博士の奇妙な愛情
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
休日の市民公園は、行楽客でいっぱいだった。
「博士、この辺にしときます?あっちの方混雑がひどそうですし」
噴水のある広場近くまで来ると、移動式の屋台を引いていたアーマードゴリラは、人の流れを見渡しながら言った。
この辺りはまだマシだが、公園の中心部の方は何か見世物でもやっているのか人集りができている。その中へ飛び込んでしまうと、二人ではとても捌けない来客数に見舞われそうだ。
「ああ、そうするか」
自分の担当である、爪楊枝やプラスチック容器などの細々した荷物を適当な場所に降ろすと、ジーナスはひと息ついた。
青年期の肉体であるにも関わらず疲労感があるのは、精神の問題だろうか。
その横でアーマードゴリラは屋台を設営し、中からたこ焼き器やクーラーボックスなど重量のあるもの軽々とを運び出している。
W市に店を構える『たこ焼きの家』は、本日出張営業に来ていた。
隣の市にある大型の公園ではこの連休中、大道芸や移動動物園などを呼んだ催しが開かれている。
それに便乗して集客を当て込んだ野良の屋台も集まっており、彼らもそのひとつだった。
この分ならそこそこの稼ぎが得られそうだ。
今はまだ時間が早いが、昼前になれば訪れるだろう腹を空かせた客達の為に二人で準備をしていると、ごそごそと荷物を探っていたアーマードゴリラが、突然あーっと大きな声をあげた。
「何だ、騒々しい」
ジーナスが目をやると、ゴリラは申し訳なさそうに巨体を縮めた。
「博士…青海苔を忘れたみたいです」
青海苔。
なくても困らないようでいて、たこ焼きをたこ焼きたらしめている重要なトッピングだ。
ジーナスは眉を顰めた。
「全くお前は…だから出発前にあれほど忘れ物はないか確認しろと言ったのだ」
「はい、すみません…」
「まだしばらく時間がある。早急に買ってこい」
これ以上叱られないうちにと、財布を掴んでいそいそと出掛ける大きな背中に声をかける。
「ついでに、プラスチック容器を留める輪ゴムも買ってきてくれ」
「ちょっと!博士も忘れ物してるんじゃないですか!」
自分のことは棚にあげて…とぶつぶつ文句を言う従業員を、良いから早く行ってこい、と送り出した。
一人になり開店準備を続けながら、行き交う人々を眺める。
以前の自分にとって、それらは旧人類の繁栄という忌むべき光景だったはずだが、今となっては平和な休日の一場面でしかない。
思えばおかしなことになったものだ、とジーナスは回顧した。
ジーナスの生家は裕福だったし、初等教育を終える頃には既に研究者として頭角を現し、パトロンに出資を受ける立場だったから、こうして労働らしい労働に勤しむのは彼の長い人生では初めてのことになる。
商品開発については今までの研究の延長のようなもので苦はなかったが、店頭での接客は未だに不得手だ。
客商売なんですからもう少し愛想良くして下さいよ、と類人猿に苦言を呈される程度には、ジーナスは世間というものに馴染みがない。
最近はもう適材適所だと割り切って、客対応についてはアーマードゴリラに任せっぱなしにしている。
最初の頃こそ、きぐるみか、いやゴリラ怪人か、と好奇と不審の目を集めていたが、彼は持ち前の学習能力の高さで店員として申し分なく成長し、それなりに店は繁盛していた。
高い知能と社会性を持ち、温厚な気性であることからゴリラという種族に素体として目をつけたのだが、それにしても自らの作品の順応性にジーナスは内心驚いていた。
もう一体ほど作っておけば事業の拡大もできたものを、と今更惜しく思っていると、切羽詰まったような声が耳に飛び込んできた。
「ごめんなさい、歩いてたらいつの間にか変な方に来ちゃって…今どこにいますか?」
見ると、小柄な若い娘が道の端に寄って電話をしている。
会話の内容からして同行者とはぐれたのだろう、再び合流しようとお互いの位置を確認し合っている。
「噴水がある広場の近くです。はい…はい…東口……そ、それは私から見て右ですか…?左ですか…?」
どうやら方向感覚があまり良くないらしい。
電話の相手は埒が明かないと思ったようで、現在地で待機するように言われたと思しき彼女は、しょんぼりした顔で通話を終えた。
スマホを鞄に仕舞うと、代わりにタオルを取り出し汗を押さえている。
空気は冷たいが晴れて日射しは強く、ここまで彷徨い歩いてきたらしい彼女は顔を火照らせていた。
唐突に、「後で買ってくれるかもしれないから、冷やかしのお客さんにも親切にしとくもんですよ」とアドバイスされた内容が頭の中に浮かんだ。
今はまだ開店前であり、厳密には彼女は客ではないが、ゴリラから教わった方法論を少し試してみたくなった。
「良かったら掛けたまえ」
休憩用に持ってきていた折りたたみ椅子を示しながらジーナスが言うと、娘はパッと顔をあげた。
年の頃は20歳前後といったところか。
大きな目をぱちくりさせて驚いていたが、やがて背後の屋台に気付いて視線をやった。
彼女が口を開く前に、先を読んでジーナスは言った。
「まだ店は開かないから構わないよ。連れを待っているんだろう」
こんな感じで良い筈だ。
こわごわ愛想笑いを浮かべたが、彼女は驚いた顔のままでいる。
よく考えればこの状況が既に不審なのではないか、とジーナスは思い当たった。
屋台の店主にしては妙にインテリ風の男が、委細承知済みの顔をして、突然世話をやいてくる。
若い女性からしてみれば、警戒しても当然かもしれない。
しまった。弾みで慣れないことをするものではない。
心の中でその場にいない従業員に助けを求めていると、彼女は漸く反応を返した。
「あ…それじゃ、せっかくなので…」
遠慮がちに折りたたみ椅子に腰掛けると、鞄を膝の上に抱えた。
ジーナスも倣って側にあった荷物の箱に座る。意味もなく眼鏡のブリッジを押し上げたが、沈黙の気まずさは晴れない。
一体どうすれば良いのか。
対立する学派の研究者を論破する舌鋒には長けていても、若い娘の好みそうな話題など皆目検討がつかない。
とそこで、自分が座っている物体に収納されているものの存在に、ジーナスは気付いた。
突然荷物を探り始めたジーナスを、彼女は不思議そうに見ている。
「…麦茶だが飲むかね?」
取り出した水筒から茶を汲み差し出す。
我ながら至れり尽くせりである。少しでも場をもたせられればという苦肉の策だった。
「ど、どうもご親切に…いただきます」
戸惑いながらも受け取った娘は、しかし喉が渇いていたところにこのもてなしはありがたかったらしく、一気に飲み干して息をついた。
そして人心地ついて気持ちが解れたのか、先ほどよりはリラックスした表情で話しかけてきた。
「いつもこの公園でお店を開いているんですか?」
話の接ぎ穂ができたことに幾分安堵しつつ、ジーナスは答えた。
「いや、普段はW市内で店をやっているんだが、今日はここで催しがあるから特別にね」
「すごい人出ですもんね…ちょっと立ち寄るだけのつもりだったんですけど、こんなに人がいると思わなくって」
この近くのショッピングモールへ行く途中で立ち寄ったのだという。
そういえばアーマードゴリラが最近できたばかりの複合商業施設だと言っていた気がする。大方友人か恋人と連れ立ってきたのだろうとジーナスは見当をつけた。
「まぁ、こちらとしては宣伝も兼ねていい商売になるよ。ちょうど店が軌道に乗り始めたところでね」
「お店を始めたのは最近なんですか?」
「ああ、少し前までは全く違う生業についていてね。私もこの年になって飲食店を営むようになるとは思ってもみなかったんだが…」
とそこでジーナスは自らの失言に気づいた。
『この年になって』という言い回しに対して、彼の外見年齢は若過ぎる。
奇妙に思われたかもしれない。
慎重に様子を窺ったが、彼女は違和感に気づかなかったらしく、なにやら感心したように頷いている。
「自分のお店を開くのって、大変そうだけど一度は憧れますよね」
そういうものなのだろうか。
ジーナスには未知の感慨だったので黙っていると、彼女は何かを懐かしむような顔になった。
「…私も小さい頃はケーキ屋さんになりたいって思ってました。自分のお店に来たお客さんが、嬉しい気持ちで帰っていくのを見ながら働けたら良いだろうなって…すごく早起きしないといけないって聞いて諦めたんですけど」
「はは、そうかい」
実に他愛の無い話だったが、ジーナスにも僅かながら理解できる気がした。
それは彼女が話した内容に比べれば、ひどく無機質な、いわば『実験結果が予測と合致していた時の満足感』に近いものだったが。
新しく考案したメニューが好評だったとアーマードゴリラに聞かされた時。
蛸の品種改良をした後日、店頭で顔を綻ばせる客を見掛けた時。
自身の心の内が確かに満たされるのを、ジーナスは感じていた。
同じものを食べ、『美味い』という感情を共有し合う。
遠い昔自分が抱いていた疎外感に似た感情は、こんなにも簡単に払拭されるものだったのかと拍子抜けする思いだった。
彼が思うよりも、物事の道理とは案外単純なものなのかもしれない。
しかしそのことに気付くには、昔日のジーナスの内面はあまりにも未熟で、そして優秀過ぎたのだ。
老境に際してこれほど穏やかな諦念に辿り着くことができたのは、長年人類に仇なす研究を続けてきた自分にとっては過ぎたる幸いだろうか。
ジーナスが物思いにふけっていると、とつぜん娘が何かに気づいたような顔をして彼の後方に目をやった。
「あっ、ゾンビマンさん!こっちです、こっち!」
連れがやってきたのか、と思う間もなく、彼女が口にした名前にジーナスは思わず振り向いた。
そこには果たして、S級ヒーローゾンビマン――ジーナスにとっては『実験体サンプル66号』という呼び名の方が馴染み深いが――が立ち尽くしていた。
思いがけない邂逅だったが、それは相手にとっても同じかそれ以上の驚きをもたらしたらしく、半端に開いた口元からくわえタバコが落ちた。
「貴様、なぜここに…」
「えっ、お知り合いですか…?」
がく然としているゾンビマンとジーナスを見て、彼女はわけがわからない様子でいる。
とそこへ、更にもう一つの声が割り込んできた。
「博士ー、青海苔と輪ゴム買ってきましたよ…あれ?66号さんじゃないですか、奇遇ですねえ」
「あっ、この間のゴリラさん!」
「あ〜この前の!……ど、どういう状況ですか?これ」
ゴリラと娘は頭の上に疑問符を浮かべながら、お互いの顔とにらみ合う二人の顔を代わる代わる見比べている。
急激にとっ散らかってきた空気に、ジーナスは頭を振るとひとつため息をついた。
「…こんなところで立ち話もなんだ。アーマードゴリラ、椅子をもう一脚出してくれ」