2.お友達から
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
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※心的外傷後ストレス障害(PTSD)についての話が出てきます
「それじゃあ、行ってくるね」
「…おう、気い付けてな…」
今朝もまた集合場所へゼンコを送り届けた金属バットは、妹のもの言いたげな視線を背に力無く学校へ歩き出した。
よく眠れない夜が続いていた。更に飯の味もよくわからない。
昨日も晩飯の煮物の味付けを間違えて、ゼンコに指摘されたばかりだった。金属バットの異変は当然感づかれているが、あまりに様子がおかしい為か、優しい妹は問い詰めたりせず事態を見守っているようだった。こんなことは、幼い頃から健康優良児だった金属バットにとっては初めてのことである。
原因はわかり過ぎる程わかっている。先日自覚したばかりの恋心だった。
どこにいても、何をしていても、いつの間にかナマエの顔が浮かんでくる。
ちょっとした冗談に笑う顔、怪人退治の話を興味深そうに聞く顔、課題に取り組む真剣な顔、一緒に過ごした補習期間に見た様々な表情が、今になってその時以上の鮮やかさで脳裏に蘇り、そのたび胸が苦しくなった。
(…ゼンコより可愛い女なんかいねえと思ってたのによ)
少し、いやかなりシスコンの気がある金属バットは、異性とのお付き合いというものにそれなりに興味はあったものの、妹との生活が守られてさえいればそれで良かったので、強いて彼女を作りたいと思ったことはなかった。周りの同年代が女子にモテたいと必死な様を、どこか冷めた目で見ていたように思う。
それがここへ来て好きな相手ができた。
もっと仲良くなりたい。あわよくば付き合いたい。
そう考えるのは自然な流れだったが、喧嘩一筋で生きてきた身では、どうしていいのかわからなかった。
その上、補習が終わってしまったことで二人の接点は極端に少なくなった。隣のクラスとはいえ、そもそも補習で一緒になるまで顔を知らなかったくらいである。
たまに隣のクラスとの合同授業で姿を見かけることはあったが、話しかける勇気はなくもどかしい思いで目で追うことしかできない。体育の授業で男女一組で行う組体操があった時には、ナマエのペアになった男子生徒が羨まし過ぎて憤死しそうだった。職権乱用でも何でもしていっそのことクラスを替えて貰うか、と血迷った挙げ句直前で正気に返ったこともある。
そんなわけで、金属バットはらしくもなく悶々とした日々を送っていた。
以前にも増して授業にも身が入らない。本音を言うとサボりたくて仕方なかったが、ナマエが認めてくれた『高校は自力で卒業する』という決意を裏切ることになるので、重い体を引きずって登校する。廊下をだらだらと教室に向かって歩いていたところ、前から歩いてきた人影に目をとめ、金属バットは立ち止まった。そのまま根が生えたように立ち尽くす。
こちらに向かって歩いてきたのは二人組の女子生徒だった。その片方に目が釘付けになる。他でもないナマエだった。隣を歩く友達と思われる女子と何事か話しながら歩いていたナマエは、視線を感じたのかこちらを向き、先ほどから凝視し続けていた金属バットと思いっきり目が合った。
向こうにとっても思いがけない遭遇だったのか、小動物のように目を見張っている。
(可愛い…!)
ひさびさに間近で見たナマエの姿は、補習の間何度も見ていたにも関わらず、金属バットにとてつもない破壊力をもたらした。全身が石になったかのように動かない。
本人にそのつもりはなかったが、険しい顔でこちらを睨みつける金属バットを見て、ナマエは驚いたように一瞬足を止めた。しかしすぐに歩き出し、少しずつ距離が近づいていく。そしてすれ違いざまに、固まっている金属バットをちらっと見て遠慮がちに声をかけた。
「お、おはよ」
「…はよ」
自分のものだとは思えないほど小さな声が答えるのを、金属バットは他人事のように聞いた。
言いたいことはいろいろあるはずなのに、何も出てこない。
それだけ返すのが精一杯だった。
やがてナマエが自分の教室に入り、扉が閉まる音が後ろから聞こえた。
いつの間にか詰めていた息を大きく吐き出す。
金属バットもまた、背中を丸め自分の教室に入っていった。
その日の昼休み、ナマエは一緒にお弁当を食べていた友達のアヤカに、興味津々といった様子で話しかけられた。
「ねえナマエ、金属バット君とはどうなの?」
質問の意図がわからず、プチトマトを口に運ぼうとした箸を止め聞き返す。
「どうって?」
明らかにピンときていないのを見て、アヤカは卵焼きを突っつきながらじれったそうに言った。
「もう、鈍いな~!だから、こっそり付き合ってるんじゃないの?」
「えっ」
驚いたナマエは箸で摘まんだプチトマトを取り落としそうになった。
思ってもみない内容だった。
今日の朝見た金属バットの顔を思い浮かべる。そういえば険しい顔をしていたけどお腹でも痛かったんだろうか。と思考が逸れかけたところで、アヤカの発言内容を思い出す。付き合ってるだなんて。
どこかわくわくした光を湛えた友人の目を見つめ返す。
「アヤちゃんどうしたの?いきなり」
「いきなりじゃないよ、私は最近聞いたんだけどけっこう前から一部では噂になってたんだって。で、どうなのそこんとこ」
ナマエにとっては青天の霹靂だったが、学年内では随分前から─二人が補習を受けていた頃から、密かに囁かれていたことだった。というのも、金属バットの態度があまりにわかりやすいので噂にするなという方が無理な話で、別に周りの人間が下世話な訳ではない。ただ面と向かって聞く勇気のある者はおらず、噂だけが一人歩きしているのだった。
アヤカも最近その噂を耳にしたが、本人からそんな話は聞いていないし、どちらかというと大人しいタイプの友人と喧嘩最強の金属バットが結び付かず、気になりつつ聞くことができていなかった。しかし、今朝目にした明らかに様子のおかしい金属バットの姿に噂の信憑性は一気に増し、我慢できずこうして本人に突撃した次第だった。
「違うよ!補習授業で一緒になって話す機会はあったけど、付き合うとかそんな…」
ナマエはかぶりを振り慌てて否定した。
「なんだやっぱただの噂か…でも、向こうはナマエのこと好きなんじゃないの?」
「そんなことはないと思うけど…」
いやあるでしょ、とアヤカは心の中で突っ込みながら、隣を歩く自分のことが全く眼中になかった今朝の金属バットを思い浮かべた。
一方ナマエは全く心当たりがなく困惑していた。補習が終わって以来、今朝挨拶をするまでしばらく話をしていなかったし、期間中も勉強の合間に雑談をするくらいだった。最終日に思いっきりメンチを切られたが、まさかあれが告白的な何かだったのか、と混乱のあまり有り得ない方向へ思考を巡らせていると、アヤカが思い出したように言った。
「あ、そうだ。今日委員会あるから一緒に帰れないんだ」
「そっか、わかった」
「ごめんね、あたし副長だから外せなくて…帰り道、一人でも大丈夫?」
いつも通りの口調だったが、隠しきれない心配が滲んでいる。友人の思いやりを感じ、ナマエの胸に自分の不甲斐なさを恥じる気持ちと感謝の念の両方が込み上げた。
殊更明るい表情を作って笑い返す。
「大丈夫だよ。ありがとうアヤちゃん」
「無理そうだったら、おばさんに迎えにきてもらいなよ」
「お母さん今日は遅番の日だから。心配かけてごめんね」
表面上は取り繕いながらも、ナマエの心には暗い翳りが差していた。
昼休みが終わり、午後の授業が始まってからも、気持ちを切り替えられず考えこんでしまう。
(しっかりしなきゃ。友達にも家族にもいつまでも甘えてられない…でも、いつになったら治るんだろう)
結局放課後になるまで、ナマエはどこか上の空だった。
放課後になり、委員会へ行くアヤカを見送って、ナマエは一人帰路についた。
思えば一人で帰るのは久しぶりのことだった。
歩きながら、なんとなく昼休みに聞かされた噂のことを思い出す。
本当にどうしてそんな噂が立ってしまったのか不思議だったが、ナマエは特別そのことが嫌なわけではなかった。
恋愛感情の有る無しは置いておいて、金属バットには好感を持っている。曲がったことが嫌いな正義感の強さは眩しかったし、妹の話を楽しそうにする姿は年相応で、また知らない一面を見られたようで嬉しかった。
補習で話すようになって、普段の彼の様子にも自然と目がいくようになったが、強面な外見に反して彼は周りの人間に優しかった。圧倒的な力を持ちながら、それを無闇に振りかざすことは決してない。気の弱い男子生徒が周りにからかわれている所にさりげなく通りがかってそれ以上の事態悪化を防いだり、高齢の教師が荷物を運ぶのを手伝ったり、もはや職業病なのか校内でもヒーローとしての役目を果たしているようだった。金属バットがいるから、柄の悪い連中もナマエの学校の生徒には手を出さなくなったという話も聞いたことがある。
だからその噂が立っていることに、戸惑いこそすれ不快感はない。
しかし、実際に金属バットと噂通りの関係になるかどうかということは、自身の感情を抜きにしてあり得ないことだった。そしてその理由は、ナマエ自身の中にあった。
(…皆に心配ばかりされて、一人で帰るのもやっとな私なんか、いつも怪人に立ち向かってるバッド君に似合うわけないよね)
つい自分を卑下するような考えが浮かんでしまう。
こんなんじゃ駄目だ。
気持ちまで暗くなってどうする、しっかりしなければ。
立ち止まって頭にまとわりつく考えを振り払う。
──そして再び歩き出したナマエの後方には、今し方彼女の思考にのぼっていた人物がいた。それもかなり挙動不審な様子で。
(ア、アレミョウジだよな!?今一人か!?)
前方に想い人の姿を確認し、勢いあまって何故か電信柱の陰に隠れた金属バットは、突如訪れたチャンスに大いに迷っていた。通行人が不審げな目を向けているのにも気付かず、頭を抱えて煩悶する。
話しかけるべきか否か。今なら誰にも邪魔はされない。正直落ち着いて話ができる気はしなかったが、これを逃したらもう二度とこんな機会は無いかもしれない。
(行くしかねえ!)
躊躇いを振り切って、電信柱の陰から出る。
そして歩調を早めようと前を見据えたところで、前方を歩くナマエに何か異形のものが近づくのが見えた。周りにいた一般市民が悲鳴をあげて散り散りになる。と思う間もなくそれは飛びかかり、ナマエは地面に引き倒された。
瞬間、考えるよりも先に金属バットは走り出していた。
「ワハハハ俺は梱包材を潰す感触が好き過ぎて怪人化したプチプチフェチ!お前もこの感触の虜になるのだボグァ!?」
「大丈夫か、ミョウジ!!」
割れ物を包むプチプチシートに手足が付いた見るからにしょうもない怪人を一撃で潰し、尻餅をついているナマエに声をかける。
ざっと見たところ、地面に倒されたはずみに制服が土埃で汚れていたが、ナマエ自身はどこも怪我をしてはいる様子はなかった。
しかしなぜか青ざめたまま、凍りついたように動こうとしない。
「おい、ミョウジ?」
ナマエは金属バットの方に顔を向けてはいたが、どこか別のところを見ているように焦点が合わない目をしている。
「…あ、」
「お前顔真っ青だぞ」
次第に呼吸が早くなり顔が青白くなっていくナマエが心配になり、金属バットが近づいた時だった。
「ミョウジ!?」
ナマエはその場に崩れ落ちた。
慌てて駆け寄り抱き起こすが、意識を失っているのか呼びかけにも応えない。
「おい!おいってどうした!」
金属バットは半ばパニックになりかけていたが、意識の無い人間を揺さぶってはいけないという知識を辛うじて思い出し、多少冷静さを取り戻した。自分の鞄を枕代わりにナマエの体をそっとその場に横たえ、すぐさま携帯で救急車を呼ぶ。近場に大きい病院があったはずだから間もなく到着するだろう。思った通りすぐに聞こえてきたサイレンを聞きながら、血の気が引いたナマエの顔を見下ろす。
怪人に何かされた様子はなかった。どこか怪我をしたわけじゃない。しかしさっきの様子は明らかに普通ではなかった。
(…一体どうしちまったんだ?)
目を閉じたナマエは苦しげに眉を寄せている。
何もできない自分の無力さが悔しかった。
「それじゃあ、行ってくるね」
「…おう、気い付けてな…」
今朝もまた集合場所へゼンコを送り届けた金属バットは、妹のもの言いたげな視線を背に力無く学校へ歩き出した。
よく眠れない夜が続いていた。更に飯の味もよくわからない。
昨日も晩飯の煮物の味付けを間違えて、ゼンコに指摘されたばかりだった。金属バットの異変は当然感づかれているが、あまりに様子がおかしい為か、優しい妹は問い詰めたりせず事態を見守っているようだった。こんなことは、幼い頃から健康優良児だった金属バットにとっては初めてのことである。
原因はわかり過ぎる程わかっている。先日自覚したばかりの恋心だった。
どこにいても、何をしていても、いつの間にかナマエの顔が浮かんでくる。
ちょっとした冗談に笑う顔、怪人退治の話を興味深そうに聞く顔、課題に取り組む真剣な顔、一緒に過ごした補習期間に見た様々な表情が、今になってその時以上の鮮やかさで脳裏に蘇り、そのたび胸が苦しくなった。
(…ゼンコより可愛い女なんかいねえと思ってたのによ)
少し、いやかなりシスコンの気がある金属バットは、異性とのお付き合いというものにそれなりに興味はあったものの、妹との生活が守られてさえいればそれで良かったので、強いて彼女を作りたいと思ったことはなかった。周りの同年代が女子にモテたいと必死な様を、どこか冷めた目で見ていたように思う。
それがここへ来て好きな相手ができた。
もっと仲良くなりたい。あわよくば付き合いたい。
そう考えるのは自然な流れだったが、喧嘩一筋で生きてきた身では、どうしていいのかわからなかった。
その上、補習が終わってしまったことで二人の接点は極端に少なくなった。隣のクラスとはいえ、そもそも補習で一緒になるまで顔を知らなかったくらいである。
たまに隣のクラスとの合同授業で姿を見かけることはあったが、話しかける勇気はなくもどかしい思いで目で追うことしかできない。体育の授業で男女一組で行う組体操があった時には、ナマエのペアになった男子生徒が羨まし過ぎて憤死しそうだった。職権乱用でも何でもしていっそのことクラスを替えて貰うか、と血迷った挙げ句直前で正気に返ったこともある。
そんなわけで、金属バットはらしくもなく悶々とした日々を送っていた。
以前にも増して授業にも身が入らない。本音を言うとサボりたくて仕方なかったが、ナマエが認めてくれた『高校は自力で卒業する』という決意を裏切ることになるので、重い体を引きずって登校する。廊下をだらだらと教室に向かって歩いていたところ、前から歩いてきた人影に目をとめ、金属バットは立ち止まった。そのまま根が生えたように立ち尽くす。
こちらに向かって歩いてきたのは二人組の女子生徒だった。その片方に目が釘付けになる。他でもないナマエだった。隣を歩く友達と思われる女子と何事か話しながら歩いていたナマエは、視線を感じたのかこちらを向き、先ほどから凝視し続けていた金属バットと思いっきり目が合った。
向こうにとっても思いがけない遭遇だったのか、小動物のように目を見張っている。
(可愛い…!)
ひさびさに間近で見たナマエの姿は、補習の間何度も見ていたにも関わらず、金属バットにとてつもない破壊力をもたらした。全身が石になったかのように動かない。
本人にそのつもりはなかったが、険しい顔でこちらを睨みつける金属バットを見て、ナマエは驚いたように一瞬足を止めた。しかしすぐに歩き出し、少しずつ距離が近づいていく。そしてすれ違いざまに、固まっている金属バットをちらっと見て遠慮がちに声をかけた。
「お、おはよ」
「…はよ」
自分のものだとは思えないほど小さな声が答えるのを、金属バットは他人事のように聞いた。
言いたいことはいろいろあるはずなのに、何も出てこない。
それだけ返すのが精一杯だった。
やがてナマエが自分の教室に入り、扉が閉まる音が後ろから聞こえた。
いつの間にか詰めていた息を大きく吐き出す。
金属バットもまた、背中を丸め自分の教室に入っていった。
その日の昼休み、ナマエは一緒にお弁当を食べていた友達のアヤカに、興味津々といった様子で話しかけられた。
「ねえナマエ、金属バット君とはどうなの?」
質問の意図がわからず、プチトマトを口に運ぼうとした箸を止め聞き返す。
「どうって?」
明らかにピンときていないのを見て、アヤカは卵焼きを突っつきながらじれったそうに言った。
「もう、鈍いな~!だから、こっそり付き合ってるんじゃないの?」
「えっ」
驚いたナマエは箸で摘まんだプチトマトを取り落としそうになった。
思ってもみない内容だった。
今日の朝見た金属バットの顔を思い浮かべる。そういえば険しい顔をしていたけどお腹でも痛かったんだろうか。と思考が逸れかけたところで、アヤカの発言内容を思い出す。付き合ってるだなんて。
どこかわくわくした光を湛えた友人の目を見つめ返す。
「アヤちゃんどうしたの?いきなり」
「いきなりじゃないよ、私は最近聞いたんだけどけっこう前から一部では噂になってたんだって。で、どうなのそこんとこ」
ナマエにとっては青天の霹靂だったが、学年内では随分前から─二人が補習を受けていた頃から、密かに囁かれていたことだった。というのも、金属バットの態度があまりにわかりやすいので噂にするなという方が無理な話で、別に周りの人間が下世話な訳ではない。ただ面と向かって聞く勇気のある者はおらず、噂だけが一人歩きしているのだった。
アヤカも最近その噂を耳にしたが、本人からそんな話は聞いていないし、どちらかというと大人しいタイプの友人と喧嘩最強の金属バットが結び付かず、気になりつつ聞くことができていなかった。しかし、今朝目にした明らかに様子のおかしい金属バットの姿に噂の信憑性は一気に増し、我慢できずこうして本人に突撃した次第だった。
「違うよ!補習授業で一緒になって話す機会はあったけど、付き合うとかそんな…」
ナマエはかぶりを振り慌てて否定した。
「なんだやっぱただの噂か…でも、向こうはナマエのこと好きなんじゃないの?」
「そんなことはないと思うけど…」
いやあるでしょ、とアヤカは心の中で突っ込みながら、隣を歩く自分のことが全く眼中になかった今朝の金属バットを思い浮かべた。
一方ナマエは全く心当たりがなく困惑していた。補習が終わって以来、今朝挨拶をするまでしばらく話をしていなかったし、期間中も勉強の合間に雑談をするくらいだった。最終日に思いっきりメンチを切られたが、まさかあれが告白的な何かだったのか、と混乱のあまり有り得ない方向へ思考を巡らせていると、アヤカが思い出したように言った。
「あ、そうだ。今日委員会あるから一緒に帰れないんだ」
「そっか、わかった」
「ごめんね、あたし副長だから外せなくて…帰り道、一人でも大丈夫?」
いつも通りの口調だったが、隠しきれない心配が滲んでいる。友人の思いやりを感じ、ナマエの胸に自分の不甲斐なさを恥じる気持ちと感謝の念の両方が込み上げた。
殊更明るい表情を作って笑い返す。
「大丈夫だよ。ありがとうアヤちゃん」
「無理そうだったら、おばさんに迎えにきてもらいなよ」
「お母さん今日は遅番の日だから。心配かけてごめんね」
表面上は取り繕いながらも、ナマエの心には暗い翳りが差していた。
昼休みが終わり、午後の授業が始まってからも、気持ちを切り替えられず考えこんでしまう。
(しっかりしなきゃ。友達にも家族にもいつまでも甘えてられない…でも、いつになったら治るんだろう)
結局放課後になるまで、ナマエはどこか上の空だった。
放課後になり、委員会へ行くアヤカを見送って、ナマエは一人帰路についた。
思えば一人で帰るのは久しぶりのことだった。
歩きながら、なんとなく昼休みに聞かされた噂のことを思い出す。
本当にどうしてそんな噂が立ってしまったのか不思議だったが、ナマエは特別そのことが嫌なわけではなかった。
恋愛感情の有る無しは置いておいて、金属バットには好感を持っている。曲がったことが嫌いな正義感の強さは眩しかったし、妹の話を楽しそうにする姿は年相応で、また知らない一面を見られたようで嬉しかった。
補習で話すようになって、普段の彼の様子にも自然と目がいくようになったが、強面な外見に反して彼は周りの人間に優しかった。圧倒的な力を持ちながら、それを無闇に振りかざすことは決してない。気の弱い男子生徒が周りにからかわれている所にさりげなく通りがかってそれ以上の事態悪化を防いだり、高齢の教師が荷物を運ぶのを手伝ったり、もはや職業病なのか校内でもヒーローとしての役目を果たしているようだった。金属バットがいるから、柄の悪い連中もナマエの学校の生徒には手を出さなくなったという話も聞いたことがある。
だからその噂が立っていることに、戸惑いこそすれ不快感はない。
しかし、実際に金属バットと噂通りの関係になるかどうかということは、自身の感情を抜きにしてあり得ないことだった。そしてその理由は、ナマエ自身の中にあった。
(…皆に心配ばかりされて、一人で帰るのもやっとな私なんか、いつも怪人に立ち向かってるバッド君に似合うわけないよね)
つい自分を卑下するような考えが浮かんでしまう。
こんなんじゃ駄目だ。
気持ちまで暗くなってどうする、しっかりしなければ。
立ち止まって頭にまとわりつく考えを振り払う。
──そして再び歩き出したナマエの後方には、今し方彼女の思考にのぼっていた人物がいた。それもかなり挙動不審な様子で。
(ア、アレミョウジだよな!?今一人か!?)
前方に想い人の姿を確認し、勢いあまって何故か電信柱の陰に隠れた金属バットは、突如訪れたチャンスに大いに迷っていた。通行人が不審げな目を向けているのにも気付かず、頭を抱えて煩悶する。
話しかけるべきか否か。今なら誰にも邪魔はされない。正直落ち着いて話ができる気はしなかったが、これを逃したらもう二度とこんな機会は無いかもしれない。
(行くしかねえ!)
躊躇いを振り切って、電信柱の陰から出る。
そして歩調を早めようと前を見据えたところで、前方を歩くナマエに何か異形のものが近づくのが見えた。周りにいた一般市民が悲鳴をあげて散り散りになる。と思う間もなくそれは飛びかかり、ナマエは地面に引き倒された。
瞬間、考えるよりも先に金属バットは走り出していた。
「ワハハハ俺は梱包材を潰す感触が好き過ぎて怪人化したプチプチフェチ!お前もこの感触の虜になるのだボグァ!?」
「大丈夫か、ミョウジ!!」
割れ物を包むプチプチシートに手足が付いた見るからにしょうもない怪人を一撃で潰し、尻餅をついているナマエに声をかける。
ざっと見たところ、地面に倒されたはずみに制服が土埃で汚れていたが、ナマエ自身はどこも怪我をしてはいる様子はなかった。
しかしなぜか青ざめたまま、凍りついたように動こうとしない。
「おい、ミョウジ?」
ナマエは金属バットの方に顔を向けてはいたが、どこか別のところを見ているように焦点が合わない目をしている。
「…あ、」
「お前顔真っ青だぞ」
次第に呼吸が早くなり顔が青白くなっていくナマエが心配になり、金属バットが近づいた時だった。
「ミョウジ!?」
ナマエはその場に崩れ落ちた。
慌てて駆け寄り抱き起こすが、意識を失っているのか呼びかけにも応えない。
「おい!おいってどうした!」
金属バットは半ばパニックになりかけていたが、意識の無い人間を揺さぶってはいけないという知識を辛うじて思い出し、多少冷静さを取り戻した。自分の鞄を枕代わりにナマエの体をそっとその場に横たえ、すぐさま携帯で救急車を呼ぶ。近場に大きい病院があったはずだから間もなく到着するだろう。思った通りすぐに聞こえてきたサイレンを聞きながら、血の気が引いたナマエの顔を見下ろす。
怪人に何かされた様子はなかった。どこか怪我をしたわけじゃない。しかしさっきの様子は明らかに普通ではなかった。
(…一体どうしちまったんだ?)
目を閉じたナマエは苦しげに眉を寄せている。
何もできない自分の無力さが悔しかった。