遠きにありて
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※夢主はジェノスの元同級生です
※深海王編の後辺りの話 片思いのような友情夢のような
思い出の中の故郷は、いつも美しいままだ。
「近頃はどうですか、調子の方は」
いつもお決まりの質問に、ナマエは軽く微笑んで頷き返した。
「特に変わりはないです。夜もよく眠れてます」
「大学生活は楽しめてますか?もう慣れました?」
落ち着いた声が続けて問い掛ける。
「んー、授業と課題でせいいっぱいって感じです。でも、やりたかった分野のことなのでこれからも頑張りたいです」
それを聞くと、新しく担当になったカウンセラーは安心したように笑った。
「未来のことに意識が向いているのはとても良いことですね。このまま良い状態を保っていきましょう」
表情の上では笑顔を返しながら、心の中の空白が、また寂しい音を立てるのをナマエは聞いた。
あの日から、決して埋まることのない空虚。
それを直視すると居ても立ってもいられなくなるから、目を逸らし続けている。
病院を出て、2駅離れた家へと電車で帰る。
わざわざ自宅マンションから近い病院を探して手配してくれたのは、叔父叔母夫妻だった。
2人はナマエが家を出て一人暮らしをすることにも、初め難色を示していた。
半病人のようだった時期を思い返せば無理もないのかもしれないが、自分はもう回復している、とナマエは思っている。
実際、日々の生活を送り、学校へいき、授業の課題に取り組むことは、何の問題もなくできている。
表面上だけでもうまくやれているのなら、それは回復と言っていいはずだ。
家に帰ってスマホ画面を見ると、同じ学科の友だちから、他校のキャンパスで開かれる講義に行くか、というメッセージがきていた。
機械工学の分野で著名な学者によるもので、学生ならば単位の互換制度もあり、毎回周辺の研究機関からも希望者が多いという。
場所はZ市。自校の授業や課題も忙しく、そのためだけに通うには少し遠い距離だ。
まだ考え中、と返信する。
何気なくテレビを点けてすぐさま後悔に襲われる。
討論番組では、先日J市で起きた海人族による襲撃事件についてコメンテーター達が話し合っている。
その背景の画面に映る街並みは、よく見れば破壊の爪痕が残るものの、8割方修復しつつあった。
S級ヒーローメタルナイトの手によるものだという、工業ロボットが黙々と働いていた。
もう二三日もすれば、J市の住民たちはすっかり元の生活を取り戻すことだろう。
(…もしも)
夢でみる街並みが頭に蘇った。
もしも、あの時にこんなふうに助けてくれる誰かがいたなら。
あの日常は今も続いていたのだろうか。
それは無意味な仮定だ、とすぐさま冷静になる。
一度起きてしまったことは変えられない。
昨日が今日であることなどありえない。
自分にそう言い聞かせ、深呼吸をする。
こうやって詮もない物思いをしてしまうから、災害関連のニュースは苦手だった。
もう一度電源ボタンを押そうとして、しかし寸前でナマエは動きを止めた。
『――S級でも対処できないところまできてますからね。このジェノス氏がサイボーグだったからよかったようなもので普通なら死んでますし、そうなると貴重な戦力を失って今後の防衛にも影響が…』
聞こえた名前に思わず顔を上げると、ボロボロになった金属の塊のようなものが目に入った。
事件当日の映像。
押し合いへし合いする群集を背景に、濡れた地面に打ち捨てられたように横たわっているそれは、確かに人の形をしていた。
頭部と繋がる胸部だけがかろうじて残っている。
ほとんど機械部分が剥きだしになっていたが、遠目にもわかる金色の髪に視線がくぎ付けになった。
「ジェノス…」
まさか。信じられない。
でも、もしかしたら。
矢も盾もたまらず友だちに連絡をとる。
程なくして、いまどき知らないのはナマエくらい、という呆れた文面と共に、人形のように整ったサイボーグヒーローの画像が送られてきた。
***
バァン、という破裂音とともに最強の拳が敵を粉砕する。
「おーいジェノス、無事かー?」
土埃を払いながらこちらに歩いてくる師は、いつも通りのんびりした顔をしている。
瓦礫の間から身を起こして、ジェノスは一礼した。
「申し訳ありません。自分から飛び込んでおいてとんだ失態を…」
「良いって」
慇懃に謝る弟子を軽い調子で遮り、タイムセールに遅れちまうから急ごうぜ、とスーパーの方向へぶらぶらと歩き出した。
深海王との闘いのあと、換装したボディでの初めての戦闘だった。
逸る気持ちで、ここは自分に任せてほしい、と相手の懐に突っ込んだは良いが、搦め手で動きを封じられあっという間に劣勢に陥った。
自分はまだまだだ、と師の背中を追いながら内省する。
サイタマの強さはどんな時でも変わらない。
その秘密を解明するにはまだ程遠いが、平常心を保つことが重要なファクターであることは間違いないように思える。
巨大隕石破壊の際の心境を思い出す。
だが観察していると、育毛剤の通販番組が流れている時などは、心拍数が上がり僅かに興奮状態になることもあるようだ。
センシティブな局面──主に頭髪のことに関わる──では、強さに変動があるのだろうか。
今度手合わせする機会があれば確認してみようと思っていると、ポケットに入れた携帯電話が着信音を鳴らした。
例によってヒーロー協会からの電話だったが、いつも出動要請をしてくるのとは別の、見慣れない部署からだった。
怪訝に思いつつ通話ボタンを押した。
「もしもし、俺だ」
足を止めたジェノスに気づいて、先を行っていたサイタマも振り返り、近づいてくる。
恐縮しきりの職員の話をきいたジェノスはわずかに眉根を寄せた。
「マスコミ対応はしない。前にも言ったはずだ」
自分に会いたいという協会外の者からの連絡があったらしい。
プロヒーローになった当初はこの手の要請は頻繁にあった。
煩わしく思い、毎回突っぱねているうちになくなったのだがしつこい奴もいたものだ。
そう思って電話を切り上げようとしたジェノスは、慌てたようにねじ込まれた話の続きに、思わず目を見開いた。
「…その話は確かなのか」
本人はそのように言っている、裏付けまでは取れていない、是非面会したいとのことで、としどろもどろな説明を聞く間にも、コアの中心が冷えていくのを感じた。
「わかった。今から向かう」
そういって通話を終えると、サイタマがのほほんと声をかけてきた。
「なんだ?また呼び出しか?」
作り物の顔にいつも以上の無表情を貼付けて、ジェノスは淡々と答えた。
「はい、怪人絡みではないのですがヒーロー協会へいく用ができまして、セールには同行できそうにありません」
「おう。わかった」
んじゃあとでな、と去っていくサイタマを見送り、ジェノスはZ市支部へ向けて歩き出した。
少し冷静さを取り戻した頭の中に、先ほどの職員の言葉が蘇る。
『なんでもジェノス様と同郷の知人だとかで、どうしても会えないかと――』
同郷の人間だと。
握りしめた機械の拳がギシリと軋んだ音を立てた。
(…そんな人間は存在しない)
そう、存在する筈がないのだ。
4年前、故郷が襲われたのは早朝のことで、ほとんどの住人は自宅にいた。
さらにジェノスが住んでいた地域は、襲撃を受けた中心にあった。
つまり、自分を見知っている人間はその時に皆死んだのだ。
狂ったサイボーグの手によって。
燃え盛る炎に包まれた街並みがフラッシュバックする。
炎の幻覚に煽られたように、沸々と心の奥に押し込めていた感情が沸き上がった。
自分の過去を知る者は、ヒーロー協会の中でもごく一部だ。
協会外の人間ともなれば、クセーノ以外にはいない。
恐らくどうにかして自分に会う為、でたらめの口実をでっちあげたのだろうが。
(冗談にしても度が過ぎている)
静かな怒りを湛えたまま、ジェノスは足を進めた。
冷静に考えれば、こんなのは悪質な悪戯で、わざわざ会いにいくのは時間の無駄だ。
しかし、それはジェノスにとって決して遊び半分に触れられたくない領域だった。
相手に悪意がなかったのだとしても、それを愚弄した人間を無視できる程、ジェノスは大人ではなかった。
Z市支部に到着し、受付で名乗ると応接室へ通された。
足を踏み入れてすぐに、先に中にいた人物が立ち上がった。
若い女だ。ジェノスの肉体が元のままであったなら、ちょうど同年代くらいか。
やや緊張した面持ちで、瞳は期待感のためか輝いている。
敵意のままに相手を睨みつけようとしたジェノスは、ひたりとこちらを見つめる視線に戸惑った。
こんな非常識なやり方をする人間なのだから、きっと軽薄で礼儀知らずな奴に違いないと思っていた。
しかし目の前の表情は至って真剣で、なにか切実なものが感じられたのだ。
ジェノスが黙ったままでいると、彼女はおずおずと口を開いた。
「あ、あの、突然呼び出してごめんなさい」
ぺこりとお辞儀をする。
「ジェノスくん、だよね…?憶えてるかな、私…あ、ぜんぜん忘れてても無理はないんだけど、そんなすごく仲良いとかじゃなかったし」
不安そうに尋ねたかと思えば、なにやら慌てて取り繕う。
その様子が、ジェノスの中に不思議な感覚を呼び起こした。
記憶の奥深くから浮かび上がる既視感。
そうだ。自分が話しかける時、彼女はいつもこんな風だった。
同い年なのだからそんなに畏まる必要はないのに。
――ジェノスくんは特別っていうか、ほらなんでもできるし、堂々としてるから。みんな一目置いてるんだよ。
ありふれた日常の中にあった、些細なやり取りのひとつ。
「…ナマエ、さん?」
自然と口をついた名前には、学生の頃に戻ったかのように、ぎこちのない敬称がついてきた。
当時の面影を残した顔が、花開くように笑った。
***
小綺麗な応接室では気詰まりなので、と外へ誘い、Z市支部近くの公園の遊歩道を二人は歩いていた。
先ほどから何を言うでもなく黙ったままのジェノスを、チラッと盗み見る。
雨に濡れて傷ついていたサイボーグの体は修復され、つるりとした白い頬が午後の陽光に輝いている。
一見人工物だとはわからないほどに自然だ。
さらに不思議なことに、ジェノスの顔立ちや背格好は、中学生だった頃の彼が順当に成長していたらきっとこんな風だったろう、という青年の姿に作られていた。
――まるで、あの日に何事も起こらなかったかのように。
ぼうっとしたまま斜め前を歩く彼を見つめていると、視線に気づいたジェノスがこちらを振り向いた。
無機質な反転眼。
ナマエの顔にピントを合わせるように、瞳孔の部分がシュインと音を立てて収縮した。
「わっ、」
思いがけず間近で目が合ってしまい、ナマエは慌てた。
「あの…あ、あそこに座ろっか」
ちょうどよくベンチが道の先にあったので指し示す。
ナマエが座ると、ジェノスも隣に腰をおろした。
ミシ、と木製のベンチが重さに軋む音がし、人間のように見えてもやはり機械の体なのだと思わされる。
そうだ。今の彼はサイボーグヒーローとして、日々怪人と闘う立場なのだ。
それもS級ヒーロー。
不躾に押しかけてしまったことを思い出して、ナマエはすまなく思った。
「あの、ごめんね本当に。急に呼び付けたりして…ヒーロー協会を通して以外に連絡を取る方法がわからなくて」
「いや、構わない」
もともと口数の多い方ではなかったが、今のこの態度は不機嫌というよりは、戸惑いからくるものであるらしいのは、微動だにしない姿勢からも感じとれた。
無理もない。
ナマエ自身、あの街に住んでいた昔馴染にこうして会うのは初めてのことだ。
住民のほぼすべてが死亡した。
偶然難を逃れたごく僅かな人達の中に、知り合いは見つけられなかった――突然世界のすべてを奪われた、あの日。
「…私ね、あの時オープンキャンパスで※市に出掛けていて、親戚が住んでいたからその日は泊めてもらったんだ」
ジェノスは黙って耳を傾けている。
「だから…全部後になって知って、もうあの時は何がなんだかわからなくて…落ち着くまでけっこう時間がかかったから」
ジェノスは短く、そうか、とだけ応えた。
「もう私のことを知ってる人も、私が知ってる人も、一人もいないんだと思った」
この4年間、ずっと抱え込んできた空虚と孤独だった。
顔を上げて、こちらを見ていた機械の瞳と視線を合わせる。
「だから…だから、ジェノスくんが生きていてくれて私本当に嬉しいんだ」
それは嘘偽りのない、心からの気持ちだった。
たとえ全身がサイボーグになっていたとしても、彼は自分を憶えていて名前を呼んでくれた。
あの街で生きていたナマエは、彼の記憶の中に存在していた。
そのことが途方もなく嬉しかったのだ。
ジェノスは相変わらずの無表情で黙っていたが、やがて口を開いて言った。
「俺も、」
ふいと視線を逸らされる。
「俺も、知っている生存者は誰もいないと思っていた」
いまだ困惑したままらしいその様子に、ナマエは少しおどけて言った。
「あ、あはは、そうだよね。私しばらくは外に出たり、誰かに連絡するどころじゃなかったし…あ、この春からは※市で大学に行ってるんだ」
今はZ市で開かれている講義のため滞在している、と話す。
ジェノスはというと、Z市在住というのは公式プロフィール通りだったが、なぜか無人街に居を構えているという。
「サイタマ先生の家に居候をしている」
「そのサイタマ先生…もプロヒーローなの?」
「ああ」
詳細はわからないが、二人ともヒーローならば無人街で暮らしていても危険なことはないのだろう。
講義の期間は一週間あった。
ナマエは遠慮がちに口を開いた。
「あの…またこうやって話せるかな」
ジェノスは少しの間口を噤んでいたが、構わない、と了解した。
安堵と共に嬉しさが込み上げる。
明日の同じ時間にまたここで、と約束してジェノスと別れた。
滞在している宿へ向かいながら、ナマエはいまだ夢をみているような心地だった。
(ジェノスくん、すっかり大人だったな…昔から落ち着いてたけど)
思い出さないように閉じ込めていた記憶が、少しずつ浮かび上がる。
※深海王編の後辺りの話 片思いのような友情夢のような
思い出の中の故郷は、いつも美しいままだ。
「近頃はどうですか、調子の方は」
いつもお決まりの質問に、ナマエは軽く微笑んで頷き返した。
「特に変わりはないです。夜もよく眠れてます」
「大学生活は楽しめてますか?もう慣れました?」
落ち着いた声が続けて問い掛ける。
「んー、授業と課題でせいいっぱいって感じです。でも、やりたかった分野のことなのでこれからも頑張りたいです」
それを聞くと、新しく担当になったカウンセラーは安心したように笑った。
「未来のことに意識が向いているのはとても良いことですね。このまま良い状態を保っていきましょう」
表情の上では笑顔を返しながら、心の中の空白が、また寂しい音を立てるのをナマエは聞いた。
あの日から、決して埋まることのない空虚。
それを直視すると居ても立ってもいられなくなるから、目を逸らし続けている。
病院を出て、2駅離れた家へと電車で帰る。
わざわざ自宅マンションから近い病院を探して手配してくれたのは、叔父叔母夫妻だった。
2人はナマエが家を出て一人暮らしをすることにも、初め難色を示していた。
半病人のようだった時期を思い返せば無理もないのかもしれないが、自分はもう回復している、とナマエは思っている。
実際、日々の生活を送り、学校へいき、授業の課題に取り組むことは、何の問題もなくできている。
表面上だけでもうまくやれているのなら、それは回復と言っていいはずだ。
家に帰ってスマホ画面を見ると、同じ学科の友だちから、他校のキャンパスで開かれる講義に行くか、というメッセージがきていた。
機械工学の分野で著名な学者によるもので、学生ならば単位の互換制度もあり、毎回周辺の研究機関からも希望者が多いという。
場所はZ市。自校の授業や課題も忙しく、そのためだけに通うには少し遠い距離だ。
まだ考え中、と返信する。
何気なくテレビを点けてすぐさま後悔に襲われる。
討論番組では、先日J市で起きた海人族による襲撃事件についてコメンテーター達が話し合っている。
その背景の画面に映る街並みは、よく見れば破壊の爪痕が残るものの、8割方修復しつつあった。
S級ヒーローメタルナイトの手によるものだという、工業ロボットが黙々と働いていた。
もう二三日もすれば、J市の住民たちはすっかり元の生活を取り戻すことだろう。
(…もしも)
夢でみる街並みが頭に蘇った。
もしも、あの時にこんなふうに助けてくれる誰かがいたなら。
あの日常は今も続いていたのだろうか。
それは無意味な仮定だ、とすぐさま冷静になる。
一度起きてしまったことは変えられない。
昨日が今日であることなどありえない。
自分にそう言い聞かせ、深呼吸をする。
こうやって詮もない物思いをしてしまうから、災害関連のニュースは苦手だった。
もう一度電源ボタンを押そうとして、しかし寸前でナマエは動きを止めた。
『――S級でも対処できないところまできてますからね。このジェノス氏がサイボーグだったからよかったようなもので普通なら死んでますし、そうなると貴重な戦力を失って今後の防衛にも影響が…』
聞こえた名前に思わず顔を上げると、ボロボロになった金属の塊のようなものが目に入った。
事件当日の映像。
押し合いへし合いする群集を背景に、濡れた地面に打ち捨てられたように横たわっているそれは、確かに人の形をしていた。
頭部と繋がる胸部だけがかろうじて残っている。
ほとんど機械部分が剥きだしになっていたが、遠目にもわかる金色の髪に視線がくぎ付けになった。
「ジェノス…」
まさか。信じられない。
でも、もしかしたら。
矢も盾もたまらず友だちに連絡をとる。
程なくして、いまどき知らないのはナマエくらい、という呆れた文面と共に、人形のように整ったサイボーグヒーローの画像が送られてきた。
***
バァン、という破裂音とともに最強の拳が敵を粉砕する。
「おーいジェノス、無事かー?」
土埃を払いながらこちらに歩いてくる師は、いつも通りのんびりした顔をしている。
瓦礫の間から身を起こして、ジェノスは一礼した。
「申し訳ありません。自分から飛び込んでおいてとんだ失態を…」
「良いって」
慇懃に謝る弟子を軽い調子で遮り、タイムセールに遅れちまうから急ごうぜ、とスーパーの方向へぶらぶらと歩き出した。
深海王との闘いのあと、換装したボディでの初めての戦闘だった。
逸る気持ちで、ここは自分に任せてほしい、と相手の懐に突っ込んだは良いが、搦め手で動きを封じられあっという間に劣勢に陥った。
自分はまだまだだ、と師の背中を追いながら内省する。
サイタマの強さはどんな時でも変わらない。
その秘密を解明するにはまだ程遠いが、平常心を保つことが重要なファクターであることは間違いないように思える。
巨大隕石破壊の際の心境を思い出す。
だが観察していると、育毛剤の通販番組が流れている時などは、心拍数が上がり僅かに興奮状態になることもあるようだ。
センシティブな局面──主に頭髪のことに関わる──では、強さに変動があるのだろうか。
今度手合わせする機会があれば確認してみようと思っていると、ポケットに入れた携帯電話が着信音を鳴らした。
例によってヒーロー協会からの電話だったが、いつも出動要請をしてくるのとは別の、見慣れない部署からだった。
怪訝に思いつつ通話ボタンを押した。
「もしもし、俺だ」
足を止めたジェノスに気づいて、先を行っていたサイタマも振り返り、近づいてくる。
恐縮しきりの職員の話をきいたジェノスはわずかに眉根を寄せた。
「マスコミ対応はしない。前にも言ったはずだ」
自分に会いたいという協会外の者からの連絡があったらしい。
プロヒーローになった当初はこの手の要請は頻繁にあった。
煩わしく思い、毎回突っぱねているうちになくなったのだがしつこい奴もいたものだ。
そう思って電話を切り上げようとしたジェノスは、慌てたようにねじ込まれた話の続きに、思わず目を見開いた。
「…その話は確かなのか」
本人はそのように言っている、裏付けまでは取れていない、是非面会したいとのことで、としどろもどろな説明を聞く間にも、コアの中心が冷えていくのを感じた。
「わかった。今から向かう」
そういって通話を終えると、サイタマがのほほんと声をかけてきた。
「なんだ?また呼び出しか?」
作り物の顔にいつも以上の無表情を貼付けて、ジェノスは淡々と答えた。
「はい、怪人絡みではないのですがヒーロー協会へいく用ができまして、セールには同行できそうにありません」
「おう。わかった」
んじゃあとでな、と去っていくサイタマを見送り、ジェノスはZ市支部へ向けて歩き出した。
少し冷静さを取り戻した頭の中に、先ほどの職員の言葉が蘇る。
『なんでもジェノス様と同郷の知人だとかで、どうしても会えないかと――』
同郷の人間だと。
握りしめた機械の拳がギシリと軋んだ音を立てた。
(…そんな人間は存在しない)
そう、存在する筈がないのだ。
4年前、故郷が襲われたのは早朝のことで、ほとんどの住人は自宅にいた。
さらにジェノスが住んでいた地域は、襲撃を受けた中心にあった。
つまり、自分を見知っている人間はその時に皆死んだのだ。
狂ったサイボーグの手によって。
燃え盛る炎に包まれた街並みがフラッシュバックする。
炎の幻覚に煽られたように、沸々と心の奥に押し込めていた感情が沸き上がった。
自分の過去を知る者は、ヒーロー協会の中でもごく一部だ。
協会外の人間ともなれば、クセーノ以外にはいない。
恐らくどうにかして自分に会う為、でたらめの口実をでっちあげたのだろうが。
(冗談にしても度が過ぎている)
静かな怒りを湛えたまま、ジェノスは足を進めた。
冷静に考えれば、こんなのは悪質な悪戯で、わざわざ会いにいくのは時間の無駄だ。
しかし、それはジェノスにとって決して遊び半分に触れられたくない領域だった。
相手に悪意がなかったのだとしても、それを愚弄した人間を無視できる程、ジェノスは大人ではなかった。
Z市支部に到着し、受付で名乗ると応接室へ通された。
足を踏み入れてすぐに、先に中にいた人物が立ち上がった。
若い女だ。ジェノスの肉体が元のままであったなら、ちょうど同年代くらいか。
やや緊張した面持ちで、瞳は期待感のためか輝いている。
敵意のままに相手を睨みつけようとしたジェノスは、ひたりとこちらを見つめる視線に戸惑った。
こんな非常識なやり方をする人間なのだから、きっと軽薄で礼儀知らずな奴に違いないと思っていた。
しかし目の前の表情は至って真剣で、なにか切実なものが感じられたのだ。
ジェノスが黙ったままでいると、彼女はおずおずと口を開いた。
「あ、あの、突然呼び出してごめんなさい」
ぺこりとお辞儀をする。
「ジェノスくん、だよね…?憶えてるかな、私…あ、ぜんぜん忘れてても無理はないんだけど、そんなすごく仲良いとかじゃなかったし」
不安そうに尋ねたかと思えば、なにやら慌てて取り繕う。
その様子が、ジェノスの中に不思議な感覚を呼び起こした。
記憶の奥深くから浮かび上がる既視感。
そうだ。自分が話しかける時、彼女はいつもこんな風だった。
同い年なのだからそんなに畏まる必要はないのに。
――ジェノスくんは特別っていうか、ほらなんでもできるし、堂々としてるから。みんな一目置いてるんだよ。
ありふれた日常の中にあった、些細なやり取りのひとつ。
「…ナマエ、さん?」
自然と口をついた名前には、学生の頃に戻ったかのように、ぎこちのない敬称がついてきた。
当時の面影を残した顔が、花開くように笑った。
***
小綺麗な応接室では気詰まりなので、と外へ誘い、Z市支部近くの公園の遊歩道を二人は歩いていた。
先ほどから何を言うでもなく黙ったままのジェノスを、チラッと盗み見る。
雨に濡れて傷ついていたサイボーグの体は修復され、つるりとした白い頬が午後の陽光に輝いている。
一見人工物だとはわからないほどに自然だ。
さらに不思議なことに、ジェノスの顔立ちや背格好は、中学生だった頃の彼が順当に成長していたらきっとこんな風だったろう、という青年の姿に作られていた。
――まるで、あの日に何事も起こらなかったかのように。
ぼうっとしたまま斜め前を歩く彼を見つめていると、視線に気づいたジェノスがこちらを振り向いた。
無機質な反転眼。
ナマエの顔にピントを合わせるように、瞳孔の部分がシュインと音を立てて収縮した。
「わっ、」
思いがけず間近で目が合ってしまい、ナマエは慌てた。
「あの…あ、あそこに座ろっか」
ちょうどよくベンチが道の先にあったので指し示す。
ナマエが座ると、ジェノスも隣に腰をおろした。
ミシ、と木製のベンチが重さに軋む音がし、人間のように見えてもやはり機械の体なのだと思わされる。
そうだ。今の彼はサイボーグヒーローとして、日々怪人と闘う立場なのだ。
それもS級ヒーロー。
不躾に押しかけてしまったことを思い出して、ナマエはすまなく思った。
「あの、ごめんね本当に。急に呼び付けたりして…ヒーロー協会を通して以外に連絡を取る方法がわからなくて」
「いや、構わない」
もともと口数の多い方ではなかったが、今のこの態度は不機嫌というよりは、戸惑いからくるものであるらしいのは、微動だにしない姿勢からも感じとれた。
無理もない。
ナマエ自身、あの街に住んでいた昔馴染にこうして会うのは初めてのことだ。
住民のほぼすべてが死亡した。
偶然難を逃れたごく僅かな人達の中に、知り合いは見つけられなかった――突然世界のすべてを奪われた、あの日。
「…私ね、あの時オープンキャンパスで※市に出掛けていて、親戚が住んでいたからその日は泊めてもらったんだ」
ジェノスは黙って耳を傾けている。
「だから…全部後になって知って、もうあの時は何がなんだかわからなくて…落ち着くまでけっこう時間がかかったから」
ジェノスは短く、そうか、とだけ応えた。
「もう私のことを知ってる人も、私が知ってる人も、一人もいないんだと思った」
この4年間、ずっと抱え込んできた空虚と孤独だった。
顔を上げて、こちらを見ていた機械の瞳と視線を合わせる。
「だから…だから、ジェノスくんが生きていてくれて私本当に嬉しいんだ」
それは嘘偽りのない、心からの気持ちだった。
たとえ全身がサイボーグになっていたとしても、彼は自分を憶えていて名前を呼んでくれた。
あの街で生きていたナマエは、彼の記憶の中に存在していた。
そのことが途方もなく嬉しかったのだ。
ジェノスは相変わらずの無表情で黙っていたが、やがて口を開いて言った。
「俺も、」
ふいと視線を逸らされる。
「俺も、知っている生存者は誰もいないと思っていた」
いまだ困惑したままらしいその様子に、ナマエは少しおどけて言った。
「あ、あはは、そうだよね。私しばらくは外に出たり、誰かに連絡するどころじゃなかったし…あ、この春からは※市で大学に行ってるんだ」
今はZ市で開かれている講義のため滞在している、と話す。
ジェノスはというと、Z市在住というのは公式プロフィール通りだったが、なぜか無人街に居を構えているという。
「サイタマ先生の家に居候をしている」
「そのサイタマ先生…もプロヒーローなの?」
「ああ」
詳細はわからないが、二人ともヒーローならば無人街で暮らしていても危険なことはないのだろう。
講義の期間は一週間あった。
ナマエは遠慮がちに口を開いた。
「あの…またこうやって話せるかな」
ジェノスは少しの間口を噤んでいたが、構わない、と了解した。
安堵と共に嬉しさが込み上げる。
明日の同じ時間にまたここで、と約束してジェノスと別れた。
滞在している宿へ向かいながら、ナマエはいまだ夢をみているような心地だった。
(ジェノスくん、すっかり大人だったな…昔から落ち着いてたけど)
思い出さないように閉じ込めていた記憶が、少しずつ浮かび上がる。
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