1.補習のち、片想い
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
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「おっせえな…」
金属バットはその日何回目になるかもわからない舌打ちをした。
時計の針は、この補習対象の生徒用の教室に入り席についてから、既に三十分以上が経過したことを示している。監督の教師は急用でもあって遅れているのか一向に姿を現さない。
(早く終わらせねえと晩飯の支度に間に合わねえだろ!)
妹と二人暮らしの金属バットにとって、自分たちの生活を守っていくことは、何よりも優先するべき最重要事項だった。
本当ならば今すぐにでも学校を飛び出たい。だが学生の本分は勉強であり、学生であると同時にプロヒーローでもある金属バットは、その二つの立場の板挟みになり、高校卒業までに必要な授業の単位が不足しているのだった。
学校側としては、個人で一個師団に匹敵する戦力を持つS級ヒーローが在籍していることで絶大な防災・防犯効果を得ており、一生徒の進級・卒業の基準を多少甘く見たとしても充分お釣りがくるため、本人にも補習を受ける必要はないと打診していた。
しかし、金属バットは筋が通らないことが大嫌いな性格だった。
勉強はお世辞にもできる方とは言えないが、高校までは自分の力で卒業する、というのはプロヒーローになった時に決めていたことでもある。
だから補習自体に文句はない。文句はないが、いくら何でも待たせ過ぎだった。
もうこっちから呼びにいってやろうか、と待ちきれず腰を浮かせようとした時だった。
教室内に自分以外の人間がいたことを思い出し、そちらを見る。金属バットは後ろから二番目の列の窓側寄りに座っていたが、同じ列の廊下寄りに一人の女子生徒が座っていた。教室に入ってきた時から既にその存在は認識していたが、真横にいて目に入っていなかったのと、いつまでも始まらない苛立ちに気をとられ、今までその存在を忘れていた。
多分同じクラスではない、と思う。普段からのんびり学生生活を楽しめる立場に無い為、クラスメートの顔も正直あやふやだったが、思い出してみても明らかに見たことのない顔だった。
細身の体を更に縮めるようにして、机に足を乗せた金属バットとは違い行儀よく着席している。色白で大人しそうなその女子生徒は、一目見ただけでも自分とは全く違う種類の人間だとわかった。それ故に一つの疑問が頭に浮かぶ。
(授業サボるタイプにゃ見えねーな…何で補習受けてんだ?)
今までも他の生徒と補習授業が被ることはあったが、大体真面目に学校に来ていないいわゆる不良生徒(金属バットの影響で数は激減している)か、自分よりも更に勉強ができないごく限られた生徒ばかりだった。
もしかしたら、見かけに寄らずめちゃくちゃ頭が悪いんだろうか。失礼なことを考えながら、好奇心に負けた金属バットは、気がついた時には声をかけていた。
「なぁ、あんたも単位足んねえのかよ」
その瞬間、女子生徒は椅子から飛び上がった。
ガタンという大きな音がし、思わず目を剥く。
何だ。何が起こった。
「えっ…?」
恐る恐るといった様子で金属バットの方を向いたその女子生徒は、明らかに怯えていた。猛獣でも前にしたかのように体を強ばらせ、青い顔をしている。
(やべえ、やっちまった…)
我に返り、心の中で呟く。
昭和の不良スタイルで怪人をシバき回している金属バットは、同年代の女子からは圧倒的に怖い、というイメージを持たれ、市民を守る立場であるにも関わらず学校で持て囃されることは少ない。ごくまれにヒーローマニアの女子に囲まれることはあったが、彼女らの真の目的は、アマイマスクや鬼サイボーグといった女性に人気のあるヒーローの情報収集だったりプレゼントの受け渡しだったりした。
何度も怯えられ、また糠喜びさせられる内に、金属バットは女子に苦手意識を持つようになっていた。
女全般が苦手なわけではない。最愛の妹ゼンコはもちろん女の子だし、ヒーロー関係者の女性は仕事柄肝が据わっているのか自然体で接することができている。
だが同級生の女子となると話は別だった。いつもならば進んで話し掛けることは無いのに、無意識でやってしまったらしい。
案の定その女子生徒は気の毒な程怯えきっている。それは見た目の問題だけではなく、先ほどからイライラしている様子をずっと見せられていたからでもあったのだが、金属バットは気づいていない。
怖がられたことに内心傷付いてはいたが、今のは自分が悪いので、弁解するように頭をかきながら話し掛けた。
「あー…そんな怖がんなよ。あんた補習とか受けるタイプに見えねえし、ちょっと気になって聞いてみただけだ。びっくりさせて悪かったな」
金属バットがらしくもなく歯切れの悪い口調で言うと、女子生徒はまだ青い顔をしていたが、先ほどよりも落ち着いたようだった。
「私の方こそごめんね。いきなり話し掛けられたからびっくりしちゃって」
「いいよ、気にすんな」
驚かせたのはこっちであるにも関わらず、逆に謝られた。見た目通り気弱な性格らしい。何となく気まずくなり黙っていると、また小さな声がした。
「ずっと入院してたから…」
「あ?」
よく聞こえず女子生徒の方を見ると、今度は怖がった様子を見せず、静かにこちらを見ていた。
「春休みに大怪我して、それでずっと入院してたから授業出れてなくて」
先ほどの問いに対する答えらしい。すっかり忘れていた。
それはともかく、その内容に思わず金属バットは食い付いた。
「大怪我って…まさか怪人か?」
「うん、家族で出掛けた時に襲われて」
「そういや隣のクラスに怪我してずっと入院してる奴がいるって前に聞いたな…クソ、俺がその場に居りゃあぶちのめしてやったのに」
金属バットの義憤はヒーローとしては当然のことだったが、『いつもオラオラしてる怖い同級生』としての姿しか知らなかった女子生徒からは、意外な一面に見えた。
見た目のイメージだけで無闇に怖がってしまったことを後悔する。
「もう学校きて大丈夫なのかよ?」
「なんともないよ。リハビリも終わったし」
「そっか」
女子生徒にもう怯えた様子はない。金属バットとしても、こうやって女子と普通に話をしているのは新鮮な感覚で面映ゆかった。なんとなく名前くらい聞いておきたくなり尋ねる。
「そういやお前、名前…隣のクラスだよな」
「うんA組だよ。ミョウジナマエ。よろしくね」
「おう」
金属バットが当初のイライラをすっかり忘れていると、教室の前の扉が開き監督の教師がやっと姿を表した。やはり急用が入って遅れていたらしく、大して悪気無さそうに謝罪される。そうならそうともっと早く言えよ、と思わないではなかったが、なぜかいつもよりも穏やかな気持ちで、金属バットは補習の課題に取りかかった。
補習は数日に分けて行われる予定で、金属バットは二回目を受ける為にまた放課後の教室に居残っていた。今回は教師も遅れることなく、すぐに課題に取り組み始めたが、また別の問題にぶち当たっていた。
(わからねえ…まずどこがわからないのかがわからねえ…大体あいつら授業中に呼び出すのやめろよな、こっちは学生だぞ!)
一向に空欄を埋められないまま頭を抱える。
怪人が出れば即呼び出しがかかる金属バットは、内容を理解する以前に、そもそも落ち着いて授業を受けることができていない。ヒーロー協会側としてはなるべく学校にいる時間帯は避けるように配慮しているものの、ヒーローの絶対数が足りないこともあり、結局金属バットにお鉢が回ってくるのだった。授業を聞いていれば理解できたかと言われると自信はなかったが、少なくとも今よりは絶望的な状況にはならなかったはずだ。
初日は文系科目だったのでなんとなく当たりをつけることができたが、今日は考えて答えを導き出す必要のある理系科目とあって、さっきから少しも進まない。
眉間に皺を寄せ一人唸り続けている金属バットは、ナマエがチラチラとこちらを伺っていることには気付いていなかった。
(問題解けなくて困ってるのかな…)
先日言葉を交わした際に、彼が見た目ほど怖くないということはわかった。更に自分の分の課題は既に片付けてしまっている。力になれるかもしれない。
しかし引っ込み思案な性格が邪魔をして、ナマエは先ほどから口を開いたり閉じたりを繰り返していた。
やっぱり時間がくるまでこのまま黙っていようか。
そう思った時に、金属バットが怪人災害にあった自分のことを気遣ってくれたことを思い出した。ヒーローという職業柄もあるのだろうが、彼はあんなに親身になってくれたのに。
そう考えると、この場をやり過ごそうとしている自分が卑怯者に思えた。
意を決して息を吸い込む。家の近所のよく吠える犬の前を通り抜ける時の気持ちになりながら、ナマエは声をかけた。
「あの、バッド君」
「ああ!?」
振り向いた金属バットの表情の険しさに一瞬怖じ気づいたが、気を取り直して続けた。
「大丈夫?さっきからずっと唸ってるけど…」
指摘されて初めて気がついたのか、一転して金属バットは決まり悪そうな表情になった。
「悪い、うるさくて」
「ううん、いいよ。それよりどこかわからないところがあるのかと思って」
気まずそうに課題のテキストに目を落としたのを見てやはりそうかと思ったが、返ってきたのはナマエが想像したよりも深刻な答えだった。
「…どこかっていうか、授業中にもしょっちゅう呼び出されるから、内容が飛び飛びなんだよ」
金属バットが怪人駆除の出動要請で学校を抜けることがある、という話は聞いており、彼が今ここにいる理由もそれだということはわかっていたが、同じクラスではないナマエはその実態を直接目にしたことがない。
ヒーロー協会と学校で調整して何かしら授業内容に付いていけるよう配慮がされているものと思っていたが、概ね個人の努力に委ねられているらしい。プロヒーローと学生の二足草鞋の大変さを垣間見たような気持ちになり、ナマエは遠慮がちに声をかけた。
「もしかしたら私教えられるかも、入院中も勉強してたとこだから」
金属バットは二重の意味で驚き、ナマエを見た。一つは入院中にまで勉強するという自分には考えられない勤勉さへの驚きだったが、もう一つは気弱に見えるナマエがこうして自分に声をかけてきたことへの驚きだった。
前回の会話でやや打ち解けた空気にはなったものの、ナマエにとって自分のようなタイプはきっと苦手な対象だろうと思っていた。それを押して助けを申し出てくれたのだとしたら、親切心を無碍にするのは気が引ける。女子に助けを求めるのを躊躇するプライドが無いではなかったが、そんなことにこだわっている自分が小さく思えた。
「あー、じゃあ…教えてもらえると助かる」
「どこまで教えられるかわからないけど…」
金属バットは課題と筆記用具を持ってナマエの前の席に移動し、椅子を逆向きにして座った。ナマエは上下反対側からほぼ空欄のままの課題をみている。
「えっとじゃあ、この応用問題から?」
細い指が、解きかけの大問のところを差す。
「ああ、そっから頼む」
「これは…この値をそのまま入れるんじゃなくて、まずこっちの公式で計算してからだよ」
「あー、成る程」
どうやら最初から間違っていたらしく、大人しくナマエの説明をきく。
頭を突き合わせるようにして聞いていると、近くに寄った弾みにシャンプーの香りなのか服の洗剤の香りなのか、ふわっといい匂いが鼻を掠めた。
ちらっと目を上げると思ったより近くに顔があり、心臓が大きく脈打った。慌てて目を落とし説明に集中するが、その存在を妙に意識してしまう。
(なんつーか小せえなこいつ…ゼンコも小せえけどもっとこう、造りが小さいっつうか)
小学生の妹と比べると、同い年のナマエは身長もあり決して小さいとは言えないのだが、セーラー服に包まれた肩や、袖から覗く手首が華奢で、肌の色が薄いのもあいまって可憐な雰囲気を放っている。
身長はそれほど高くないものの全体的に筋肉質な自分とは全く異質だった。
その気配を近くに感じ、金属バットは柄にもなく緊張していた。
(女子って皆こんな感じだったか?)
自分を取り囲んで質問責めにするヒーローマニアの女子達を思い出してみるが、今ナマエに感じたような印象は見あたらなかった。
途中までだった大問を無事解き終わり、課題を進めていく。
本人は自信なさげにしていたが、ナマエの教え方は驚くほどわかりやすかった。金属バットの理解レベルに合わせて、正確に伝わるような表現を使い、途中で躓くことがあれば、問題点を明らかにし解決に導いた。おかげで『わからない所がわからない』という手も足も出ない状態だったのが、生まれて初めてと言って良いほど勉強が捗り、金属バットは密かに感動していた。
課題を最後まで終えると、感動のままに前のめりになり言った。
「ミョウジすげーな!先生よりわかりやすいじゃん」
「そ、そうかな?ありがとう」
勢いに押されて軽くのけぞりながらも、褒められたことでナマエははにかんだように笑った。
「めっちゃ勉強してんだな。やっぱ進学すんのか?」
自分自身は高校卒業後、本格的にプロヒーローになるつもりだったが、同級生は大学進学を選ぶ者が大半だった。早い者は二年のうちから準備していると聞く。入院中まで勉強をしていたナマエも恐らくそうだろうと当たりをつけての発言だった。
その予想は当たってはいたが、金属バットの勢いに乗せられたナマエは、言うつもりのなかった進学後のこと─心の内に閉まっていた夢まで気付けば口にしていた。
「…実は、子どもの頃からお医者さんになりたくて」
「おっマジか、頑張れよミョウジなら余裕だろ!」
金属バットとしては、自分を助けてくれた同級生を応援したいという単純な気持ちから出た言葉だった。しかし歯切れの悪い返事とともに返ってきたのは、どこか翳りのある表情だった。
何か元気ねえな、と様子が気にかかったものの、それ以上突っ込んで聞くのもどうかと思い、やがてそのまま疑問は立ち消えた。