遠きにありて
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
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足元に落ちた影が、いつの間にか長く伸びている。
そろそろ帰らなければ、ホテルに着く頃には暗くなってしまう。
頭ではわかっているのに、ナマエはぼうっとしたまま動けずにいた。
昨日も、一昨日も、こうしてジェノスと待ち合わせをしていたベンチに日がな一日座っていた。
特別講義は終了し、一緒に来た友人達はとっくにZ市を離れている。
用があるからと曖昧に断って、ナマエだけが滞在を延期していた。
様子のおかしいナマエを心配して別れてからも携帯に連絡が来ているが、返事をかえせていない。
それも当然だ。本当は用なんてない。
それなのに、明日からは通常の授業が始まる今日に至ってもまだ、ナマエは不毛な待ちぼうけを続けている。
帰らなければ。ジェノスはもうここへは来ない。
全て忘れて自分も前を向かなければ。
そう思うのに、体は少しも動いてくれない。
――一体何を待ってるの?
自分に問いかける。
きっと助けてくれる誰かを待っている。
自分はとても弱くて、一人では立ち上がれないから。
でもそんなもの来はしない。
だから故郷の街はなくなってしまったし、彼は元の体を失った。
未だに甘ったれた期待をする自分が本当に嫌になる。
そう思って固く目を瞑った時だった。
ざっと地面を踏む音が聞こえ、顔を上げると男の人が立っていた。
「お、」
人影がなく閑散としているとはいえ、美しく整えられた緑のあふれる公園にはなんだか不釣り合いな出で立ちだった。
「うすしお」と印字されたTシャツにハーフパンツ、足元はサンダルという近所のコンビニに行くときのような格好だ。
見知らぬ男性がいきなり現れたのに、まるで警戒心を呼び起こされないのは、あまりに気の抜けた表情をしているからだろうか――とそこまで考えて、傾き始めた陽光がスキンヘッドに反射したのに目を留める。それを見て、ナマエは目の前の人物の名前に思い当たった。
しかし何か言う前に、彼の方が先に口を開いた。
「えーっと…ジェノスの昔の知り合いってあんたか?」
「あ…そうです。あの、サイタマさんですよね」
「おお、うん」
立ち尽くしていたサイタマはこちらに近づき、少し迷ったあとナマエの隣のベンチに腰を下ろした。
ジェノスと自分の間柄を知っているということは、彼がここへ来ていたこと、そしてもう来ない事情やもおおまかに話をきいているのだろう。
なにか伝言だろうか。それとも、師匠として文句を言いにきたのか。
座ったっきり言葉を発しないサイタマに、ナマエは耐えられなくなり口を開いた。
「あの、ジェノスくんまだ怒ってますか」
突然話しかけられて驚いたのか、サイタマは短く「え」と発した。
「いや怒っ…まあ、うん、どうだろ」
改めて最後のやり取りを思い起こし、ナマエは表情を歪めた。
彼の抱えている痛みや苦しみを、自分は見ようともしなかった。
そんなのは些末なことだと端に追いやって、綺麗な思い出だけに浸っていたかった。
謝る相手はサイタマではないのに、言葉が勝手に口をついて出ていた。
「…私、本当は4年前のあの日あそこにはいなかったんです」
サイタマはこちらを見ているようだったが、何も言わずに聞いている。
「街が襲われたのも後から離れたところで知って、正直言って今でもどこか実感がないんです。その当時ショックは受けましたけど、親身になってくれる人達も周りにいたし…でも、」
大きく息を吸ったはずみに、視界がぼやけた。
「でも、ジェノスくんはそうじゃないんですよね。あの場所にいて街が壊れるのも、ひ、人が死ぬのもぜんぶ見たんですよね。それで体をサイボーグにしてまで…」
ジェノスが体を改造した理由をはっきりと聞いてはいない。
けれど悲惨な体験をして、それに対抗する力を得るべく戦闘サイボーグとなっただろうことは容易に想像できた。
彼はやるべきことをいつも分かっている人だから。
けれど、その過程で何も感じなかったわけはない。
当時の彼も自分と同じ、ほんの子どもだったのだから。
「なのに私、無神経に昔の話ばっかりして…ジェノスくんが私に腹を立てるのも当然ですよね」
堪えきれず水滴が頬を滑り落ちた。
すぐに手で拭ったが、こんなに近くでは泣いているのは丸わかりだろう。
案の定、困っているような空気が隣から伝わってくる。
止まれ、止まれ、と念じながら目元を押さえていると、あーとかうーとかいう唸り声の後、おもむろにサイタマが口を開いた。
「…俺さ、ヒーローになるって決めて大学辞めた時、親と喧嘩別れしてさ」
「えっ?」
激しく飛躍した話題に驚いて、ナマエは思わず顔を上げた。
サイタマの方に顔を向けると、彼は相変わらず無表情ではあったが、なにか懸命に言葉を捻り出そうとしているようだった。
弾みで涙も引っ込んでしまい、ぽかんとサイタマを見つめていると、彼は再び話し始めた。
「怒られんのもわかるんだけどさ、俺としては真剣に考えたから、ちょっとは分かって欲しかったっていうのもあって、頭きたからもう絶対実家には戻んねーってそこから連絡もしてなくてさ」
茫洋した表情の横顔をナマエは見つめた。
「今になってみると大人気なかったと思うし、いい加減顔くらい見せてもいんじゃねとか考えたりするんだけど、でも人に自慢できる程の生活もしてねえし、こんなんで帰ったら向こうも気まずいだろうしまぁいっかと思ってんだけど……いや気まずいって髪のことじゃないから」
「あっごめんなさい」
無意識に頭部に吸い寄せられていた視線を慌てて伏せる。
サイタマは「まぁそれもなくはないけど」と言って頭をつるりと撫でた。
しかし、サイタマと実家との関係はよくわかったが、なぜいきなりその話をされているのだろう、とナマエが戸惑っているとサイタマはぼそりと呟いた。
「でもさ、別に嫌いになったわけじゃないんだよな」
その言葉にサイタマの方を見る。
難しい顔をしている。なんとなく、彼自身も初めてその感情と向き合おうとしているのではないか、と思った。
「実家らへんで怪人出たってニュースみたら大丈夫かなって気になるしさ。
別にそれで駆け付けたりはしないんだけど…今はほぼ関わりないけどそれはそれとしてやっぱ元気でいてほしいっていうか」
そこまで言って、駄目だぜんぜんまとまらねえ、と彼ははげ頭を抱えた。
少しの間考え込んだ後、ナマエの方を向いた。
おぼつかない様子で切り出す。
「えっと…なんかよくわかんなくなっちまったけど、要するにジェノスにとっての昔のことも、実家みたいなものなんじゃねえかと思うんだよな」
「実家…ですか」
考えたこともなかった視点に目を瞬いていると、サイタマはうん、と肯いた。
「思い出したくないわけじゃないし、あんたが生きてたことも嬉しいんだよ、うまく向き合えないだけで。
そうでなきゃ、仇討ちのために強くなろうとして無理やり弟子入りなんかしないだろ」
「えっ無理やりだったんですか」
「あ、いや、無理やりっていうか」
ナマエがあからさまに驚いた顔をしたからかサイタマは言葉を濁したが、最終的に「うん、まあけっこう無理やりだったかな…」と認めた。
彼にはこうと決めたら止まらない行動的なところはあったが、それがややエキセントリックな方向へ進化しているのかもしれなかった。
「あいつくそ真面目だし、もっとめんどくさい考え方してるのかもしんねえけど。
でもあんたが嫌いだから会いたくないとか、そういうことじゃないと思う。
それに、そうやって昔のことを考えるの、ジェノスにとっても大事なことなんじゃねえかと思うんだよな」
そうなのだろうか。
サイタマの言うとおり、失われた過去はジェノスにとっても無駄なものではないのだろうか。
自分が会いに来たことは、今の彼に何か良いものをもたらせるのだろうか。
考え込んでいると、サイタマは何やら言いにくそうに後ろ頭をかきながらナマエを正面から見た。
無機質なようにみえた黒い小さな瞳は、意外なほど優しげだった。
「だからさ、もう一回あいつと話してやってくんねえかな」
たのむ、と短く告げたサイタマは、不器用だけれど確かに弟子を思いやる『先生』の顔をしていた。