天空の物語

 それから少年はずっと、門の前に座りこんでいた。泣くのはやめており、かわりに感情の抜けさった無の表情をしていた。
 ストラはそんな彼に興味津々だった。そして、アンジュが止めるのも聞かず、嬉しそうに彼のもとを訪ねると、好奇心いっぱいの瞳で声をかけた。
「ねえ、お話しよう。名前を教えてよ」
 少年は目だけ動かしてストラを見た。その瞳にはなんのメッセージも感じられない。相手がこういう表情をしているとき、たいていの人間はそこに拒絶の意思を読みとって離れていくものだが、ストラは笑顔のまま、じっと相手の返事を待っていた。彼は何も知らないので、なんでもできるのである。
「エイイチ」
 彼はそれだけ答えると、ふと、後方にいるアンジュに目をやった。それからストラとアンジュを見比べて、少しだけ目を見ひらき、意外そうに言った。
「君たち、双子なの?」
「違うよ、ストラだよ。あっちはアンジュ」
 ストラは得意げに答えた。エイイチはストラに目をとめたまま、しばらく無言で固まってしまった。言葉の意味を頭の中で噛み砕いているのだろう。そして、ようやくストラの勘違いを理解したらしく、ぶはっと息を吐いて笑いだした。
「『双子』は名前じゃないよ。君って面白いね」


 エイイチは十歳の少年で、とても気さくな人物だった。ストラはエイイチを気に入り、彼の後ろをついて歩くようになった。「お友達」の座を奪われてしまったアンジュは怒ってストラをエイイチから引き離そうとしたが、ストラはどうしても彼から離れようとはしなかった。
「双子っていうのは、生まれつきそっくりなきょうだいのことだよ」
 親切なエイイチは、いろんなことをストラに教えた。その中には、アンジュが今まで必死で遮断してきた様々な情報が含まれていた。
「『きょうだい』?」
「そうさ。君たちはふたりとも女の子だから、姉妹だね」
「『女の子』?」
「違うの?」
「何が?」
 どんなにアンジュが気をつけていても、ストラはすぐにエイイチのもとへ行ってしまった。そして、いつのまにかアンジュが教えていない言葉や知識を身につけていた。
「あのね、ぼくって男の子なんだって。女王様がそう教えてくれたよ。でも、最初にその話をしてくれたのはエイイチなんだ。エイイチはなんでも知っているんだよ」
 アンジュはエイイチを恐れ、ストラが彼に近づかないように見張っておくことにした。ところが、今度はストラがそれに反抗するようになってしまった。
「どうしてぼくをずっと見てるの?」
「あなたが黙ってエイイチのところに行くからよ」
「なんでエイイチのところに行っちゃだめなの?」
「あの人が嘘ばかり言うからよ」
「嘘なんかじゃないよ。ほかの人もエイイチは正しいって言ってたよ」
「口答えしないで。どうして勝手なことばかりするの!?」
「その顔やめてよ。どうしてそんなに怒るの!?」
 ふたりの口論は絶えることがなく、アンジュの想いとは裏腹に、ストラの心は急速にアンジュから離れていった。そしてあるとき、大きな事件が起きた。
 虹の住人は食事を必要とはしないが、ときどき眠くなることがある。そして、英気を養うために少しだけ横になって寝ることがある。アンジュはほかの住人と違って人の姿でいることが多いので、頻繁に眠気に襲われていた。
 あるとき、アンジュはいつものとおり、虹の国のなだらかな丘に転がって眠っていた。球体になって眠ることもできるが、アンジュは地面に転がって寝るのが好きだった。
「アンジュ、見て見て!」
 聞きなれた声でめざめたアンジュは、両目をこすって起きあがり、目の前の人物を見て、悲鳴をあげた。そこにいたのは、濃い茶色の短髪に丸い目をした見知らぬ子供だった。ストラと同じ声と同じしぐさで話しているが、アンジュの知っているストラではない。アンジュは自分のカールした金色の毛を手で触りながら、震える声で尋ねた。
「あなた、まさかストラなの? その見た目はどうしたの?」
「女王様が教えてくれたんだ。これがぼくの本当の顔なんだって」
 ストラは嬉々として、遠くに見える小さな池を指さした。
「エイイチがね、ぼくとアンジュが同じ顔をしてるのが不思議だって言ったんだ。だけどぼく、意味がよくわからなかったんだ。そうしたら、エイイチがあの池に連れていってくれた。池を覗いてって言うから覗いてみたら、池にアンジュの顔が見えたんだ。でもそれは、アンジュが見えたんじゃなくって、アンジュとそっくりなぼくの顔だったんだ。それで、女王様にどうしてぼくとアンジュは同じ顔してるのって訊いたんだ。そうしたら女王様が『本当の顔を知りたいですか』って言うから『知りたい』って言ったんだ。それで……」
「もうやめて!」
 アンジュは金切り声で叫んだ。そして、両手で顔を覆ってうずくまった。
「ひどい、ひどいわ」
 あまりの悲しみに、アンジュは瞳ににじむ涙をぬぐいながら、うわごとのようにつぶやいた。ストラの顔が変わったことを嘆いているのではない。もともと、アンジュと同じ見た目をしていることのほうが異常で、こちらのほうが本来あるべき姿なのだから。アンジュにとってショックだったのは、ストラが自分に黙って勝手な行動をとったことだった。しかも、ともに行動した相手は、よりにもよってあのエイイチである。
「こんなの、ストラじゃない。どうして勝手なことをするの!?」
「勝手なのは君だろ」
 ばっと振りかえると、そこにはエイイチがいた。彼は真顔で、刺すようなまなざしをアンジュにむけていた。
「君とストラは別人だった。そして君は、それを知っていながらストラに黙っていた。そして、ストラが本当の姿になるだけで怒った。これは、あまりにもひどいんじゃないか?」
 アンジュは答えなかった。答えたくなかった。この人の言っていることは正しい。しかし、彼はアンジュのことなど何も知らない。アンジュの心の内を知らない。そんな人に言い負かされるのはあまりにも悔しかった。何もわからないくせに。わたしがどれほどお友達を待っていたか、わたしにとってストラがどんなに大切な存在か、何も知らないくせに!
 エイイチはしばらくアンジュの返答を待っていたが、やがて彼女が何も答えないことを悟ると、ストラにひとりで遊んでくるように言って、アンジュの隣に腰をおろした。
「何のつもり」
 思いきり睨みつけてみたが、効果はなかった。エイイチはひるむことなく、まっすぐにアンジュの瞳を見つめかえしてきた。そして、きわめて真剣な面持ちで口火を切った。
「アンジュ、君と話がしたい。君とストラには不可解なことが多すぎる。何か隠しているんじゃないか?」
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