どっちも甘い
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
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ヒーロー協会本部のエントランスを出ると、ゾンビマンは携帯を取り出し画面を確認した。時刻表示は16時を少し過ぎたことを示している。S級会議は長引くことなく終わり、思ったよりも早く帰宅できそうだった。
最近出来たばかりの恋人宛てにその旨をメッセージにし送信する。時を置かず、振動と共に返信が表示された。これから夕飯の買い出しに行くところらしく、今日の献立と共に、それで構わないかという確認だった。拒否する理由もなくそれでいい、と返す。
少ししてまた送られてきたメッセージを目にし、思わずにやけそうになった顔を慌てて引き締めた。ゾンビマンの早い帰宅を喜ぶ内容のそれを心の中で反芻しつつ、携帯をしまって歩き出す。周囲には疎らに協会関係者がいるだけだったが、仏頂面が常の自分が喜色満面でいれば何事かと注目を浴びかねなかった。
歩きながら、家への道のりを思ってゾンビマンはため息をついた。
住んでいる過疎地域から本部まで来るとなると、どうしても移動に時間がかかる。せっかくナマエとの休日が重なった今日、大して中身があるとも思えないS級会議の為だけにわざわざ来たくはなかったが、まだ遠慮があるのか、恋人は自分の為にゾンビマンの仕事に支障が出ることを頑なに拒んだ。
こうやって緊急の用事が入ったり、顔が知られているので人の多いところには出掛けにくいこともあり、正直あまり恋人らしいことはできていない。今までと変わったのは、お互いの部屋を行き来するようになったこと、休み(といっても仕事柄休みはあってないようなものなので、ゾンビマンにとってはたまたま何もない日)が重なればどちらかの部屋で一緒に料理をし、夕食をとることくらいだった。
色恋沙汰から遠ざかって久しいが、世間一般の基準と照らし合わせてこれはまずいだろうと思う。しかしナマエはそれだけでも十分嬉しいのか、二人で居る時はいつも浮き立ったような雰囲気を醸し出していた。
あいつはちょっと俺のことを好き過ぎるところがあるな、と協会をとりまく荒れ地を眺めながらぼんやり考える。
それを嬉しく思うのは勿論だったが、ただの隣人から関係が変わった今、もっと甘やかしたいというのがゾンビマンの本音だった。
最寄り駅から自宅アパートへの道中、住宅街の民家に植えられた木々はすっかり葉を落としており、辺りは以前にも増して寂れた表情を見せていた。
物陰からいつ怪人が飛び出してきてもおかしくない雰囲気が漂っている。
アパート閉鎖の話は結局立ち消えになったのか、その後動きはない。しかし、いつまでもこんな所に住み続けるのは、自分はともかくナマエの身が心配だった。ナマエの仕事がある日は、可能な限り時間を合わせて駅から家まで一緒に帰るようにしているが、長期に渡って不在にすることもあり、一人にしてしまうことの方が多い。自分の居ないところで何かあったらと思うと肝が冷えた。
ゾンビマンは、早く適当な物件を探さなければ、と頭を悩ませた。
(先にナマエに相談するか…いや、ある程度候補を絞ってからの方が話が早いな)
付き合い始めて日が浅くまだ言い出せていないが、どこかもっと安全な場所で二人で暮らせないかというのが最近の密かな悩みだった。
出会ったばかりの頃、ここに住んでいる理由をナマエに尋ねられた時は、戦闘後の見苦しい姿を晒したくないからと答えていたが、実際のところはそれだけではない。内偵・諜報活動といった仕事が多いため、人目に付かない方が何かとやりやすいからという理由の方が大きい。治安の良さと衆目を避けることを両方満たそうとすると、新しい住処探しはなかなか難航した。ナマエの通勤の都合もある。いっそヒーロー協会に頼り本部に併設された住居を利用するかとも考えたが、協会そのものにあまり信用がおけないので、身を委ね過ぎることは気がひけた。
つらつらと考えながら歩いているとアパートにたどり着いた。一緒に過ごすのはどちらかの部屋でと決めていたが、実際のところ快適性の面からナマエの部屋で過ごすことが殆どだった。エアコンだけではなく部屋に冷暖房器具の類が無いことを知って、また酷く驚かれたことを思い出す。
あまり居座ってばかりでも悪いので、いい加減暖房器具を買うかと考えながら「ミョウジ」と表札のかかった部屋の扉を合い鍵で開けようとし、思い出してゾンビマンは咥えていた煙草を消した。禁煙したわけではないが、受動喫煙の弊害について知れば、ナマエの居るところで煙草を吸う気にはなれなかった。ナマエは気がついているのかいないのか、そのことについて何か言われたことはないが、少しでも長生きしてほしいと思うのは余計なお節介だろうか。
「ただいま」
中に入ると暖かい空気と共に美味しそうな匂いが漂ってくる。
「お帰りなさい」
廊下に繋がるキッチンの入り口から、ナマエが顔を出した。
「早く帰れて良かったですね。スープはもう作っちゃったんですけど、今からハンバーグ作るところです」
「ああ、俺も手伝う」
「あっ先に手洗いうがいして下さいね!風邪が流行ってますから」
小学生の子どもに対するような注意に、なんとなくこそばゆい気持ちになりながら、洗面所に向かう。手洗いうがいを済ませ、置いたままにしてあった自分の部屋着に着替えて戻ると、ナマエはボウルに入ったハンバーグのタネをこねているところだった。
「何をすればいい?」
「ハンバーグ丸めて焼くのを手伝って貰えますか?あ、その前に棚から大きいお皿出して欲しいです」
「わかった…後ろ通るぞ」
「あっ…どうぞ」
食器棚の位置まで移動するため、ナマエの後ろを通り抜けようとすると、大きく肩が震え、身を縮めるようにして露骨に端に寄ろうとする。それを見て思わず眉間に皺がよった。
「…な、何ですか?」
何か言いたげなゾンビマンを見て、ナマエは親に嘘がばれた子供のように目を逸らしている。
「…別に」
口まで出掛かった言葉をぐっと飲み込む。
ゾンビマンはそれなりに体格がいいこともあり、単身者向けのスペースで二人で作業をしていると体が接近することは頻繁にあったが、その度にこうして避けられるのは正直面白くなかった。
ナマエがゾンビマンのことを好き過ぎる弊害の一つとして、いつまで経ってもこうした接触に慣れないことがある。誰かと付き合うのは初めてでは無いそうだが、憧れの先輩を前にした中学生のような態度にあてられ、むず痒い気持ちにさせられてばかりいた。
正直、いい加減慣れて欲しい気持ちはある。キスをする度に決死の覚悟をした顔で身構えられると、なんだか悪いことをしているような気分になった。しかしあまりに照れる様子を見ていると何となく気の毒になり、結局強く出られないでいるのだった。
皿を取り出すと、渡されたゴム手袋をはめ、腕まくりをしてナマエの隣に並ぶ。
「こうやって、お手玉して空気を含ませるといいらしいですよ」
丸めた塊を左右の手で投げ合って見せながら言う。
自分も真似をしてやってみると、力加減を間違えてキャッチに失敗し、手のひらに衝突した塊がべしゃっという音を立てて台に落ちた。
「…コツがいるなこれ」
「…っふ、ち、力いっぱい投げ過ぎですよ」
笑いをこらえているナマエを見てばつが悪い気持ちになる。
これまでのゾンビマンの食生活は、食事を取らなくても死ぬことが無く、生活も不規則になりがちな為、気が向いた時に外食をする程度のものだった。当然料理をすることからも遠ざかって久しい。
一緒に料理をする習慣は、ナマエが2人分の夕食を作ろうとするのを悪いと思って手伝いを申し出たことから始まったが、最初の頃は手伝うというよりほぼ邪魔しているだけだったように思う。じゃがいもの皮むきを頼まれてまな板を血溜まりにし、心配して大騒ぎされたのはいい思い出である。ナマエも手間のかかるものは普段作らないらしく、新しいメニューに挑戦し二人で試行錯誤するのは、大変な反面新鮮な感覚だった。
もともと手先は器用な方なので、最近では一人でも簡単なものなら作れるようになった。自分用に購入されたエプロンを見た時は内心戸惑ったが、それも最早体に馴染みつつある。一緒にいる時以外にも、規則正しいとはいえないが人並みに食事をとるようになったことは、ナマエと恋人になって大きく変化したことの一つだった。
「これ多くないか」
「余ったら冷凍して平日の夜に食べるから大丈夫ですよ。ゾンビマンさんいくつくらい食べますか?」
「あー…5個は欲しいな」
「けっこう食べますね」
「移動に時間かかるから腹減ったんだよ」
しばらく2人で会話しながらハンバーグの塊を作る作業に専念する。こうしてキッチンで並んでいると、どうしても甘ったるい感慨が頭を過ぎる。浮かれている自分を認めたくなかったが、エプロン姿のナマエを見ているとこみ上げるものがあった。
心の内にジレンマを抱えつつ手を動かし、丸め終わった塊をフライパンで焼く。両面とも焦げ目がついたところで、水を入れて蓋を閉めた。
いい匂い、とナマエは蒸し上がるのを待ち遠しそうに覗き込んでいる。その無防備な横顔を見てふと閃くものがあり、ゾンビマンはおもむろにナマエの側に近づいた。
すぐ側に立った気配に気づき、ナマエが顔を上げようとした時だった。
「? なんですか…」
振り向く間もなく柔らかな頬にそっと口づけると、ナマエはこちらを見て大きく目を開いたまま固まった。みるみる内に顔が赤くなっていく。
「…い、今な、なん、今何を」
一瞬後激しく狼狽し出したナマエは、何か言おうとして意味の無い音を羅列している。口をパクパクさせているのを見て、ゾンビマンは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「身構えるから余計に恥ずかしくなるんだろ。だったら不意打ちで回数をこなして慣れればいい」
我ながら良い考えだと思っていると、やっとのことで調子を取り戻したナマエに猛抗議された。
「やめてください!!私の心臓がどうなっても良いんですか!?」
脅しなのか懇願なのかわからない言葉に、大袈裟な奴だなと思ったが、本人はいたって真剣な顔をしている。
「そうでもしないといつまでもガチガチのままだろ」
「そ、それはそうですけど…」
指摘すると痛いところを突かれたように黙り込む。
ナマエ自身も思うところはあるらしい。
身体をかがめ、逸らされてしまった視線を合わせるように、赤くなった頬に手を添えこちらを向かせる。
「もし心臓が止まってもすぐ蘇生してやるから安心しろ」
「そんな、ゾンビマンさんじゃないんですから…」
最後まで言わせずに今度は唇に口づけた。軽く触れるだけで離し、拒否する意思が無いのを確認し、また重ねるのを繰り返す。ふっくらした唇の感触は心地よく、何度しても飽きそうになかった。
ナマエの様子を窺うと、またいつものように目をぎゅっと瞑って体を固くしているので、合間に唇を舌で舐めてみる。
大きく跳ねた体に気を良くし、弾みで薄く開いた口内に舌を侵入させると、そっと肩を押し返された。
「こ、これ以上はちょっと…」
ナマエは熟れた林檎のように真っ赤になっていた。
涙目で訴えるように見つめられる。
止めてやりたいのはやまやまだが、そろそろ我慢の限界だったらしい。止められそうにない。卑怯な手口とは知りながら、出来るだけ優しい顔と声を作り問いかける。
「…嫌か?」
「…嫌なわけじゃないですけど」
案の定困ったような顔になり、逡巡している。本当にこいつは俺に甘い。
もう一押しかと思っていると、ナマエが急にハッと何かに気づいたような顔になった。何事かと思う間もなく身体を離され、呆気に取られて見ていると、フライパンの蓋を開けて覗き込んでいる。
「ああー!やっぱり焦げてる、焼きすぎた…あっでもこの辺はいけるかも」
慌ててコンロの火を止めて、ハンバーグの状態を確認している。そういえばまだ料理途中だったのをすっかり忘れていた。
更にタイミングよく炊飯器から炊き上がったことを告げる音がし、それが合図だったように、ハンバーグのソース作らなきゃ、そういえばサラダもまだだった、と慌ただしく動きだしたナマエはもうこちらを見てはいない。
先ほどの空気が一気に霧散していくのを感じ、ゾンビマンは一人置いてけぼりにされたような寂寥感に包まれていた。
「焦げてるとこはやっぱ苦いな」
「避けて食べた方が良いですよ」
「腹に入れば一緒だろ」
あのあと無事献立を完成させ、今は向かいあってちゃぶ台に座り夕食を取っている。
ハンバーグは一部焦げてしまっていたが、その分中までちゃんと火が通っており、なかなか旨いなと思いながら口に運ぶ。
「…お前があんなに照れなきゃ、焦がすこともなかったんだがな」
甘い空気を一方的に打ち切られたことの仕返しに、不意打ちで切り出してみると、ちょうどお茶を飲んでいたナマエは噎せそうになっていた。
なんとか飲み下し落ち着くと、恨めしげな目線を向けてくる。
「だ、だってあれはそもそもゾンビマンさんが…何か作業してる時はああいうの辞めて下さい」
「何もしてなければ良いってことか」
すかさず揚げ足を取って返すと、言葉を詰まらせている。
しばらく目を泳がせていたが、やがて赤い顔で口を開いた。
「私ももっと慣れなきゃとは思ってるんですけど…でも、いざとなるとどうしてもドキドキして駄目なんです。すみません、こんなのめんどくさいですよね」
予想外に落ち込んでいるのを見て、ちょっと苛め過ぎたかと後悔する。
「いや、俺も強引にして悪かった。別に急ぐことじゃない。少しずつ慣れていけば良い」
とりなすように笑って見せると、ナマエもやっと安心したような顔になり、頑張ります、と笑った。
自分も大概ナマエには甘い。相手のことは言えないなと思う。
ついでに何故か結婚生活における三つの袋の堪忍袋がどうのという文言が脳裏に浮かび、気が早過ぎるだろうと打ち消した。
それは冗談にしても、恋人によって自分の生活が少しずつ変わっていくのを全く不便だとも嫌だとも思わないのは、ゾンビマン自身にとっても驚きだった。
協調性はある方だと自負しているものの、私生活まで他人に干渉されるのは好まなかったはずだった。しかし今ではナマエの与える変化をどこかくすぐったい気持ちで受け入れている。
いつか必ず訪れる別れの時を思わないではなかったが、それまでにナマエの残す痕跡が消えないように自分に刻まれればいいと思う。
素面でそんなことを考える辺り、ゾンビマンは自分で思っている以上に浮かれていることには気付いていない。
「ソース付いてるぞ」
だから、ナマエの頬に付いたハンバーグのソースを指で拭い、性懲りもなくまた赤面させてしまったのも仕方のないことなのだった。
最近出来たばかりの恋人宛てにその旨をメッセージにし送信する。時を置かず、振動と共に返信が表示された。これから夕飯の買い出しに行くところらしく、今日の献立と共に、それで構わないかという確認だった。拒否する理由もなくそれでいい、と返す。
少ししてまた送られてきたメッセージを目にし、思わずにやけそうになった顔を慌てて引き締めた。ゾンビマンの早い帰宅を喜ぶ内容のそれを心の中で反芻しつつ、携帯をしまって歩き出す。周囲には疎らに協会関係者がいるだけだったが、仏頂面が常の自分が喜色満面でいれば何事かと注目を浴びかねなかった。
歩きながら、家への道のりを思ってゾンビマンはため息をついた。
住んでいる過疎地域から本部まで来るとなると、どうしても移動に時間がかかる。せっかくナマエとの休日が重なった今日、大して中身があるとも思えないS級会議の為だけにわざわざ来たくはなかったが、まだ遠慮があるのか、恋人は自分の為にゾンビマンの仕事に支障が出ることを頑なに拒んだ。
こうやって緊急の用事が入ったり、顔が知られているので人の多いところには出掛けにくいこともあり、正直あまり恋人らしいことはできていない。今までと変わったのは、お互いの部屋を行き来するようになったこと、休み(といっても仕事柄休みはあってないようなものなので、ゾンビマンにとってはたまたま何もない日)が重なればどちらかの部屋で一緒に料理をし、夕食をとることくらいだった。
色恋沙汰から遠ざかって久しいが、世間一般の基準と照らし合わせてこれはまずいだろうと思う。しかしナマエはそれだけでも十分嬉しいのか、二人で居る時はいつも浮き立ったような雰囲気を醸し出していた。
あいつはちょっと俺のことを好き過ぎるところがあるな、と協会をとりまく荒れ地を眺めながらぼんやり考える。
それを嬉しく思うのは勿論だったが、ただの隣人から関係が変わった今、もっと甘やかしたいというのがゾンビマンの本音だった。
最寄り駅から自宅アパートへの道中、住宅街の民家に植えられた木々はすっかり葉を落としており、辺りは以前にも増して寂れた表情を見せていた。
物陰からいつ怪人が飛び出してきてもおかしくない雰囲気が漂っている。
アパート閉鎖の話は結局立ち消えになったのか、その後動きはない。しかし、いつまでもこんな所に住み続けるのは、自分はともかくナマエの身が心配だった。ナマエの仕事がある日は、可能な限り時間を合わせて駅から家まで一緒に帰るようにしているが、長期に渡って不在にすることもあり、一人にしてしまうことの方が多い。自分の居ないところで何かあったらと思うと肝が冷えた。
ゾンビマンは、早く適当な物件を探さなければ、と頭を悩ませた。
(先にナマエに相談するか…いや、ある程度候補を絞ってからの方が話が早いな)
付き合い始めて日が浅くまだ言い出せていないが、どこかもっと安全な場所で二人で暮らせないかというのが最近の密かな悩みだった。
出会ったばかりの頃、ここに住んでいる理由をナマエに尋ねられた時は、戦闘後の見苦しい姿を晒したくないからと答えていたが、実際のところはそれだけではない。内偵・諜報活動といった仕事が多いため、人目に付かない方が何かとやりやすいからという理由の方が大きい。治安の良さと衆目を避けることを両方満たそうとすると、新しい住処探しはなかなか難航した。ナマエの通勤の都合もある。いっそヒーロー協会に頼り本部に併設された住居を利用するかとも考えたが、協会そのものにあまり信用がおけないので、身を委ね過ぎることは気がひけた。
つらつらと考えながら歩いているとアパートにたどり着いた。一緒に過ごすのはどちらかの部屋でと決めていたが、実際のところ快適性の面からナマエの部屋で過ごすことが殆どだった。エアコンだけではなく部屋に冷暖房器具の類が無いことを知って、また酷く驚かれたことを思い出す。
あまり居座ってばかりでも悪いので、いい加減暖房器具を買うかと考えながら「ミョウジ」と表札のかかった部屋の扉を合い鍵で開けようとし、思い出してゾンビマンは咥えていた煙草を消した。禁煙したわけではないが、受動喫煙の弊害について知れば、ナマエの居るところで煙草を吸う気にはなれなかった。ナマエは気がついているのかいないのか、そのことについて何か言われたことはないが、少しでも長生きしてほしいと思うのは余計なお節介だろうか。
「ただいま」
中に入ると暖かい空気と共に美味しそうな匂いが漂ってくる。
「お帰りなさい」
廊下に繋がるキッチンの入り口から、ナマエが顔を出した。
「早く帰れて良かったですね。スープはもう作っちゃったんですけど、今からハンバーグ作るところです」
「ああ、俺も手伝う」
「あっ先に手洗いうがいして下さいね!風邪が流行ってますから」
小学生の子どもに対するような注意に、なんとなくこそばゆい気持ちになりながら、洗面所に向かう。手洗いうがいを済ませ、置いたままにしてあった自分の部屋着に着替えて戻ると、ナマエはボウルに入ったハンバーグのタネをこねているところだった。
「何をすればいい?」
「ハンバーグ丸めて焼くのを手伝って貰えますか?あ、その前に棚から大きいお皿出して欲しいです」
「わかった…後ろ通るぞ」
「あっ…どうぞ」
食器棚の位置まで移動するため、ナマエの後ろを通り抜けようとすると、大きく肩が震え、身を縮めるようにして露骨に端に寄ろうとする。それを見て思わず眉間に皺がよった。
「…な、何ですか?」
何か言いたげなゾンビマンを見て、ナマエは親に嘘がばれた子供のように目を逸らしている。
「…別に」
口まで出掛かった言葉をぐっと飲み込む。
ゾンビマンはそれなりに体格がいいこともあり、単身者向けのスペースで二人で作業をしていると体が接近することは頻繁にあったが、その度にこうして避けられるのは正直面白くなかった。
ナマエがゾンビマンのことを好き過ぎる弊害の一つとして、いつまで経ってもこうした接触に慣れないことがある。誰かと付き合うのは初めてでは無いそうだが、憧れの先輩を前にした中学生のような態度にあてられ、むず痒い気持ちにさせられてばかりいた。
正直、いい加減慣れて欲しい気持ちはある。キスをする度に決死の覚悟をした顔で身構えられると、なんだか悪いことをしているような気分になった。しかしあまりに照れる様子を見ていると何となく気の毒になり、結局強く出られないでいるのだった。
皿を取り出すと、渡されたゴム手袋をはめ、腕まくりをしてナマエの隣に並ぶ。
「こうやって、お手玉して空気を含ませるといいらしいですよ」
丸めた塊を左右の手で投げ合って見せながら言う。
自分も真似をしてやってみると、力加減を間違えてキャッチに失敗し、手のひらに衝突した塊がべしゃっという音を立てて台に落ちた。
「…コツがいるなこれ」
「…っふ、ち、力いっぱい投げ過ぎですよ」
笑いをこらえているナマエを見てばつが悪い気持ちになる。
これまでのゾンビマンの食生活は、食事を取らなくても死ぬことが無く、生活も不規則になりがちな為、気が向いた時に外食をする程度のものだった。当然料理をすることからも遠ざかって久しい。
一緒に料理をする習慣は、ナマエが2人分の夕食を作ろうとするのを悪いと思って手伝いを申し出たことから始まったが、最初の頃は手伝うというよりほぼ邪魔しているだけだったように思う。じゃがいもの皮むきを頼まれてまな板を血溜まりにし、心配して大騒ぎされたのはいい思い出である。ナマエも手間のかかるものは普段作らないらしく、新しいメニューに挑戦し二人で試行錯誤するのは、大変な反面新鮮な感覚だった。
もともと手先は器用な方なので、最近では一人でも簡単なものなら作れるようになった。自分用に購入されたエプロンを見た時は内心戸惑ったが、それも最早体に馴染みつつある。一緒にいる時以外にも、規則正しいとはいえないが人並みに食事をとるようになったことは、ナマエと恋人になって大きく変化したことの一つだった。
「これ多くないか」
「余ったら冷凍して平日の夜に食べるから大丈夫ですよ。ゾンビマンさんいくつくらい食べますか?」
「あー…5個は欲しいな」
「けっこう食べますね」
「移動に時間かかるから腹減ったんだよ」
しばらく2人で会話しながらハンバーグの塊を作る作業に専念する。こうしてキッチンで並んでいると、どうしても甘ったるい感慨が頭を過ぎる。浮かれている自分を認めたくなかったが、エプロン姿のナマエを見ているとこみ上げるものがあった。
心の内にジレンマを抱えつつ手を動かし、丸め終わった塊をフライパンで焼く。両面とも焦げ目がついたところで、水を入れて蓋を閉めた。
いい匂い、とナマエは蒸し上がるのを待ち遠しそうに覗き込んでいる。その無防備な横顔を見てふと閃くものがあり、ゾンビマンはおもむろにナマエの側に近づいた。
すぐ側に立った気配に気づき、ナマエが顔を上げようとした時だった。
「? なんですか…」
振り向く間もなく柔らかな頬にそっと口づけると、ナマエはこちらを見て大きく目を開いたまま固まった。みるみる内に顔が赤くなっていく。
「…い、今な、なん、今何を」
一瞬後激しく狼狽し出したナマエは、何か言おうとして意味の無い音を羅列している。口をパクパクさせているのを見て、ゾンビマンは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「身構えるから余計に恥ずかしくなるんだろ。だったら不意打ちで回数をこなして慣れればいい」
我ながら良い考えだと思っていると、やっとのことで調子を取り戻したナマエに猛抗議された。
「やめてください!!私の心臓がどうなっても良いんですか!?」
脅しなのか懇願なのかわからない言葉に、大袈裟な奴だなと思ったが、本人はいたって真剣な顔をしている。
「そうでもしないといつまでもガチガチのままだろ」
「そ、それはそうですけど…」
指摘すると痛いところを突かれたように黙り込む。
ナマエ自身も思うところはあるらしい。
身体をかがめ、逸らされてしまった視線を合わせるように、赤くなった頬に手を添えこちらを向かせる。
「もし心臓が止まってもすぐ蘇生してやるから安心しろ」
「そんな、ゾンビマンさんじゃないんですから…」
最後まで言わせずに今度は唇に口づけた。軽く触れるだけで離し、拒否する意思が無いのを確認し、また重ねるのを繰り返す。ふっくらした唇の感触は心地よく、何度しても飽きそうになかった。
ナマエの様子を窺うと、またいつものように目をぎゅっと瞑って体を固くしているので、合間に唇を舌で舐めてみる。
大きく跳ねた体に気を良くし、弾みで薄く開いた口内に舌を侵入させると、そっと肩を押し返された。
「こ、これ以上はちょっと…」
ナマエは熟れた林檎のように真っ赤になっていた。
涙目で訴えるように見つめられる。
止めてやりたいのはやまやまだが、そろそろ我慢の限界だったらしい。止められそうにない。卑怯な手口とは知りながら、出来るだけ優しい顔と声を作り問いかける。
「…嫌か?」
「…嫌なわけじゃないですけど」
案の定困ったような顔になり、逡巡している。本当にこいつは俺に甘い。
もう一押しかと思っていると、ナマエが急にハッと何かに気づいたような顔になった。何事かと思う間もなく身体を離され、呆気に取られて見ていると、フライパンの蓋を開けて覗き込んでいる。
「ああー!やっぱり焦げてる、焼きすぎた…あっでもこの辺はいけるかも」
慌ててコンロの火を止めて、ハンバーグの状態を確認している。そういえばまだ料理途中だったのをすっかり忘れていた。
更にタイミングよく炊飯器から炊き上がったことを告げる音がし、それが合図だったように、ハンバーグのソース作らなきゃ、そういえばサラダもまだだった、と慌ただしく動きだしたナマエはもうこちらを見てはいない。
先ほどの空気が一気に霧散していくのを感じ、ゾンビマンは一人置いてけぼりにされたような寂寥感に包まれていた。
「焦げてるとこはやっぱ苦いな」
「避けて食べた方が良いですよ」
「腹に入れば一緒だろ」
あのあと無事献立を完成させ、今は向かいあってちゃぶ台に座り夕食を取っている。
ハンバーグは一部焦げてしまっていたが、その分中までちゃんと火が通っており、なかなか旨いなと思いながら口に運ぶ。
「…お前があんなに照れなきゃ、焦がすこともなかったんだがな」
甘い空気を一方的に打ち切られたことの仕返しに、不意打ちで切り出してみると、ちょうどお茶を飲んでいたナマエは噎せそうになっていた。
なんとか飲み下し落ち着くと、恨めしげな目線を向けてくる。
「だ、だってあれはそもそもゾンビマンさんが…何か作業してる時はああいうの辞めて下さい」
「何もしてなければ良いってことか」
すかさず揚げ足を取って返すと、言葉を詰まらせている。
しばらく目を泳がせていたが、やがて赤い顔で口を開いた。
「私ももっと慣れなきゃとは思ってるんですけど…でも、いざとなるとどうしてもドキドキして駄目なんです。すみません、こんなのめんどくさいですよね」
予想外に落ち込んでいるのを見て、ちょっと苛め過ぎたかと後悔する。
「いや、俺も強引にして悪かった。別に急ぐことじゃない。少しずつ慣れていけば良い」
とりなすように笑って見せると、ナマエもやっと安心したような顔になり、頑張ります、と笑った。
自分も大概ナマエには甘い。相手のことは言えないなと思う。
ついでに何故か結婚生活における三つの袋の堪忍袋がどうのという文言が脳裏に浮かび、気が早過ぎるだろうと打ち消した。
それは冗談にしても、恋人によって自分の生活が少しずつ変わっていくのを全く不便だとも嫌だとも思わないのは、ゾンビマン自身にとっても驚きだった。
協調性はある方だと自負しているものの、私生活まで他人に干渉されるのは好まなかったはずだった。しかし今ではナマエの与える変化をどこかくすぐったい気持ちで受け入れている。
いつか必ず訪れる別れの時を思わないではなかったが、それまでにナマエの残す痕跡が消えないように自分に刻まれればいいと思う。
素面でそんなことを考える辺り、ゾンビマンは自分で思っている以上に浮かれていることには気付いていない。
「ソース付いてるぞ」
だから、ナマエの頬に付いたハンバーグのソースを指で拭い、性懲りもなくまた赤面させてしまったのも仕方のないことなのだった。