導きの夢

 神崎はきょとんとしたまま、黙って目をしばたたいていた。
「なんでいるの?」
 それはこちらの台詞だった。このような非現実的な空間に、どうして現実の人間が存在しているのだろうか。あかりはどう答えたものか考えたあげく、逆に質問をしてみることにした。
「わからない。ここはどこなの?」
「知らないよ、そんなの。考えたこともない」
 意外にも返事は早かった。しかも、その声色は落ちつきはらっていた。
「夢は『夢』だよ。夢の中にでてくる場所がどこかなんて、調べることができると思う?」
「『夢』?」
 驚いたあかりは、思わず彼の言葉をくりかえした。やはり、今いる場所は「夢」なのだろうか。
「そうだよ。この夢は何度もみたから、景色ごと覚えてるんだ」
 神崎は機嫌が悪いのか、不満げに言葉を返した。この「夢」のことは、そうとう嫌っているらしかった。
「かならず同じ背景で、かならず『あいつ』があらわれる。僕は『あいつ』を消すんだけど、しばらくすると、もとに戻るんだ。それのくりかえし」
「『あいつ』って?」
「あれだよ。あの頭が削れた変なやつ」
 神崎がゆびさしたのは、あろうことか、あの子供だった。
「昔、完全に殺した、、、、、、はずだったんだけど、また生きかえったみたいだ。きりがないよ、まったく」
「そんな、まさか」
 あかりは言葉を失った。あたりまえのように毎日同じ学校で、同じ時を過ごしている人物がそんなことをしているなんて、到底信じられない。しかし、神崎の話が本当ならば、導きだされる結論はひとつしかない。
「じゃあ、あの子の傷、神崎くんがやったの?」
「そうだけど?」
 神崎はあっさりと答えた。その表情はまるで悪びれておらず、発言には一寸の戸惑いも感じられない。彼は、自分の行いに疑問すら抱いていないようだった。
「どうして? おかしいよ。人を傷つけるなんて」
「大丈夫だよ。あいつは『人』じゃない、まがいものなんだ。存在しちゃいけないんだよ」
 その説明は、残念ながら、あかりにはさっぱり理解できなかった。神崎はあかりの顔をみてそのことを読みとったらしく、しばし目を泳がせて思案してから、再度、言葉を変えて教えてくれた。
「つまり、あいつは悪いやつで、『敵』なわけ。あいつのせいで、みんな不幸になるんだよ。だから、あいつを消すのは正しいことなんだ。わかる?」
 当然ながら、わかるわけがなかった。こんなに傷ついている幼子を前に、眉ひとつ動かさず淡々と加害を肯定するなんて、彼はいったい何を考えているのだろう。
 ──恐い。
 あかりは、自分の顔が恐怖でひきつっていることに気がついた。なんとか表情をとりつくろおうとしたが、どうにもならない。一度めばえた警戒心はどうやってもおさまらず、ものすごい早さであかりの心身を蝕んでいった。目の前にいるのはもう、今日まで隣の席にいた神崎ではなかった。
「今、僕のこと、異常者だと思っただろ」
 神崎はあかりの変化を察知すると、突然声をだしてケラケラと笑いだした。その笑いはあまり愉快そうではなく、自嘲のような、あざけりのような、なんともいえないネガティブなものだった。神崎はさんざん狂ったように笑うと、唐突に笑顔でこちらをむき、普段とはうってかわった軽い調子で、立て板に水のごとくすらすらと話しはじめた。
「もう僕に関わらないほうがいいよ。どうせ、僕はおかしなやつだから。もともと頭が変なんだ。自分でもわかってる。けどさあ、僕だって好きでヘンテコになったわけじゃないんだよ。それに、普段はちゃんとしてる。実際、僕は学校で誰かを困らせたりしていないだろ? だったらべつにいいじゃないか」
 ものすごい早さで紡がれる妙に歯切れよいその喋りは、途切れることがなかった。あかりが口をはさもうとしても、すぐに神崎の新しい言葉があらわれて、タイミングをかき消してしまう。
「僕ってさ、生まれたときからダメ人間だったんだ。自分でまともに呼吸もできなくてさ。ずうっと寝て、夢ばっかりみてたんだ。あんまり夢ばかりみるもんだから、夢と現実の境がわからなくなって、おかしなことばっかりいってたよ。みんな『心配した』っていっていたけど、実際のところはバカにしていたんじゃないかな。もしくは哀れんでいたのかも。こんな変人に生まれて可哀想にって」
 よくよく聞いていると、それはわざとやっているらしかった。彼はあかりが喋るのを恐れているかのように、ずっとひとりでペラペラと喋りつづけた。
「誰もまともに口をきいてくれなくなってさ、ようやく気づいたんだよ。僕はおかしいんだって。だから、もう余計なことは喋らないようにしたんだ。ほら、学校にいるときはなんともないだろ? 何も怖がったりすることはないんだよ。僕が嫌いなら、これ以上、僕と関わらなければいいだけなんだからさ」
 彼の漫談を聞きながら、あかりはしばし考えた。自分は今、どこにいるのかわからない。帰り道もわからない。意思疎通ができるのは、ここにいる神崎だけである。ひとりきりではどうしようもなく心細いが、誰かがいてくれれば、それだけで助けになる。たとえ、その人物が異常な行動をとっていたとしても──
「わかった」
 あかりが言葉を発すると、神崎はビクッと身体を震わせ、喋るのをやめた。その瞳には怯えの色がはっきりと浮かんでいた。しかし、あかりはかまわず、何かの狙いをさだめるかのように、まっすぐに神崎を見据えつづけた。相手は平気で年下の子供を嬲るような人間だ。ここは、できるだけ強気なふりをしておこう。
 あかりは低いトーンのまま、できるだけゆっくりと話した。
「何も気にしないよ。だから、ここから帰る方法を教えて」
「帰る? 方法……?」
 神崎は明らかに動揺していた。どうやら、あかりの空いばりが効いたらしい。さっきまでの威勢のよさは影をひそめ、おどおどした様子で目を泳がせるばかりである。
「帰るって、ここは夢の中だし……目がさめたら、それで終わりだと思うよ。『この前』だって、そうじゃなかった?」
「『この前』って?」
 そう尋ねると、神崎はばつが悪そうに下をむき、両手を何度もにぎりあわせながら小声で答えた。
「前にも一度、きてただろ。春休みのときに……あのときは、知らない女の子だなあって思ってたんだ。でも、新学期に学校にいったら、まったく同じ子が隣にいて、変な偶然があるんだなあって……」
 あかりは仰天した。神崎の側も、あの日のあかりの夢を認識していたのである。つまり、神崎とあかりは、ふたり揃って同じ夢をみていたのだ。しかし、以前の夢には、神崎らしき人物はいなかったはずだ。彼はどこにいたのだろう。その疑問をぶつけると、神崎は不思議そうにあかりを指さした。
「僕の目の前にいたじゃないか。僕が『あいつ』を消そうとしていたら、いきなりでてきて『あいつ』をかばうから、びっくりして消しそこねたんだよ」
 そこまで話してから、神崎は思いだしたようにボロボロの子供をふりかえった。
「そうだ。いい加減、始末しておかないと」
 神崎がそう呟いた瞬間、彼の身体を黒い霧が覆いはじめた。そして、あっというまに真っ黒なもやの姿となり、大きな黒い手へと変貌した。
「何してるの!?」
「何が?」
 あかりが呼びかけると、黒い手はあっさりと消え、神崎の姿に戻った。
 困惑する神崎に、あかりは彼の身体が変化へんげしていたことを伝えようとしたが、彼はなかなか理解しようとしなかった。それでも相当な労力を費やして話しつづけた結果、ようやく神崎は自分の状態を理解し、そして納得いかないという顔で首をひねった。
「そんなの知らなかったよ。今までゲーム感覚で攻撃してたから、自分の姿なんて考えたこともなかった」
 そして諦めたようにこちらに背をむけ、白い大理石のような床にぺたんと腰をおろした。
「じゃあ、何もしないでおくよ。どうせ、目がさめて終わりになるさ」
 そこで、あかりも神崎にならって覚醒を待つことにした。ただし、ひとつだけしておくべきことがあった。
 あかりは身体のあちこちを削られた子供のそばへいった。子供は人形のように床に転がり、息すらもしていなかった。肌に触れると、熱いとも冷たいとも判断できない不思議な感触がした。まさか、死んでいるのだろうか。
「大丈夫?」
 声をかけてみると、一言だけ返事があった。
「ぼく、いない」
 消えいりそうな小声だった。それきり、子供は何もいわなかった。
 あかりは子供の隣に座り、子供の頭を膝に置いてやった。気休め程度ではあるが、硬い床にのせておくよりはましだろう。
 神崎は何もいわなかった。それどころか、こちらをふりかえることもしなかった。体育座りをした両膝に顔をうずめ、じっと石のように固まっている。まるで、自分自身の存在を抹消するかのように。


 この場所には時計がなかったが、あかりの体感ではそろそろ一時間は経っていた。だが、いまだ目がさめる気配はない。
「変だな」
 神崎が膝から顔をあげてつぶやいた。その声は幾分焦っていた。
「いつもなら、すぐに目がさめるのに。今日の夢はなんだかおかしい」
 それはあかりも同じだった。それに、同じ場所で待ちつづけるのにも、いい加減飽きてしまっていた。
「ねえ、ちょっと探索してみない? 待っているよりは何かみつかるかも」
 あかりは思いきって神崎に話しかけた。無論、まだ神崎への警戒はといていない。だが、いつまでも黙って座りこんでいるわけにもいかないだろう。土地勘のある地域ならともかく、こんな得体の知れない場所にいるのだ。どんな人間にでも協力は求めるべきだろう。
「そうだね。どうせ夢だし、暇つぶしにはいいかもね」
 あまり乗り気ではなさそうなものの、神崎はすぐに同意してくれた。が、あかりが子供を抱えあげると、あからさまに怪訝な顔をした。
「ちょっと、そいつを連れてくの?」
「だって、ほうってはおけないよ。それにこの子、すごく軽いよ」
 実際、そのとおりだった。子供は羽のように軽く、まるで風船を持っているかのようだった。
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