あいくるしい
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ゾンビマンは後悔していた。
「はい、ゾンビマンさんカメラはこっちれすよ~!スマイル、スマイルれすよ~イケメンれすね~えへへへ」
こちらに向けられたスマホのインカメラが、何度目になるかわからないシャッターを切る。
しっかりと肩を組まれている為逃れることもできず、ゾンビマンは遠い目でされるがままになっていた。
不気味な笑い声を洩らしているナマエは、先ほどからすこぶる上機嫌だが、酔いのためレンズの狙いは定まっておらず、ちゃんと二人の顔が収まった画像はほんの数枚しか無いと思われる。
現にさっきの写真も、ゾンビマンの額と眉毛辺りしか写っていなかった。
「ゾンビマンさんは本当に、かっこいいし可愛いれすねぇ〜…加工アプリなんて、ゾンビマンさんの前れは無用の長物れすよ!ほらもう1枚!」
しかしナマエはそんなことはお構いなしで、今もまた珍ショットが生み出されようとしている。
──どうしてこんなことになってしまったのか。
アルコールにより熱を持った頬をぐいぐいと顔に押し付けられながら、ゾンビマンは自身の行いを後悔していた。
事の始まりは、ほんの一時間前のことになる。
「ナマエ、ちょっとこれ飲んでみないか」
ひとりで晩酌をしていた恋人が、どこからか持ち出したボトルを、ナマエは訝しげに見やった。
「何ですか?これ…ワイン?」
ラベルの貼ったボトルの中の半透明の液体は、恐らく白ワインだろうと思われる。
飲んでみないかと言われても。
ナマエは躊躇った。
アルコールへの耐性は人並みだが、ナマエはお酒があまり好きではなかった。
友だち同士集まって、お喋りがてら軽く嗜むのは楽しいが、飲み過ぎると気持ち悪くなってしまうし、そもそも飲み物として美味しいと思えないのだ。
ビールは苦いし、度数が高いものは咽てしまう。
弱めのカクテルや酎ハイなど、ゾンビマンが言うところの『ジュースみたいな酒』をもっぱら飲んでいた。
ワインについてもそうだった。
以前にも一度、恋人に勧められて試しに飲んでみたが、渋みがどうも苦手でそれ以来手を出したことはない。
ゾンビマンがいろんなアルコール類を楽しんでいる姿は、いかにも大人という感じで、密かにかっこいいと思っているが、なかなか踏み込めない世界だった。
「うーん…でも私ワインはあんまり…」
戸惑うナマエに構わず、ゾンビマンはワインをグラスに注ぎ、差し出した。
「まあ物は試しだ。これは前のと違って飲みやすいやつだから」
確かに以前飲んだ赤ワインとは違って、見た目にもなんとなく清涼感がある。
グラスに顔を近づけてみると、くだもののようなかぐわしい香りがした。
じゃあちょっとだけ、と誘われるようにひと口舐めてみると、爽やかな風味とほんのり甘みが広がった。
「あっ、甘い」
以前飲んだもののような渋さはほとんどなく、驚くほど軽い口当たりだった。
目を丸くするナマエをゾンビマンは満足げに見守っている。
「ワインと言ってもいろいろあるからな。甘口ならお前の口に合うかと思ったんだ」
「甘口なんてあるんですね。わぁ~美味しい」
勧められるままにクリームチーズとトマトのカナッペをつまむと、なんだか大人な気分だ。
飲む前の抵抗感が嘘のように、あっと言う間にグラスは空になってしまった。
「なかなか良い飲みっぷりだな。もっといくか」
「それじゃあもうちょっと」
いつも家では缶酎ハイ1、2本程度にしているが、新しく知った美味しさに次々お代りをしてしまう。
すっかり気持ちよく酔っ払ったナマエを見て、ゾンビマンもいつもより酒が旨い。
こちらはよく熟成されたフルボディだが、同じワインであることには変わりなく、愉しみを共有できたようで嬉しかった。
「今度は日本酒にもチャレンジしてみるか。またお子様舌でも飲めるのを見繕ってやるぞ」
浮かれ気分も手伝ってそんな軽口を叩くと、ムッとするかと思われたナマエは、酔いで潤んだ目でじっとゾンビマンを見つめ、そして何を思ったか体をくっつけてきた。
「なんだ、どうした」
「ふふふ」
ナマエはなにやら嬉しそうに笑っていたかと思うと、肩口に頭を凭せ掛けた。
「ゾンビマンさん、大好きです」
こちらの気持ちが伝染したのか、それとも、ナマエも一緒に酒を楽しめることが嬉しかったのか。
酔うとその人の本性が出るというが、どちらにしても、ナマエの内側にあるのは恋人への愛情だけということらしい。
なんて可愛いんだ、と感動しながら、こういう時顔に出にくい質で良かったとゾンビマンは思った。
「ありがとうな。俺も好きだ」
大人の余裕を取り繕って、甘い香りのする唇に口付ける。
上気した顔を更に赤くして俯く様が愛らしい。
(…ここまでは良かったんだ)
止まない自撮りの雨に打たれながら、ゾンビマンは回想した。
実に良い雰囲気の恋人同士の語らいだった。
あとは深酒しないよう頃合いを見てナマエにストップをかけ、もう寝るよう促せば良かったのだが、どうやらそのタイミングを見誤ったらしい。
すっかり気持ちの盛り上がったナマエは「一緒にワインを飲んだ記念に写真を撮りましょうね!」とスマホを取り出したかと思うと、ワインを片手に、かっこいい、かわいい、素敵、と褒めちぎりながらヒートアップしていった。
明日はナマエの仕事が休みだからと大目に見ていたが、いい加減止めなければならない。というかもう恥ずかしいからやめてほしい。
ゾンビマンはスマホを掲げたナマエの手を押さえた。
「もう十分過ぎるくらい撮っただろ。そろそろ休まないと明日が辛いぞ」
「そんなに酔ってませんよ〜」
酔っぱらいは皆そう言うものだ。
不満げなナマエの頭を撫でながら、言い聞かせる。
「駄目だ、もう寝ろ。写真ならまた今度撮られてやるから、」
「もう!またそうやって子ども扱いして!!」
言葉の途中で突然手を跳ね除けられ、ゾンビマンは目を丸くした。
さっきまでのご機嫌から一転して、ナマエはキッと眦を吊り上げている。
「ゾンビマンさんはいつもそう!そういえばさっきも私のことお子様舌って…ゆるさない!!」
キイイイと癇癪を起こしながら、平手で殴りかかってくる。
「おい、落ち着けって、一体どうしたんだ…」
大して痛くもない攻撃を受け止めながら、ゾンビマンは戸惑った。
いつもナマエが酒を飲んだ時は、先ほどのように陽気になっていたので、そういう質なのだと思っていたが、本当は怒り上戸だったのだろうか。
ナマエは呂律の回らない口調で、困惑顔のゾンビマンをここぞとばかりに責め立ててくる。
「そうやって私のこと頼りないみたいに言うけろ、ゾンビマンさんも結構おっちょこちょいなところあるんれすからね!
この間らってパンツを裏返しで履いてるの、私が言うまれ気付かなかったれしょう!」
「そうだな、お前が居てくれて良かったよ。連れションの時恥かかずにすんだ」
怒りに火を注がないよう、うんうんと頷きながら宥めるうちに、ようやくクールダウンしてきたらしい。
ハァハァと荒い息をついていたナマエは、しかし今度は眉根を寄せ、口をへの字に歪めた。
この顔はまさか、と思う間もなくみるみる目の縁に涙が盛り上がり、やがて決壊した。
「うわああんひどいこと言ってごめんなさい!全部私が悪いの〜!」
「今度は泣き上戸か…」
なんて忙しいやつだ、と感心しているゾンビマンの首にひしと抱き着き、ナマエはおいおいと泣き始めた。
「私なんかどんくさいし、弱っちいし、ちっともゾンビマンさんの力になれなくて…せめて強くなるために筋トレしようと思っても、すぐ忘れて寝てしまうし…」
しゃくり上げる背中を撫でながら、意外な告白にゾンビマンは驚いた。
確かにナマエは夜たまに筋トレをしているが、まさか自分の為だったとは。
しかし、何故またそんなマッチョな方向に努力の舵を切ったのだろう。
落ち着かせるように優しく頭を撫でる。
「俺の迷惑になるほど弱いわけじゃないだろう。この前だって、ジャムの蓋自分で開けられたじゃないか」
正確にはシリコン製のシートを使っていたが。
しかしフォローの言葉にも耳を貸さず、ナマエはぐすぐすと鼻を鳴らしながらかぶりを振った。
「全然だめです、そんなの…いつも心配なんです…ゾンビマンさんは今頃また、手脚がもげたり、頭が吹っ飛んだり、毒ガスに巻かれたりしてるのかなって…」
首に抱き着く力が一段と強まった。
「私が…私がもっと、超合金クロビカリさんくらい強かったら、ゾンビマンさんを守ってあげられるのに…!うわあああん」
「わかった。お前の気持ちは良くわかったから、ちょっと離してくれ。頸動脈が締まってる」
その後、宥めたりすかしたり、意識が遠のいたり蘇生したりする内に、どうにかナマエは落ち着いた。
というよりも疲れて寝落ちしてしまった。
「ようやく静かになったか…」
大きく息をつくと、ゾンビマンは涙の跡が残る目元を拭ってやり、ナマエを抱きかかえた。
二人で楽しく晩酌をしていたはずなのに、いつの間にかえらい騒ぎになってしまった。
飲みつけないワインのせいだろうか。
――しかし。
(…馬鹿なやつだなぁ)
先ほど恋人がさらけ出した自分への激情を思い出し、ゾンビマンはため息をついた。
志が高いのは良いことだが、あの筋肉要塞を目標にするのは無茶というものだ。
それに、鍛え抜かれた肉体は大したものだと思うが、一緒に暮らすとなると嵩張るし不便でしょうがないだろう。
などと冗談めかしたことを考えながら、ゾンビマンはなぜだか胸が苦しいような気持ちになっていた。
あんな荒唐無稽なことを言い出すほどに、ナマエは自分のことを一心に思っているのだ。
その事実を確認する度に、喉元にこみ上げるこの熱い塊は、もうとっくに涸れたと思っていた感情の発露か。
(歳取ると涙もろくなるってのは、どうやら本当らしいな…)
老齢の武闘家がなにかの折に話していた言葉を思いだしながら、力の抜けた体をベッドに横たえる。
まだ少し眉間に皺をよせた寝顔を見つめ、ゾンビマンは考えた。
彼女がその人生を終えるまでに、自分はその愛に報いることができるだろうか。
きっとゾンビマンが返すそばから、ナマエはまた溢れんばかりの『好き』を投げ付けてくるのに違いない。なんとも気が遠くなる話だ。
ひとまずは、明日の朝二日酔いで起きてくるだろうナマエの為に、なにか胃腸に優しい朝飯を用意してやろう。
ふ、と小さく笑みを浮かべると、出汁をとるべくゾンビマンは台所へ向かった。
***
ナマエは後悔していた。
「うう〜ん…ぎもぢわるい…頭が痛い…おえぇ…」
目覚めるや否や絶不調に襲われていた。
原因は考えるまでもなく飲み過ぎである。
昨日の夜、恋人が用意してくれたワインが美味しくて、いつになく酔っ払ってしまった記憶はある。
しかし、いつもならこんなになる前に飲むのを止めているのに。
何があったのだろう。
確か、一緒に飲んでいた恋人がとても嬉しそうで、こちらも嬉しくなって、キスをして、写真を撮っておきたくなったのでスマホを持ってきて…と、その辺りでモヤがかかったように詳細がわからなくなっている。
口当たりは良かったとはいえ、普段飲み慣れない種類のお酒に夢中になってしまったのが良くなかったのだろうか。
重い頭を抱えてうんうんと唸っていると、お盆を両手に持った恋人が寝室に入ってきた。
器用に足でドアを閉めると、布団に埋まったナマエの顔を覗き込む。
「よう、朝飯は食べられそうか?」
呆れ笑いを浮かべた顔を見上げ、力無く首を振る。
「要らないです…気持ち悪くて…当分なにも食べられません…」
早く回復するには何かお腹に入れた方が良いのだろうが、とてもそんな気にはなれない。
すると、ゾンビマンは落胆した様子でため息をついた。
「そうか…玉子とじが何時になく上手くいったんだがな」
「…えっ」
その言葉と共に蓋を開けられた土鍋からは、香ばしい昆布出汁の香りがする。
思わず半身を起こすと、ほかほかと湯気を立てているおじやが見えた。
空っぽの胃がグウと鳴る。
「副菜も旨そうにできたんだが」
こちらは茹でキャベツを梅肉であえたサラダだ。
いかにもさっぱりしていて食欲をそそる。
「ついでにデザートの苺とキウイもあるんだが…要らないのか。残念だ」
「あっ、食べる…食べます…!」
立ち去ろうとした服の裾を掴んで引き止めると、慌てるナマエが面白かったのか、ゾンビマンはくつくつと笑った。
「ずいぶんな手のひらの返しようだな」
「だって…」
思わず顔を出した食い意地に恥ずかしくなる。
しかし、恋人の給仕で食べた朝食は、見た目の通り実に美味しく、疲れたお腹に染み渡った。
頭痛と気持ち悪さもどこへやら、もくもくとおじやを口に運ぶ。
「これすごく美味しいです。出汁が効いていますね」
そう褒めると、ゾンビマンは満足げにニヤリと笑った。
「そうだろう。何せ愛情がたっぷり入ってるからな」
妙に得意顔なゾンビマンが不思議で、ナマエは首を傾げた。
「ゾンビマンさん…なにか良いことあったんですか?朝からご機嫌ですね」
すると、なぜかゾンビマン怪訝そうな表情になった。
「なにかってそりゃあ……お前、もしかしてなんにも覚えてないのか」
「一緒に写真を撮ろうとしてたのは覚えてますけど…それが嬉しかったんですか?」
彼はそんなに写真好きではないので、おかしな話だけれど。
予想通りその答えは外れだったらしく、ゾンビマンはやれやれと言うように肩をすくめた。
「別に、無理に思い出すことでもねえよ」
「そんなこと言われたらかえって気になりますよ」
「そうだな…なかなか感動的だったとだけ言っておく」
「感動的…!?一体どういうことですか」
その後、釈然としない気持ちのままデザートまで完食したナマエが、スマホの中の不審な画像群に気付き、芋づる式に思い出した自らの言動に恥ずかしの叫び声をあげるのは、もう暫くしてからのことだった。
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