大切なのは歩み寄り
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
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できるだけ音を立てないよう注意して玄関扉に施錠をすると、ゾンビマンは廊下の電気スイッチを入れた。一週間ぶりに目にする自宅の様子は最後に見た時と何も変わっておらず、知らず張り詰めていた息をついた。
いつも通りの武装がやけに重く感じられる。自覚していなかったが体はかなり疲労していたらしい。長丁場だったことを思えば無理もないか、と考えながらコートを脱ぎ、武装を解除していく。
今回ヒーロー協会から依頼があったのは、ある反社会的組織についての調査だった。
人間の身体能力を極端に強化する特殊なスーツを用いた犯罪は以前から確認されており、その開発に関わる組織ではないかと協会は踏んでいたが、調査の結果ただのエンジニア崩れの集まりに過ぎず大きな肩透かしを喰らう形になった。
とは言え、彼らの開発しているものは明らかに趣味の範疇を逸脱していた。
このまま身柄を確保するか本部に確認をしたが、どうやら警察の方で同グループによる犯罪を以前から追っていたようで、何か介入があったらしい。
調査結果の報告だけ済ませあとはお役御免となったが、そのお陰もあって当初の予定よりも早く帰宅することができた。
怪人との戦闘のように体を酷使しなくていいのは、単純に楽だしいいと思う。
ただ、こういったことにはどうしても時間を要する。
地道な仕事は嫌いではない。以前ならさして苦にも思わなかったが、共に暮らし自分の帰りを待つ者ができてからは、自宅を空けがちになることが新たな悩みの種になっていた。
武器類の手入れは後回しにして、身軽になったゾンビマンは足音をひそめて寝室に向かった。
部屋の中は暗闇だったが、幸い晴れた夜だった為カーテンの隙間からの月明かりがあり、徐々に目が慣れてくる。
ベッド上の小さな塊に近きそっと覗き込むと、ナマエが健やかな寝息を立てて眠っていた。邪気の無い寝顔に思わず笑みがこぼれ、強張った心が解けていく。
無意識に伸ばしかけた手を起こすかもしれないと寸前で握り締め、振動を与えないよう注意しながら、ゾンビマンはベッドの端に慎重に腰を落ち着けた。
ナマエも平日は仕事があり、今回のような依頼が入るとどうしても一緒にいる時間を捻出するのが難しくなる。
引越と同時に一緒に住むことを持ちかけたのは、以前に住んでいた場所の治安の悪さが主な理由だったが、共に過ごす時間を増やすことができるのではないかという算段もあった。
しかし実際のところ、ゾンビマンの私生活の変化をヒーロー協会が考慮してくれるわけはなく、こうして寝顔だけを見て隣で眠りに付き、目を覚ますとベッドがもぬけの空だったり、書き置きと共にラップをかけて置かれた料理を目にしたりする度、同じ家に住んでいるのに会えないというもどかしさだけが募っていった。
今回も少しでも一緒にいたい一心で、協会の仮眠室を薦められるのを辞してこうして深夜に帰宅したのだった。
私情にかまけて仕事を疎かにするわけにもいかないが、もう少しどうにかできないものか、自分が協会に対して律儀過ぎるのか、とゾンビマンが同僚達の奔放振りを思い返していると、ナマエが何事か呟いて身じろぎした。起こしてしまったかと焦るがただの寝返りだったらしい。
肩からずり落ちてしまった布団を掛け直そうとして、ふとナマエの姿に違和感を覚えゾンビマンは手を止めた。
どうも寝間着が体のサイズに合っていないように見える。
というかこの黒のスウェットにすごく見覚えがある。
(…こいつ、俺の服を)
ゾンビマンはだらしなく緩んでいく口元を手のひらで覆った。
いつも辛口な同僚の超能力者がもしここにいれば「何その顔、気持ち悪」と冷たい目を向けられることは請け合いだった。心底周りに誰もいなくて良かったと思う。
しばらくこみ上げる愛しさをやり過ごそうとしていたが、それ以上その場にいるといろいろと我慢できなくなりそうだったので、ゾンビマンは寝室を後にした。
コップに水を汲み一気に飲み干すと多少冷静さを取り戻したが、このままナマエの隣で大人しく眠れる気はしない。時計を見ると間もなく4時になるところで、もうこのまま起きていた方が良いと判断しリビングのソファに座った。
ナマエが起きてくるまで約2時間半。
照れ屋な恋人をどうからかってやろうか。
考えていると、いつの間にか疲労感はどこかへ消えていた。
僅かな違和感を覚え、ナマエは携帯のアラームが鳴るよりも先に目を覚ました。
ぼんやりと目を開け、違和感の正体について考えたところで、それが辺りに漂うコーヒーの匂いであることに思い当たる。まだ覚醒しきっていない脳はのろのろと情報を処理していたが、ここしばらくこの家には自分以外の人間がいなかったはずであることを思い出し、ナマエは跳ね起きた。
『今回の依頼は大体10日ほどかかる』
事前に聞かされていたのより少し早い帰宅だが、不規則な職業についている同居人にはよくあることだった。期日が早くなる分には大歓迎である。
スリッパ履きの足で小走りに進み、物音のしている台所を覗き込むと、思った通りゾンビマンが朝食の仕度中だった。
「おはよう、もう起きたか」
既に足音に気づいていたのか、火にかけたフライパンに向かいながら、ゾンビマンは目線だけでこちらを振り返った。久しぶりに目にする姿に胸に暖かいものか満ちるのを感じながら、ナマエは朝の挨拶を返した。
「ゾンビマンさん、いつ帰ってきたんですか?」
「昨夜の3時半頃だ。目が冴えて眠れなかったから朝飯作っといたぞ」
フライパンの中身は目玉焼きのようで、あとは余熱で固まるのを待つのみらしく、火を止めると蓋を閉めてこちらに向き直った。
机の上にはトーストと果物が二人分の皿に盛り付けられ、インスタントコーヒーがドリップの最中だった。ごく簡単な朝食だが、自分の為に用意されたものだと思うとじんわり嬉しさがこみ上げた。
「ありがとうございます、疲れてるのに…今日はゆっくり休んで下さいね」
「ああ、そうしたいところなんだが、さっきから俺の部屋着が見当たらなくてな。知らないか」
そういえばゾンビマンは、帰ってきてから上着を脱いだだけの格好のようだった。
該当の服を最後に見たのはいつだったかとナマエは記憶を辿った。
「あれ、どこにやったかな、洗濯してないですけどね………あっ」
思い当たったナマエは自分の体を恐る恐る見下ろし固まった。
顔に一気に熱が集まっていく。
「なんだ、お前が着てたのか。返してくれよ」
「…絶対最初から気づいてましたよね」
「まあな」
両手で顔を覆ってしまったナマエを、ゾンビマンは人の悪い笑みを浮かべながら眺めている。恋人が不在の時に、こっそり服を借りて眠るのはナマエの密かな習慣だった。いつもなら帰ってくる日が近づくと習慣を止め、何食わぬ顔をして洗濯済みの状態にしておくのだが、今回は期日まで余裕があったので油断していた。
「ゾンビマンさんの匂いがすると、安心してよく眠れるんですよ…」
いたたまれず、聞かれてもいないのにぼそぼそとそう言い訳をすると、犬みたいな奴だなと声に出して笑われ ナマエは指の間から相手を睨み付けた。
やがてからかうより甘やかしたい気持ちの方が勝ったようで、ゾンビマンはナマエに向けて腕を広げてみせた。
「そいつは光栄だな。ところで服じゃなくて本物が目の前にいるぞ」
からかわれたことにまだムッとしてはいたが、久しぶりの抱擁への誘惑には勝てず、ナマエはまだ赤い顔のままゾンビマンに近づいた。
そっと抱きつくと背中に手が回される。
「おかえりなさい」
「ただいま」
力強い腕にすっぽり抱き締められ、ナマエは胸元に顔をすりよせた。
怪我の痕跡は当然見当たらないが、改めて無事に戻ってきてくれた喜びを噛みしめる。ゾンビマンの体質のことを頭ではわかっていても、長く家を空ける時はどうしても不安になった。
一週間ぶりの温もりはすぐには離れがたく、それは向こうも同じなようで、しばらくくっついたままでいた。そろそろ着替えて出掛ける準備をしないと、そういえば燃えるごみの日だった、とやるべき事が頭に浮かんではいるが、優しく髪を撫でられる心地よさについ甘えてしまう。
そのままぐずぐずとひっついていると、ゾンビマンがぐっと頭の位置を低くしたのがわかった。何かと思う間もなく項の辺りを甘噛みされたような感触がし、ナマエは反射的に素っ頓狂な声を発しながら体を離した。
体の間に手を突っ張ると、呆れたような顔をしたゾンビマンが視界に入った。
「どこから声出してんだ」
激しくリズムを刻んでいる心臓を押さえ、かじられた部分を手で庇いながらナマエは抗議した。
「い、いきなりはやめてっていつも言ってるじゃないですか!」
「美味そうだったからつい」
しれっとした顔で返され、その言葉に体をよじって確認すると、サイズの大きい服を着ているせいで襟ぐりが大きく露出していた。更に服がずれて、首の後ろから肩にかけてが晒されてしまっていたらしい。
ナマエが慌てて生地を引っ張って首筋を隠していると、また腕が腰に回り引き寄せられる。その気になっているらしい恋人の顔をすかさず掌で押さえると、覆いきれなかった目元だけでもわかる程あからさまに不満そうな顔をされた。
「今日も仕事があるんですよ」
「遅刻していけば良いだろ」
ゾンビマンは拗ねた子どものように言いながら、口元を覆ったナマエの手をはがした。そのまま大きな手に握り込まれる。
「もう…わがまま言わないでください」
そうは言いながらも、本音を言えばナマエもまだ一緒にいたかった。その気持ちをわかってほしくて、捕まえられた手に力を込めると、ぎゅっと握り返された。
こうして時々大人気ないことを口にしたりするものの、その実ゾンビマンが自分の意向を無理に通そうとしたことは一度もなかった。
ナマエが仕事のある平日は何もしない。そういう雰囲気になっても、少しでも体調が悪かったり、気乗りしない様子を見てとればあっさり中止する。
ずっとタイミングがあわなければ欲求不満に陥らない訳はなかったが、それを表に出すことはなかった。
ナマエのことを考えてくれているのは嬉しい。しかし我慢をさせているようでもどかしくもあった。
もっと一緒に居たい、触れたいと思う気持ちはナマエも同じだった。
そんなことを考えていると知らず情けない表情になっていたのか、そんな顔するなよ、と頭を撫でられた。
「冷めないうちに朝飯食べるか」
最後に額に口付けて離れていった体温を名残惜しく思った。
「それじゃあ、行ってきます」
「気を付けてな」
ゾンビマンは玄関口で靴を履き終えたナマエに、まとめた燃えるごみの袋を手渡した。
後で自分が出しにいくと申し出たのだが、通勤のついでだからと断られた。もしやさっきのやり取りを気にしているのかと思ったが、ナマエの表情は至って明るく密かに安堵する。
ごく短い触れ合いに当然満足はしていなかったが、子どもじみたわがままを言って困らせるのは本意ではない。
それよりも、協会で仮眠してから朝に帰宅したのでは確実にすれ違っていただろうから、やっぱり無理にでも帰ってきて良かった。努力次第で時間はいくらでも作れる、とゾンビマンが考えていると、ナマエが何やらもじもじしているのに気がついた。
「…あの」
「どうした」
「…今日は頑張って早く帰ってくるので、もし夜に時間が取れそうならその……し、しませんか?」
先程の比ではないくらい真っ赤な顔をしながら、それでも明確な意志を持って投げかけられた誘い文句に、ゾンビマンは不意をつかれて黙り込んだ。
ナマエが自分からこういったことを口にするのは、思い出す限り初めてのことだった。まだ追い付かない気持ちをそのままに、やっとのことで口を開く。
「明日も仕事だろ…いいのか」
「…支障が出ない程度なら」
たまらず、更に赤く染まっていく頬に手を伸ばし包み込んだ。
「あんまり可愛いことを言われると我慢できなくなりそうだな」
からかいの中に明らかな欲望の色を滲ませると、自分からしかけたこととはいえ恥ずかしさに耐えきれなくなったようで、ナマエは唸った。
「ゾンビマンさん!」
「冗談だ。緊急の呼び出しさえなければ、今日は夜まで何も無い。早く帰ってこいよ」
「はい…」
最後に頬にキスをすると、まだ赤いままのナマエを送り出す。
かなり気持ちが浮ついていたようだったので、外で何かしらぶつかったり転んだりしていないかしばらく耳をすましてみたが、その心配は無さそうだった。
家の中が静かになってしまうと、ゾンビマンは一服するため一人ベランダに出た。
口角が自然と上がるのを感じながら、取り出した煙草に火を付ける。
先ほど感じた小さな不満が跡形もなく消え去っていることに気付き、我ながら単純な男だなと笑ってしまう。
向こうも自分と同じように寂しい、もっと触れたいと思っていてくれたことが、どうしようもなく気持ちを浮かれさせた。
ベランダからの風景を眺めていると、ゴミ袋を無事集積所に置いてきたらしいナマエが下の道を歩いてきた。そのまま見ていると視線を感じたのかこちらを見上げ、遠目にもわかる程嬉しげな顔をして手を振っている。小さく手を振り返しながら、ここに同僚の超能力者が居て今の自分を見たら何と言うだろうか、と再び考え、数々の貶し文句が思い浮かんだが、もう何を言われようが別にいいかとゾンビマンは詮ない想像を終わらせた。
最近の自分が骨抜きにされつつあるのをなけなしのプライドで否定していたが、もう事実なので開き直ることにした。
可愛いものは可愛いんだから仕方ない。不可抗力というやつだ。
できることなら付いていきたい、しかし流石にそれは鬱陶しがられるだろうな、と切ない葛藤を抱えつつナマエの後ろ姿を見送ってしまうと、ゾンビマンはもうとっくに短くなっていた煙草を揉み消した。
(ひと眠りしたら、ナマエの好きなもんでも作って待ってるか…)
ゾンビマンは大きく伸びをし、久し振りの休息を取るべく室内に戻っていった。
いつも通りの武装がやけに重く感じられる。自覚していなかったが体はかなり疲労していたらしい。長丁場だったことを思えば無理もないか、と考えながらコートを脱ぎ、武装を解除していく。
今回ヒーロー協会から依頼があったのは、ある反社会的組織についての調査だった。
人間の身体能力を極端に強化する特殊なスーツを用いた犯罪は以前から確認されており、その開発に関わる組織ではないかと協会は踏んでいたが、調査の結果ただのエンジニア崩れの集まりに過ぎず大きな肩透かしを喰らう形になった。
とは言え、彼らの開発しているものは明らかに趣味の範疇を逸脱していた。
このまま身柄を確保するか本部に確認をしたが、どうやら警察の方で同グループによる犯罪を以前から追っていたようで、何か介入があったらしい。
調査結果の報告だけ済ませあとはお役御免となったが、そのお陰もあって当初の予定よりも早く帰宅することができた。
怪人との戦闘のように体を酷使しなくていいのは、単純に楽だしいいと思う。
ただ、こういったことにはどうしても時間を要する。
地道な仕事は嫌いではない。以前ならさして苦にも思わなかったが、共に暮らし自分の帰りを待つ者ができてからは、自宅を空けがちになることが新たな悩みの種になっていた。
武器類の手入れは後回しにして、身軽になったゾンビマンは足音をひそめて寝室に向かった。
部屋の中は暗闇だったが、幸い晴れた夜だった為カーテンの隙間からの月明かりがあり、徐々に目が慣れてくる。
ベッド上の小さな塊に近きそっと覗き込むと、ナマエが健やかな寝息を立てて眠っていた。邪気の無い寝顔に思わず笑みがこぼれ、強張った心が解けていく。
無意識に伸ばしかけた手を起こすかもしれないと寸前で握り締め、振動を与えないよう注意しながら、ゾンビマンはベッドの端に慎重に腰を落ち着けた。
ナマエも平日は仕事があり、今回のような依頼が入るとどうしても一緒にいる時間を捻出するのが難しくなる。
引越と同時に一緒に住むことを持ちかけたのは、以前に住んでいた場所の治安の悪さが主な理由だったが、共に過ごす時間を増やすことができるのではないかという算段もあった。
しかし実際のところ、ゾンビマンの私生活の変化をヒーロー協会が考慮してくれるわけはなく、こうして寝顔だけを見て隣で眠りに付き、目を覚ますとベッドがもぬけの空だったり、書き置きと共にラップをかけて置かれた料理を目にしたりする度、同じ家に住んでいるのに会えないというもどかしさだけが募っていった。
今回も少しでも一緒にいたい一心で、協会の仮眠室を薦められるのを辞してこうして深夜に帰宅したのだった。
私情にかまけて仕事を疎かにするわけにもいかないが、もう少しどうにかできないものか、自分が協会に対して律儀過ぎるのか、とゾンビマンが同僚達の奔放振りを思い返していると、ナマエが何事か呟いて身じろぎした。起こしてしまったかと焦るがただの寝返りだったらしい。
肩からずり落ちてしまった布団を掛け直そうとして、ふとナマエの姿に違和感を覚えゾンビマンは手を止めた。
どうも寝間着が体のサイズに合っていないように見える。
というかこの黒のスウェットにすごく見覚えがある。
(…こいつ、俺の服を)
ゾンビマンはだらしなく緩んでいく口元を手のひらで覆った。
いつも辛口な同僚の超能力者がもしここにいれば「何その顔、気持ち悪」と冷たい目を向けられることは請け合いだった。心底周りに誰もいなくて良かったと思う。
しばらくこみ上げる愛しさをやり過ごそうとしていたが、それ以上その場にいるといろいろと我慢できなくなりそうだったので、ゾンビマンは寝室を後にした。
コップに水を汲み一気に飲み干すと多少冷静さを取り戻したが、このままナマエの隣で大人しく眠れる気はしない。時計を見ると間もなく4時になるところで、もうこのまま起きていた方が良いと判断しリビングのソファに座った。
ナマエが起きてくるまで約2時間半。
照れ屋な恋人をどうからかってやろうか。
考えていると、いつの間にか疲労感はどこかへ消えていた。
僅かな違和感を覚え、ナマエは携帯のアラームが鳴るよりも先に目を覚ました。
ぼんやりと目を開け、違和感の正体について考えたところで、それが辺りに漂うコーヒーの匂いであることに思い当たる。まだ覚醒しきっていない脳はのろのろと情報を処理していたが、ここしばらくこの家には自分以外の人間がいなかったはずであることを思い出し、ナマエは跳ね起きた。
『今回の依頼は大体10日ほどかかる』
事前に聞かされていたのより少し早い帰宅だが、不規則な職業についている同居人にはよくあることだった。期日が早くなる分には大歓迎である。
スリッパ履きの足で小走りに進み、物音のしている台所を覗き込むと、思った通りゾンビマンが朝食の仕度中だった。
「おはよう、もう起きたか」
既に足音に気づいていたのか、火にかけたフライパンに向かいながら、ゾンビマンは目線だけでこちらを振り返った。久しぶりに目にする姿に胸に暖かいものか満ちるのを感じながら、ナマエは朝の挨拶を返した。
「ゾンビマンさん、いつ帰ってきたんですか?」
「昨夜の3時半頃だ。目が冴えて眠れなかったから朝飯作っといたぞ」
フライパンの中身は目玉焼きのようで、あとは余熱で固まるのを待つのみらしく、火を止めると蓋を閉めてこちらに向き直った。
机の上にはトーストと果物が二人分の皿に盛り付けられ、インスタントコーヒーがドリップの最中だった。ごく簡単な朝食だが、自分の為に用意されたものだと思うとじんわり嬉しさがこみ上げた。
「ありがとうございます、疲れてるのに…今日はゆっくり休んで下さいね」
「ああ、そうしたいところなんだが、さっきから俺の部屋着が見当たらなくてな。知らないか」
そういえばゾンビマンは、帰ってきてから上着を脱いだだけの格好のようだった。
該当の服を最後に見たのはいつだったかとナマエは記憶を辿った。
「あれ、どこにやったかな、洗濯してないですけどね………あっ」
思い当たったナマエは自分の体を恐る恐る見下ろし固まった。
顔に一気に熱が集まっていく。
「なんだ、お前が着てたのか。返してくれよ」
「…絶対最初から気づいてましたよね」
「まあな」
両手で顔を覆ってしまったナマエを、ゾンビマンは人の悪い笑みを浮かべながら眺めている。恋人が不在の時に、こっそり服を借りて眠るのはナマエの密かな習慣だった。いつもなら帰ってくる日が近づくと習慣を止め、何食わぬ顔をして洗濯済みの状態にしておくのだが、今回は期日まで余裕があったので油断していた。
「ゾンビマンさんの匂いがすると、安心してよく眠れるんですよ…」
いたたまれず、聞かれてもいないのにぼそぼそとそう言い訳をすると、犬みたいな奴だなと声に出して笑われ ナマエは指の間から相手を睨み付けた。
やがてからかうより甘やかしたい気持ちの方が勝ったようで、ゾンビマンはナマエに向けて腕を広げてみせた。
「そいつは光栄だな。ところで服じゃなくて本物が目の前にいるぞ」
からかわれたことにまだムッとしてはいたが、久しぶりの抱擁への誘惑には勝てず、ナマエはまだ赤い顔のままゾンビマンに近づいた。
そっと抱きつくと背中に手が回される。
「おかえりなさい」
「ただいま」
力強い腕にすっぽり抱き締められ、ナマエは胸元に顔をすりよせた。
怪我の痕跡は当然見当たらないが、改めて無事に戻ってきてくれた喜びを噛みしめる。ゾンビマンの体質のことを頭ではわかっていても、長く家を空ける時はどうしても不安になった。
一週間ぶりの温もりはすぐには離れがたく、それは向こうも同じなようで、しばらくくっついたままでいた。そろそろ着替えて出掛ける準備をしないと、そういえば燃えるごみの日だった、とやるべき事が頭に浮かんではいるが、優しく髪を撫でられる心地よさについ甘えてしまう。
そのままぐずぐずとひっついていると、ゾンビマンがぐっと頭の位置を低くしたのがわかった。何かと思う間もなく項の辺りを甘噛みされたような感触がし、ナマエは反射的に素っ頓狂な声を発しながら体を離した。
体の間に手を突っ張ると、呆れたような顔をしたゾンビマンが視界に入った。
「どこから声出してんだ」
激しくリズムを刻んでいる心臓を押さえ、かじられた部分を手で庇いながらナマエは抗議した。
「い、いきなりはやめてっていつも言ってるじゃないですか!」
「美味そうだったからつい」
しれっとした顔で返され、その言葉に体をよじって確認すると、サイズの大きい服を着ているせいで襟ぐりが大きく露出していた。更に服がずれて、首の後ろから肩にかけてが晒されてしまっていたらしい。
ナマエが慌てて生地を引っ張って首筋を隠していると、また腕が腰に回り引き寄せられる。その気になっているらしい恋人の顔をすかさず掌で押さえると、覆いきれなかった目元だけでもわかる程あからさまに不満そうな顔をされた。
「今日も仕事があるんですよ」
「遅刻していけば良いだろ」
ゾンビマンは拗ねた子どものように言いながら、口元を覆ったナマエの手をはがした。そのまま大きな手に握り込まれる。
「もう…わがまま言わないでください」
そうは言いながらも、本音を言えばナマエもまだ一緒にいたかった。その気持ちをわかってほしくて、捕まえられた手に力を込めると、ぎゅっと握り返された。
こうして時々大人気ないことを口にしたりするものの、その実ゾンビマンが自分の意向を無理に通そうとしたことは一度もなかった。
ナマエが仕事のある平日は何もしない。そういう雰囲気になっても、少しでも体調が悪かったり、気乗りしない様子を見てとればあっさり中止する。
ずっとタイミングがあわなければ欲求不満に陥らない訳はなかったが、それを表に出すことはなかった。
ナマエのことを考えてくれているのは嬉しい。しかし我慢をさせているようでもどかしくもあった。
もっと一緒に居たい、触れたいと思う気持ちはナマエも同じだった。
そんなことを考えていると知らず情けない表情になっていたのか、そんな顔するなよ、と頭を撫でられた。
「冷めないうちに朝飯食べるか」
最後に額に口付けて離れていった体温を名残惜しく思った。
「それじゃあ、行ってきます」
「気を付けてな」
ゾンビマンは玄関口で靴を履き終えたナマエに、まとめた燃えるごみの袋を手渡した。
後で自分が出しにいくと申し出たのだが、通勤のついでだからと断られた。もしやさっきのやり取りを気にしているのかと思ったが、ナマエの表情は至って明るく密かに安堵する。
ごく短い触れ合いに当然満足はしていなかったが、子どもじみたわがままを言って困らせるのは本意ではない。
それよりも、協会で仮眠してから朝に帰宅したのでは確実にすれ違っていただろうから、やっぱり無理にでも帰ってきて良かった。努力次第で時間はいくらでも作れる、とゾンビマンが考えていると、ナマエが何やらもじもじしているのに気がついた。
「…あの」
「どうした」
「…今日は頑張って早く帰ってくるので、もし夜に時間が取れそうならその……し、しませんか?」
先程の比ではないくらい真っ赤な顔をしながら、それでも明確な意志を持って投げかけられた誘い文句に、ゾンビマンは不意をつかれて黙り込んだ。
ナマエが自分からこういったことを口にするのは、思い出す限り初めてのことだった。まだ追い付かない気持ちをそのままに、やっとのことで口を開く。
「明日も仕事だろ…いいのか」
「…支障が出ない程度なら」
たまらず、更に赤く染まっていく頬に手を伸ばし包み込んだ。
「あんまり可愛いことを言われると我慢できなくなりそうだな」
からかいの中に明らかな欲望の色を滲ませると、自分からしかけたこととはいえ恥ずかしさに耐えきれなくなったようで、ナマエは唸った。
「ゾンビマンさん!」
「冗談だ。緊急の呼び出しさえなければ、今日は夜まで何も無い。早く帰ってこいよ」
「はい…」
最後に頬にキスをすると、まだ赤いままのナマエを送り出す。
かなり気持ちが浮ついていたようだったので、外で何かしらぶつかったり転んだりしていないかしばらく耳をすましてみたが、その心配は無さそうだった。
家の中が静かになってしまうと、ゾンビマンは一服するため一人ベランダに出た。
口角が自然と上がるのを感じながら、取り出した煙草に火を付ける。
先ほど感じた小さな不満が跡形もなく消え去っていることに気付き、我ながら単純な男だなと笑ってしまう。
向こうも自分と同じように寂しい、もっと触れたいと思っていてくれたことが、どうしようもなく気持ちを浮かれさせた。
ベランダからの風景を眺めていると、ゴミ袋を無事集積所に置いてきたらしいナマエが下の道を歩いてきた。そのまま見ていると視線を感じたのかこちらを見上げ、遠目にもわかる程嬉しげな顔をして手を振っている。小さく手を振り返しながら、ここに同僚の超能力者が居て今の自分を見たら何と言うだろうか、と再び考え、数々の貶し文句が思い浮かんだが、もう何を言われようが別にいいかとゾンビマンは詮ない想像を終わらせた。
最近の自分が骨抜きにされつつあるのをなけなしのプライドで否定していたが、もう事実なので開き直ることにした。
可愛いものは可愛いんだから仕方ない。不可抗力というやつだ。
できることなら付いていきたい、しかし流石にそれは鬱陶しがられるだろうな、と切ない葛藤を抱えつつナマエの後ろ姿を見送ってしまうと、ゾンビマンはもうとっくに短くなっていた煙草を揉み消した。
(ひと眠りしたら、ナマエの好きなもんでも作って待ってるか…)
ゾンビマンは大きく伸びをし、久し振りの休息を取るべく室内に戻っていった。