記憶黙殺

 ストラは虹の国に住んでいた。
 それがどういう場所なのかは、うまく説明することが難しい。なぜなら、ストラが知っているのは虹の国だけだったからだ。比較対象がないものの特徴を説明するというのは非常に難解な作業になる。そして、その難解な作業をクリアできるほど、ストラは知能のある人間ではなかった。
 ストラははじめから虹の国にいた。そして、長い間その小さな国に閉じこめられていた。ストラは外へでたくてたまらなかったが、国の女王はそれを許さなかった。外から入ってくる人はいるのに、でていく人はまるでいない。虹の国とはとにかく奇妙な国だった。しかし、当時のストラはそれを奇妙だとは思わなかった。先述のとおり、ストラは虹の国しか知らなかったのである。
 虹の国にはたくさんの住人がいたが、そのほとんどはストラに興味を示さなかった。彼らは自分自身にしか関心がなく、気まぐれに無知なストラをからかうだけだった。
 唯一、ストラを気にかけていたのはアンジュという少女だった。彼女は磁石のようにぴったりとストラによりそい、ストラのあらゆる行動を監視してまわった。最初のうち、ストラはそれを当然のこととして受け入れ、とくに不快には思わなかった。アンジュがいつ、どのようにストラと知りあったのかは定かではない。彼女はストラのあらゆる記憶に必ず存在している。彼女はいつのまにか、、、、、、ストラの隣にいて、いつのまにか、、、、、、友人のようになっていた不思議な存在だった。
 そんなストラの考えが変わったのは、ある人物との出会いをはたしてからだった。
 その人物はストラに「虹の国の外」について教えてくれた。虹の国にはない習慣、文化、文明機器、社会規範、常識……もちろん、小さなストラにはほんのわずかしか理解ができなかったが、それでもストラはそれらの情報の虜になり、「外」の世界に憧れを抱くようになった。
 しかし、ストラが「外」への関心を強めれば強めるほど、アンジュの機嫌は悪くなった。アンジュはストラにその人物と接触しないように言いつけ、「外」の話をするのを禁じた。「外」に焦がれていたストラはアンジュと大喧嘩し、とうとうアンジュは激怒してストラの前から姿を消してしまった。
 ところが、しばらくすると、アンジュはひょっこりと帰ってきてストラを呼びとめ、「外の世界に行きたいか」と尋ねた。ストラが肯定の返事をすると、アンジュは固くとざされていたはずの入口の門をあっさりとあけ、ストラを国の外へと連れだしてくれた。ストラはてっきり、アンジュが「外」へと案内してくれるものと思いこんでいた。しかし──


「さよなら」


 アンジュは崖のような場所までストラを連れてくると、その両肩を強く押し、その場から勢いよく突き落とした。


 何が起きたのか、ストラにはまるで理解ができなかった。
 記憶はそこで途切れ、視界は暗転し、あらゆる世界がなくなった。


 次に目をあけたとき、そこにアンジュの姿はなかった。
 あったのは白い天井と、自分を覗きこむ見知らぬ人間の顔だった。


 これが、おぼろげながらもかろうじて残っている、「ストラ」の「記憶」である。
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