時の国の王女

「ちゃんと時間内に帰ってきたね」
 小屋の玄関でふたりを見るなり、魔女はそう言った。
「空も時間どおりに動いている。どうやら、解決したようだね」
 ふたりは揃って頷いた。アンジュが喋ろうとすると魔女はそれを制し、扉を広く開け、ふたりに中に入るよう促した。
「聞きたいことがあるのなら聞いてあげるさ。その服をどこで調達したのかも気になるしね」
 家の中では、ノエルが無言で針仕事をしていた。ストラとアンジュの存在にすら気づかぬように、ずっと黙って下を向いている。悪気があるのではなく、彼女は興味のない人にはまるっきり関心を向けない人なのだという。当然、ストラとアンジュのこれまでの物語にも興味は持っておらず、ふたりの話を聞いて反応を示すのは魔女だけだった。
「それは恐ろしいことだね。何事もなくてよかった。しかし、虹の住人がそこまで下界に干渉するのは、あまりいいこととは言えないだろうね」
 魔女は貸しだしていた地図を返すように言った。それから、アンジュが持っていた二十四時間を測るための時計を受けとり、それでトントンとふたりの両肩を叩いた。途端にふたりはもとの姿に戻り、着ていた服たちはばさりと床に落ちてしまった。
「さあ、これで『仮の身体』は消滅した。もう、魔女以外の人間には見えないはずだよ。虹の国へ帰るといい」
「帰っていいのね?」
 アンジュは顔を輝かせたが、ストラは憂鬱だった。ストラはまだ、帰りたくないのである。そこでこんなことを尋ねた。
「おばあさん、ぼくたち、またここに来られる?」
「それは女王様次第だろうね」
 魔女は特に驚くこともなく答えた。
「虹の国の住人が自我を持って下界に来るというのは、極めて珍しいことだからね。本来なら禁止されていることだ。それにしても、どうしておまえは、そんなにここに来たいんだい?」
「だって、虹の国はつまらないんだもん。ここにはいろんなものやいろんな人がいて面白いんだもん」
 すると魔女の表情が変わった。彼女は訝るようにストラの顔をじろじろと見た。
「虹の住人がそんなことを言うのかい。さてはおまえ、虹の国の外を知らないのかい?」
「うん、ぼく、最初からずっと虹の国にいるよ」
 それは何気ない言葉だった。ストラはただ、自分の中の真実を告げただけである。しかし魔女は目を細めて大きなため息をつき、「それは気の毒に」と言って彼を哀れんだ。
「残念だが、あたしと会うことは二度とないと思ったほうがいい。ほかの人間もだよ。虹の国の住人は、その自我が消え失せるまで虹の国をでられないんだ」
 ストラはそれを聞いて落ちこんだが、あまり悲観的にはとらえていなかった。女王次第だというのなら、女王を説得すればいい。きっと外へでる手段はどこかにあるはずだ。
 ふたりは魔女とノエルに別れの言葉を言い、上空へと舞いあがった。そして、空中の扉からミストのもとへたどり着いた。
「お疲れ様。虹の国はもとに戻ったわよ」
 ミストは特に感動する様子もなく、でかける前と同じ調子でふたりを労い、女王のもとへ帰るよう促した。
 虹の国はびっくりするほど何も変わっていなかった。異変が起きる前と同じく、シャボン玉が飛び交うだけの静かな空間だった。
「ふたりとも、よくやってくれました。礼を言います」
 いつもの光り輝く城の前で、女王はふたりの頭を撫でた。
「もう、いつもどおりに過ごして大丈夫ですよ。東の下界での出来事は忘れてしまいなさい」
 その言葉にストラは面食らった。あれほどの大冒険をしたというのに、女王はあろうことか「忘れろ」などと言ってきたのだ。ストラにとって、今回の出会いや新しい知見は素晴らしい思い出であり、忘れるなど考えられない。
 けれども、隣にいるアンジュは嬉しそうだった。彼女は本気で今回の冒険が嫌だったのだ。その事実もまた、ストラにとっては大きなショックだった。
 こうして、ストラの不思議な冒険物語は幕を閉じ、もとの退屈な暮らしが始まった。ミラとパンチネロはふたりの快挙を褒めてくれたものの、なぜか詳しい話は一切聞こうとしなかった。あいかわらず遊んでくれる人はおらず、話しかけても誰も答えてくれない。唯一の話し相手であるアンジュは下界を嫌っているし、女王はストラをミストのもとに行かせてくれない。
 また外にでたいな、とストラは虹の国と外を隔てる柵を見ながら思った。少し怖いこともあるけれど、刺激がいっぱいでわくわくする外の世界に、ストラは惹かれていた。
 いつかまた絶対に外の世界に行こう。そのための方法を何とかして探そう。そうストラは心に決めた。
 それは、何も考えずに過ごしていたストラが、はじめて明確な目標を持った瞬間でもあった。


──時の国の王女  完
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