おいでませ無人街
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※「遠きにありて」の後日談的な内容です。フブキ編終了後
※サイタマ、キング、ソニックも登場します。ソニックの扱いは原作と同程度の残念さです
※ほんの少し恋愛要素を意識したようなしてないような…
破れたフェンスを潜り抜けると、寂れた街並みが広がっていた。
「わあ…」
「ナマエさん、こっちだ」
「あ、うん」
案内してくれるジェノスの後を追いながら、ナマエはここ―Z市のゴーストタウン―を物珍しい気持ちで見回した。
一見しただけではあまりわからないが、よく見れば建物のヒビがそのままだったり瓦礫が放置されたりしている。
何よりも人の気配というものがまったくしない。
本来ならば歩行者で溢れていただろうアーケードは、しんとして二人分の足音が響くばかりだ。
「本当に誰も住んでないんだね」
「ああ。先生が言うには、以前は浮浪者などを見かけることもあったそうだが、皆怪人を恐れていなくなったそうだ」
「そうなんだ…ぅわっと!」
足元への注意が疎かになっていた為か、歩道ブロックの剥がれたところに躓いてつんのめった。
即座に差し伸べられた金属の腕に支えられ事なきを得る。
「大丈夫か」
「あ、ありがと…あはは」
抱き留められたような形になってしまい、照れ笑いをしながら体を起こす。
ジェノスはというと落ち着いたもので、ナマエの無事を確認するとまた前を向いて歩き出した。
しかしその歩調は恐らく彼本来のスピードより随分遅いと思われた。
(ほんとにヒーローって感じ…格好いいなぁジェノスくん)
密かに胸をときめかせながら並んで歩く。
前回ジェノスに会いにZ市を訪れてから、ひと月が経過した。
諸々の事情からジェノスと普通に話ができるようになったのは帰る直前のことで、その時は気がつかなかったが、わだかまりがなくなった今、彼がナマエを守るべき存在として接しているらしいのがダイレクトに伝わってきて浮足立ってしまう。
それはもちろんジェノスがヒーローであるからで、ここが危険な無人街だからなのだが。
昔抱いていた恋心は他のいろいろな思いと共に一度砕け散ってしまった。
今もジェノスのことは好きだが、どちらかというと同じ思いを分かち合った大切な友人という面の方が大きい。
S級ヒーローとなった彼の方も、今は恋愛どころではないだろう。
しかし、一度は片思いをしていた相手に優しくされれば反応してしまうのが乙女心というものだ。
つらつらと考えていたナマエは、手に提げた袋の中身に思い当たってハッとした。
瓶入りだけど固定されているから、さっき躓いたのも何ともないとは思うけど。
袋を覗き込んでいると、ジェノスがそれに気づいた。
「それは何だ」
「あ、これお土産だよ。そうだ…甘いものだけどサイタマさん嫌いじゃないかな」
「特に好んで食べてはいないが、先生は食べ物の類なら何でも好きだ。バレンタインの翌日にはチョコレートを買い集めていた」
「な、何で翌日に?」
「見切り品で安く買えるからだそうだ」
セコい。
思わず抱いてしまった感想を胸の奥に仕舞い込む。
サイタマと話をしたのはほんのわずかな時間で、ジェノスにとって良い師匠である、という点については何ら疑いを持っていないが、どうやらけっこう変わった人のようだ。
まずこんな危険地帯に住んでいる時点で変わっている。
ヒーローはともかく、自分のような一般人の知り合いがいたら行き来に不便ではないのだろうか。
「ここって外との行き来が大変じゃない?サイタマさんのお友達とか、気軽に家に呼べないよね」
尋ねてみると、ジェノスは少し考える素振りをした後答えた。
「いや、家を訪ねてくるのは実力者のヒーローばかりだからその心配はない。ヒーローでない者を招くのは、俺が弟子入りしてからだとナマエさんが初めてになる」
「あっそうなんだ」
「先生の周りには自ずと強者が集まってくるようだ…いや、一人例外がいたな。部外者というか変質者というか」
「へ、変質者?」
なぜか顔を険しくしたジェノスに思わず聞き返すと「何でもない。気にしないでくれ」と言われ、ナマエは口をつぐんだ。
しかしこんな辺鄙な場所に住み、S級ヒーローという多忙な身でも、ジェノスにはそれなりに人付き合いがあるようだ。
ナマエはなんとなくそのことが嬉しくなり、ひそかに口元を緩めた。
アーケードに続く商店街を抜けしばらく歩くと、高架道路が見えてきた。
「あのマンションだ」
ジェノスは高架道路沿いの通りにある建物を指差した。
見た目はごく普通の集合住宅だが、やはり日中なのにまるで人通りも車もないのが異様だった。
しかし、その中の1室だけベランダに洗濯物が干してある。
ジェノスに続いて階段を上りがらんとした外廊下を歩く。
ある部屋の前までくると、扉の中から微かにテレビの音が聴こえた。
迷いなくその扉を開けたジェノスに続いて狭い玄関口へ入る。
「先生、ナマエさんを連れてきました」
先に靴を脱いで上がったジェノスが部屋の奥へ呼び掛けると、テレビの音に混じって、おう、と間延びした返事があった。
「お、お邪魔します」
慌てて靴を脱ぎ、ワンルームの奥をこわごわ覗き込むと、寝転がったサイタマがこちらを振り返った。
「あ、いらっしゃい」
先日とは違って黄色いヒーロースーツを身につけているが、つけっぱなしのテレビを前に携帯ゲーム機で遊ぶ姿は脱力感に溢れていて、ナマエは一気に肩の力が抜けた。
きょろきょろと部屋を見回す。
「ここ、電気も通ってるんですね」
「うん、なんか管理されてねーけどそのままになってるらしい」
挨拶もそこそこに思ったまんまを言うと、サイタマもゲームを操作する傍ら返答をするしでなんだかグダグダだ。
ジェノスもまたマイペースに座蒲団を敷いている。
「座ってくれ」
座蒲団を薦められてそこで手に持った袋の存在に改めて気づいた。
ビニールの袋の中から箱を取り出し卓袱台の上に置く。
「あの、これお土産です。うちの近くの洋菓子屋さんで人気のやつで…」
ジェノスの言った通りサイタマは興味を示した。
体を起こして紙箱の封を開けると、僅かに瞳が輝いた。
「なんだこれ、くれんの?」
「生プリンっていうんです」
「生…なんかすごそうだな」
「何が生なのかはよくわかんないんですけど…」
「はは、なんだそれ」
ナマエの言葉に笑った後サイタマは、サンキュ、と礼を言った。
表情の変化が乏しくわかりにくいが明らかに喜んでいる。
ぼうっとしているし無作法だし、ナマエの周りにいる『ちゃんとした大人』と較べると、サイタマはやっぱり『変な人』だ。
だけどなんだか憎めない。
そこへジェノスがお盆を持ってやってきた。
「紅茶で構わないか」
「あっありがとう」
湯のみではなくティーカップに入った液体をみて、サイタマはおやと思った。
普段家で飲むのは緑茶だから、これはたしか何かのおまけでもらって置いておいたティーバッグだ。
わざわざそれを淹れたのは、ジェノスなりに気を遣ったのだろうか。
いただきます、と紅茶で一息ついているナマエは、よく考えたらここでは珍しい『若い女の子』という人種の来客だ。
自分のことは置いておいて、いくつもファンクラブなどあるらしい弟子は女性にはモテるものの、本人はまったく興味なしという態度だ。
それに比べるとナマエにはずいぶん態度が柔らかいように思えた。
彼女は再会した友達だそうなので、そう特別な意味は無いのかもしれないが。
突拍子もない行動で驚きを与えてくる弟子の普段とは違う様子には、つい注目してしまうサイタマだった。
「なんだこれは…掬いにくすぎる」
ジェノスは生プリンをスプーンで掬おうとしてうまくいかず苦戦している。
爆発物処理でもしているかのような難しい表情に思わず笑ってしまう。
「ツルッとしてるよね」
「うめぇ、なんか口の中で逃げる」
サイタマはというと掻き込むようにもしゃもしゃと食べて既に賞味している。
するとそれを見たジェノスも真似をして、器を口元へ持っていき掻き込んだ。
その様子を密かに微笑ましく思いながら、ナマエも一口食べる。
スーパーのプリンより柔らかく、喉越しもつるりとしている。
「確かに…不思議な食感ですね」
生真面目な顔で感想を述べる様子からして、彼のもつ食事のための機能は人間とほぼ変わらないようだ。
(…「人間の俺は死んだ」ってジェノスくんは言ったけど)
その体を作ったという博士は、おそらくジェノスに人間の体だった頃のことを忘れてほしくないのだろう、とナマエは思った。
そしてそういう人達の存在がジェノスの中の一部が変わらないことに関わっているのだろう、とも。
彼はきっと自分で思うよりも周りに愛されている。
(ハッそうだ、愛されていると言えば)
しんみりした気持ちでジェノスを眺めていたナマエは、訪問の本来の目的を思い出した。
ごそごそとかばんを漁り、写真を二枚取り出す。
「ジェノスくん、これ言ってたサインをお願いしたいやつなんだけど…」
彼自身の写ったブロマイドを差し出すと、受け取ったジェノスは怪訝そうな顔をした。
「なんだこの写真は…撮った覚えがないぞ」
彼が戸惑うのもそのはず、焼却砲を構えた姿は怪人との戦闘中と思われる。
ナマエ自身どうやって撮ったんだろうと思ったものだ。
「なんか…非公式でそういうのがあるんだって」
「マジかよ、怖い世の中だなー」
写真を覗き込むサイタマの呑気な感想を聞きながら、ナマエは大学の友人の話を思い出していた。
心配をかけてしまったお詫びとしてジェノスのサインをもらってくることになったのだが、最初彼と昔馴染みであることを伝えた時はサインどころではなく仰天された。
『とんでもないことポロッと言わないでよ!』
『なんとなくで伏せとくレベルの情報じゃなくない!?』
と口々に怒られ、自分の物知らずを恥じた。
そして別な友人がインカレのジェノス非公式ファンサークルに入っていることを知り、じゃあその子にも、と連絡しようとしたところ、
『あの集団はガチだからヤバい!』
『やめときなって、あんた拉致されるよ!』
と今度は口々に止められ、一部ファンの凄まじさを窺い知ることになった。
件の友人はごく常識的な性格でそんな過激さとは結びつかないのだが、ファン心理というのは時に恐ろしいものであるらしい。
そんなことはつゆしらず、ジェノスはマジックペンを取ってくると訝しげに首を傾げた。
「前にも市民に似たような頼み事をされたが、俺の署名に一体何の価値があるんだ。別に達筆だとは思わないが」
中学生の頃、たびたび女子からの熱視線に戸惑いを見せていた彼は、相変わらず周りの自身への評価には興味がないらしい。
「ジェノスくんを好きで応援してる人からすると嬉しいものなんだよ」
「そういうものなのか…サインはヒーローネームを書いた方が良いのか?」
「あっそうだね、そっちの方が良いかも。そうだ、ヒーローネームが決まったんだよね、おめでとう」
ニュースで見たのを思い出してそう言うが、ジェノスは軽く肩を竦めた。
「喜ばしいことなのだろうか。協会が勝手に決めたもので、俺としては特に感慨はない」
「そう?でも『鬼サイボーグ』なんてカッコイイじゃない」
キュッキュッと読みやすい楷書体でサインをするジェノスとそう話していると、ナマエは横から哀しみを帯びたオーラが漂ってくるのに気づき、ギクリとした。
「あ、あの…ハ…サイタマさんのもこう、シンプルでわかりやすいというか…」
公式に発表されたヒーローネームの筈なのになぜか悪口を言っているような気持ちになるその名前を避けてそう述べると、サイタマは乾いた笑いを零した。
「わかりやすい、か…だよな、ハゲててマントつけてる奴なんか俺くらいだもんな」
哀愁を帯びた表情で虚空を見つめるサイタマは完全にやさぐれている。
何か声をかけてあげたいが何と言っていいかわからない。
すると弟子であるジェノスが、先生、と力強く呼びかけた。
「やはりクセーノ博士に相談して人工毛髪を移植しましょう。きっと『ロン毛マント』や『ツーブロックマント』といったヒーローネームへの改訂が認められる筈です」
「だからやんねーって言ってんだろ。それにそんなバレバレの工作したら影で『植毛マント』とか言われるに決まってんだろ!」
「あはは…」
師匠のコンプレックスに土足で踏み込むジェノスに、負けずにどこかズレた反論を返すサイタマ。
ここへ来た時からそんな気はしていたが、これはいわゆる『ツッコミ不在の空間』というやつではないだろうか。
ジェノスがのびのびと過ごせているのは喜ばしいことだが、そこへ果敢につっこんでいく勇気はないナマエだった。
「安心してください、クセーノ博士の技術は本物そっくりの頭髪を生やせます。それにそのような陰口を叩く不届き者は俺が焼却します」
「バカお前、そういう問題じゃねーの。もう良いからヒーローネームの話はおしまい!せっかくお前の友達が来てんだから他の話しようぜ。そうだ、ジェノスって昔はどんなやつだったんだよ?」
「えっ」
マイペース過ぎる二人のやり取りを傍観していたナマエは、突然話がこちらへ向けられて驚いた。
口をつけていたカップを慌てて離す。
「えーっと、そうですね…ジェノスくんは頭も良くて何でもできて、目立ってましたよ。学年に一人はいる『すごい人』って感じです」
「マジかよ、お前昔からそんなんだったのかー」
「いえそんな…大したものでは」
他人からの称賛には無関心なジェノスだが、師匠に褒められるとやはり照れ臭いのか口籠っている。
「なんだっけ、ロケット体操部?だったんだろ。その部活でもエースだったのか?」
「先生、ロボット研究会です」
すかさず訂正するジェノスに続いてナマエも説明する。
「部員皆で作業するからエースとかはないんですけど、でも行き詰まった時の打開策を出してくれたり、急なトラブルに対応したり皆に頼りにされてました。
あ、あと運動会で部活対抗リレーがあったんですけど、ジェノスくん運動部の人達より脚が速くて、改造した配膳ロボットと並走しながらアンカーでごぼう抜きにした時はほんとすごかったですよ!」
「へえーヒーロージェノスくんだな」
「ほんと、ヒーローでした。あ、あとこれは部活じゃなくてクラスで校外学習にいった時の話なんですけど…」
話しているうちに熱が入ってきたのか、目をキラキラとさせて語るナマエは、ジェノスがちらちらと向けている『その辺にしといてくれ』という視線には気がつかない様子だ。
いつもは師匠である自分を過剰に褒めたたえるジェノスが逆の立場に陥っていることが面白く、サイタマは愉快な気持ちになった。
恥ずかしさに耐えられなくなったのか、今度はジェノスがサイタマへ水を向けた。
「先生の話も聞きたいです。先生はどのような学生時代だったのですか?」
サイタマは気乗りしない様子でぼやいた。
「俺の話なんか聞いてもつまんねぇぞ。ただの冴えない子供だったし」
「そんなことはありません。その冴えない子供が今のサイタマ先生へと成長した要因が、昔の出来事に隠されているかもしれません」
「ジェ、ジェノスくん『冴えない』って…」
尊敬してるんだか失礼なんだかわからない物言いに思わず突っ込んでいると、サイタマは困ったように首を捻った。
「うーん、ほんとに話すようなこと何もねーんだよな。部活もしてなかったし、勉強も適当だったし…あ、保健体育はテストでけっこう良い点とったことある」
「へえ、副教科が得意教科って珍しいですね」
平々凡々とした感想を述べるナマエとは違い、それを聞いたジェノスは突然前のめりになった。
「それは…!学生時代の先生が何か特殊なトレーニングの知識を手に入れていたということですか」
ジェノスの勢いにつられてナマエも居住まいを正す。
なんでもサイタマは途方もなく強い、らしい。
それが学校の保健体育のテストと関係があるのかは謎だが。
固唾を飲んで見守る2人の視線の先、ズズーと紅茶を飲んだサイタマはのほほんとした顔で言った。
「いや、保健体育の教科書ってちょっとエロいこと書いてあるじゃん。未成年でエロ本買えないから代わりに読んでたら良い点とれた」
(ええ…)
期待させる前フリからの残念な事情にナマエは思わず困惑顔になった。
ジェノスはとその顔を見ると、前のめりで驚愕の表情を作ったままの彼は、しばらく固まっていた後我に返ると難しい顔で呟いた。
「そうか…あくまで法を侵さずにいかに自分の望みを叶えるかという、発想力と遵法精神を培うことに繋がるのか、なるほど」
そしてどこからともなくノートを取り出してメモし始めたジェノスを前に、たぶんそんな意図はないだろう、とナマエは思ったが、何も言うまいと口をつぐんだ。
今はただ「これもう一個食っていい?」と二つ目の生プリンを取り出したサイタマに「どうぞ、これ美味しいですよね」と微笑むことしかできないのだった。
※サイタマ、キング、ソニックも登場します。ソニックの扱いは原作と同程度の残念さです
※ほんの少し恋愛要素を意識したようなしてないような…
破れたフェンスを潜り抜けると、寂れた街並みが広がっていた。
「わあ…」
「ナマエさん、こっちだ」
「あ、うん」
案内してくれるジェノスの後を追いながら、ナマエはここ―Z市のゴーストタウン―を物珍しい気持ちで見回した。
一見しただけではあまりわからないが、よく見れば建物のヒビがそのままだったり瓦礫が放置されたりしている。
何よりも人の気配というものがまったくしない。
本来ならば歩行者で溢れていただろうアーケードは、しんとして二人分の足音が響くばかりだ。
「本当に誰も住んでないんだね」
「ああ。先生が言うには、以前は浮浪者などを見かけることもあったそうだが、皆怪人を恐れていなくなったそうだ」
「そうなんだ…ぅわっと!」
足元への注意が疎かになっていた為か、歩道ブロックの剥がれたところに躓いてつんのめった。
即座に差し伸べられた金属の腕に支えられ事なきを得る。
「大丈夫か」
「あ、ありがと…あはは」
抱き留められたような形になってしまい、照れ笑いをしながら体を起こす。
ジェノスはというと落ち着いたもので、ナマエの無事を確認するとまた前を向いて歩き出した。
しかしその歩調は恐らく彼本来のスピードより随分遅いと思われた。
(ほんとにヒーローって感じ…格好いいなぁジェノスくん)
密かに胸をときめかせながら並んで歩く。
前回ジェノスに会いにZ市を訪れてから、ひと月が経過した。
諸々の事情からジェノスと普通に話ができるようになったのは帰る直前のことで、その時は気がつかなかったが、わだかまりがなくなった今、彼がナマエを守るべき存在として接しているらしいのがダイレクトに伝わってきて浮足立ってしまう。
それはもちろんジェノスがヒーローであるからで、ここが危険な無人街だからなのだが。
昔抱いていた恋心は他のいろいろな思いと共に一度砕け散ってしまった。
今もジェノスのことは好きだが、どちらかというと同じ思いを分かち合った大切な友人という面の方が大きい。
S級ヒーローとなった彼の方も、今は恋愛どころではないだろう。
しかし、一度は片思いをしていた相手に優しくされれば反応してしまうのが乙女心というものだ。
つらつらと考えていたナマエは、手に提げた袋の中身に思い当たってハッとした。
瓶入りだけど固定されているから、さっき躓いたのも何ともないとは思うけど。
袋を覗き込んでいると、ジェノスがそれに気づいた。
「それは何だ」
「あ、これお土産だよ。そうだ…甘いものだけどサイタマさん嫌いじゃないかな」
「特に好んで食べてはいないが、先生は食べ物の類なら何でも好きだ。バレンタインの翌日にはチョコレートを買い集めていた」
「な、何で翌日に?」
「見切り品で安く買えるからだそうだ」
セコい。
思わず抱いてしまった感想を胸の奥に仕舞い込む。
サイタマと話をしたのはほんのわずかな時間で、ジェノスにとって良い師匠である、という点については何ら疑いを持っていないが、どうやらけっこう変わった人のようだ。
まずこんな危険地帯に住んでいる時点で変わっている。
ヒーローはともかく、自分のような一般人の知り合いがいたら行き来に不便ではないのだろうか。
「ここって外との行き来が大変じゃない?サイタマさんのお友達とか、気軽に家に呼べないよね」
尋ねてみると、ジェノスは少し考える素振りをした後答えた。
「いや、家を訪ねてくるのは実力者のヒーローばかりだからその心配はない。ヒーローでない者を招くのは、俺が弟子入りしてからだとナマエさんが初めてになる」
「あっそうなんだ」
「先生の周りには自ずと強者が集まってくるようだ…いや、一人例外がいたな。部外者というか変質者というか」
「へ、変質者?」
なぜか顔を険しくしたジェノスに思わず聞き返すと「何でもない。気にしないでくれ」と言われ、ナマエは口をつぐんだ。
しかしこんな辺鄙な場所に住み、S級ヒーローという多忙な身でも、ジェノスにはそれなりに人付き合いがあるようだ。
ナマエはなんとなくそのことが嬉しくなり、ひそかに口元を緩めた。
アーケードに続く商店街を抜けしばらく歩くと、高架道路が見えてきた。
「あのマンションだ」
ジェノスは高架道路沿いの通りにある建物を指差した。
見た目はごく普通の集合住宅だが、やはり日中なのにまるで人通りも車もないのが異様だった。
しかし、その中の1室だけベランダに洗濯物が干してある。
ジェノスに続いて階段を上りがらんとした外廊下を歩く。
ある部屋の前までくると、扉の中から微かにテレビの音が聴こえた。
迷いなくその扉を開けたジェノスに続いて狭い玄関口へ入る。
「先生、ナマエさんを連れてきました」
先に靴を脱いで上がったジェノスが部屋の奥へ呼び掛けると、テレビの音に混じって、おう、と間延びした返事があった。
「お、お邪魔します」
慌てて靴を脱ぎ、ワンルームの奥をこわごわ覗き込むと、寝転がったサイタマがこちらを振り返った。
「あ、いらっしゃい」
先日とは違って黄色いヒーロースーツを身につけているが、つけっぱなしのテレビを前に携帯ゲーム機で遊ぶ姿は脱力感に溢れていて、ナマエは一気に肩の力が抜けた。
きょろきょろと部屋を見回す。
「ここ、電気も通ってるんですね」
「うん、なんか管理されてねーけどそのままになってるらしい」
挨拶もそこそこに思ったまんまを言うと、サイタマもゲームを操作する傍ら返答をするしでなんだかグダグダだ。
ジェノスもまたマイペースに座蒲団を敷いている。
「座ってくれ」
座蒲団を薦められてそこで手に持った袋の存在に改めて気づいた。
ビニールの袋の中から箱を取り出し卓袱台の上に置く。
「あの、これお土産です。うちの近くの洋菓子屋さんで人気のやつで…」
ジェノスの言った通りサイタマは興味を示した。
体を起こして紙箱の封を開けると、僅かに瞳が輝いた。
「なんだこれ、くれんの?」
「生プリンっていうんです」
「生…なんかすごそうだな」
「何が生なのかはよくわかんないんですけど…」
「はは、なんだそれ」
ナマエの言葉に笑った後サイタマは、サンキュ、と礼を言った。
表情の変化が乏しくわかりにくいが明らかに喜んでいる。
ぼうっとしているし無作法だし、ナマエの周りにいる『ちゃんとした大人』と較べると、サイタマはやっぱり『変な人』だ。
だけどなんだか憎めない。
そこへジェノスがお盆を持ってやってきた。
「紅茶で構わないか」
「あっありがとう」
湯のみではなくティーカップに入った液体をみて、サイタマはおやと思った。
普段家で飲むのは緑茶だから、これはたしか何かのおまけでもらって置いておいたティーバッグだ。
わざわざそれを淹れたのは、ジェノスなりに気を遣ったのだろうか。
いただきます、と紅茶で一息ついているナマエは、よく考えたらここでは珍しい『若い女の子』という人種の来客だ。
自分のことは置いておいて、いくつもファンクラブなどあるらしい弟子は女性にはモテるものの、本人はまったく興味なしという態度だ。
それに比べるとナマエにはずいぶん態度が柔らかいように思えた。
彼女は再会した友達だそうなので、そう特別な意味は無いのかもしれないが。
突拍子もない行動で驚きを与えてくる弟子の普段とは違う様子には、つい注目してしまうサイタマだった。
「なんだこれは…掬いにくすぎる」
ジェノスは生プリンをスプーンで掬おうとしてうまくいかず苦戦している。
爆発物処理でもしているかのような難しい表情に思わず笑ってしまう。
「ツルッとしてるよね」
「うめぇ、なんか口の中で逃げる」
サイタマはというと掻き込むようにもしゃもしゃと食べて既に賞味している。
するとそれを見たジェノスも真似をして、器を口元へ持っていき掻き込んだ。
その様子を密かに微笑ましく思いながら、ナマエも一口食べる。
スーパーのプリンより柔らかく、喉越しもつるりとしている。
「確かに…不思議な食感ですね」
生真面目な顔で感想を述べる様子からして、彼のもつ食事のための機能は人間とほぼ変わらないようだ。
(…「人間の俺は死んだ」ってジェノスくんは言ったけど)
その体を作ったという博士は、おそらくジェノスに人間の体だった頃のことを忘れてほしくないのだろう、とナマエは思った。
そしてそういう人達の存在がジェノスの中の一部が変わらないことに関わっているのだろう、とも。
彼はきっと自分で思うよりも周りに愛されている。
(ハッそうだ、愛されていると言えば)
しんみりした気持ちでジェノスを眺めていたナマエは、訪問の本来の目的を思い出した。
ごそごそとかばんを漁り、写真を二枚取り出す。
「ジェノスくん、これ言ってたサインをお願いしたいやつなんだけど…」
彼自身の写ったブロマイドを差し出すと、受け取ったジェノスは怪訝そうな顔をした。
「なんだこの写真は…撮った覚えがないぞ」
彼が戸惑うのもそのはず、焼却砲を構えた姿は怪人との戦闘中と思われる。
ナマエ自身どうやって撮ったんだろうと思ったものだ。
「なんか…非公式でそういうのがあるんだって」
「マジかよ、怖い世の中だなー」
写真を覗き込むサイタマの呑気な感想を聞きながら、ナマエは大学の友人の話を思い出していた。
心配をかけてしまったお詫びとしてジェノスのサインをもらってくることになったのだが、最初彼と昔馴染みであることを伝えた時はサインどころではなく仰天された。
『とんでもないことポロッと言わないでよ!』
『なんとなくで伏せとくレベルの情報じゃなくない!?』
と口々に怒られ、自分の物知らずを恥じた。
そして別な友人がインカレのジェノス非公式ファンサークルに入っていることを知り、じゃあその子にも、と連絡しようとしたところ、
『あの集団はガチだからヤバい!』
『やめときなって、あんた拉致されるよ!』
と今度は口々に止められ、一部ファンの凄まじさを窺い知ることになった。
件の友人はごく常識的な性格でそんな過激さとは結びつかないのだが、ファン心理というのは時に恐ろしいものであるらしい。
そんなことはつゆしらず、ジェノスはマジックペンを取ってくると訝しげに首を傾げた。
「前にも市民に似たような頼み事をされたが、俺の署名に一体何の価値があるんだ。別に達筆だとは思わないが」
中学生の頃、たびたび女子からの熱視線に戸惑いを見せていた彼は、相変わらず周りの自身への評価には興味がないらしい。
「ジェノスくんを好きで応援してる人からすると嬉しいものなんだよ」
「そういうものなのか…サインはヒーローネームを書いた方が良いのか?」
「あっそうだね、そっちの方が良いかも。そうだ、ヒーローネームが決まったんだよね、おめでとう」
ニュースで見たのを思い出してそう言うが、ジェノスは軽く肩を竦めた。
「喜ばしいことなのだろうか。協会が勝手に決めたもので、俺としては特に感慨はない」
「そう?でも『鬼サイボーグ』なんてカッコイイじゃない」
キュッキュッと読みやすい楷書体でサインをするジェノスとそう話していると、ナマエは横から哀しみを帯びたオーラが漂ってくるのに気づき、ギクリとした。
「あ、あの…ハ…サイタマさんのもこう、シンプルでわかりやすいというか…」
公式に発表されたヒーローネームの筈なのになぜか悪口を言っているような気持ちになるその名前を避けてそう述べると、サイタマは乾いた笑いを零した。
「わかりやすい、か…だよな、ハゲててマントつけてる奴なんか俺くらいだもんな」
哀愁を帯びた表情で虚空を見つめるサイタマは完全にやさぐれている。
何か声をかけてあげたいが何と言っていいかわからない。
すると弟子であるジェノスが、先生、と力強く呼びかけた。
「やはりクセーノ博士に相談して人工毛髪を移植しましょう。きっと『ロン毛マント』や『ツーブロックマント』といったヒーローネームへの改訂が認められる筈です」
「だからやんねーって言ってんだろ。それにそんなバレバレの工作したら影で『植毛マント』とか言われるに決まってんだろ!」
「あはは…」
師匠のコンプレックスに土足で踏み込むジェノスに、負けずにどこかズレた反論を返すサイタマ。
ここへ来た時からそんな気はしていたが、これはいわゆる『ツッコミ不在の空間』というやつではないだろうか。
ジェノスがのびのびと過ごせているのは喜ばしいことだが、そこへ果敢につっこんでいく勇気はないナマエだった。
「安心してください、クセーノ博士の技術は本物そっくりの頭髪を生やせます。それにそのような陰口を叩く不届き者は俺が焼却します」
「バカお前、そういう問題じゃねーの。もう良いからヒーローネームの話はおしまい!せっかくお前の友達が来てんだから他の話しようぜ。そうだ、ジェノスって昔はどんなやつだったんだよ?」
「えっ」
マイペース過ぎる二人のやり取りを傍観していたナマエは、突然話がこちらへ向けられて驚いた。
口をつけていたカップを慌てて離す。
「えーっと、そうですね…ジェノスくんは頭も良くて何でもできて、目立ってましたよ。学年に一人はいる『すごい人』って感じです」
「マジかよ、お前昔からそんなんだったのかー」
「いえそんな…大したものでは」
他人からの称賛には無関心なジェノスだが、師匠に褒められるとやはり照れ臭いのか口籠っている。
「なんだっけ、ロケット体操部?だったんだろ。その部活でもエースだったのか?」
「先生、ロボット研究会です」
すかさず訂正するジェノスに続いてナマエも説明する。
「部員皆で作業するからエースとかはないんですけど、でも行き詰まった時の打開策を出してくれたり、急なトラブルに対応したり皆に頼りにされてました。
あ、あと運動会で部活対抗リレーがあったんですけど、ジェノスくん運動部の人達より脚が速くて、改造した配膳ロボットと並走しながらアンカーでごぼう抜きにした時はほんとすごかったですよ!」
「へえーヒーロージェノスくんだな」
「ほんと、ヒーローでした。あ、あとこれは部活じゃなくてクラスで校外学習にいった時の話なんですけど…」
話しているうちに熱が入ってきたのか、目をキラキラとさせて語るナマエは、ジェノスがちらちらと向けている『その辺にしといてくれ』という視線には気がつかない様子だ。
いつもは師匠である自分を過剰に褒めたたえるジェノスが逆の立場に陥っていることが面白く、サイタマは愉快な気持ちになった。
恥ずかしさに耐えられなくなったのか、今度はジェノスがサイタマへ水を向けた。
「先生の話も聞きたいです。先生はどのような学生時代だったのですか?」
サイタマは気乗りしない様子でぼやいた。
「俺の話なんか聞いてもつまんねぇぞ。ただの冴えない子供だったし」
「そんなことはありません。その冴えない子供が今のサイタマ先生へと成長した要因が、昔の出来事に隠されているかもしれません」
「ジェ、ジェノスくん『冴えない』って…」
尊敬してるんだか失礼なんだかわからない物言いに思わず突っ込んでいると、サイタマは困ったように首を捻った。
「うーん、ほんとに話すようなこと何もねーんだよな。部活もしてなかったし、勉強も適当だったし…あ、保健体育はテストでけっこう良い点とったことある」
「へえ、副教科が得意教科って珍しいですね」
平々凡々とした感想を述べるナマエとは違い、それを聞いたジェノスは突然前のめりになった。
「それは…!学生時代の先生が何か特殊なトレーニングの知識を手に入れていたということですか」
ジェノスの勢いにつられてナマエも居住まいを正す。
なんでもサイタマは途方もなく強い、らしい。
それが学校の保健体育のテストと関係があるのかは謎だが。
固唾を飲んで見守る2人の視線の先、ズズーと紅茶を飲んだサイタマはのほほんとした顔で言った。
「いや、保健体育の教科書ってちょっとエロいこと書いてあるじゃん。未成年でエロ本買えないから代わりに読んでたら良い点とれた」
(ええ…)
期待させる前フリからの残念な事情にナマエは思わず困惑顔になった。
ジェノスはとその顔を見ると、前のめりで驚愕の表情を作ったままの彼は、しばらく固まっていた後我に返ると難しい顔で呟いた。
「そうか…あくまで法を侵さずにいかに自分の望みを叶えるかという、発想力と遵法精神を培うことに繋がるのか、なるほど」
そしてどこからともなくノートを取り出してメモし始めたジェノスを前に、たぶんそんな意図はないだろう、とナマエは思ったが、何も言うまいと口をつぐんだ。
今はただ「これもう一個食っていい?」と二つ目の生プリンを取り出したサイタマに「どうぞ、これ美味しいですよね」と微笑むことしかできないのだった。
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