2.噂
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──次第に青ざめていく目の前の顔を見て、失敗した、とゾンビマンは思った。
今し方駆除した怪人の血を斧から振り払いながら、ゾンビマンは自宅アパートへの帰路を辿っていた。もう慣れたがこの辺りは本当に怪人が多い。家に帰る道すがらついでのように怪人を駆除することは、もはや日常の一部となっていた。
自分にとっては日常でも、普通の人間にとってはたまったものではないだろうな、と先日知り合ったばかりの隣人のことを思い浮かべる。
隣人─ミョウジナマエと初めて言葉を交わしたのはつい最近のことだが、今年の春頃に隣の部屋に誰かが引っ越してきたことは知っていた。
とにかく家賃が安く、管理会社もほぼ放置していて煩く言ってこないことから、自宅アパートには何かしら臑に傷のある人間が入居しがちなようで、何度か風体の良くない人物が人目を避けるように敷地を出入りしているのは見たことがある。
内偵・諜報活動を中心とするゾンビマンにとっても、余計な詮索されることもなく、周りを巻き込む恐れもないのは好都合だったし、怪人多発地域に好んで住みたがる人間などそんなものだろうと思っていた。
だから、引っ越しの挨拶として玄関のドアノブにかけられた袋の中身(洗濯用洗剤だった)と熨斗に書かれた『ミョウジ』という手書きの文字を見て、隣に住んでいるのはどうやら堅気の人間─それも女性らしいことがわかった時、ゾンビマンは酷く驚いた。
どう考えてもここに住むには適さない人種だった。
何故こんな所に住む羽目になったのか。
気になりはしたが、敢えて詮索することもないと思ったので、他の住人に対するのと同様に極力関わりを持たないようにしていた。していたのだが、不幸な偶然が積み重なり、その後成り行きもあって、いわゆるご近所付き合いというものを現在進行形で体験している。
その切欠となった騒動を思い出し、ゾンビマンは思わずため息をついた。
今思い出しても、あの時の自分はどうかしていたと思う。
ヒーロー協会と警察の関係が以前にも増して緊張を強めていることから、あの場で通報されることは何としてでも避けたく、なりふり構っていられなかったのは確かだった。しかしだからといって、罪もない一般市民を恐怖のどん底に突き落とし、拉致(本人の部屋にだが)紛いの行動を取ってしまったのは、いくら何でもやり過ぎだった。隣人は勘違いで通報しようとしたことを申し訳なさそうにしていたが、実際あの時のゾンビマンは、事情はどうあれ不審者以外の何者でもなかった。
最悪訴えられるか、後でヒーロー協会に苦情を入れられても仕方がないと思っていたが、驚いたことにナマエは、何事もなかったかのように家を閉め出されたゾンビマンに助けを申し出た。正直なところかなり面食らったが、その時は実際に困っていたこともあり、強いて断るのも気がひけ一宿の恩を受けることになったのだった。
そしてその後、妙なことに巻き込んだ罪悪感と一抹の好奇心もあって、彼女の身の上話を聞く機会があったが、事の顛末を知ったゾンビマンはそのあまりの運の悪さに何も言えなくなった。妙な組織にとっつかまりこんな体にされた自分の不運さも相当なものだと思っていたが、怪人が蔓延る今日この頃、理不尽に平穏な生活を奪われる話はどこにでも転がっているのかもしれない。
更に、本人にその自覚は無いようだったがナマエにはどうも素直過ぎるところがあるように思う。いくらプロヒーローだと名乗られたからと言って、会ったばかりの人間を泊めようとするのは危機感が無さすぎやしないか。大丈夫なのかそれは。
この辺りには宗教の勧誘や新聞も恐れをなしてやって来ないので安心だが、変な壺とか買わされるタイプにちがいない。
そのノーガード過ぎる性格と運の無さが化学反応を起こして、ある日いきなり道端で物言わぬ死体となって転がる隣人を発見することになるかもしれない、などと嫌な想像をしてしまう。
そんなわけで、職業的責任感と持ち前の面倒見の良さも手伝って、最近のゾンビマンは頼りない隣人を進んで気にかけるようにしていた。
しかし何もその理由だけで、慣れない一般市民とのコミュニケーションを取っているわけではない。今まで日常的に会話するのはヒーロー協会関係者だけだったゾンビマンにとって、それは意外にも『楽しい』という感情を呼び起こすものだった。
(社会的なつながりが強い人間は、そうでない人間に比べて、早期死亡リスクが50%低下する、だったか)
同僚である聡明な少年の言葉を思い出す。死ぬことのないゾンビマンがその通説に当てはまるのかは疑問だったが、確かにナマエと他愛のないやり取りをするのは悪くないものだった。
しかし、それと彼女がここに住み続けることの是非はまた別の問題である。
人気のない薄暗い街並みを見渡し、改めて今までよく無事だったなと感心する。
(実家は遠いって言ってたっけか…しかし一度親元に帰った方が良いんじゃねえか)
ゾンビマンが妙に親身になって考えながら歩いていると、近くでガラスの割れるような音がした。立ち止まり耳をすますと、続け様に何か動物の唸り声のようなものと悲鳴が聞こえ、ゾンビマンは声のした方角へ走り出した。
いくつか角を曲がり、殆ど住んでいる者のいない住宅地の路地にたどり着くと、件の隣人が道の往来にへたりこみ、目の前で唸り声をあげる四足の生き物から距離をとろうと後退っている。群れをなしてじりじりとナマエを取り囲むその生き物は、一見野犬の類にみえるが、殺傷能力の高そうな巨大な牙が異形のものであることを示していた。怪人か、と思う間もなく斧を片手に駆けつける。
「安全なところに隠れてろ」
「えっ、あっゾンビマンさん!」
手近にいた一体に遠慮なく斧を振り下ろしながら、ナマエに避難するよう命じた。怪人の標的がこちらに変わり、一斉に威嚇をしながら輪を詰めてくる。何とか立ち上がり道端に放置された車の影に身を隠す[#dn=1#]の姿を目の端で確認しながら、続いて襲ってきた二体を相手する。すぐ側の空き家を巣にしていたらしく、割れたガラスの中から更に追加の個体が飛び出てきて辺りは混戦状態になった。動きを止められないよう急所に傷を追うのを避けながら、確実に一匹一匹斧で仕留めていく。各々は大して強くなく、数の多さに手こずったが全滅させることに成功した。
一息ついて死屍累累の光景を見渡したところで、ゾンビマンは隣人に被害が及ばなかったかが心配になった。一匹も取り逃がしはしなかったと思うが、万が一ということもある。隠れていた車の影を覗き込むと、ナマエは両手で頭を抱えてうずくまっていたが、怪我はしていないようだった。
「大丈夫か」
「は、はい…ゾンビマンさん、怪我が」
声をかけると恐る恐る顔をあげる。ナマエは血の気のひいた顔をしていたが、返り血を浴びあちこちに傷を負ったゾンビマンの姿に気づくと、心配そうな表情になった。
「大したことはない、それより立てるか?」
体が小刻みに震え、すっかりへたり込んでしまっているナマエを見て、ゾンビマンは手を伸ばした。
「あ、足が震えちゃって、ありがとうございま…」
そのまま掴まったナマエの手をひき、助け起こそうとした時だった。
ブチッという嫌な音を立てて差し伸べた腕が途中から千切れた。
ナマエの目が驚愕に見開かれ、みるみるうちに青ざめていく。
そういえばさっきの怪人共はなかなか知恵が働くようで武器を持つ腕を壊そうと執拗に攻撃していたな、と鈍い痛みと共に思い出す。
そして、ゾンビマンは自分が失敗したことを悟った。
「ゾンビマンさん!? う、うううでうでうでがこれとっ取れて」
顔面蒼白で千切れた腕を捧げ持ったままパニックに陥っているナマエを、気まずい気持ちで見やる。
「どうしよう!!早くくっつけないとこれ」
「いや、大丈夫だ」
「大丈夫ってそんな…あっ」
言葉で説明するまでもなく腕の再生が始まり、千切れた部分から先の腕が形作られていく。ナマエが信じられない面持ちで目の前の光景を凝視しているのを見て、ゾンビマンは苦虫を噛み潰したような気持ちになった。
(こいつには見せたくなかったな…)
先日話をした時から思っていたことだった。
それが、善良な一般市民を無闇に怖がらせたくないからなのか、せっかくできた話し相手に気味悪がられ避けられたくないからなのかは、自分でもわからない。しかし、もうこうなった以上はどちらでもいいことだった。
完全に再生するのを待って、ゾンビマンは傷ひとつ無い腕でへたりこんだままのナマエを助け起こした。
「…これで分かったろ。不死身ってのはこういうことだ」
脅えた表情を見たくなくて顔を逸らす。
ナマエは何も答えずしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言葉を漏らした。
「…それって痛くないんですか?」
「一応痛覚はあるが日常茶飯事だからな。もう慣れた」
本当のことだった。そして、こうやって助けた相手から化け物を見るような目を向けられるのにも、もう慣れていた。今更傷ついたりはしない。
どちらも黙ったままで帰路につく。ゾンビマンが気付かれないように隣を見下ろすと、ナマエはもう普通の顔色に戻っていたが、難しい表情でなにか考えこんでいるようだった。内面をどういった感情が渦巻いているのかは伺い知れない。
明日にでも引っ越すかもな、と他人事のように考える。無理もない。単に傷の治りが早いだけならまだしも、千切れた腕が再生する人間なんて、生まれてこの方見たことがないはずだ。いくら危機感が無いと言っても、隣の部屋にこんなホラー映画顔負けの体質を持つ人間が住んでいるのは、耐えられないだろう。
気安く言葉を交わせる相手を失うことを思うと少し惜しかったが、元々一人だったのだから、すぐに慣れると自分に言い聞かせた。
部屋の前に着くと、改めてナマエは小さくお辞儀をした。
「さっきはありがとうございました」
「気にするな。もう元通りだ」
短い付き合いだったが、もう会わないかもしれないと思うとそれなりに寂しい。
ゾンビマンが密かに感傷に浸っていると、ナマエがおもむろに顔を上げた。不意をつかれて、黒目がちな瞳と真正面から目が合う。何事かと目を瞬いているゾンビマンに、ナマエは真剣な表情で言った。
「あの、私なんかが言うことじゃないかもしれませんけど、体大事にしてくださいね。いくら傷が治るっていっても、誰でも痛い思いするのは辛いと思うから」
ナマエの表情は、最初に会った日に見たのと同じ、隣人への混じり気のない思いやりに溢れていた。思ってもみなかった言葉を受けて棒立ちになる。
それじゃあお休みなさい、とナマエがもう一度小さくお辞儀をし、部屋の扉が閉まった後も、ゾンビマンはその場を動けずにいた。
しばらくして我に返り、自分の部屋に入ると大きく息をついた。
どうやら気味悪がられたんじゃなかったらしい。
胸の内に温かいものが満ちていくのを感じた。それは、ナマエと何でもない話をしている時にも感じたことのあるものだった。
(…俺はけっこう寂しがり屋だったのかもしれないな)
隣人を失わなかったことに思いの外安堵している自分が可笑しく、自然と笑いが込み上げる。
しかし、まあこういうのも悪くない。
その時ゾンビマンの口元に浮かんでいたのは、いつものシニカルな笑いではなく、驚くほど穏やかな笑みだったが、誰もいない部屋の中、気づく者はいなかった。