時の国の王女

 翌朝、ストラとアンジュは王宮の白い塔の一階にいた。そこは大広間になっていて、少量の備品以外は何もない。
 目の前にはギルバートと、金銀に輝く豪華な衣装を身にまとったレイチェル王女が立っている。聞けば、昨日まで着ていたのは私服で、これが彼女の王女としての正装なのだという。また、彼女の周囲には様々な服装をした男女数人が控えている。
「今までありがとうございました」
 王女は三人に小さく笑いかけた。残念ながら、ストラたちには握手すら許されなかった。そう、彼女は王女であり、本来ならば口をきくことすら許されない存在なのだ。これまでが、特別だったのである。
「王女様──大丈夫ですか?」
 ギルバートが遠慮がちに尋ねると、王女は微笑みを浮かべたまま頷いた。
「終わったことはしかたありません。私もこれで覚悟ができました。近いうちに、戴冠式を受けることになるでしょう」
 しかし、その顔はやつれて血の気が引き、頰はこけ、眉間にはしわが刻まれており、無理をしているのは明らかだった。しかし、ギルバートは何も言わずに引きさがった。続いて王女は、ストラとアンジュに話しかけた。
「あなたたちもありがとう。本当ならばきちんとお礼をしたいのですが、長くは引きとめられない事情のようですね」
「うん、僕たち針が二周する前に帰らないといけないんだって」
「それ以上いると、身体がなくなってしまうらしいの」
 これは、昨日から王女に伝えている事項だった。もっとも、ふたりに与えられているのは仮の身体であり、なくなってもそれほど問題はなかったが、王女はこのふたりの主張を重く受けとめ、こうして翌日に帰してくれる運びとなったのだった。
 王女に別れを告げると、三人はすぐさま馬車に乗せられた。馬車は広い邸内を走りぬけて門をくぐり、街のほうへと走りだした。
「ねえ、あのあとどうなったのかな?」
 昨夜の大事件のあと、逃げだした男たちが連絡をしてくれていたらしく、すぐに王宮の人間が兵を従えてやってきた。ストラたちは王女から引き離され、王宮にある客室用の部屋に連れていかれ、そのまま翌朝まで何も知らされずに過ごしたのだった。
「さあな。俺たちに口だしできるようなことじゃねえだろ。あとはお城の皆さんに任しておくしかないさ」
 ギルバートが窓の外を眺めながら答えた。口ぶりこそぶっきらぼうだったが、その瞳はどこか悲しげだった。
「俺、ときどき王女様を訪ねることにするよ。なかなか会うのは難しいと思うけどさ。やっぱり心配だしな」
 そして、突然こちらを振りかえると、妙に明るい口調で別の話題を提供した。
「このままだと俺の家に着くけど、おまえら、これからどうするんだ?」
「わたしたちも帰るわ。王女様が言うには、この国の異変は王子様のあの変な時計が原因だったんですって。だから、この国ですることはもうないの。一旦帰って、これまでのことを女王様に報告するわ」
 それから、ストラのほうをチラリと見た。
「ただ、ストラが、アレックスに会いたいって言ってるの」
 その言葉を受けて、ストラは大きく頷いた。
「うん。会ってさよならって言いたいんだ」
 王女に会うためのきっかけを作ってくれたのは、紛れもなくあのアレックスである。そこでストラは帰るまえに彼に会っておきたいと考えていた。あらためて礼を言いたいのと、王女と話をしたことだけでも報告したかった。本当は例の事件についても教えてあげたいが、城の人間に固く口止めされているので、残念ながら話すことはできない。
 ギルバートは「なるほどな」と笑った。
「言われてみれば、ことの発端はアレックスだったな。じゃ、俺も一緒に行くよ」


 ギルバートの案内でアレックスの家に行くと、アレックスは以前と同じく店にいた。そして、窓からストラたちの姿を見つけると、嬉しそうに扉を開けて外まででてきてくれた。
「やあ、ギルバート、それにストラとアンジュ! また来たの?」
 ストラとアンジュはその人物を見て、ぽかんと口を開けた。
 その声色と表情はたしかにあのアレックスのものだった。しかし、さっきまでイメージしていたアレックスとは何かが違う。彼は頭にひまわりの冠を載せ、黄色と白のワンピースを黒のベルトで留め、花を縫いつけたバレエシューズを履いていた。
「恥ずかしいとこ見られちゃったなあ」
 アレックスは照れた様子で頭をかいた。
「これ、今度の祭りの衣装なんだ。僕は別に着たくなかったんだけど、ママがどうしてもって言うからさ。サイズ合わせをしていたんだ」
 ストラはただ、アレックスらしくない服だな、としか思わなかった。しかし、アンジュは驚愕の表情でこんなことを言った。
「アレックス、女の子だったの!?」
「そうだよ、言ってなかった?」
 アレックスは平然と答え、ケラケラと笑った。
「僕の名前はアレクサンドラ・ローレンス。でも、結構男だと間違えられるんだ。こんな見た目してるしね」
 それから、笑顔のままギルバートに向きなおった。
「別に笑っていいよ。僕も正直、この服は似合わないと思っているんだ」
「まさか。似合ってるよ、ものすごく。普段から着ればいいのに」
 その表情は、真剣そのものだった。だが、アレックスは本気にしていないようだった。
「よせよ、そんなお世辞を言うの。かえって恥ずかしいだろ!」
 そのあと、ストラとアンジュはアレックスに王女に会えたこと、王宮に宿泊したこと、これから国へ帰ることなどを告げて別れを言った。アレックスは終始明るい顔でそれを聞き、ふたりの肩を両手でぽんと叩いた。
「そっか、寂しくなるなあ。元気でね。またいつでも遊びにきてよ」
 ストラは笑顔でそれに答えながら、ふとギルバートが暗い表情をしていることに気がついた。
「ギルバート、どうしたの?」
「ああ、いや、何でもない。おまえら、今から帰るんだよな? だったら、俺が送っていくよ」
「え? 送るって、別にぼくたちこのまま……」
 このまま飛んで帰るだけだからいらない、と言おうとしたが、ギルバートがさっさと歩きだしてしまったため、ストラとアンジュは首を捻りながら彼についていくことにした。


「あいつがああなったのは、俺のせいなんだよ」
 アレックスの姿が見えなくなった頃、ようやくギルバートが口を開いた。
「もともと男勝りな性格で、小さい頃からライバルみたいな関係だったんだ。でも俺より年下だから、いつも俺に負けて悔しそうにしてた。いつもやんちゃで喧嘩ばっかりしていたから、俺もしばらくあいつのこと男だと誤解していたんだ」
 ストラとアンジュはギルバートの後ろを歩きながら、黙って話を聞いた。なんとなく、彼の話には口を挟んではいけないような気がした。
「昔、あいつが女の子らしい格好をしているのを見かけたことがあったんだ。今思えば、すごくかわいかったよ。けど俺は馬鹿だから、面白半分にそんな格好をしているんだと思いこんでしまったんだ。それで、『なんで女みたいな服を着てるんだよ』って笑ってしまったんだ。それはもう大喧嘩になったよ。あとから謝ったけれど、あれからアレックスは女の子の服を着るのをやめてしまったんだ。『似合わないから』って言って。たぶん、俺が言ったことを気にしているんだと思う。俺のせいなんだ。それに、あいつは俺のことを避けてる。嫌いなら嫌いだって罵倒してくれればいいのに、それすらしてくれない。だから、アレックスがうちに来たときは嬉しかったんだ。もしかしたら、許してくれたのかと思って。でも、違った」
 気づけば、三人はまたギルバートの家まで戻ってきてしまっていた。ギルバートはこちらを向いてふっと微笑んだ。
「最後に変な話をして悪かったな。よかったら、うちの中庭に来てくれよ。街中で飛びたったら目立つだろ? ここから出発すればいい」
 こうしてふたりはギルバートに別れを告げて彼の家から飛びたち、山を越えて魔女の家を目指した。
「ギルバートも王女様も、辛そうな顔をしていたね。大丈夫かな?」
 魔女の家へ向かう途中、空中でストラはそうつぶやき、ハッとして口を押さえた。空中で余計なことを言うとアンジュに叱られるのだ。しかし、アンジュは怒らず、神妙な顔で「どうかしら」とだけ答えた。
「簡単には修復できないでしょうね。だから下界って怖いのよ。ストラは知らないでしょうけど、下界にはこういう苦しいことがたくさんあるんだから」
 そうなのか、とストラはひとり納得した。たしかに、下界というのは大変そうな場所だ。だけど、ストラは下界を嫌いにはならなかった。退屈な虹の国よりも、いろんなことがあって面白い場所だと思っていた。
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