3.妹は何でも知っている
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
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帰り道、友人から聞かされた知らせにアヤカは目を丸くした。
「ほんと!?特進コース移籍テスト受かったって!」
「うん、来月からクラスを移ることになったんだ」
ナマエはあくまで控えめな笑顔を浮かべていたが、紅潮した頬が内面から溢れる喜びを物語っていた。
「おめでとう!は~やっぱあんたは頭の出来が違うわ…よく頑張った!」
バシバシと背中を叩かれて少し痛かったが、我が事のように喜んでくれる友人にナマエは嬉しくなった。
「あーでもそれじゃクラス離れちゃうね…今度から数学当てられる日誰に頼ればいいんだよ」
「あはは」
「ていうのは冗談だけどね。ナマエが元気になってくれて本当に嬉しい。クラスが離れても応援してるからね」
「ありがとう、アヤちゃん」
そう言って笑うナマエの顔は、憑き物が落ちたようにすっきりしている。
友人が怪人災害にあい、身体の傷が治ったあとも精神的な問題を抱えていたことは、アヤカも知っていた。本人の問題なので見守ることしかできず、ずっと歯がゆい思いをしていたので、少し前に、移籍テストを受けることにした、と意気込んだ表情で報告された時はアヤカも喜んだものだった。しかしそれはいいとして、一体何がきっかけで状態が良くなったのかは気になるところだった。話題が話題なので躊躇いがちに尋ねる。
「…でも、急に元気になったのって何かきっかけとかあったの?」
しかしアヤカの心配は杞憂に終わり、反対にそれをきいたナマエの表情はパッと明るくなった。
「そうなんだ、実はバッド君が…」
いつになくテンションの高い様子でナマエが話しはじめた時だった。
曲がり角に差し掛かっていた二人の前に、突如人影が現れた。
「あ…」
「バッド君!」
意外な人物の登場に驚くアヤカとは対照的に、ナマエは花が咲いたように笑いかけた。それを直撃で浴びたその人物─金属バットは一瞬眩しさに体と心の動きがフリーズしかけたが、なんとか持ち直し上擦った声で話しかけながら片手を挙げた。
「よ、よう偶然だなミョウジ」
「バッド君どうしてここに?お昼過ぎに要請があって学校を早退したってきいたけど」
「あ?あー意外とすぐ片付いてよ!どうせなら学校戻って授業出るかと思ったけど、もう終わっちまったみたいだな」
「そっか、残念だね」
「そうなんだよ、いやーほんと参ったぜ」
アヤカは言葉とは裏腹に全く参った様子もなく、嬉しげにナマエと話す金属バットを胡乱な目つきで眺めた。
(昼過ぎに※市に向けて出発してそこから怪人倒してこの時間に戻ってくるって、どんだけ急いだんだろ…)
小耳に挟んだ目の前のS級ヒーローの出動先と学校からの距離を計算すると、今こうしてここに居るのは何らかの必死にならざるを得ない要因があるに違いなかった。
友人の表情が明るくなった時期と、金属バットが頻繁に自分達のクラスに姿を見せるようになった時期が同じくらいだったことを思い出す。
大体の事情を察したアヤカは、咳払いをすると何気ない風を装って切り出した。
「あー、ごめんナマエ、ちょっと用事思い出しちゃって」
歩き出し、そこでやっとアヤカの存在に気づいたような顔をしている金属バットの肩をすれ違い様に叩く。
「一人じゃ危ないから、金属バット君ナマエのこと送ってあげてよ」
「お、おう」
「あ、アヤちゃんまた明日ね!」
展開についていけない二人を置いてさっさと帰ろうとしているアヤカに慌てて声をかける。ひと仕事終えたように、片手を上げるだけの返事をして歩き去っていった友人の背中を見送りながら、ナマエは内心首を傾げていた。さっきまでは用事があるなんて言ってなかったけど。
腑に落ちない思いでいると、金属バットが何やらそわそわしていることに気づいた。見るとどことなく顔が赤い。
「あー、その、じゃあ家まで送ってくから」
「本当にいいの?私の家とバッド君の家のある地区って確か離れてるよね」
「いいって。まだ晩飯の支度までに時間あるしな」
「そっか、じゃあお願いしてもいいかな」
「おう」
どこかぎこちない様子で二人は歩き出した。
金属バットはナマエの歩調に合わせながら、幸せを噛みしめていた。
隣を盗み見ると、手を伸ばせば容易に届く距離にナマエがいる。
そのまま見ていると気づいたナマエがこちらを向いた。一瞬まずい、と焦ったがナマエは不躾な視線を咎めることもなく、少し照れたように笑った。
あっこれはもしかして手とか繋いでもいいのか?と勘違いしそうになり、金属バットは慌てて伸ばしかけた腕を引っ込め、ギギギと音がしそうな動きで無理やり視線を逸らした。心臓がどこかの民族の太鼓のように激しいリズムを刻んでいる。ナマエが不思議そうに見てくるのがわかったが、今顔をまともに見たら余計なことを言ったりしたりしそうだった。
(落ち着け。俺とミョウジは友達、友達だ。…今はまだ)
あの日の病室でのやり取り以来、携帯で連絡を取り合い、学校でも話すようになり二人の関係はナマエ が望んだ通り友達と呼べるものになっていたが、それにしても急速に心を開かれていることに金属バットは内心動揺しっぱなしだった。ナマエにとって極めて私的な事情に深く関わったこともあるのだろうが、異性の親しい友人がいたことのない金属バットには、この心理的な距離の近さが一般的なものなのか、それともいわゆる脈有りというやつなのかがわからずたびたび煩悶していた。
先走って嫌われたくないので踏み込んだことはできないが、校内で偶然(一部意図的に)会う度にどことなく嬉しそうに笑いかけられると舞い上がりそうになってしまう。おかげでこの前は勢い余って跳び箱を破壊し体育教師に睨まれた。
一人堂々巡りをしていたが、そこでやっと金属バットは昨日ナマエと携帯でやり取りした件を思い出した。マッハで怪人駆除を終わらせ今ここにいる理由もまさにそれだったが危うく忘れるところだった。
「そうだ、ミョウジ特進に移るんだってな。おめでとう」
「ありがとう、私もこんなにすぐ受かると思ってなくて」
「すげーじゃん、まぁ俺はミョウジならやると思ってたけどな」
特進コースというと推薦入試で各地からの成績優秀者が集まった、学内でも特別な位置付けにあるクラスであることは、金属バットも知っていた。途中で一般のクラスから移籍するケースもなくはないが、一年の頃から授業カリキュラムが違う為、テストに合格し付いていくのは難しく非常に稀だと聞く。大げさに誉められ、ナマエははにかんだ。
「そんな…私一人だけじゃ絶対頑張れなかったよ。家族とか友達が応援してくれたから。バッド君もこの前電話してくれたよね」
電話、と聞いて金属バットの脳裏に苦い思い出が蘇った。
「あ、ああーアレな…夜中に変な電話してゴメンなホント、うるさかったろ」
テスト前夜に『頑張れよ』とメッセージを送ろうとしたところ手が滑って発信してしまい、更に声を聞きつけて起きてきたゼンコ+タマとの携帯を巡る攻防を5分近くに渡って電話口で聞かせるという迷惑極まりない内容だったにも関わらず、ナマエは明るく笑った。
「ううん、あの時次の日のテストのことが不安で寝付けなかったんだけど、その…楽しい電話だったから緊張がほぐれてよく眠れたよ」
「お、おう…そんなら良かった」
微妙に噴き出すのをこらえているようなナマエの顔からして、多分『楽しい』じゃなくて『面白い』電話だったというのが本当のところだと思われたが、とにかく少しでも元気付けられたのなら良かった、と金属バットは安堵した。
「妹さんとすごく仲良いんだね。まだ小学生なんだよね?」
「まーな。つっても最近ますます口が達者になってきてよ、多分言い合いでは勝てなくなるなもうすぐ」
まぁまだ子どもだからすぐ泣くんだけどなあいつ、と見栄を張ってみたが、もう既にゼンコには頭が上がらないことはナマエにはとても言えない。
「危ないからあんま怪人とも闘うなってうるさいんだよな」
「妹さん、優しいんだね」
有名人の身内がいれば、普通それを鼻にかけたり周りに自慢したくなりそうなものだが、そうではなく純粋に兄が心配なのだろう。そこでナマエはふと、金属バットが何故ヒーローになったのかが気になった。家族の反対を押してヒーロー活動をしているということは、彼自身の意思によるものなのだろうか。
「…バッド君はどうしてヒーローになったの?」
突然の問いかけだったせいか、金属バットは少し驚いた顔をした。
もしかして答えにくい質問だったかと焦ったがそうではなかったようで、少しの間考え込んだ後、彼にしてははっきりしない口調で話し始めた。
「んー、なったっつーか気がついたらなってたって感じだな」
「き、気がついたら?」
「ああ。ゼンコが襲われねえように目についた怪人片っ端からぶん殴ってたら、ヒーロー協会からスカウトが来てさ」
組織に所属すること自体は面倒くさくて気が進まなかったが、報酬や怪人発生時のナビゲート等のメリットが無くも無さそうだった為登録を決めたという。所属後もそれまでと変わらずマイペースに怪人駆除を続けていたらいつの間にかS級に昇格していた、と何でもないことのように金属バットが言うのを聞いて、話に聞いていたプロヒーローへの道のりの厳しさとの違いにナマエは呆気にとられた。
未成年者のプロヒーロー自体はそう珍しくないらしいが、やはり彼は規格外の存在なのだと思い知らされる。
それに協会に所属する前から日常的に怪人と闘っていたということは、高校入学前、もしかしたら子どもの頃からそうやって過ごしてきたのかもしれない。
発端は妹の為と言っていたが、今も補修授業を余儀なくされる程律儀に依頼をこなしている辺り、根っからのヒーロー気質なのだろう。
以前彼は両親はいないと言っていた。いつから兄妹二人暮らしなのかわからないが、幼い頃から家族を守り、そして今は大勢の人を守っている。
改めて同い年であることが信じられず、ナマエは感嘆の声を漏らした。
「…やっぱりすごいね、バッド君は」
急に褒められて照れたのか、金属バットは視線を明後日の方向に逸らした。
「そ、そうか?まあ喧嘩くらいしか取り柄ねえからなー俺」
「そんなことない、本当にすごいよ。私なんかまだ親にも迷惑かけてばっかりだし…」
数ヶ月前に遭った怪人災害以来、いや病気がちだった子どもの頃からずっと心配をかけ続けている。あの日『友達になりたい』と声をかけたのも、少しでも彼に近づき精神面だけでも強くなれたら、という思いからだったが、余りに差がありすぎてナマエは恥ずかしくなった。
知らず俯きがちになっていると、何言ってんだよ、と不思議そうな声がした。
「お前だってすごいじゃんか」
顔をあげると、金属バットは心底わけがわからない、というような顔をしていた。
慰めやお世辞で言ったのではないらしいことに、ナマエは戸惑いを隠せなかった。
どういう意味だろう。すごいって移籍テストに合格したことだろうか。でもそれだって受験で合格して元からクラスに所属している人達の方がすごいに決まっているのに。
何と返したものかわからずそのまま金属バットの顔を見ていると、不意に彼の視線がナマエの背後にずれた。と思う間もなく、急に腕を引かれ大きくバランスを崩す。
「わっ」
「あっぶね…おい!ちゃんと前みて漕げ!」
強い力で引き寄せられて学ランの肩越しにしか周りの様子が見えないが、すぐ後ろをけたたましい自転車のブレーキ音が通り過ぎていき、ながら運転でもしていたのか、すっすみません、と申し訳なさそうな男性の声が答えるのが聞こえた。
衝突しそうになったところを咄嗟に助けてくれたらしい。
「ったく運転マナー悪ぃな」
「あ、ありがとう」
「おう、ミョウジ怪我ねーか…」
返事をしかけたところでナマエを思いっきり抱き寄せていたことに気づき、金属バットは無言になった。そのままぎこちなく ナマエ の体を離し、スッと一歩下がる。何だろう、俯いていて顔がよく見えない、と思っていると、おもむろに彼がいつも携えているバットを両手で差し出されナマエは戸惑った。
「あの、バッド君…」
「…頼む。これで俺の頭を一発ぶん殴ってくれ」
「えっ」
いきなりとんでもないことを言われ耳を疑った。
聞き間違いだと思いたかったが、差し出されたバットからして残念なことにその線はなさそうである。
何事かと焦りながらナマエは言い返した。
「な、殴るって…そんなことできないよ。さっきのことなら全然気にしてないから、」
「駄目だ、俺の気がすまねえ!」
彼は硬派なところがあるから異性の体に不用意に触ってしまったことを悔いているのだろうが、その禊の仕方はちょっと血の気が多過ぎないだろうか。そもそもナマエに対怪人用の特殊な武器が扱えるとも思えないが一歩間違えば殺人教唆だった。
「本当に大丈夫だから、それに頭をバットで殴ったりしたら死んじゃうよ!」
「いや、一回くらいなら死んでも気合いで蘇れるから問題ねえ!遠慮せずやってくれ!!」
「む、無理だよ、問題あるよ!」
どうにか冷静になってほしくて必死に宥めようとするが、完全に気が動転しているのか金属バットは頑なだった。平和な河川敷で繰り広げられる痴話喧嘩の一場面とも今まさに事件が起ころうとしている現場とも取れる光景に、犬の散歩やウォーキング中の人達が何事かと目を向けてきて、ナマエはますますいたたまれなくなった。
その時、後ろから訝しげな女の子の声がした。
「お兄ちゃん?なんでこんなとこにいるの…ていうか何やってんの?」
振り向くとランドセルを背負った髪の短い女の子が立っており、意志の強さを感じさせる黒い瞳でこちらを見ている。この目をどこかで見たことがある、とナマエが思ったところで、金属バットが驚いたように声をあげた。
「ゼンコ?お前こそなんでここにいんだよ?」
何度も聞いていた名前が今もまた金属バットの口から出て、ナマエは状況を理解した。二人を見比べると確かによく似ている。
「今日はミキちゃんちの子犬を見せてもらってから帰るから、ちょっと遅くなるって朝に言ったじゃん!もー、最近のお兄ちゃん全然人の話聞いてないんだから」
「あ、ああ~そうだったな、悪ぃ悪ぃ」
気がつけばナマエの家のある地区にさしかかっていた。ゼンコも用があってたまたまこの辺りに来ていたらしい。ここぞとばかりに責め立てる妹と、冷や汗をかきながら謝る兄の様子を見守っていると、ゼンコが不意にナマエの方に目を向けた。
「このお姉さんは?」
澄んだ目でじっと見つめられ、ナマエは目の前の少女に合わせ姿勢を低くした。
「初めまして、ゼンコちゃんだよね?バッド君の同級生のミョウジナマエです。よろしくね」
優しく微笑んで差し出された手を取り握手しながら、今まであまり周りにいなかったタイプの人間であるナマエに、ゼンコは興味津々に問いかけた。
「よろしく。お姉さん私のこと知ってるの?お兄ちゃんとおんなじクラス?」
「バッド君いつもゼンコちゃんの話よくしてるから。クラスは違うんだけど友達だよ」
「ふーん、友達かあ」
側で所在無げにしている兄をちら、と見ると何とも言えない顔をしている。少し前から様子がおかしかったことや、先日こそこそと夜中に電話していたことを思い出しながら意味ありげに見ていると、何だよ、と拗ねたように返された。
たじたじとしている兄は放っておいてゼンコはまたナマエに話しかけた。
「いつも二人で帰ってるの?」
「ううん、今日はたまたま私が一人になったから、バッド君が送ってくれることになったの。でもゼンコちゃんがいるなら、もうこの辺でさよならした方が良いかな。私の家もすぐそこだから」
「え~でも私ナマエちゃんともっとお話したいな。お家に行っちゃ駄目かなぁ」
二人の会話をソワソワと見守っていた金属バットは、その言葉に焦って妹を制止した。
「こ、こらゼンコ、急にそんなこと言ったら迷惑だろ!」
「だって行きたいんだもん、お兄ちゃんだって行きたいんでしょ」
「まあ行きてぇけど…ってそうじゃなくて、いきなり余所のお宅にお邪魔したら駄目だっての、ほら帰るぞ!」
「え~!ケチ!」
兄妹喧嘩が始まりそうな雰囲気に、ナマエは慌てて割って入った。
「あの、大丈夫だよ。今日はお母さんも仕事休みで家に居るから」
「ほんと!?やった!」
飛び上がって喜ぶゼンコを後目に、金属バットは戸惑った。
「…い、良いのか?」
「うん、お母さん家に人を呼ぶの好きだし、この前助けてもらったお礼もしたいって言ってたから。二人が来てくれたら喜ぶと思う」
ナマエの表情から無理をしている訳ではないことを読み取り、金属バットは躊躇いつつも好意に甘えることにした。
「そんじゃ、悪いけどお邪魔するな」
「何もおもてなしできないかもしれないけど…」
その後ゼンコを間に挟んで3人で手を繋ぎ、ナマエの家へ歩く道すがら、こういう時って何を話せば良いんだ?お父さんを、間違えたお嬢さんを僕に下さいとか言えば良いのか?とまたしても『友達』としての適切な距離を盛大に測り間違えながら、金属バットは思いがけない展開に水面下で緊張していた。
ナマエの家からの帰り道、金属バットは始終ご機嫌な様子の妹の様子をちら、と伺った。日は暮れなずみ、家々に明かりが灯り始めている。
そろそろ夕飯の支度があるのでお暇をしてきたが、ナマエの言葉通り、ナマエの母親は突然の訪問にも関わらず二人を大層歓迎してくれた。
頂きものだという洋菓子を次々に出しながら、金属バットに先日の礼を述べ、興味津々にヒーロー活動の話を聞き、その苦労を思いやり労ってくれた。病院で話した時の穏やかさはそのままに、元々は話し好きな性格らしくその勢いにナマエが途中で制止しようとする程だったが、しどろもどろになりながら話す金属バットを優しく包み込むような笑顔は、既に失ってしまった暖かさを思い出させてくすぐったかった。兄に代わり合いの手を入れるゼンコのことも可愛がってくれ、妹もよく笑い、楽しい時間を過ごしたらしい。今度は是非ゆっくり夕飯を食べに来るように言われ、二人はミョウジ家を後にした。
「ナマエちゃんのおばさん、優しい人だったね」
「そうだな」
上機嫌な妹に、思わず金属バットも笑顔になる。
急なことで相手には迷惑だったかもしれないが、行って良かった、と金属バットが物思いにふけっていると、完全に油断していたところにゼンコが特大の爆弾を投げ込んできた。
「これならお兄ちゃん、もしお婿さんになっても上手くやっていけそうだね」
「そうだな、安心してお婿に…ってゼンコおおおお!!」
キレのある乗り突っ込みにも動じることなくゼンコは更に続けた。
「何?大きな声出して。あ、まだナマエちゃんのお父さんには会ってないっけ。でもきっといい人だよ」
「違う!そうじゃねえ!」
訝しげに見上げてくる妹に、金属バットは息を切らせながら何とか平常心を保とうとした。
「お、お前さっきからなんの話をしてんだよ!婿入りがどうとかそんなアホな…」
「好きなんでしょ?ナマエちゃんのこと」
誤魔化そうとするもいきなり確心を突かれ、金属バットは押し黙った。
全て見透かすような黒い瞳に見つめられ生唾を飲み込む。
無駄な気もしたが、どうにかしらを切ろうと悪足掻きをしてみる。
「好きってそりゃ、友達だし好きか嫌いかで言ったら好きだけどよ…」
「友達の好きじゃないでしょ。例えばナマエちゃんが他の人と付き合うことになったら、」
「それは嫌だ。…あ」
「お兄ちゃん…」
敢え無く誘導尋問に乗っかってしまい、金属バットは撃沈した。
顔を手で覆った金属バットを見上げながら、ゼンコはため息をついた。
兄が誰かに恋をしているだろうことは、随分前から感づいていた。昔から腕力には自信があっても、こういったことにはからっきしな兄なので、果たしてうまくいっているのか、まさか悪い女に弄ばれているのでは、と陰ながらやきもきしていたところだった。
しかし今日出会ったナマエを見て、そんな心配は一気にどこかへ行ってしまった。ナマエの家で話をする合間、向けられる笑顔にいちいち過剰に反応していた兄を思い出す。
(あんなお兄ちゃんの顔、初めて見たなぁ)
たった一人の家族である自分に向けるのとも違う、優しくて幸せそうで、それでいて焦がれるような表情。
今まで何をするのも一緒だったのが、遠くに行ってしまうようで少し淋しい気もしたが、小さい頃から自分を守り育ててくれた兄には、幸せになってほしいと思う。
(それにこのままだと、私が結婚した後もお兄ちゃんずっと独り身でうるさいコジュウトになりそうだし)
シスコンが過ぎる兄への打算的な思いもあり、ゼンコは2人の恋を応援するつもりでいた。ナマエの方も憎からず金属バットのことを思っているようだったし。
「私、応援してるからね」
「おう…」
もうしらばっくれるのは諦めたのか、金属バットからは力無く返事が返ってきた。
「でもナマエちゃんけっこう鈍そうだから、お兄ちゃんもっと積極的にいかなきゃ駄目だよ」
「それができりゃ苦労しねえよ…」
「もう、意気地なしなんだから」
手を繋ぎ歩く2人の兄妹の上空に、一番星がひっそりと輝き始めていた。
「ほんと!?特進コース移籍テスト受かったって!」
「うん、来月からクラスを移ることになったんだ」
ナマエはあくまで控えめな笑顔を浮かべていたが、紅潮した頬が内面から溢れる喜びを物語っていた。
「おめでとう!は~やっぱあんたは頭の出来が違うわ…よく頑張った!」
バシバシと背中を叩かれて少し痛かったが、我が事のように喜んでくれる友人にナマエは嬉しくなった。
「あーでもそれじゃクラス離れちゃうね…今度から数学当てられる日誰に頼ればいいんだよ」
「あはは」
「ていうのは冗談だけどね。ナマエが元気になってくれて本当に嬉しい。クラスが離れても応援してるからね」
「ありがとう、アヤちゃん」
そう言って笑うナマエの顔は、憑き物が落ちたようにすっきりしている。
友人が怪人災害にあい、身体の傷が治ったあとも精神的な問題を抱えていたことは、アヤカも知っていた。本人の問題なので見守ることしかできず、ずっと歯がゆい思いをしていたので、少し前に、移籍テストを受けることにした、と意気込んだ表情で報告された時はアヤカも喜んだものだった。しかしそれはいいとして、一体何がきっかけで状態が良くなったのかは気になるところだった。話題が話題なので躊躇いがちに尋ねる。
「…でも、急に元気になったのって何かきっかけとかあったの?」
しかしアヤカの心配は杞憂に終わり、反対にそれをきいたナマエの表情はパッと明るくなった。
「そうなんだ、実はバッド君が…」
いつになくテンションの高い様子でナマエが話しはじめた時だった。
曲がり角に差し掛かっていた二人の前に、突如人影が現れた。
「あ…」
「バッド君!」
意外な人物の登場に驚くアヤカとは対照的に、ナマエは花が咲いたように笑いかけた。それを直撃で浴びたその人物─金属バットは一瞬眩しさに体と心の動きがフリーズしかけたが、なんとか持ち直し上擦った声で話しかけながら片手を挙げた。
「よ、よう偶然だなミョウジ」
「バッド君どうしてここに?お昼過ぎに要請があって学校を早退したってきいたけど」
「あ?あー意外とすぐ片付いてよ!どうせなら学校戻って授業出るかと思ったけど、もう終わっちまったみたいだな」
「そっか、残念だね」
「そうなんだよ、いやーほんと参ったぜ」
アヤカは言葉とは裏腹に全く参った様子もなく、嬉しげにナマエと話す金属バットを胡乱な目つきで眺めた。
(昼過ぎに※市に向けて出発してそこから怪人倒してこの時間に戻ってくるって、どんだけ急いだんだろ…)
小耳に挟んだ目の前のS級ヒーローの出動先と学校からの距離を計算すると、今こうしてここに居るのは何らかの必死にならざるを得ない要因があるに違いなかった。
友人の表情が明るくなった時期と、金属バットが頻繁に自分達のクラスに姿を見せるようになった時期が同じくらいだったことを思い出す。
大体の事情を察したアヤカは、咳払いをすると何気ない風を装って切り出した。
「あー、ごめんナマエ、ちょっと用事思い出しちゃって」
歩き出し、そこでやっとアヤカの存在に気づいたような顔をしている金属バットの肩をすれ違い様に叩く。
「一人じゃ危ないから、金属バット君ナマエのこと送ってあげてよ」
「お、おう」
「あ、アヤちゃんまた明日ね!」
展開についていけない二人を置いてさっさと帰ろうとしているアヤカに慌てて声をかける。ひと仕事終えたように、片手を上げるだけの返事をして歩き去っていった友人の背中を見送りながら、ナマエは内心首を傾げていた。さっきまでは用事があるなんて言ってなかったけど。
腑に落ちない思いでいると、金属バットが何やらそわそわしていることに気づいた。見るとどことなく顔が赤い。
「あー、その、じゃあ家まで送ってくから」
「本当にいいの?私の家とバッド君の家のある地区って確か離れてるよね」
「いいって。まだ晩飯の支度までに時間あるしな」
「そっか、じゃあお願いしてもいいかな」
「おう」
どこかぎこちない様子で二人は歩き出した。
金属バットはナマエの歩調に合わせながら、幸せを噛みしめていた。
隣を盗み見ると、手を伸ばせば容易に届く距離にナマエがいる。
そのまま見ていると気づいたナマエがこちらを向いた。一瞬まずい、と焦ったがナマエは不躾な視線を咎めることもなく、少し照れたように笑った。
あっこれはもしかして手とか繋いでもいいのか?と勘違いしそうになり、金属バットは慌てて伸ばしかけた腕を引っ込め、ギギギと音がしそうな動きで無理やり視線を逸らした。心臓がどこかの民族の太鼓のように激しいリズムを刻んでいる。ナマエが不思議そうに見てくるのがわかったが、今顔をまともに見たら余計なことを言ったりしたりしそうだった。
(落ち着け。俺とミョウジは友達、友達だ。…今はまだ)
あの日の病室でのやり取り以来、携帯で連絡を取り合い、学校でも話すようになり二人の関係はナマエ が望んだ通り友達と呼べるものになっていたが、それにしても急速に心を開かれていることに金属バットは内心動揺しっぱなしだった。ナマエにとって極めて私的な事情に深く関わったこともあるのだろうが、異性の親しい友人がいたことのない金属バットには、この心理的な距離の近さが一般的なものなのか、それともいわゆる脈有りというやつなのかがわからずたびたび煩悶していた。
先走って嫌われたくないので踏み込んだことはできないが、校内で偶然(一部意図的に)会う度にどことなく嬉しそうに笑いかけられると舞い上がりそうになってしまう。おかげでこの前は勢い余って跳び箱を破壊し体育教師に睨まれた。
一人堂々巡りをしていたが、そこでやっと金属バットは昨日ナマエと携帯でやり取りした件を思い出した。マッハで怪人駆除を終わらせ今ここにいる理由もまさにそれだったが危うく忘れるところだった。
「そうだ、ミョウジ特進に移るんだってな。おめでとう」
「ありがとう、私もこんなにすぐ受かると思ってなくて」
「すげーじゃん、まぁ俺はミョウジならやると思ってたけどな」
特進コースというと推薦入試で各地からの成績優秀者が集まった、学内でも特別な位置付けにあるクラスであることは、金属バットも知っていた。途中で一般のクラスから移籍するケースもなくはないが、一年の頃から授業カリキュラムが違う為、テストに合格し付いていくのは難しく非常に稀だと聞く。大げさに誉められ、ナマエははにかんだ。
「そんな…私一人だけじゃ絶対頑張れなかったよ。家族とか友達が応援してくれたから。バッド君もこの前電話してくれたよね」
電話、と聞いて金属バットの脳裏に苦い思い出が蘇った。
「あ、ああーアレな…夜中に変な電話してゴメンなホント、うるさかったろ」
テスト前夜に『頑張れよ』とメッセージを送ろうとしたところ手が滑って発信してしまい、更に声を聞きつけて起きてきたゼンコ+タマとの携帯を巡る攻防を5分近くに渡って電話口で聞かせるという迷惑極まりない内容だったにも関わらず、ナマエは明るく笑った。
「ううん、あの時次の日のテストのことが不安で寝付けなかったんだけど、その…楽しい電話だったから緊張がほぐれてよく眠れたよ」
「お、おう…そんなら良かった」
微妙に噴き出すのをこらえているようなナマエの顔からして、多分『楽しい』じゃなくて『面白い』電話だったというのが本当のところだと思われたが、とにかく少しでも元気付けられたのなら良かった、と金属バットは安堵した。
「妹さんとすごく仲良いんだね。まだ小学生なんだよね?」
「まーな。つっても最近ますます口が達者になってきてよ、多分言い合いでは勝てなくなるなもうすぐ」
まぁまだ子どもだからすぐ泣くんだけどなあいつ、と見栄を張ってみたが、もう既にゼンコには頭が上がらないことはナマエにはとても言えない。
「危ないからあんま怪人とも闘うなってうるさいんだよな」
「妹さん、優しいんだね」
有名人の身内がいれば、普通それを鼻にかけたり周りに自慢したくなりそうなものだが、そうではなく純粋に兄が心配なのだろう。そこでナマエはふと、金属バットが何故ヒーローになったのかが気になった。家族の反対を押してヒーロー活動をしているということは、彼自身の意思によるものなのだろうか。
「…バッド君はどうしてヒーローになったの?」
突然の問いかけだったせいか、金属バットは少し驚いた顔をした。
もしかして答えにくい質問だったかと焦ったがそうではなかったようで、少しの間考え込んだ後、彼にしてははっきりしない口調で話し始めた。
「んー、なったっつーか気がついたらなってたって感じだな」
「き、気がついたら?」
「ああ。ゼンコが襲われねえように目についた怪人片っ端からぶん殴ってたら、ヒーロー協会からスカウトが来てさ」
組織に所属すること自体は面倒くさくて気が進まなかったが、報酬や怪人発生時のナビゲート等のメリットが無くも無さそうだった為登録を決めたという。所属後もそれまでと変わらずマイペースに怪人駆除を続けていたらいつの間にかS級に昇格していた、と何でもないことのように金属バットが言うのを聞いて、話に聞いていたプロヒーローへの道のりの厳しさとの違いにナマエは呆気にとられた。
未成年者のプロヒーロー自体はそう珍しくないらしいが、やはり彼は規格外の存在なのだと思い知らされる。
それに協会に所属する前から日常的に怪人と闘っていたということは、高校入学前、もしかしたら子どもの頃からそうやって過ごしてきたのかもしれない。
発端は妹の為と言っていたが、今も補修授業を余儀なくされる程律儀に依頼をこなしている辺り、根っからのヒーロー気質なのだろう。
以前彼は両親はいないと言っていた。いつから兄妹二人暮らしなのかわからないが、幼い頃から家族を守り、そして今は大勢の人を守っている。
改めて同い年であることが信じられず、ナマエは感嘆の声を漏らした。
「…やっぱりすごいね、バッド君は」
急に褒められて照れたのか、金属バットは視線を明後日の方向に逸らした。
「そ、そうか?まあ喧嘩くらいしか取り柄ねえからなー俺」
「そんなことない、本当にすごいよ。私なんかまだ親にも迷惑かけてばっかりだし…」
数ヶ月前に遭った怪人災害以来、いや病気がちだった子どもの頃からずっと心配をかけ続けている。あの日『友達になりたい』と声をかけたのも、少しでも彼に近づき精神面だけでも強くなれたら、という思いからだったが、余りに差がありすぎてナマエは恥ずかしくなった。
知らず俯きがちになっていると、何言ってんだよ、と不思議そうな声がした。
「お前だってすごいじゃんか」
顔をあげると、金属バットは心底わけがわからない、というような顔をしていた。
慰めやお世辞で言ったのではないらしいことに、ナマエは戸惑いを隠せなかった。
どういう意味だろう。すごいって移籍テストに合格したことだろうか。でもそれだって受験で合格して元からクラスに所属している人達の方がすごいに決まっているのに。
何と返したものかわからずそのまま金属バットの顔を見ていると、不意に彼の視線がナマエの背後にずれた。と思う間もなく、急に腕を引かれ大きくバランスを崩す。
「わっ」
「あっぶね…おい!ちゃんと前みて漕げ!」
強い力で引き寄せられて学ランの肩越しにしか周りの様子が見えないが、すぐ後ろをけたたましい自転車のブレーキ音が通り過ぎていき、ながら運転でもしていたのか、すっすみません、と申し訳なさそうな男性の声が答えるのが聞こえた。
衝突しそうになったところを咄嗟に助けてくれたらしい。
「ったく運転マナー悪ぃな」
「あ、ありがとう」
「おう、ミョウジ怪我ねーか…」
返事をしかけたところでナマエを思いっきり抱き寄せていたことに気づき、金属バットは無言になった。そのままぎこちなく ナマエ の体を離し、スッと一歩下がる。何だろう、俯いていて顔がよく見えない、と思っていると、おもむろに彼がいつも携えているバットを両手で差し出されナマエは戸惑った。
「あの、バッド君…」
「…頼む。これで俺の頭を一発ぶん殴ってくれ」
「えっ」
いきなりとんでもないことを言われ耳を疑った。
聞き間違いだと思いたかったが、差し出されたバットからして残念なことにその線はなさそうである。
何事かと焦りながらナマエは言い返した。
「な、殴るって…そんなことできないよ。さっきのことなら全然気にしてないから、」
「駄目だ、俺の気がすまねえ!」
彼は硬派なところがあるから異性の体に不用意に触ってしまったことを悔いているのだろうが、その禊の仕方はちょっと血の気が多過ぎないだろうか。そもそもナマエに対怪人用の特殊な武器が扱えるとも思えないが一歩間違えば殺人教唆だった。
「本当に大丈夫だから、それに頭をバットで殴ったりしたら死んじゃうよ!」
「いや、一回くらいなら死んでも気合いで蘇れるから問題ねえ!遠慮せずやってくれ!!」
「む、無理だよ、問題あるよ!」
どうにか冷静になってほしくて必死に宥めようとするが、完全に気が動転しているのか金属バットは頑なだった。平和な河川敷で繰り広げられる痴話喧嘩の一場面とも今まさに事件が起ころうとしている現場とも取れる光景に、犬の散歩やウォーキング中の人達が何事かと目を向けてきて、ナマエはますますいたたまれなくなった。
その時、後ろから訝しげな女の子の声がした。
「お兄ちゃん?なんでこんなとこにいるの…ていうか何やってんの?」
振り向くとランドセルを背負った髪の短い女の子が立っており、意志の強さを感じさせる黒い瞳でこちらを見ている。この目をどこかで見たことがある、とナマエが思ったところで、金属バットが驚いたように声をあげた。
「ゼンコ?お前こそなんでここにいんだよ?」
何度も聞いていた名前が今もまた金属バットの口から出て、ナマエは状況を理解した。二人を見比べると確かによく似ている。
「今日はミキちゃんちの子犬を見せてもらってから帰るから、ちょっと遅くなるって朝に言ったじゃん!もー、最近のお兄ちゃん全然人の話聞いてないんだから」
「あ、ああ~そうだったな、悪ぃ悪ぃ」
気がつけばナマエの家のある地区にさしかかっていた。ゼンコも用があってたまたまこの辺りに来ていたらしい。ここぞとばかりに責め立てる妹と、冷や汗をかきながら謝る兄の様子を見守っていると、ゼンコが不意にナマエの方に目を向けた。
「このお姉さんは?」
澄んだ目でじっと見つめられ、ナマエは目の前の少女に合わせ姿勢を低くした。
「初めまして、ゼンコちゃんだよね?バッド君の同級生のミョウジナマエです。よろしくね」
優しく微笑んで差し出された手を取り握手しながら、今まであまり周りにいなかったタイプの人間であるナマエに、ゼンコは興味津々に問いかけた。
「よろしく。お姉さん私のこと知ってるの?お兄ちゃんとおんなじクラス?」
「バッド君いつもゼンコちゃんの話よくしてるから。クラスは違うんだけど友達だよ」
「ふーん、友達かあ」
側で所在無げにしている兄をちら、と見ると何とも言えない顔をしている。少し前から様子がおかしかったことや、先日こそこそと夜中に電話していたことを思い出しながら意味ありげに見ていると、何だよ、と拗ねたように返された。
たじたじとしている兄は放っておいてゼンコはまたナマエに話しかけた。
「いつも二人で帰ってるの?」
「ううん、今日はたまたま私が一人になったから、バッド君が送ってくれることになったの。でもゼンコちゃんがいるなら、もうこの辺でさよならした方が良いかな。私の家もすぐそこだから」
「え~でも私ナマエちゃんともっとお話したいな。お家に行っちゃ駄目かなぁ」
二人の会話をソワソワと見守っていた金属バットは、その言葉に焦って妹を制止した。
「こ、こらゼンコ、急にそんなこと言ったら迷惑だろ!」
「だって行きたいんだもん、お兄ちゃんだって行きたいんでしょ」
「まあ行きてぇけど…ってそうじゃなくて、いきなり余所のお宅にお邪魔したら駄目だっての、ほら帰るぞ!」
「え~!ケチ!」
兄妹喧嘩が始まりそうな雰囲気に、ナマエは慌てて割って入った。
「あの、大丈夫だよ。今日はお母さんも仕事休みで家に居るから」
「ほんと!?やった!」
飛び上がって喜ぶゼンコを後目に、金属バットは戸惑った。
「…い、良いのか?」
「うん、お母さん家に人を呼ぶの好きだし、この前助けてもらったお礼もしたいって言ってたから。二人が来てくれたら喜ぶと思う」
ナマエの表情から無理をしている訳ではないことを読み取り、金属バットは躊躇いつつも好意に甘えることにした。
「そんじゃ、悪いけどお邪魔するな」
「何もおもてなしできないかもしれないけど…」
その後ゼンコを間に挟んで3人で手を繋ぎ、ナマエの家へ歩く道すがら、こういう時って何を話せば良いんだ?お父さんを、間違えたお嬢さんを僕に下さいとか言えば良いのか?とまたしても『友達』としての適切な距離を盛大に測り間違えながら、金属バットは思いがけない展開に水面下で緊張していた。
ナマエの家からの帰り道、金属バットは始終ご機嫌な様子の妹の様子をちら、と伺った。日は暮れなずみ、家々に明かりが灯り始めている。
そろそろ夕飯の支度があるのでお暇をしてきたが、ナマエの言葉通り、ナマエの母親は突然の訪問にも関わらず二人を大層歓迎してくれた。
頂きものだという洋菓子を次々に出しながら、金属バットに先日の礼を述べ、興味津々にヒーロー活動の話を聞き、その苦労を思いやり労ってくれた。病院で話した時の穏やかさはそのままに、元々は話し好きな性格らしくその勢いにナマエが途中で制止しようとする程だったが、しどろもどろになりながら話す金属バットを優しく包み込むような笑顔は、既に失ってしまった暖かさを思い出させてくすぐったかった。兄に代わり合いの手を入れるゼンコのことも可愛がってくれ、妹もよく笑い、楽しい時間を過ごしたらしい。今度は是非ゆっくり夕飯を食べに来るように言われ、二人はミョウジ家を後にした。
「ナマエちゃんのおばさん、優しい人だったね」
「そうだな」
上機嫌な妹に、思わず金属バットも笑顔になる。
急なことで相手には迷惑だったかもしれないが、行って良かった、と金属バットが物思いにふけっていると、完全に油断していたところにゼンコが特大の爆弾を投げ込んできた。
「これならお兄ちゃん、もしお婿さんになっても上手くやっていけそうだね」
「そうだな、安心してお婿に…ってゼンコおおおお!!」
キレのある乗り突っ込みにも動じることなくゼンコは更に続けた。
「何?大きな声出して。あ、まだナマエちゃんのお父さんには会ってないっけ。でもきっといい人だよ」
「違う!そうじゃねえ!」
訝しげに見上げてくる妹に、金属バットは息を切らせながら何とか平常心を保とうとした。
「お、お前さっきからなんの話をしてんだよ!婿入りがどうとかそんなアホな…」
「好きなんでしょ?ナマエちゃんのこと」
誤魔化そうとするもいきなり確心を突かれ、金属バットは押し黙った。
全て見透かすような黒い瞳に見つめられ生唾を飲み込む。
無駄な気もしたが、どうにかしらを切ろうと悪足掻きをしてみる。
「好きってそりゃ、友達だし好きか嫌いかで言ったら好きだけどよ…」
「友達の好きじゃないでしょ。例えばナマエちゃんが他の人と付き合うことになったら、」
「それは嫌だ。…あ」
「お兄ちゃん…」
敢え無く誘導尋問に乗っかってしまい、金属バットは撃沈した。
顔を手で覆った金属バットを見上げながら、ゼンコはため息をついた。
兄が誰かに恋をしているだろうことは、随分前から感づいていた。昔から腕力には自信があっても、こういったことにはからっきしな兄なので、果たしてうまくいっているのか、まさか悪い女に弄ばれているのでは、と陰ながらやきもきしていたところだった。
しかし今日出会ったナマエを見て、そんな心配は一気にどこかへ行ってしまった。ナマエの家で話をする合間、向けられる笑顔にいちいち過剰に反応していた兄を思い出す。
(あんなお兄ちゃんの顔、初めて見たなぁ)
たった一人の家族である自分に向けるのとも違う、優しくて幸せそうで、それでいて焦がれるような表情。
今まで何をするのも一緒だったのが、遠くに行ってしまうようで少し淋しい気もしたが、小さい頃から自分を守り育ててくれた兄には、幸せになってほしいと思う。
(それにこのままだと、私が結婚した後もお兄ちゃんずっと独り身でうるさいコジュウトになりそうだし)
シスコンが過ぎる兄への打算的な思いもあり、ゼンコは2人の恋を応援するつもりでいた。ナマエの方も憎からず金属バットのことを思っているようだったし。
「私、応援してるからね」
「おう…」
もうしらばっくれるのは諦めたのか、金属バットからは力無く返事が返ってきた。
「でもナマエちゃんけっこう鈍そうだから、お兄ちゃんもっと積極的にいかなきゃ駄目だよ」
「それができりゃ苦労しねえよ…」
「もう、意気地なしなんだから」
手を繋ぎ歩く2人の兄妹の上空に、一番星がひっそりと輝き始めていた。