時の国の王女

「ハロルドに会ったのですね」
 沈んだ表情の三人、とくにギルバートを見た王女はすぐさまそう言った。
「どうしてわかったんですか」
「あなたは私の親族で客人でもありますから、無礼を働く人間などいないはずです。この城であなたにそんな顔をさせる者がいるとすれば、あの子くらいのものでしょう」
 塔の中にある王女の自室は広かった。あの細長い塔にどうやってこれほどの広間を設けたのだろうか。
 四人は王女の書斎にいた。ダンスホールくらいはあるであろう一室には隙間なく木製の本棚が並び、ぎっしりと分厚い古書が収められている。さらに、王女の前のテーブルにはとんでもない量の本と書類が積みあげられていた。王女曰く、これは歴代の王が国の歴史を綴った、正真正銘の歴史書なのだという。
「ハロルドは心を隠すのがうまい子です。政界の人間はもちろん、味方であれば臣下たちにさえ、本音を沈めて愛想よくふるまいます。あの子が本心を見せているのは、ペンバートン兄妹を除けばギルバート、あなたくらいのものです」
「心を隠すって、どういうこと?」
 ストラが無邪気に質問すると、王女はふふ、と小さく笑みをこぼした。
「あの子は上昇志向が強く、自分より下の人間を見くだしがちです。おそらくは、自分以外のほとんどの人間を蔑んでいるでしょう。普段はおくびにもだしませんが、ギルバートのような年下の子供の前では気が弛むようです。昔はそんな子ではなかったのですが」
「そうなんですか?」
「もとは心の優しい、思いやりのある子でした。すべてが変わってしまったのは、かつての王、シーザー七世の手記が発見されたときからです」
「しゅき?」
「手記って?」
 ストラとアンジュは同時に尋ねた。アンジュは手記の内容を、ストラは「手記」という言葉の意味を質問したのだが、王女は勝手に前者だと解釈し、話を続けた。
「もともと、将来の国王はハロルドと決まっていました。国は男子が継ぐものと信じられていたからです。というのも、この国には女子が生まれたことはなく、女王をたてた前例がなかったのです。しかし今から十年前、ある手記が見つかりました」
 王女の説明によると、それは城の地下にある書庫で偶然見つかったものだという。それは正式な文献ではなかったが、シーザー七世という何代も前の国王がかつて国家破滅の危機に瀕した際、口承で伝えられてきたしきたりを後世のために書き残し、簡単に見つからぬよう隠しておいたものだという。そこには、性別を問わず先王の第一子が次期国王になれると記されていた。
そしてそれが公にされた途端、王子と王女の立場はひっくり返ってしまったのである。
「将来に希望を寄せてハロルドを慕っていた者はみな、将来性のない彼を見捨てました。山のように来ていた縁談も、波が引くように消えていき、式典での待遇も大きく変わりました。きっと相当な屈辱だったでしょう。私のことも恨んでいるようです」
「知らなかった……」
 ギルバートが眉根を寄せて呟いた。あれほど嫌がっていた王子に同情しているようだった。他方、王女のほうは平然としていた。
「決まったことはしかたのないことです。個人があがいたところで、どうなるものでもありません。ハロルドのことはお忘れなさい」
 まるで道具の使い方を説明するかのような、無機質で事務的な声色だった。そのピンとはりつめた声に、三人は思わず身を固くした。しかし、そのやたらと冷淡な口調、動作、表情に、ストラは見覚えがあった。
 今の王女は、一番はじめに部屋に入ってきた、あのときと同じだ。今の彼女は本音を隠している。何をやってもわざとらしく、どこか壁のある、別人の皮を被ったかのようなふるまい──そうした動作には「演技」という言葉がもっとも適切なのだが、残念ながらストラの中にそんな言葉は存在しなかった。だからストラはその違和感と既視感を誰にも伝えることができず、ただもやもやとした感情を胸にしまっておくことしかできなかった。
「それよりも、あなたたちに見てもらいたいものがあります」
 王女はテーブルに置いていた真っ黒い革張りの箱を自分の前まで滑らせ、三人の前に差しだした。それは両手で抱えるのにちょうどよいサイズの正方形の箱だった。一同は言われたとおり箱に注目した。王女がおもむろに箱のふたをとると、ギルバートがのけぞって目をむいた。
「こ、これって、王冠……!」
 それは頭に載せるクラウン型の王冠だった。赤い布地に純金の縁飾りが施され、色とりどりの宝石のほかに一から十二までのローマ数字、それに時計の針らしきモチーフが取りつけられている。まさしく高級時計を王冠の形にしたような、絢爛豪華な品だった。
 ストラとアンジュは言葉もなく、しばし王冠に見惚れていた。こんなに綺麗なものを見たのは初めてだった。
「これ、本物ですよね? どうしてこんな貴重なものを俺たちに?」
「この見た目をしていれば、誰でも王冠とわかるでしょう。ですがこのままだと不便ですし、下手に扱えば傷がつく恐れもあります。だから、普段はこのようにしています」
 王女は静かに右手を王冠にかざした。すると、王冠は見る間に縮んで平たくなって、小さな赤いベレー帽へと姿を変えた。すると王女は容赦なく素手で帽子を掴み、まるで靴下の縫い目でも確認するかのように、手の上でぽんと裏返した。
「この王冠には特殊な魔法がかかっています。たとえば──この裏面を見てください」
 その言葉に従って三人が帽子の丸い裏面を覗きこむと、なんと十二個のローマ数字がぐるりと均等に並んでおり、真ん中では短針と長針、それに秒針らしきものがあった。
「時計の刺繍ですか?」
 ギルバートがそう尋ねた瞬間、長針がカチリと動いた。ストラとアンジュはびっくりして声をあげた。
「裏面は時計です。ちゃんと現在時刻に合わされています」
「すごい!」
「面白いね」
 ストラとアンジュは興奮して王女を見あげた。けれども、王女の表情は依然として厳しいままだった。
「じつはこの帽子、最近様子がおかしいのです」
「おかしい? どういうことですか?」
「壊れているのですよ。今はきちんと動いていますが、ときどき長針が逆回りをはじめたり、短針がひとりでに動きだしたり、十二の数字がばらばらになったり──しばらくするともとに戻るのですが。もしかすると、国の時間の狂いと、何か関係があるのかもしれません」
「うーん……」
 ギルバートは両手を組んで唸った。アンジュも何か考えこんでいる。ストラは「時計が壊れる」ことがどういうことなのか理解できていなかったため、ひとり呆けた表情でふたりの顔をかわるがわる見ていた。
 その後、ストラを除いた一同はしばらく話しあい、とりあえずこの帽子の針が狂うまで見張ってみることにした。
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