5.波乱の昼下がり
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
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ねずみ寿司ランドは夏休みとあって、開園直後から既に人が大入りだった。
これでもオープンしたばかりの頃に比べるとまだ過密度は低いらしい。
金属バットが人出の多さに圧倒されている一方、二人は元気いっぱいだった。
「ナマエちゃん一緒に写真撮ってもらえるって!行こう!」
「このぬいぐるみ限定の奴だよ、ゼンコちゃんお揃いで買おう!」
「コースター80分待ちかあ、お兄ちゃんなんか面白い話してよ」
「はいこれバッド君の分も買ってきたよ、カチューシャ」
「お兄ちゃん可愛いー!写真とっていい?」
テンション高く園内を歩き回る二人に散々引きずり回された金属バットは、今もまた昼飯の調達を任され、げんなりした顔で飲食店のレジ前に並んでいた。顔が知られている為、あれヒーローの金属バットじゃね?という声が周りからちらほら聞こえてくるが、頭にキャラクターの耳付きカチューシャを付け憔悴した雰囲気を放っている彼に、声をかける勇気のある者はいないようだった。
普段ゼンコの買い物に付き合う時もそうだが、こういう場所での女の勢いはマジですげーな…と遠い目になる。二人分とあって付き添いの大変さも倍増していた。
(でもミョウジのやつ楽しそうにしてたな)
溌剌としたナマエの笑顔を思い出し、金属バットは頬を緩めた。以前病室で見た弱々しい姿が考えられない程元気なナマエを見るのは、金属バットも嬉しい。
それを思えば、ぶさいくな着ぐるみに強引に肩を組まれ写真をとられたことも、寿司型のコースターに乗せられ空中で何回転もさせられたことも、良い思い出にできそうだった。
「しっかし動かねえなこの列…腹減って死にそうだぜ」
金属バットがなかなか動かない列にじりじりとしている後方、同じ店内でナマエはやっと見つけた空席にほっと息をついていた。
「やっぱり夏休みだとすごい人だね、バッド君大丈夫かな…」
念願のねずみ寿司ランドに夢中になっていていたが、来園からこっち好き勝手に引きずり回してしまったような気がする。
気遣わしげにレジ前の行列を見やっているナマエを、ゼンコはチラッと見た。今日のナマエはいつになくはしゃいでいて開放的になっているようなので、これなら本音が聞けるかも、と思い話を切り出した。
「ねえ、ナマエちゃん」
「ん?何?」
「ナマエちゃんはお兄ちゃんのこと好き?」
突然の質問に戸惑いを隠せず、ナマエは目を瞬いている。
「えっ…そ、それは勿論バッド君は友達だし…」
「そうじゃなくて!恋人になってチューとかしたい?」
更に直接的な言葉を突きつけられ、ナマエは目に見えてうろたえた。
「えっ!?ちゅ…!いきなりそんな、バッド君がどう思ってるかにもよるし、」
「ナマエちゃんそのジュース隣の人のだよ!」
「あっごめんなさい!すみません!」
口をつけかけたカップを慌てて返し、隣席の客に平謝りしているナマエをみてゼンコは気が遠くなった。どちらもあまりにも奥手なので、もう下手に突っつかない方が良いのかもしれない。
そうこうしている内に金属バットが両手にトレーを抱えて戻ってきた。
「よっお待たせ。いやあすげー時間かかった…どうした?ミョウジ」
「えっどうもしてないよ」
「そうか?なんか顔赤いぞ。熱中症とかじゃねえよな」
「大丈夫、大丈夫だから!」
心配して顔を凝視してくる金属バットに、ナマエは大いに慌てた。
様子のおかしいナマエに疑問符を浮かべつつ金属バットも席に着き、昼食が始まった。
「お兄ちゃんそれだけしか食べないの?」
「だってこういうとこの食いもんって高けーだろ」
「後でお腹空いても知らないからね」
兄妹が賑やかに食事する間も、ゼンコに言われたことを意識してしまい顔が見られず、その後飲食店を出てからもナマエはどこか上の空で、手を繋ぐ兄妹の後ろを付いていくように歩いた。
前を歩く金属バットに目をやると、何事か話しながら妹に笑いかける横顔が見える。理由もなく心臓の鼓動が早くなった気がした。
と思いきや、視線がこちらを向きナマエを気遣わしげに見た。
「ミョウジ、やっぱ具合悪いんじゃねーのか?さっきからずっとぼんやりしてんぞ」
勝ち気そうなつり目が、時折ひどく優しい表情を見せることは知っていた。
自分よりも力の弱い、守るべき者に向けられるその眼差しが、今もナマエの顔をまっすぐに捉えている。
『恋人になってチューとかしたい?』
先ほどのゼンコの言葉が、突然妙なリアリティを伴ってナマエの脳裏に甦った。
誰かに優しく触れキスをする時も、彼はそんな表情をするんだろうか。
そこまで考えたところで思考がショートしそうになり、ナマエは不自然に大きな声を出した。
「…そ、そう言われればちょっと頭がぼーっとするかも!どこか座れる場所で休んでくるね!」
「え!?ちょっ…おい!一人じゃあぶねーよ!医務室とかあんだろ、連れて行ってやるから、」
「平気だから、しばらく二人で楽しんできて!また落ち着いたら連絡するね」
まだ後ろで何か言っている気配がしたが、構わずナマエは踵を返し、逃げるようにその場を立ち去った。目的地もないまま、人混みを縫うように早足で進み、二人から十分離れたところで目についたベンチに座り込んだ。
(私何してるんだろう…)
顔を両手で覆ってうなだれると、改めて自分の振る舞いを思い出し、ナマエは恥ずかしさで消え入りたくなった。他の人間、それも小学生の女の子に指摘されて気持ちを自覚し、こんな有り様になるとは。せっかく一緒に遊びに来られたのに、水を差すような真似をしてしまい後悔しきりだった。
ポケットに入れていたスマホが振動し、見ると金属バットからの着信だった。
さっきの今で話をするのも気まずかったが、無闇に心配をかけるわけにはいかない。
せめて現在地と落ち着くまで休んでいるという旨を伝えようと、ナマエが受話ボタンをタップしようとした時だった。
「か、怪人だあああ!」
どこかで大きな声が上がった。辺りにどよめきが走り、皆それぞれ状況を把握しようとしている。ナマエも立ち上がり人の集まっている方へ向かおうとすると、進行方向で大きな悲鳴が上がり、それが合図だったかのように周りの人の群れがいっせいに逆方向に走り出した。すれ違い様に誰かと体がぶつかり、ナマエはよろけてその場に倒れこんだ。そのはずみに膝を擦りむき、ヒリヒリとした痛みが走る。怪我に気を取られたナマエはすっかり逃げ遅れてしまっていた。
立ち上がろうとしたところで、けたたましい音を立てて傍にあった土産物屋のショーウインドウが割れ、ナマエは再び頭を覆ってしゃがみ込んだ。蜘蛛の子を散らすように残った僅かな人々が逃げ惑う中、地響き立てて人ならざる外見の者が地面に降り立つ。
「脆弱な人間どもが、どいつもこいつも浮かれやがって…気に入らねえな」
人型ではあるものの、明らかに人間とは違う存在であることがわかるその怪人は、異様に発達した脚部で苛立ったように辺りをなぎはらった。ナマエの身長の二倍以上ある背丈からくりだされたそれに、既に半壊していた土産物屋の建物が崩壊し土煙が舞い上がった。怪人は地響きを立てながらどんどんこちらに近づいてくる。
(逃げなきゃ…早くここから逃げなきゃ)
絶対に勝てないと判る存在を前にして、本能が危険信号を発している。
心臓が早鐘のように打ち、焦る思考にはやし立てられる中、体だけが凍りついたように言うことをきかない。
やがて荒い呼吸をついたまま座り込んでいるナマエの姿を、爛々とした二つの目玉が捉えた。ニヤリと歪んだ口から鋭い牙が覗き、ナマエは総毛立った。
「おやおや、夏休みを満喫中の高校生ってとこか?」
蛇に睨まれた蛙のように動けないナマエの前に、芝居がかった抑揚を付けながら怪人が歩み寄る。
「逃げ遅れたのか、可哀想になぁ…だが自分の弱さと運の無さを恨むんだな」
助走をつけるように怪人が片足を軽く引き、ヒュッと風を切る音がした。
先ほど目にした崩壊した建物の姿が脳裏に過ぎる。
────殺される
あの時にも感じた、圧倒的な死のイメージが再びナマエの思考を埋め尽くした。スローモーションで怪人の蹴爪が眼前に迫ったその時だった。
「待て!ここは俺が相手だ!」
視界に何かが割り込み、ガキッという音を立てて怪人の攻撃は防がれた。
見るとヒーローらしきスーツを着たサングラスの青年が、ナマエの目の前に立っていた。
「チッ、てめぇヒーローか」
「くらえ!うおおお!」
片足を蹴り出した体勢のままの怪人に、ヒーローは拳を叩きつけた。
何かの機関で加速が付いているらしき拳は、勢い良く怪人の体を殴り飛ばした。
「君、大丈夫か?」
強い風圧に閉じていた目を開くと、こちらに差し伸べられていた手に掴まり、震える脚を叱咤してナマエは立ち上がった。
「あ、ありがとうございます」
「こっちに従業員用の通路がある。走れるかい」
「はい、なんとか…」
誘導に従い、バックヤードのような通路をヒーローに続いてひた走った。通路の外側の敷地は新しいアトラクションの建設途中なのか、足場が組み上げられているのが見える。
その道中、サングラスのヒーロー、ジェットナイスガイから聞いた話によると、人気のレジャースポットが初めて迎える長期休暇とあって、ヒーロー協会に警備の依頼があり派遣されてきたのだという。
「この通路を抜けて道なりに行けばモノレール乗り場だ。今は混雑していると思うが順次避難できるだろう」
「わかりました…でもあなたは?」
言外に一人で避難するようにと言われているのを感じ尋ねると、他に逃げ遅れた者がいないか探しに戻るつもりだという。
「さっきの奴の他に怪人がいないとも限らないが…その時は応援を要請するか」
難しい表情で考え込んでいるジェットナイスガイを見て、ナマエは友人の存在を思い出した。
施設内の騒ぎはもう全体に伝わっている頃だろう。
金属バットも怪人の出現を聞きつけて現場に向かっているかもしれない。
「あの、バッド君…ヒーローの金属バットさんが、ここに来てるんです。私友達で、今日一緒に来ていて」
上がる息の中懸命にそう伝えると、ジェットナイスガイは安堵した表情になった。
「本当か?S級がいるなら心強い!すぐに合流して…」
その言葉が終わるのを待たず、前方からズシンという大きな音がし強い突風が吹いた。
何が起こったかわからないまま地面に投げ出され、ナマエは倒れ込んだ。
「よう、どうもマラソンご苦労様」
体を起こして見ると、あとすぐの所に見えていた通路の出口に先ほどの怪人が立ちふさがっている。
「お前、生きていたのか!」
ジェットナイスガイがナマエをかばって戦闘体勢をとると、怪人は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そんなガラクタでやられるワケねーだろ。まったく人間ってのはつくづく愚かな生き物だな」
怪人の挑発に、何だと、とジェットナイスガイがいきり立った。
「宝くじの賞金全額注ぎ込んだんだぞ!うおおおサイボーグの真髄を見せてやる!!」
先ほどと同じく、体に内蔵されたジェット機関が回転する音が鳴り響く。
その勢いのまま殴りかかったジェットナイスガイを、怪人はいとも簡単に蹴り飛ばした。胴体に直撃をくらい、宙を舞った体は地面に叩きつけられた。
「ジェットナイスガイさん!!」
駆け寄ろうとしたが、間髪を入れず怪人は跳躍しジェットナイスガイを踏みつけた。
呻き声があがり、バキバキと嫌な音がする。
「結局ガラクタ頼みじゃねえか、芸の無い奴だな。さっきは試しにくらってやったが、ま、雑魚ヒーローなんてこんなもんか」
罵倒しながら、怪人は執拗にもう動かない体を何度も踏みつけにしている。
怪人が脚を踏み下ろすたび苦しげな声が上がる。
「やめて、もうやめて!」
見ていられずナマエが悲鳴をあげると、怪人は動きを止め、仕上げとばかりにジェットナイスガイを蹴り飛ばした。
激しく転がった体はナマエのすぐ近くまで吹っ飛び、うう、と呻き声をあげて止まった。
這いずって近寄ると、辛うじて息はあるようだったが酷い有り様だった。装備は破壊され、剥き出しになった配線がショートして火花を放っている。
「ひどい…何でこんな」
ナマエが言葉をなくしていると、怪人は吐き捨てるように言った。
「俺はなぁ、ヒーローが大嫌いなんだよ」
その声の響きにただごとではない憎悪を感じとって黙っていると、怪人は回想しているのかナマエに言い聞かせているのかわからない独白を続けた。
「…俺は人間だった頃、有望なアスリートの卵だった。自分には輝かしい未来が待っていると俺自身信じて疑いもしなかった…だがあの日怪人災害にあい、全てを奪われた!」
話をするうちに当時の感情が甦ったのか、怪人は興奮したように声を荒げた。怒りにぎらついた瞳で睨みつけられ、ナマエは魅入られたように動けない。
「わかるか?その時の気持ちが。華々しく活躍し将来を期待されていた俺が一人では満足に歩けもしない!俺が何か悪いことをしたのか?なぜこんな目にあわなきゃならない…!!肝心な時に助けにこない役立たずどもめ」
そう言い切ると、怪人は忌々しげに倒れ伏したジェットナイスガイを一瞥した。
(この怪人も元は人間だったんだ…)
ナマエは心臓がどくどくと脈打つのを聞きながら、今の怪人の言葉を思い出していた。自分と同じ、怪人災害によって絶望の淵に突き落とされた人間。
『どうして?なんで私がこんな目にあうの?』
毎日の生活すらままならず苦しんでいた頃、何度も繰り返した答えの無い問いかけだった。
やりきれなくて、苦しくて、誰かのせいにできるものならそうしてしまいたかった。
(でも、)
ナマエは自分を守って傷ついたジェットナイスガイの姿を見て、唇を噛み締めた。こんなのは間違ってる。
自分が苦しいからって腹いせに他人を傷つけて良いわけがない。
心の内に生まれた小さな憤りのまま、ナマエは気付けば口を開いていた。
「…ヒーローが悪いんじゃない」
「…ああ?」
ナマエの呟くような声に反応し、怪人は怪訝そうにこちらを見た。
鬱屈した感情を湛えた瞳を見つめ返しながら、ナマエは震える声で言った。
「あなたが怪人災害にあったのは、ヒーロー達のせいじゃないよ…こんなのただの逆恨みじゃない!」
その言葉を聞いた怪人は一瞬無表情になり、直後表情を歪め怒りに燃え盛る目でナマエを睨み付けた。
「黙れ!!ガキがわかったようなこと言いやがって」
激昂のまま怪人はナマエの体を鷲掴みにした。そのまま持ち上げられて宙吊りになる。力任せに胴体を締めつけられ息ができない。
「なら何故誰もお前を助けにこない!?それともお前一人の力で俺をどうにかできるのか」
怪人は嘲るように言いながらナマエの体を人形のように揺さぶった。
がくんがくんと頭が激しく揺れ目眩がする。
太い指に手をかけてはがそうともがくがびくともしない。
「これが現実だ。いくらお行儀よく生きたところでなぁ、力を持たない者は一方的に痛めつけられるしかないんだよ!」
酸素が足りずチカチカする視界の中、沼の底のような暗い瞳がナマエを覗き込んでいる。
「だから俺は怪人になった…お前だって本当はわかってるんだろ?奪われるのが嫌なら奪う側に回るしかない。これが賢い生き方ってやつなんだよ」
息も絶え絶えにぐったりとされるがままのナマエを乾いた目で一瞥すると、怪人はそのまま体を握り潰そうとぐっと腕に力をいれた。
次の瞬間、後ろから衝撃を受け怪人の体が大きく傾いだ。
脳天に殴打を受けた怪人は呻き声をあげ、倒れ込むのに従って戒めが緩み、ナマエの体が宙に放り出される。
(落ちる…!)
しかし落下の衝撃は訪れず、誰かの力強い腕に抱き止められる感覚がした。
「ミョウジ、無事か?」
ぎゅっと閉じていた瞼を開けると、すぐ目の前に金属バットの顔がありナマエは目をしばたいた。
「バッド君…」
横抱きにしていたナマエの体をそっと地面に下ろした金属バットは、全力疾走してきたように息を切らしており、リーゼントも乱れてしまっている。
「どうしてここに…」
「この辺からでけえ音がしたから走ってきた。もしかしたらお前もいるんじゃねぇかと思って…そいつ、ヒーロー協会のやつか?」
金属バットは少し離れたところに倒れているジェットナイスガイに気づき目をやった。
頼りになる友人の顔を見て一気に安堵感がこみあげると共に、先ほどの蛮行へのショックが甦る。
「助けにきてくれたんだけど、私のことかばって…ひどい怪我して、」
途中から涙声になり話せなくなったナマエの肩を、励ますように大きな手が支えた。
「ごめん、遅くなって…怖かったよな。もう大丈夫だ」
涙を拭いながらナマエが頷くと、金属バットは何かに気づいたように背後を見やり、危ねえからちょっと離れてろよ、とバットを構えた。見ると先ほど重い一撃を喰らって沈んだ怪人はまだ息があったらしく、呻きながら立ち上がろうとしている。急いでジェットナイスガイの体を引きずり、通路の後方へ下がった。
怪人はまだ打撃が効いているのかふらつく頭を押さえながら、威嚇する金属バットを見下ろした。
「いってぇな…何しやがるこのチビ」
「んだとコラ!こちとらまだ成長期なんだよ!!」
挑発する余裕を見せつつ、さっきの一撃で金属バットの力量を把握したらしく、怪人は慎重に出方を見ているようだった。
「来ねえんならこっちから行くぞ」
金属バットが跳躍し怪人に殴りかかった。怪人の蹴爪とバットがぶつかる度に激しい衝突音が鳴り火花が散る。一見互角のようだが、体格差をものともしない攻勢に怪人はじりじりと押されている。
「チッ」
正攻法では分が悪いと見たのか、怪人は通路を仕切っているバリケードを破壊しアトラクションの建設現場になだれ込んだ。逃がすか、と後を追って金属バットも飛び込む。
続けざまに何か重量のあるものが崩壊する音が鳴り響いた。ナマエのいるところからでは状況がよく見えないが、どうやら建設現場の組み上げられた鉄骨の一部が崩れたらしい。
「テメェちょこまか逃げ回ってんじゃねーぞ!」
金属バットの怒声が聞こえ、バリケード越しの怪人の動きから積み上げられた資材置き場や骨組みを破壊しているのがわかった。辺りをめちゃくちゃにして足場をなくし攪乱しようという目論みなのか。金属バットを案じてナマエが様子を伺っていると、不意に怪人の目玉が此方の姿を捉えた。
(えっ?)
怪人がニヤリと顔を歪めた、と思う間もなくナマエのすぐ側にあったバリケードが破壊された。その後ろから、バリケードの反対側に積まれていたらしい鉄骨材が崩れこちら側になだれ込む。
「 ミョウジ!!」
崩れ落ちた鉄骨が目の前に迫った瞬間、強い力で突き飛ばされた。
地面で強く体を打つと同時に、一瞬前までいた空間にガラガラと音を立てて鉄骨が積み重なる。崩落が終わり土煙が舞い上がる中、ナマエは茫然と辺りを見回した。
(今…さっきの)
倒れ込んだナマエの側には、同じく突き飛ばされたジェットナイスガイの姿がある。
でも金属バットは?
冷汗が背中を流れ落ちていく。激しく鼓動する胸を押さえながら積み重なった鉄骨の山に近づく。その下から僅かに突き出たものが何か理解した瞬間、ナマエは青ざめた。
「うそ…」
見覚えのあるスニーカーは間違いなく金属バットのものだった。
膝から力が抜け、ナマエはその場にへたり込んだ。
突き出た片足はぴくりとも動かない。総重量何トンあるかわからない鉄骨の下敷きになれば、常人ならばまず無事では済まない。
いくら彼が規格外だと言ってもこれは。
「バ、バッド君…バッド君!!」
もう聞こえていないのかもしれないという考えを振り払うように、ナマエは懸命に名前を呼んだ。焦りのまま鉄骨を退かそうとするが、当然のごとくびくともしない。
パニックになりかけているナマエの元に怪人が降り立ち嘲った。
「こいつは驚いた。お前らを殺して奴の動揺を誘う腹積もりだったんだが、まさか自滅するとはな。人間にしちゃまあまあやる方だったが、とんだ間抜け野郎だぜ」
怪人の言葉も耳に入らないままナマエは必死に呼び掛ける。力任せに鉄骨を引っ張ったせいか掌が擦りむけて焼け付くように痛む。
「バッド君!お願い、返事して…」
彼の笑った顔が思い浮かび涙が零れた。
『もし今度怪人が出たら俺がミョウジを守ってやる』
あんな約束をしたから。
いくら彼がヒーローで強いと言っても、一介の人間であることに変わりはないのに。
人間と怪人には根本的に埋めることのできない力の差がある。
なぜ無責任に希望を託したりした?
後悔と罪悪感に押し潰されそうだった。
怪人は憐れむようにナマエを見下ろしている。
「だから言ったろう。力を持たないものは何をやったって無駄だってよ」
どこか諦めのような響きを含んだ声と共に、怪人がこちらに手を伸ばす。
ナマエは絶望の中で目を閉じた。
「…オイ、ミョウジに触んな」
背後から聞こえた声にナマエはハッと目を見開いた。まさかと思いながら振り向くと、金属バットが片手で鉄骨を押しのけ、立ち上がろうとしている。驚いて動きを止めているナマエと怪人を余所に、そのまま鉄骨を跳ね上げて這い出た金属バットは、軽く頭を振り小さく息をついた。
「バッド君、怪我が…」
下敷きになった時に打ち付けたのか頭から血が流れている。心配になり歩み寄ろうとすると、金属バットは手で制した。
「もうちょい待っててくれよ。この馬鹿ぶん殴って道開けてやるから」
「でも…」
確かに足取りはしっかりしているが、あちこちに傷を負い頭からは未だに流血が続いている。
戸惑うナマエに、金属バットは笑いかけた。
「心配すんな。絶対勝つからよ」
その視線の揺るぎなさに思わず口を噤むと、金属バットはナマエを背に庇い怪人に向かってバットを構えた。
「俺のダチを泣かせた罪は重いぞ。テメェ覚悟はできてんだろうな」
見た目には負傷しているにも関わらず全く気迫が衰えていない。
金属バットの異常な打たれ強さを目の当たりにした怪人は一瞬怖じ気づいたものの、所詮手負いの相手、勝ち目は自分にあると判断したのか蹴りを繰り出した。
「チッ死にぞこないが…今度こそとどめを刺してやる!」
しかし激しい衝突音と共に攻撃は防がれ、更に殴打の衝撃で脚が使い物にならなくなったのか、怪人は呻きながら片膝を付いた。
気迫だけではない。スイングの威力も衰えていない。それどころか却って強くなっているようだった。
ナマエは見慣れた同級生の後ろ姿から溢れる底知れない力に圧倒され、瞬きするのも忘れてその背中を見つめていた。
「おい貴様どうなってやがる!何故傷を負った体でそこまで動けるんだ!」
混乱し喚く怪人を前に金属バットは跳躍し大きく振りかぶった。
「気合いがありゃあ大抵何とかなんだよ!歯ァ食いしばれ!!」
辺りに凄まじい轟音が響きわたった。
フルスイングの打撃を受けた怪人の頭は今度こそ破壊され、肉片が辺りに弾け飛んだ。
「ふぅ、ちょっと手こずったな……うっ」
着地した金属バットは一仕事終えた顔でバットにこびりついた怪人の血を振り払っていたが、突然呻き声をあげてうずくまった。
やっぱりさっきの怪我が響いているのか、と青ざめたナマエは慌てて駆け寄った。
「大丈夫?早く手当てしないと…バッド君?」
しかしどうも様子がおかしい。痛みに苦しんでいるというよりは覇気がない表情にナマエが戸惑っていると、グウウゥゥという獣のうなり声のようなものが聞こえた。
もしかして、今のは。
呆気に取られているナマエの顔を、金属バットが気まずげに見上げた。
「えっと…は、腹の虫…」
「腹の虫…」
「やっぱ昼飯足りてなかったみてーだ…」
こちらに駆けつけてくる園内スタッフの声を聞きながら、二人は何とも言えない表情で顔を見合わせていた。
これでもオープンしたばかりの頃に比べるとまだ過密度は低いらしい。
金属バットが人出の多さに圧倒されている一方、二人は元気いっぱいだった。
「ナマエちゃん一緒に写真撮ってもらえるって!行こう!」
「このぬいぐるみ限定の奴だよ、ゼンコちゃんお揃いで買おう!」
「コースター80分待ちかあ、お兄ちゃんなんか面白い話してよ」
「はいこれバッド君の分も買ってきたよ、カチューシャ」
「お兄ちゃん可愛いー!写真とっていい?」
テンション高く園内を歩き回る二人に散々引きずり回された金属バットは、今もまた昼飯の調達を任され、げんなりした顔で飲食店のレジ前に並んでいた。顔が知られている為、あれヒーローの金属バットじゃね?という声が周りからちらほら聞こえてくるが、頭にキャラクターの耳付きカチューシャを付け憔悴した雰囲気を放っている彼に、声をかける勇気のある者はいないようだった。
普段ゼンコの買い物に付き合う時もそうだが、こういう場所での女の勢いはマジですげーな…と遠い目になる。二人分とあって付き添いの大変さも倍増していた。
(でもミョウジのやつ楽しそうにしてたな)
溌剌としたナマエの笑顔を思い出し、金属バットは頬を緩めた。以前病室で見た弱々しい姿が考えられない程元気なナマエを見るのは、金属バットも嬉しい。
それを思えば、ぶさいくな着ぐるみに強引に肩を組まれ写真をとられたことも、寿司型のコースターに乗せられ空中で何回転もさせられたことも、良い思い出にできそうだった。
「しっかし動かねえなこの列…腹減って死にそうだぜ」
金属バットがなかなか動かない列にじりじりとしている後方、同じ店内でナマエはやっと見つけた空席にほっと息をついていた。
「やっぱり夏休みだとすごい人だね、バッド君大丈夫かな…」
念願のねずみ寿司ランドに夢中になっていていたが、来園からこっち好き勝手に引きずり回してしまったような気がする。
気遣わしげにレジ前の行列を見やっているナマエを、ゼンコはチラッと見た。今日のナマエはいつになくはしゃいでいて開放的になっているようなので、これなら本音が聞けるかも、と思い話を切り出した。
「ねえ、ナマエちゃん」
「ん?何?」
「ナマエちゃんはお兄ちゃんのこと好き?」
突然の質問に戸惑いを隠せず、ナマエは目を瞬いている。
「えっ…そ、それは勿論バッド君は友達だし…」
「そうじゃなくて!恋人になってチューとかしたい?」
更に直接的な言葉を突きつけられ、ナマエは目に見えてうろたえた。
「えっ!?ちゅ…!いきなりそんな、バッド君がどう思ってるかにもよるし、」
「ナマエちゃんそのジュース隣の人のだよ!」
「あっごめんなさい!すみません!」
口をつけかけたカップを慌てて返し、隣席の客に平謝りしているナマエをみてゼンコは気が遠くなった。どちらもあまりにも奥手なので、もう下手に突っつかない方が良いのかもしれない。
そうこうしている内に金属バットが両手にトレーを抱えて戻ってきた。
「よっお待たせ。いやあすげー時間かかった…どうした?ミョウジ」
「えっどうもしてないよ」
「そうか?なんか顔赤いぞ。熱中症とかじゃねえよな」
「大丈夫、大丈夫だから!」
心配して顔を凝視してくる金属バットに、ナマエは大いに慌てた。
様子のおかしいナマエに疑問符を浮かべつつ金属バットも席に着き、昼食が始まった。
「お兄ちゃんそれだけしか食べないの?」
「だってこういうとこの食いもんって高けーだろ」
「後でお腹空いても知らないからね」
兄妹が賑やかに食事する間も、ゼンコに言われたことを意識してしまい顔が見られず、その後飲食店を出てからもナマエはどこか上の空で、手を繋ぐ兄妹の後ろを付いていくように歩いた。
前を歩く金属バットに目をやると、何事か話しながら妹に笑いかける横顔が見える。理由もなく心臓の鼓動が早くなった気がした。
と思いきや、視線がこちらを向きナマエを気遣わしげに見た。
「ミョウジ、やっぱ具合悪いんじゃねーのか?さっきからずっとぼんやりしてんぞ」
勝ち気そうなつり目が、時折ひどく優しい表情を見せることは知っていた。
自分よりも力の弱い、守るべき者に向けられるその眼差しが、今もナマエの顔をまっすぐに捉えている。
『恋人になってチューとかしたい?』
先ほどのゼンコの言葉が、突然妙なリアリティを伴ってナマエの脳裏に甦った。
誰かに優しく触れキスをする時も、彼はそんな表情をするんだろうか。
そこまで考えたところで思考がショートしそうになり、ナマエは不自然に大きな声を出した。
「…そ、そう言われればちょっと頭がぼーっとするかも!どこか座れる場所で休んでくるね!」
「え!?ちょっ…おい!一人じゃあぶねーよ!医務室とかあんだろ、連れて行ってやるから、」
「平気だから、しばらく二人で楽しんできて!また落ち着いたら連絡するね」
まだ後ろで何か言っている気配がしたが、構わずナマエは踵を返し、逃げるようにその場を立ち去った。目的地もないまま、人混みを縫うように早足で進み、二人から十分離れたところで目についたベンチに座り込んだ。
(私何してるんだろう…)
顔を両手で覆ってうなだれると、改めて自分の振る舞いを思い出し、ナマエは恥ずかしさで消え入りたくなった。他の人間、それも小学生の女の子に指摘されて気持ちを自覚し、こんな有り様になるとは。せっかく一緒に遊びに来られたのに、水を差すような真似をしてしまい後悔しきりだった。
ポケットに入れていたスマホが振動し、見ると金属バットからの着信だった。
さっきの今で話をするのも気まずかったが、無闇に心配をかけるわけにはいかない。
せめて現在地と落ち着くまで休んでいるという旨を伝えようと、ナマエが受話ボタンをタップしようとした時だった。
「か、怪人だあああ!」
どこかで大きな声が上がった。辺りにどよめきが走り、皆それぞれ状況を把握しようとしている。ナマエも立ち上がり人の集まっている方へ向かおうとすると、進行方向で大きな悲鳴が上がり、それが合図だったかのように周りの人の群れがいっせいに逆方向に走り出した。すれ違い様に誰かと体がぶつかり、ナマエはよろけてその場に倒れこんだ。そのはずみに膝を擦りむき、ヒリヒリとした痛みが走る。怪我に気を取られたナマエはすっかり逃げ遅れてしまっていた。
立ち上がろうとしたところで、けたたましい音を立てて傍にあった土産物屋のショーウインドウが割れ、ナマエは再び頭を覆ってしゃがみ込んだ。蜘蛛の子を散らすように残った僅かな人々が逃げ惑う中、地響き立てて人ならざる外見の者が地面に降り立つ。
「脆弱な人間どもが、どいつもこいつも浮かれやがって…気に入らねえな」
人型ではあるものの、明らかに人間とは違う存在であることがわかるその怪人は、異様に発達した脚部で苛立ったように辺りをなぎはらった。ナマエの身長の二倍以上ある背丈からくりだされたそれに、既に半壊していた土産物屋の建物が崩壊し土煙が舞い上がった。怪人は地響きを立てながらどんどんこちらに近づいてくる。
(逃げなきゃ…早くここから逃げなきゃ)
絶対に勝てないと判る存在を前にして、本能が危険信号を発している。
心臓が早鐘のように打ち、焦る思考にはやし立てられる中、体だけが凍りついたように言うことをきかない。
やがて荒い呼吸をついたまま座り込んでいるナマエの姿を、爛々とした二つの目玉が捉えた。ニヤリと歪んだ口から鋭い牙が覗き、ナマエは総毛立った。
「おやおや、夏休みを満喫中の高校生ってとこか?」
蛇に睨まれた蛙のように動けないナマエの前に、芝居がかった抑揚を付けながら怪人が歩み寄る。
「逃げ遅れたのか、可哀想になぁ…だが自分の弱さと運の無さを恨むんだな」
助走をつけるように怪人が片足を軽く引き、ヒュッと風を切る音がした。
先ほど目にした崩壊した建物の姿が脳裏に過ぎる。
────殺される
あの時にも感じた、圧倒的な死のイメージが再びナマエの思考を埋め尽くした。スローモーションで怪人の蹴爪が眼前に迫ったその時だった。
「待て!ここは俺が相手だ!」
視界に何かが割り込み、ガキッという音を立てて怪人の攻撃は防がれた。
見るとヒーローらしきスーツを着たサングラスの青年が、ナマエの目の前に立っていた。
「チッ、てめぇヒーローか」
「くらえ!うおおお!」
片足を蹴り出した体勢のままの怪人に、ヒーローは拳を叩きつけた。
何かの機関で加速が付いているらしき拳は、勢い良く怪人の体を殴り飛ばした。
「君、大丈夫か?」
強い風圧に閉じていた目を開くと、こちらに差し伸べられていた手に掴まり、震える脚を叱咤してナマエは立ち上がった。
「あ、ありがとうございます」
「こっちに従業員用の通路がある。走れるかい」
「はい、なんとか…」
誘導に従い、バックヤードのような通路をヒーローに続いてひた走った。通路の外側の敷地は新しいアトラクションの建設途中なのか、足場が組み上げられているのが見える。
その道中、サングラスのヒーロー、ジェットナイスガイから聞いた話によると、人気のレジャースポットが初めて迎える長期休暇とあって、ヒーロー協会に警備の依頼があり派遣されてきたのだという。
「この通路を抜けて道なりに行けばモノレール乗り場だ。今は混雑していると思うが順次避難できるだろう」
「わかりました…でもあなたは?」
言外に一人で避難するようにと言われているのを感じ尋ねると、他に逃げ遅れた者がいないか探しに戻るつもりだという。
「さっきの奴の他に怪人がいないとも限らないが…その時は応援を要請するか」
難しい表情で考え込んでいるジェットナイスガイを見て、ナマエは友人の存在を思い出した。
施設内の騒ぎはもう全体に伝わっている頃だろう。
金属バットも怪人の出現を聞きつけて現場に向かっているかもしれない。
「あの、バッド君…ヒーローの金属バットさんが、ここに来てるんです。私友達で、今日一緒に来ていて」
上がる息の中懸命にそう伝えると、ジェットナイスガイは安堵した表情になった。
「本当か?S級がいるなら心強い!すぐに合流して…」
その言葉が終わるのを待たず、前方からズシンという大きな音がし強い突風が吹いた。
何が起こったかわからないまま地面に投げ出され、ナマエは倒れ込んだ。
「よう、どうもマラソンご苦労様」
体を起こして見ると、あとすぐの所に見えていた通路の出口に先ほどの怪人が立ちふさがっている。
「お前、生きていたのか!」
ジェットナイスガイがナマエをかばって戦闘体勢をとると、怪人は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そんなガラクタでやられるワケねーだろ。まったく人間ってのはつくづく愚かな生き物だな」
怪人の挑発に、何だと、とジェットナイスガイがいきり立った。
「宝くじの賞金全額注ぎ込んだんだぞ!うおおおサイボーグの真髄を見せてやる!!」
先ほどと同じく、体に内蔵されたジェット機関が回転する音が鳴り響く。
その勢いのまま殴りかかったジェットナイスガイを、怪人はいとも簡単に蹴り飛ばした。胴体に直撃をくらい、宙を舞った体は地面に叩きつけられた。
「ジェットナイスガイさん!!」
駆け寄ろうとしたが、間髪を入れず怪人は跳躍しジェットナイスガイを踏みつけた。
呻き声があがり、バキバキと嫌な音がする。
「結局ガラクタ頼みじゃねえか、芸の無い奴だな。さっきは試しにくらってやったが、ま、雑魚ヒーローなんてこんなもんか」
罵倒しながら、怪人は執拗にもう動かない体を何度も踏みつけにしている。
怪人が脚を踏み下ろすたび苦しげな声が上がる。
「やめて、もうやめて!」
見ていられずナマエが悲鳴をあげると、怪人は動きを止め、仕上げとばかりにジェットナイスガイを蹴り飛ばした。
激しく転がった体はナマエのすぐ近くまで吹っ飛び、うう、と呻き声をあげて止まった。
這いずって近寄ると、辛うじて息はあるようだったが酷い有り様だった。装備は破壊され、剥き出しになった配線がショートして火花を放っている。
「ひどい…何でこんな」
ナマエが言葉をなくしていると、怪人は吐き捨てるように言った。
「俺はなぁ、ヒーローが大嫌いなんだよ」
その声の響きにただごとではない憎悪を感じとって黙っていると、怪人は回想しているのかナマエに言い聞かせているのかわからない独白を続けた。
「…俺は人間だった頃、有望なアスリートの卵だった。自分には輝かしい未来が待っていると俺自身信じて疑いもしなかった…だがあの日怪人災害にあい、全てを奪われた!」
話をするうちに当時の感情が甦ったのか、怪人は興奮したように声を荒げた。怒りにぎらついた瞳で睨みつけられ、ナマエは魅入られたように動けない。
「わかるか?その時の気持ちが。華々しく活躍し将来を期待されていた俺が一人では満足に歩けもしない!俺が何か悪いことをしたのか?なぜこんな目にあわなきゃならない…!!肝心な時に助けにこない役立たずどもめ」
そう言い切ると、怪人は忌々しげに倒れ伏したジェットナイスガイを一瞥した。
(この怪人も元は人間だったんだ…)
ナマエは心臓がどくどくと脈打つのを聞きながら、今の怪人の言葉を思い出していた。自分と同じ、怪人災害によって絶望の淵に突き落とされた人間。
『どうして?なんで私がこんな目にあうの?』
毎日の生活すらままならず苦しんでいた頃、何度も繰り返した答えの無い問いかけだった。
やりきれなくて、苦しくて、誰かのせいにできるものならそうしてしまいたかった。
(でも、)
ナマエは自分を守って傷ついたジェットナイスガイの姿を見て、唇を噛み締めた。こんなのは間違ってる。
自分が苦しいからって腹いせに他人を傷つけて良いわけがない。
心の内に生まれた小さな憤りのまま、ナマエは気付けば口を開いていた。
「…ヒーローが悪いんじゃない」
「…ああ?」
ナマエの呟くような声に反応し、怪人は怪訝そうにこちらを見た。
鬱屈した感情を湛えた瞳を見つめ返しながら、ナマエは震える声で言った。
「あなたが怪人災害にあったのは、ヒーロー達のせいじゃないよ…こんなのただの逆恨みじゃない!」
その言葉を聞いた怪人は一瞬無表情になり、直後表情を歪め怒りに燃え盛る目でナマエを睨み付けた。
「黙れ!!ガキがわかったようなこと言いやがって」
激昂のまま怪人はナマエの体を鷲掴みにした。そのまま持ち上げられて宙吊りになる。力任せに胴体を締めつけられ息ができない。
「なら何故誰もお前を助けにこない!?それともお前一人の力で俺をどうにかできるのか」
怪人は嘲るように言いながらナマエの体を人形のように揺さぶった。
がくんがくんと頭が激しく揺れ目眩がする。
太い指に手をかけてはがそうともがくがびくともしない。
「これが現実だ。いくらお行儀よく生きたところでなぁ、力を持たない者は一方的に痛めつけられるしかないんだよ!」
酸素が足りずチカチカする視界の中、沼の底のような暗い瞳がナマエを覗き込んでいる。
「だから俺は怪人になった…お前だって本当はわかってるんだろ?奪われるのが嫌なら奪う側に回るしかない。これが賢い生き方ってやつなんだよ」
息も絶え絶えにぐったりとされるがままのナマエを乾いた目で一瞥すると、怪人はそのまま体を握り潰そうとぐっと腕に力をいれた。
次の瞬間、後ろから衝撃を受け怪人の体が大きく傾いだ。
脳天に殴打を受けた怪人は呻き声をあげ、倒れ込むのに従って戒めが緩み、ナマエの体が宙に放り出される。
(落ちる…!)
しかし落下の衝撃は訪れず、誰かの力強い腕に抱き止められる感覚がした。
「ミョウジ、無事か?」
ぎゅっと閉じていた瞼を開けると、すぐ目の前に金属バットの顔がありナマエは目をしばたいた。
「バッド君…」
横抱きにしていたナマエの体をそっと地面に下ろした金属バットは、全力疾走してきたように息を切らしており、リーゼントも乱れてしまっている。
「どうしてここに…」
「この辺からでけえ音がしたから走ってきた。もしかしたらお前もいるんじゃねぇかと思って…そいつ、ヒーロー協会のやつか?」
金属バットは少し離れたところに倒れているジェットナイスガイに気づき目をやった。
頼りになる友人の顔を見て一気に安堵感がこみあげると共に、先ほどの蛮行へのショックが甦る。
「助けにきてくれたんだけど、私のことかばって…ひどい怪我して、」
途中から涙声になり話せなくなったナマエの肩を、励ますように大きな手が支えた。
「ごめん、遅くなって…怖かったよな。もう大丈夫だ」
涙を拭いながらナマエが頷くと、金属バットは何かに気づいたように背後を見やり、危ねえからちょっと離れてろよ、とバットを構えた。見ると先ほど重い一撃を喰らって沈んだ怪人はまだ息があったらしく、呻きながら立ち上がろうとしている。急いでジェットナイスガイの体を引きずり、通路の後方へ下がった。
怪人はまだ打撃が効いているのかふらつく頭を押さえながら、威嚇する金属バットを見下ろした。
「いってぇな…何しやがるこのチビ」
「んだとコラ!こちとらまだ成長期なんだよ!!」
挑発する余裕を見せつつ、さっきの一撃で金属バットの力量を把握したらしく、怪人は慎重に出方を見ているようだった。
「来ねえんならこっちから行くぞ」
金属バットが跳躍し怪人に殴りかかった。怪人の蹴爪とバットがぶつかる度に激しい衝突音が鳴り火花が散る。一見互角のようだが、体格差をものともしない攻勢に怪人はじりじりと押されている。
「チッ」
正攻法では分が悪いと見たのか、怪人は通路を仕切っているバリケードを破壊しアトラクションの建設現場になだれ込んだ。逃がすか、と後を追って金属バットも飛び込む。
続けざまに何か重量のあるものが崩壊する音が鳴り響いた。ナマエのいるところからでは状況がよく見えないが、どうやら建設現場の組み上げられた鉄骨の一部が崩れたらしい。
「テメェちょこまか逃げ回ってんじゃねーぞ!」
金属バットの怒声が聞こえ、バリケード越しの怪人の動きから積み上げられた資材置き場や骨組みを破壊しているのがわかった。辺りをめちゃくちゃにして足場をなくし攪乱しようという目論みなのか。金属バットを案じてナマエが様子を伺っていると、不意に怪人の目玉が此方の姿を捉えた。
(えっ?)
怪人がニヤリと顔を歪めた、と思う間もなくナマエのすぐ側にあったバリケードが破壊された。その後ろから、バリケードの反対側に積まれていたらしい鉄骨材が崩れこちら側になだれ込む。
「 ミョウジ!!」
崩れ落ちた鉄骨が目の前に迫った瞬間、強い力で突き飛ばされた。
地面で強く体を打つと同時に、一瞬前までいた空間にガラガラと音を立てて鉄骨が積み重なる。崩落が終わり土煙が舞い上がる中、ナマエは茫然と辺りを見回した。
(今…さっきの)
倒れ込んだナマエの側には、同じく突き飛ばされたジェットナイスガイの姿がある。
でも金属バットは?
冷汗が背中を流れ落ちていく。激しく鼓動する胸を押さえながら積み重なった鉄骨の山に近づく。その下から僅かに突き出たものが何か理解した瞬間、ナマエは青ざめた。
「うそ…」
見覚えのあるスニーカーは間違いなく金属バットのものだった。
膝から力が抜け、ナマエはその場にへたり込んだ。
突き出た片足はぴくりとも動かない。総重量何トンあるかわからない鉄骨の下敷きになれば、常人ならばまず無事では済まない。
いくら彼が規格外だと言ってもこれは。
「バ、バッド君…バッド君!!」
もう聞こえていないのかもしれないという考えを振り払うように、ナマエは懸命に名前を呼んだ。焦りのまま鉄骨を退かそうとするが、当然のごとくびくともしない。
パニックになりかけているナマエの元に怪人が降り立ち嘲った。
「こいつは驚いた。お前らを殺して奴の動揺を誘う腹積もりだったんだが、まさか自滅するとはな。人間にしちゃまあまあやる方だったが、とんだ間抜け野郎だぜ」
怪人の言葉も耳に入らないままナマエは必死に呼び掛ける。力任せに鉄骨を引っ張ったせいか掌が擦りむけて焼け付くように痛む。
「バッド君!お願い、返事して…」
彼の笑った顔が思い浮かび涙が零れた。
『もし今度怪人が出たら俺がミョウジを守ってやる』
あんな約束をしたから。
いくら彼がヒーローで強いと言っても、一介の人間であることに変わりはないのに。
人間と怪人には根本的に埋めることのできない力の差がある。
なぜ無責任に希望を託したりした?
後悔と罪悪感に押し潰されそうだった。
怪人は憐れむようにナマエを見下ろしている。
「だから言ったろう。力を持たないものは何をやったって無駄だってよ」
どこか諦めのような響きを含んだ声と共に、怪人がこちらに手を伸ばす。
ナマエは絶望の中で目を閉じた。
「…オイ、ミョウジに触んな」
背後から聞こえた声にナマエはハッと目を見開いた。まさかと思いながら振り向くと、金属バットが片手で鉄骨を押しのけ、立ち上がろうとしている。驚いて動きを止めているナマエと怪人を余所に、そのまま鉄骨を跳ね上げて這い出た金属バットは、軽く頭を振り小さく息をついた。
「バッド君、怪我が…」
下敷きになった時に打ち付けたのか頭から血が流れている。心配になり歩み寄ろうとすると、金属バットは手で制した。
「もうちょい待っててくれよ。この馬鹿ぶん殴って道開けてやるから」
「でも…」
確かに足取りはしっかりしているが、あちこちに傷を負い頭からは未だに流血が続いている。
戸惑うナマエに、金属バットは笑いかけた。
「心配すんな。絶対勝つからよ」
その視線の揺るぎなさに思わず口を噤むと、金属バットはナマエを背に庇い怪人に向かってバットを構えた。
「俺のダチを泣かせた罪は重いぞ。テメェ覚悟はできてんだろうな」
見た目には負傷しているにも関わらず全く気迫が衰えていない。
金属バットの異常な打たれ強さを目の当たりにした怪人は一瞬怖じ気づいたものの、所詮手負いの相手、勝ち目は自分にあると判断したのか蹴りを繰り出した。
「チッ死にぞこないが…今度こそとどめを刺してやる!」
しかし激しい衝突音と共に攻撃は防がれ、更に殴打の衝撃で脚が使い物にならなくなったのか、怪人は呻きながら片膝を付いた。
気迫だけではない。スイングの威力も衰えていない。それどころか却って強くなっているようだった。
ナマエは見慣れた同級生の後ろ姿から溢れる底知れない力に圧倒され、瞬きするのも忘れてその背中を見つめていた。
「おい貴様どうなってやがる!何故傷を負った体でそこまで動けるんだ!」
混乱し喚く怪人を前に金属バットは跳躍し大きく振りかぶった。
「気合いがありゃあ大抵何とかなんだよ!歯ァ食いしばれ!!」
辺りに凄まじい轟音が響きわたった。
フルスイングの打撃を受けた怪人の頭は今度こそ破壊され、肉片が辺りに弾け飛んだ。
「ふぅ、ちょっと手こずったな……うっ」
着地した金属バットは一仕事終えた顔でバットにこびりついた怪人の血を振り払っていたが、突然呻き声をあげてうずくまった。
やっぱりさっきの怪我が響いているのか、と青ざめたナマエは慌てて駆け寄った。
「大丈夫?早く手当てしないと…バッド君?」
しかしどうも様子がおかしい。痛みに苦しんでいるというよりは覇気がない表情にナマエが戸惑っていると、グウウゥゥという獣のうなり声のようなものが聞こえた。
もしかして、今のは。
呆気に取られているナマエの顔を、金属バットが気まずげに見上げた。
「えっと…は、腹の虫…」
「腹の虫…」
「やっぱ昼飯足りてなかったみてーだ…」
こちらに駆けつけてくる園内スタッフの声を聞きながら、二人は何とも言えない表情で顔を見合わせていた。