さよならイノセント
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
※ONE先生版のストーリーを基にしています
※「怪人少年と夏休み」の二年後の設定 同じ夢主です
※ガロウ編終了後から最果て修業場でキングに目撃されるまでの間の出来事を想像で書いたものです
「ねぇねぇ、『ヒーロー狩り』って知ってる?」
ナマエは鞄に筆記用具をしまう手を止め、ちらりと後ろをみた。
噂好きのクラスメイトを中心にした女子のグループが、輪になってお喋りをしていた。
ホームルームが終わり、気の弛んだざわめきの中で、好奇心を含んだ少女たちの声にそれとなく耳をそばだてる。
「知らない。なにそれ?」
「なんかね、ヒーローだけを狙って襲う暴漢なんだって。
ほら、ちょっと前に無免ライダーとかタンクトップ軍団が、原因不明だけど怪我で暫く休養ってニュースあったじゃん?あれそうなんだって。
あたしの親戚のお兄ちゃん協会で働いてんだけどこっそり教えてもらったんだ」
件のクラスメイトは声を潜めてはいるが、抑えた声音はかえって注意をひきつけた。
「えー、なんでそんなことすんだろうね」
「でも襲われるのヒーローだけなら私たち関係なくない?」
「何いってんのよ、守ってくれるヒーローがいなくなったら困るでしょ。ついこの間もZ市やばいことになってたし」
「てかそれ喋って大丈夫なやつなの?」
「あ、まずいかも。ごめん今の忘れて」
「言ってから言うなよ!」
お調子者への突っ込みの後、けらけらと笑い声があがる。
放課後の高校生にとっては、社会問題よりもこれからの自由時間をどう過ごすかという問題の方がウェイトは高い。
話題はすぐ様逸れていった。
「カラオケ行こうよ、しばらく行ってないしさー。あたしウェビギャザの新曲覚えたんだぁ」
「でも最近寄り道するなってウルサイじゃん学校」
「あー、なんか盛り場とか荒れてるみたいなの言ってたね」
「けどそんなの前からじゃない?黙ってたらバレないよ」
話し合う声を聞き流しつつ、帰り支度を終えたナマエは立ち上がったところに、輪の中から声がかかる。
「あっ、ねぇナマエちゃんもいかない?カラオケ」
教室の出口に足を向けたまま、ナマエはクラスメイト達に手を合わせた。
「ごめん、私パス。家事しなきゃいけないんだ」
声をかけてきた友人は目を丸くした。
「え…ナマエちゃん一人暮らし?」
事情を知らない彼女に、同じ中学からの友人が補足を入れる。
「ナマエのママ、病気がちなんだよね。それで時々入院するから」
「うん。近くに親戚が住んでるから、ご飯のおかずとかは作ってもらってるんだけどね」
「えー!そうなんだ、大変ー」
また今度誘ってね、と彼女らに手を振り教室を出る。
携帯で時間を確認すると、病院の面会時間には十分余裕があった。
手提げバッグの中を確認し、文庫本、爪切りなど頼まれたものが入っているのを確認する。
母の衣類は親戚のおばさんがまとめて交換してくれているが、他に要りような細々としたものはナマエが持っていくこともあった。
校舎を出て駅に向かい、病院の最寄り駅への路線ホームへ降りる。
やっぱりナマエちゃんが顔を見せてあげるのが一番元気が出るみたいだから、と言われたこともあり、学校が早く終わった日などに、時々お見舞いへ行くことにしていた。
然程待たずにやってきた電車に乗り込む。
走り出した車内でぼんやりと揺られていると、車内の電光掲示板に、Z市一部封鎖のため以下の路線の運行を取り止めしています、という表示が映った。
さっき学校でクラスメイトが話していたことを思い出しながら、ナマエは流れる文字列を眺めた。
怪人協会によるテロ事件から数週間が経っていた。
Z市の一角は壊滅的な被害を受けたそうだが、ナマエの住む街を始めその他の地区では、変わらない日常が営まれていた。
しかし、人々の無意識下では不安感、危機感が広がっているのか、最近街の治安状況は芳しくないという。
まことしやかに終末論を唱える者や、怪しげな新興宗教なども活発化しており、特に感化されやすい若い世代が危ないのだと、全校集会でも注意喚起があったところだった。
不意に、鋭く輝く金色の瞳を思い出した。
彼はいつも、一人ずっと先を見つめていた。
今の状況をどう思っているだろうか。
尋ねてみたくても行方のわからない、その人物のことを考えるうちに、いつの間にか電車は駅に着いていた。
***
病室を覗き込むと、膝の上に載せたノートパソコンに向かう母の横顔が見え、ナマエはため息をついた。
「おかーさん」
呆れ混じりに声をかけながら近づくと、こちらに気付いた母はヒラヒラと手を振った。
「おかえり。今日は早かったんだね」
「もう、あんまり仕事しちゃダメだってば。入院の意味ないじゃん」
小言をいうが、からりと笑って受け流される。
「入院ももう慣れたもんだからね、どれくらいなら無理がきくか自分でも判ってるよ。大丈夫」
「そもそも無理をするなっての」
頼まれていた品を手渡すと、ありがと、と言いながら母は文庫本をパラパラとめくった。
視線は手元へ向けたまま、さり気ない調子で彼女は口を開いた。
「どう?家の方は何も変わったことない?」
つい先週お見舞いに来た時にもたずねられたばかりだった。
というよりも、ナマエがここへ来るたびに必ずその質問をされる。
気丈に見えて、娘のこととなると母はひどく心配性だ。
その裏にある愛情を慮れないほど、ナマエはもう子どもではなかった。
「うん。変わりないよ」
お決まりの返答をしながら、ナマエはふと帰りがけに友人達が話していたことを思い出した。
「でも今日全校集会があってさ、変な人が増えてて危ないから寄り道するなって言われた」
「それは母さんも同意見ね」
文庫本から目を上げると、真面目な顔で母は忠告した。
「Z市の事件があってから警察もヒーローもゴタゴタしてるそうだから、自分の身は自分で守る意識を持つことは大切よ」
先生もみんなそう言うけれど、いち高校生の身にはいまいち危機意識が持てない。
明日のリーディングの授業であてられる順番であることの方が、現実的な問題だった。
「わかってるけどさ、なーんか実感ないんだよね。別にいつもと変わんないし」
「そりゃすぐにどうこうってわけじゃないけれど…でもほら、バングのおじさんもプロヒーロー引退されたでしょ。一見何事もなくても世の中は不安定なのよ」
その名前を聞いて、ナマエは先日の電話のことを思い出した。
突然のニュースに驚いて連絡したが、バングは長年の無理が腰にきちまってな、と嘯くばかりで、結局真意を聞き出すことはできなかった。
「おじさん、何で急にヒーロー辞めちゃったのかなぁ」
釈然としない気持ちを持て余したままぽつりとつぶやくと、母はうーんと唸った。
「おじさんももうお年だし…道場の経営との両立が大変になったんじゃない?」
「でもさぁ、弟子の人達、前にほとんどいなくなったって言ってたじゃん」
今年の初め、高校進学のお祝いをもらったお礼の電話をした時に、これもまた突然聞かされた話だった。
今は通いの弟子を一人残すのみだという。
二年前の夏、少しの間だけ過ごした道場だが、この時の思い出は、ナマエの中に今でも鮮やかに息づいている。
でも今はもう、あそこにはバング以外にナマエの知っている者はいないのだ。
ニガムシ達一緒に過ごした門下生の人達も、そしてガロウも。
「あんな広い道場に一人でさぁ…」
なんとなく寂しい気持ちで俯向いていると、温かな手がそっと頭に触れた。
「おじさんの様子が心配なのはわかるけど、とにかく今はナマエがしなきゃいけないことをちゃんとやりなさい。
母さんがいない間家のこと頼んだわよ?」
髪を優しく撫でる感触が、心を融かしていく。
ナマエは、うん、と頷き笑って見せた。
「なにかあったらすぐにおばさん家に連絡するのよ。戸締まり火の元確認忘れないでね。それと、」
「避難セットは枕元に、ね」
口調を真似して続きを言うと、二人顔を見合わせて笑う。
その後少し話をして病院を出ると、今度は自宅方面行きの電車に乗り込んだ。
さっきよりも少し混み合う車内で、イヤホンで音楽をききながら窓の外を眺めていると、母と話をしたことが呼び水となったのか、自然と意識は思い出を辿っていた。
ガロウはナマエにとって少し特別な友達だった。
実際一緒に過ごしたのはほんの一ヶ月にも満たない間だし、その翌年高校受験があったりして道場を訪ねる暇はなく、それ以来直接会ってはいない。
電話ではそこそこ話をしたが、受話器の向こうのガロウはいつもあからさまに面倒くさそうで、ナマエの取りとめもない話に、「それ絶対適当言ってんだろ」とか「話のオチねえのかよ」とか辛辣な合いの手を入れ、毎回「もうかけてくんなよ」と連れない捨て台詞で終わるのだった。
そもそも友達だというのも、ナマエ自身はそう思っているが、ガロウの方はどうだかわからない。
それでも、バングに連絡をする度に性懲りもなくガロウのことを尋ね、嫌嫌ながら電話にでた彼に近況という名の無駄話を聴かせていたのは何故なのか。
自分でもうまく説明できないながらも、ガロウと過ごした僅かな間の経験がナマエをそうさせた。
いつもは憎まれ口ばかりきいて、自分の本心など死んでも見せてやるものか、というのがガロウという少年だったが、時折彼はナマエが自分でも気付いていなかった寂しい気持ちを掬い上げ、何も言わず傍にいてくれた。
そしてそんな時には、ナマエにもガロウの心の中が見えたような気がした。
言葉で言い表すならば「共感」というのが一番近いかもしれない。
でもそれは、学校の友達と笑い合うような、単に感情を共有できたということではなかった。
その瞬間だけは、ガロウという人間のことがまるごと理解できたような、そんな体験だった。
だから、ガロウが道場を出奔したことを聞かされた時、なんだかがっかりした気持ちになった。
そんなふうに特別に思っていたのは自分だけだったのか、ガロウにしてみれば簡単に断ち切ってしまえる繋がりだったのか、と冷たい現実を突き付けられた気分だった。
あいつ急に出ていきよってのぉ、と申し訳なさそうにしていたバングにとってもいきなりの出来事だったようで、その後彼がどこで何をしているのかもわからないらしい。
考えごとをしていると、いつのまにか最寄り駅に着いていた。
改札を出て、家へ向かって歩き出す。
(…そういえば)
ナマエはふと、ガロウがいなくなる少し前にした会話を思い出した。
確かその時ハマっていた、テレビドラマの話をしていた。
高校生探偵が主人公の推理ドラマで、主人公の友だちが殺人事件の犯人だったという筋書きだった。
実は主人公はその前の回から真相に気付いており、あとから思いおこせばあれは自首を促していたのだ、とわかる言動が伏線になっており、なるほどと思ったその感動を伝えたかったのだ。
途中で、もしガロウがこのドラマを見ていて最新話をまだ見てなかったらネタバレだな、と気が付いたのだが、彼は特に何も言わず、代わりに話し終わったナマエにこう訊ねた。
『もしも自分が悪事を犯したらお前はどうする』と。
「うーん…警察に行こうっていう」
面食らいつつそう答えると、ガロウは意地悪い口調で笑った。
『トモダチ警察につき出すのかよ。薄情なヤツ』
それはそうかもしれないけど。でもナマエの答えはこれなのだ。
「うーん、ていうか、友達だからじゃん?」
頭を悩ませながら言葉を紡ぐ。
「どうでもいい相手だったら、悪いことしてても正直勝手にすればって思うけど…友達だったらそのままにしてほしくないっていうかさ。そういうの、その人にとってもよくないと思うし」
なんで急にこんな話になったんだろう、と困惑しながらも、いつになく真剣なガロウに気圧されて正直に答えた。
ガロウは少し黙っていた後、そういうもんか、と独り言のように呟いた。
「何、ガロウくんどこかで食い逃げするつもりなの?」
『別に。ちょっと聞いてみただけだ…つうかなんで食い逃げ限定なんだよ』
「だってガロウくんがしそうな悪いことってそれくらいしか思い付かないしさぁ」
『お前の中の俺のイメージどうなってんだ』
あの時は、何でこんなこと言い出したんだろうと不思議に思いつつ、すぐに忘れてしまったけど。
今にして思えば、なにか悩んでいたのだろうか。
イヤホンから流れる曲が途切れたのを合図に、意識は現在地点に引き戻された。
そういえば、ずっと音楽を聴きっぱなしだったことに気づく。
人の多い駅前も通り過ぎ、ながら歩きは危ないな、と思い、ワイヤレスイヤホンを外すと、なにやら辺りの雰囲気がざわついていた。
怪人災害ではないようだが、人の声やなにかのサイレンが遠く聞こえている。
なにかあったのかな、と気もそぞろなまま、イヤホンを充電ケースに仕舞おうとした。
「あ」
片方のイヤホンが転がり落ち、弾みで建物の間の狭い路地に入ってしまった。
片側はマンション、反対側の雑居ビルの一階は、テナント募集中の表示が貼られシャッターが下りている。
その間に口を開けている薄暗いスペースを覗き込むと、古いゴミ箱やなにやらが雑に積んでありなんだか不気味だった。
思わず顔を顰める。
(うわあ最悪…買ったばっかのやつなのに)
お小遣いを貯めて買った、少し値の張るイヤホンだった。
ここで諦めるという選択肢はない。
その辺に落ちてれば良いけど、と祈りながら路地に踏み込んだ。
「どこだろ…よく見えない」
小さいものなので、見落とさないよう地面を注視しながら先の方へ進む。
きょろきょろと探し回っていると、物陰に光るものがあった。
「あ、あった!」
急いで拾い上げ壊れていないか確認していると、不意にぞくりと背筋を悪寒が走った。
その正体が何かわからないまま反射的に顔をあげる。
(――え、)
闇が蹲っている、と思った。
見開いた視線の先、路地の奥まったところに人影があった。
俯向いており顔の判別もつかないというのに、その姿はなぜかひどく禍々しい印象をナマエに与えた。
冷や汗が米神を伝う。
これ以上あれを見てはいけない。
今すぐにここから立ち去れ。
本能がそう警告するのに従って、竦んだ体を翻そうとした時だった。
こちらの気配を察知してか、その人物が僅かに身じろぎをした。
差し込む陽の光を反射して、するどく燦めく瞳がナマエを捉える。
二年前の夏、何度も目にした鮮やかな金色。
「…ガ、ガロウくん…?」
恐る恐る呼びかけると、茫然としているその人物もまた、かすれた声を発した。
「ナマエ…」
記憶の中の姿よりもずいぶんと大人びたガロウが、そこにいた。
※「怪人少年と夏休み」の二年後の設定 同じ夢主です
※ガロウ編終了後から最果て修業場でキングに目撃されるまでの間の出来事を想像で書いたものです
「ねぇねぇ、『ヒーロー狩り』って知ってる?」
ナマエは鞄に筆記用具をしまう手を止め、ちらりと後ろをみた。
噂好きのクラスメイトを中心にした女子のグループが、輪になってお喋りをしていた。
ホームルームが終わり、気の弛んだざわめきの中で、好奇心を含んだ少女たちの声にそれとなく耳をそばだてる。
「知らない。なにそれ?」
「なんかね、ヒーローだけを狙って襲う暴漢なんだって。
ほら、ちょっと前に無免ライダーとかタンクトップ軍団が、原因不明だけど怪我で暫く休養ってニュースあったじゃん?あれそうなんだって。
あたしの親戚のお兄ちゃん協会で働いてんだけどこっそり教えてもらったんだ」
件のクラスメイトは声を潜めてはいるが、抑えた声音はかえって注意をひきつけた。
「えー、なんでそんなことすんだろうね」
「でも襲われるのヒーローだけなら私たち関係なくない?」
「何いってんのよ、守ってくれるヒーローがいなくなったら困るでしょ。ついこの間もZ市やばいことになってたし」
「てかそれ喋って大丈夫なやつなの?」
「あ、まずいかも。ごめん今の忘れて」
「言ってから言うなよ!」
お調子者への突っ込みの後、けらけらと笑い声があがる。
放課後の高校生にとっては、社会問題よりもこれからの自由時間をどう過ごすかという問題の方がウェイトは高い。
話題はすぐ様逸れていった。
「カラオケ行こうよ、しばらく行ってないしさー。あたしウェビギャザの新曲覚えたんだぁ」
「でも最近寄り道するなってウルサイじゃん学校」
「あー、なんか盛り場とか荒れてるみたいなの言ってたね」
「けどそんなの前からじゃない?黙ってたらバレないよ」
話し合う声を聞き流しつつ、帰り支度を終えたナマエは立ち上がったところに、輪の中から声がかかる。
「あっ、ねぇナマエちゃんもいかない?カラオケ」
教室の出口に足を向けたまま、ナマエはクラスメイト達に手を合わせた。
「ごめん、私パス。家事しなきゃいけないんだ」
声をかけてきた友人は目を丸くした。
「え…ナマエちゃん一人暮らし?」
事情を知らない彼女に、同じ中学からの友人が補足を入れる。
「ナマエのママ、病気がちなんだよね。それで時々入院するから」
「うん。近くに親戚が住んでるから、ご飯のおかずとかは作ってもらってるんだけどね」
「えー!そうなんだ、大変ー」
また今度誘ってね、と彼女らに手を振り教室を出る。
携帯で時間を確認すると、病院の面会時間には十分余裕があった。
手提げバッグの中を確認し、文庫本、爪切りなど頼まれたものが入っているのを確認する。
母の衣類は親戚のおばさんがまとめて交換してくれているが、他に要りような細々としたものはナマエが持っていくこともあった。
校舎を出て駅に向かい、病院の最寄り駅への路線ホームへ降りる。
やっぱりナマエちゃんが顔を見せてあげるのが一番元気が出るみたいだから、と言われたこともあり、学校が早く終わった日などに、時々お見舞いへ行くことにしていた。
然程待たずにやってきた電車に乗り込む。
走り出した車内でぼんやりと揺られていると、車内の電光掲示板に、Z市一部封鎖のため以下の路線の運行を取り止めしています、という表示が映った。
さっき学校でクラスメイトが話していたことを思い出しながら、ナマエは流れる文字列を眺めた。
怪人協会によるテロ事件から数週間が経っていた。
Z市の一角は壊滅的な被害を受けたそうだが、ナマエの住む街を始めその他の地区では、変わらない日常が営まれていた。
しかし、人々の無意識下では不安感、危機感が広がっているのか、最近街の治安状況は芳しくないという。
まことしやかに終末論を唱える者や、怪しげな新興宗教なども活発化しており、特に感化されやすい若い世代が危ないのだと、全校集会でも注意喚起があったところだった。
不意に、鋭く輝く金色の瞳を思い出した。
彼はいつも、一人ずっと先を見つめていた。
今の状況をどう思っているだろうか。
尋ねてみたくても行方のわからない、その人物のことを考えるうちに、いつの間にか電車は駅に着いていた。
***
病室を覗き込むと、膝の上に載せたノートパソコンに向かう母の横顔が見え、ナマエはため息をついた。
「おかーさん」
呆れ混じりに声をかけながら近づくと、こちらに気付いた母はヒラヒラと手を振った。
「おかえり。今日は早かったんだね」
「もう、あんまり仕事しちゃダメだってば。入院の意味ないじゃん」
小言をいうが、からりと笑って受け流される。
「入院ももう慣れたもんだからね、どれくらいなら無理がきくか自分でも判ってるよ。大丈夫」
「そもそも無理をするなっての」
頼まれていた品を手渡すと、ありがと、と言いながら母は文庫本をパラパラとめくった。
視線は手元へ向けたまま、さり気ない調子で彼女は口を開いた。
「どう?家の方は何も変わったことない?」
つい先週お見舞いに来た時にもたずねられたばかりだった。
というよりも、ナマエがここへ来るたびに必ずその質問をされる。
気丈に見えて、娘のこととなると母はひどく心配性だ。
その裏にある愛情を慮れないほど、ナマエはもう子どもではなかった。
「うん。変わりないよ」
お決まりの返答をしながら、ナマエはふと帰りがけに友人達が話していたことを思い出した。
「でも今日全校集会があってさ、変な人が増えてて危ないから寄り道するなって言われた」
「それは母さんも同意見ね」
文庫本から目を上げると、真面目な顔で母は忠告した。
「Z市の事件があってから警察もヒーローもゴタゴタしてるそうだから、自分の身は自分で守る意識を持つことは大切よ」
先生もみんなそう言うけれど、いち高校生の身にはいまいち危機意識が持てない。
明日のリーディングの授業であてられる順番であることの方が、現実的な問題だった。
「わかってるけどさ、なーんか実感ないんだよね。別にいつもと変わんないし」
「そりゃすぐにどうこうってわけじゃないけれど…でもほら、バングのおじさんもプロヒーロー引退されたでしょ。一見何事もなくても世の中は不安定なのよ」
その名前を聞いて、ナマエは先日の電話のことを思い出した。
突然のニュースに驚いて連絡したが、バングは長年の無理が腰にきちまってな、と嘯くばかりで、結局真意を聞き出すことはできなかった。
「おじさん、何で急にヒーロー辞めちゃったのかなぁ」
釈然としない気持ちを持て余したままぽつりとつぶやくと、母はうーんと唸った。
「おじさんももうお年だし…道場の経営との両立が大変になったんじゃない?」
「でもさぁ、弟子の人達、前にほとんどいなくなったって言ってたじゃん」
今年の初め、高校進学のお祝いをもらったお礼の電話をした時に、これもまた突然聞かされた話だった。
今は通いの弟子を一人残すのみだという。
二年前の夏、少しの間だけ過ごした道場だが、この時の思い出は、ナマエの中に今でも鮮やかに息づいている。
でも今はもう、あそこにはバング以外にナマエの知っている者はいないのだ。
ニガムシ達一緒に過ごした門下生の人達も、そしてガロウも。
「あんな広い道場に一人でさぁ…」
なんとなく寂しい気持ちで俯向いていると、温かな手がそっと頭に触れた。
「おじさんの様子が心配なのはわかるけど、とにかく今はナマエがしなきゃいけないことをちゃんとやりなさい。
母さんがいない間家のこと頼んだわよ?」
髪を優しく撫でる感触が、心を融かしていく。
ナマエは、うん、と頷き笑って見せた。
「なにかあったらすぐにおばさん家に連絡するのよ。戸締まり火の元確認忘れないでね。それと、」
「避難セットは枕元に、ね」
口調を真似して続きを言うと、二人顔を見合わせて笑う。
その後少し話をして病院を出ると、今度は自宅方面行きの電車に乗り込んだ。
さっきよりも少し混み合う車内で、イヤホンで音楽をききながら窓の外を眺めていると、母と話をしたことが呼び水となったのか、自然と意識は思い出を辿っていた。
ガロウはナマエにとって少し特別な友達だった。
実際一緒に過ごしたのはほんの一ヶ月にも満たない間だし、その翌年高校受験があったりして道場を訪ねる暇はなく、それ以来直接会ってはいない。
電話ではそこそこ話をしたが、受話器の向こうのガロウはいつもあからさまに面倒くさそうで、ナマエの取りとめもない話に、「それ絶対適当言ってんだろ」とか「話のオチねえのかよ」とか辛辣な合いの手を入れ、毎回「もうかけてくんなよ」と連れない捨て台詞で終わるのだった。
そもそも友達だというのも、ナマエ自身はそう思っているが、ガロウの方はどうだかわからない。
それでも、バングに連絡をする度に性懲りもなくガロウのことを尋ね、嫌嫌ながら電話にでた彼に近況という名の無駄話を聴かせていたのは何故なのか。
自分でもうまく説明できないながらも、ガロウと過ごした僅かな間の経験がナマエをそうさせた。
いつもは憎まれ口ばかりきいて、自分の本心など死んでも見せてやるものか、というのがガロウという少年だったが、時折彼はナマエが自分でも気付いていなかった寂しい気持ちを掬い上げ、何も言わず傍にいてくれた。
そしてそんな時には、ナマエにもガロウの心の中が見えたような気がした。
言葉で言い表すならば「共感」というのが一番近いかもしれない。
でもそれは、学校の友達と笑い合うような、単に感情を共有できたということではなかった。
その瞬間だけは、ガロウという人間のことがまるごと理解できたような、そんな体験だった。
だから、ガロウが道場を出奔したことを聞かされた時、なんだかがっかりした気持ちになった。
そんなふうに特別に思っていたのは自分だけだったのか、ガロウにしてみれば簡単に断ち切ってしまえる繋がりだったのか、と冷たい現実を突き付けられた気分だった。
あいつ急に出ていきよってのぉ、と申し訳なさそうにしていたバングにとってもいきなりの出来事だったようで、その後彼がどこで何をしているのかもわからないらしい。
考えごとをしていると、いつのまにか最寄り駅に着いていた。
改札を出て、家へ向かって歩き出す。
(…そういえば)
ナマエはふと、ガロウがいなくなる少し前にした会話を思い出した。
確かその時ハマっていた、テレビドラマの話をしていた。
高校生探偵が主人公の推理ドラマで、主人公の友だちが殺人事件の犯人だったという筋書きだった。
実は主人公はその前の回から真相に気付いており、あとから思いおこせばあれは自首を促していたのだ、とわかる言動が伏線になっており、なるほどと思ったその感動を伝えたかったのだ。
途中で、もしガロウがこのドラマを見ていて最新話をまだ見てなかったらネタバレだな、と気が付いたのだが、彼は特に何も言わず、代わりに話し終わったナマエにこう訊ねた。
『もしも自分が悪事を犯したらお前はどうする』と。
「うーん…警察に行こうっていう」
面食らいつつそう答えると、ガロウは意地悪い口調で笑った。
『トモダチ警察につき出すのかよ。薄情なヤツ』
それはそうかもしれないけど。でもナマエの答えはこれなのだ。
「うーん、ていうか、友達だからじゃん?」
頭を悩ませながら言葉を紡ぐ。
「どうでもいい相手だったら、悪いことしてても正直勝手にすればって思うけど…友達だったらそのままにしてほしくないっていうかさ。そういうの、その人にとってもよくないと思うし」
なんで急にこんな話になったんだろう、と困惑しながらも、いつになく真剣なガロウに気圧されて正直に答えた。
ガロウは少し黙っていた後、そういうもんか、と独り言のように呟いた。
「何、ガロウくんどこかで食い逃げするつもりなの?」
『別に。ちょっと聞いてみただけだ…つうかなんで食い逃げ限定なんだよ』
「だってガロウくんがしそうな悪いことってそれくらいしか思い付かないしさぁ」
『お前の中の俺のイメージどうなってんだ』
あの時は、何でこんなこと言い出したんだろうと不思議に思いつつ、すぐに忘れてしまったけど。
今にして思えば、なにか悩んでいたのだろうか。
イヤホンから流れる曲が途切れたのを合図に、意識は現在地点に引き戻された。
そういえば、ずっと音楽を聴きっぱなしだったことに気づく。
人の多い駅前も通り過ぎ、ながら歩きは危ないな、と思い、ワイヤレスイヤホンを外すと、なにやら辺りの雰囲気がざわついていた。
怪人災害ではないようだが、人の声やなにかのサイレンが遠く聞こえている。
なにかあったのかな、と気もそぞろなまま、イヤホンを充電ケースに仕舞おうとした。
「あ」
片方のイヤホンが転がり落ち、弾みで建物の間の狭い路地に入ってしまった。
片側はマンション、反対側の雑居ビルの一階は、テナント募集中の表示が貼られシャッターが下りている。
その間に口を開けている薄暗いスペースを覗き込むと、古いゴミ箱やなにやらが雑に積んでありなんだか不気味だった。
思わず顔を顰める。
(うわあ最悪…買ったばっかのやつなのに)
お小遣いを貯めて買った、少し値の張るイヤホンだった。
ここで諦めるという選択肢はない。
その辺に落ちてれば良いけど、と祈りながら路地に踏み込んだ。
「どこだろ…よく見えない」
小さいものなので、見落とさないよう地面を注視しながら先の方へ進む。
きょろきょろと探し回っていると、物陰に光るものがあった。
「あ、あった!」
急いで拾い上げ壊れていないか確認していると、不意にぞくりと背筋を悪寒が走った。
その正体が何かわからないまま反射的に顔をあげる。
(――え、)
闇が蹲っている、と思った。
見開いた視線の先、路地の奥まったところに人影があった。
俯向いており顔の判別もつかないというのに、その姿はなぜかひどく禍々しい印象をナマエに与えた。
冷や汗が米神を伝う。
これ以上あれを見てはいけない。
今すぐにここから立ち去れ。
本能がそう警告するのに従って、竦んだ体を翻そうとした時だった。
こちらの気配を察知してか、その人物が僅かに身じろぎをした。
差し込む陽の光を反射して、するどく燦めく瞳がナマエを捉える。
二年前の夏、何度も目にした鮮やかな金色。
「…ガ、ガロウくん…?」
恐る恐る呼びかけると、茫然としているその人物もまた、かすれた声を発した。
「ナマエ…」
記憶の中の姿よりもずいぶんと大人びたガロウが、そこにいた。
1/11ページ