌なババアになったらしい。
 それでも店を畳まずに済む程度の客はいた、ここいらで薬ではなく毒を専門に扱っているような風変わりな店はうちの店しかなかったからだ。
 風変わりな店であるから、訪れる客の大半が奇人変人の類ではあったけど、その扱いにももう慣れた。
 ただ、奇人変人のうち一人だけ扱いに若干困っている馬鹿がいる。
 その客は、まだ十七にもなっていない小娘だ。
 確か五、六年くらい前からの常連だった。
 そいつはどれだけ痛くても苦しくても戦い続けることができるように、苦痛に慣れる為だけに毒を常用するような本物の奇人だった。
 基本的に常用しているのは幻痛を引き起こす毒やら、麻痺毒やら色々だ。
 そういう毒の材料を週に一回くらいのペースで買いに来る。
 時々本当に洒落にならない毒の材料を隠すことも誤魔化すこともなく馬鹿正直にカゴの中に突っ込んで会計に来るから、そういう時だけ売らないようにしている、そういう時だけは叱るようにしていた。
 毒を飲むこと事態を止めても良かったが、きっと無駄だろう。
 何を言っても聞かない頑固娘であることは、一目見ただけでわかっていた。
 おそらくあたしが止めたところで無駄だっただろう、それどころじゃうちの店から追い払ったことでどこぞの粗悪な店の材料で毒を作ってうっかり死にかねなかった。
 それなら目に届きやすいところで毒を飲んでもらったほうがまだマシだった。
 頑固娘ではあったもののこちらの本気の説教には一応耳を傾ける素直さは一応残っているので、自分が見守っていれば超えてはならない一線は超えることはないだろう、と。

 しかし、どうやらそれは見当違いであったらしい。
 何かおかしいと思ったのは、奴が買っていった毒の材料のリストを何となく見返した時だった。
 ここ最近、奴は普段常用している毒の材料と、普段は使わない毒草やらをを一、二種類ずつ買っていく。
 それ単体でもある程度の効果はあるが、何故今更そんなものを買っていくのだろうか?
 普段常用している毒と掛け合わせて更に効果を増やしたいのだろうかとも思ったが、掛け合わせたところで大した効果の出ないものばかりだった。
 何がしたいんだろうかあの小娘は、と思った直後にある事に気付いて思わず立ち上がった。
「あの、馬鹿娘……!!」
 見返してみればすぐにわかる事だった、今考え込むまで気付かなかった自分の愚かさが嫌になる程簡単な事だった。
 あの小娘が少しずつ買っていたのは、全て妹を殺した緋色の毒の材料だった。

 普段なら、こんなふうに小分けにするなんて小細工を使わずに馬鹿正直に材料全てをカゴに入れて会計に来ていた。
 それでもこんな小細工を使ってくるということは、流石にやましい思いがあるのだろう。
 次にあの小娘が店に来たのは、あたしが彼奴の思惑に気付いた三日後の事だった。
 普段買っていくもののついでのように入っていた毒草は、やはりあの緋色の毒を作る材料のうちの一つだった。
「あんた、誰を殺す気だい?」
 小娘にそう問いかけると、彼奴は数秒考え込んだ後、特に悪びれた様子もなく「ばれてしまいましたか」と。
「今まで気付かなかった自分が馬鹿らしくなるくらいだけどね。一体どういうつもりだい? 一体何のためにあの毒を作ろうとしている?」
 例えばこの小娘に殺したい何かがいるとする、それでもこの小娘があの毒に頼ろうとするのは少し不自然だった。
 この小娘なら毒なんか使わなくても、なんだって殺せるだろうから。
 そのくらい強いということくらいは知っていた。
 こいつが毒を作るのはあくまで自分が苦痛に慣れる為、少し前に戯れのように賊相手に毒を使ったという話も聞いたが、それだってそんなことをする必要なんて本来はなかっただろうに。
 小娘はしばらく無言だった、正直に話すかどうか迷っているようだ。
 普段だったら馬鹿正直に理由まできっちり話して、どれだけ異常な理由であってもそういうわけだから別に買っても構わないですよねと当然のように首を傾げるような小娘なのに。
「おい、なんとか言ったら」
「私は、どうやら強くなりすぎたようです」
 痺れを切らして口を開いた直後に、小娘は囁くようにそう言った。
「は?」
「今更気付いたんですけどね、私は多分誰でも殺せてしまうんです。多分どれだけの猛者、軍勢が束になってかかってきたとしても……」
 続けられた言葉はあまりにも傲慢なものだった、しかも遠い昔にこれと似たような話をされたことがある。
「こんな私を、誰が止められるというのでしょうか? 私が悪の道に落ちた時、私を止められるような人は誰もいないんです」
『こんなわたしをさあ、誰か止めてくれるかな? 今はそんなつもり一切ないけど、例えば私がすごい悪い人になった時、私が罪を犯すのを止められるような人はね、きっと一人もいないんだよ』
 いつも笑っていた妹の空虚な顔と、笑ったところを一度も見たことがない目の前の小娘の顔が、声が重なっていく。
「……だから私は、そうなってしまう前に死んでしまう必要があるんですよ」
『だからねえ、わたしはそうなる前に死ななきゃならないんだ』
 そう言って最後にいつも通りの笑顔で緋色の毒を煽った妹の顔と、表情を変えずにそう言った小娘の顔が今、完全に重なった。
「自惚れたことを言っているんじゃないよ!!」
 気付いたら怒鳴っていた、小娘は驚いたように目を見開いてこちらを見ていた。
「あんたは確かに強い、どうしようもないくらい強い、それでもただの小娘だ。自惚れてるんじゃないよこの馬鹿娘、あんたが知らないだけでこの世界にはあんたぐらい強い奴が腐るほどいる」
 嘘だった、腐る程はいないはずだ、そして少なくともこの辺りにそんな強者は一人もいない。
 それでもそう言わなければならない、今度こそ自分は止めなければならないのだ。
「ああもうホント馬鹿らしいったりゃありゃしないよ。誰も止められないだって? 自惚れも大概にしろあんたみたいな小娘なんかあっという間にコテンパンにされて終いに決まってるだろうが。そんなこともわからず死のうとしてたのかい? 前々から頭の悪い馬鹿娘だと思っちゃいたけど、そこまで筋金入りだとは思っちゃいなかったよ」
 早口でそう言うと、小娘はしばらく考え込んだ後、小さく口を開いた。
「本当に、私を止められるような人はいるのでしょうか?」
「……いるに決まってるだろう」
 即答はできなかったが、それ以外の回答をするわけにはいかなかった。
「そう……ですか。そう、かもしれませんね」
 小娘は本当に小さく呟いた後、こう続けた。
「……別に、悪いことをするつもりなんて一切なくて、だから別に今すぐ死のうだなんて思ってたわけじゃないんです……でも、そうなってしまった時の自分を考えたら怖くて……保険が、欲しいと思ったんです。絶対に、絶対にないって思いたいんですけど……私は絶対に、あの人に恩を仇で返すような真似をしたくないんです……そうなるくらいなら死んだ方がまだマシだと、そう思ったんです」
 ぽつりぽつりとそう言う小娘の顔はいつも通りの無表情だったが、若干顔色が悪かった。

 小娘は普段の毒の材料だけ売って帰した。
 ひとまず今すぐ死ぬつもりはないらしいので、しつこく説教を続けすぎても無駄だと判断したからだった。
 それでもきっとあの小娘はあの緋色の毒を作るのだろう、実際にそれを口にするかどうかはわからないが。
 ならばその対策をした方がまだ有意義だった、いくら言っても聞かないと言うのなら、それ以外の方法でなんとかするしかないのだろうから。
 あの緋色の毒は確かに強力な毒だった。
 それでも解毒する方法が全くないというわけではない。
 なら、いつかの時のために解毒剤を作っておいた方が余程良い。
 五十年前のあたしにはできなかったが、今のあたしにはそれができる。
 しかしそれでも問題が残る。
 あの緋色の毒は即効性だ、毒に耐性がない人間だとあっという間に、毒に耐性があったあの妹でさえ半刻も持たなかった。
 果たして、あの小娘が毒を飲んだ直後に自分がすぐに駆けつけられるかどうかを考えると、否だった。
 そもそもあれが毒を常用しているのを知っているのは自分ともう一人だけだった。
 もう一人の方があれと親しくしているというのであればそのもう一人に解毒剤を渡しておくという手もあるが、別に友人でもなんでもないらしいので不安が残る。
 自分の手元にだけ置いておくよりもマシではあると思うが、やはり心許ない。
 ならばどうするか、いっそあれが毒飲みだということを世間一般、とまではいかなくてもあれの親しい人間にバラしてしまおうかとも思ったが、後が恐ろしいのでやめておく。
 さて、どうするか。
 考えても無駄かもしれないことを、それでも考え続ける。
「あの毒で自殺する馬鹿が出るのは二度とごめんなんだよ」
 小さく呟いたその言葉をあの小娘に言ったところで、きっとどうにもなりはしない。
 だからただ、思考を回す。
1/1ページ
    スキ