黒妖精の招待状
妖精の国のクリスマスパーティーは、それは盛大なものだった。室内であることが信じられないほどだだっ広いホールに、もはや材料が何かも推測できない摩訶不思議な料理やドリンクがこれでもかと並び、大勢の人々がそれらを片手にお喋りを楽しんでいた。
広間の中央では大人数の豪勢なオーケストラが常に心躍るような楽しいクリスマス・ソングを奏で、そのオーケストラを囲んできらびやかな衣装を身につけた踊り子たちが華やかなダンスを披露していた。観客はみな手を叩き、身体を揺らし、足を踏みならして喜び、そのうち一部の観客は自らダンスへと加わった。みゆきも、その雰囲気にすっかり気分が高揚し、見たことのない料理をつまみ食いしつつ、手を叩いて楽しいショーを見物した。
やがて、オーケストラはクラシカルなメロディーを奏でるようになった。静かなワルツに合わせて自由に人々が踊りだし、カーニバルのように騒がしかった会場は、まるで社交界のような雰囲気へと変わっていった。
こうなると、ひとりぼっちのみゆきは退屈になってしまった。ヴァイナはいつのまにかどこかへ行ってしまっていたし、この場所に知り合いはひとりもいない。
「こんばんは。あなたは人間ね。パーティーの招待客でしょう」
みゆきがひとりで壁にもたれてぼうっとしていると、周囲の小人たちが笑顔で話しかけてくれた。不思議なことに、彼らはみゆきがヴァイナの招待客であることを承知しており、みゆきの出身地や普段の生活について知りたがった。みゆきはこの親切な人々を気に入り、会話のついでに妖精の国についての情報収集をして回った。聞けば、この国は普段は国境を閉じていて人間を立ち入らせないのだが、このクリスマスの前夜祭だけは特別に夢の世界を通じて人間の子供たちを招くという。そして、このパーティーの主催者は他ならぬヴァイナなのだという。
「ヴァイナはこの国の
「そう、ヴァイナは毎年準備で大忙しなの。ルプレは年々暇になってるけどね」
「ルプレ?」
突然懐かしい名前をだされ、みゆきはびっくりしてしまった。それはもう、思いだすことすらないだろうと思っていた名前だった。
「うん。罰するべき悪い子がだんだん減っているんだ。というより、妖精の招待状を信じられるくらい純真な『悪い子』が減っているのさ。最近の悪い子は夜も起きているし、妖精の存在なんか信じやしないからね」
数十分後、みゆきはパーティードレスにブーツというちょっと風変わりな格好で、あの懐かしい小屋の前にいた。そう、そこはかつてルプレに連れてこられた建物だった。城から小屋までは結構な距離があったが、幸いこの国の雪は砂のような質感で冷たくなく、気温も低くなかったため、凍えることはなかった。
小屋のいでたちは昔とちっとも変わっていなかった。ただし、扉の様子は少し違っていた。みゆきはヴァイナに貰った鍵を持つと、扉の前にかけられた鎖を手にとり、中央にかけられた南京錠に差しこんだ。
ほどなくして扉が開いた。中は真っ暗で、物音ひとつしなかった。みゆきは城から持ってきたろうそくに火をつけ、そっと部屋の中にかざした。
何もないテーブルと、燃えつきた暖炉の間にうずくまるようにして、ルプレは座りこんでいた。その姿もまた、六年前から何も変わっていなかった。みゆきはろうそくをテーブルに置くと、両膝の間に顔をうずめているルプレの肩を叩いた。
「久しぶり。わたしのことわかる?」
長い沈黙があった。まるで、諦めて帰れと言わんばかりの、長い長い時間だった。それでもみゆきが待っていると、やがて、諦めたようにか細い声がした。
「どうして来たの」
「ヴァイナが場所を教えてくれたの」
「あたしのことは嫌いでしょう?」
「六年前のことは謝るわ。わたしも自分勝手だった」
みゆきは玄関に戻り、ヴァイナに断って持ってきた荷物の中から小さなシャンデリアをとりだして天井に設置した。あらかじめ聞いていたとおり、シャンデリアは天井にかざすだけで磁石のようにぴったりと貼りつき、どこからも電源を供給されていないのに、ひとりでに光を放ちはじめた。と、同時に、部屋の中は見違えるように明るくなった。
「あなたのこと聞いたわ。あのとき、ルプレはたしかにわたしを『招待』してくれたのよね」
パーティー会場にいた小人たちは皆、ルプレが起こした事件のことを知っていた。そして、ルプレという妖精の正体についても教えてくれた。
ルプレはヴァイナの双子の妹で、生まれながらにして「悪い子」を担当する妖精だった。ヴァイナが国を治め、クリスマスに「よい子」を招待してパーティーを催す一方、ルプレは国に侵入しようとする敵をはじき、クリスマスには「悪い子」のもとへ行って灰をかぶせ、木の棒で殴って反省させる役目を担っていた。これは生まれたときから決められている仕事のため、本人はもちろん、国中の誰にも変えることのできない運命だった。もちろん、毎年のクリスマス・パーティーにも呼ばれなかった。
ルプレはヴァイナが羨ましくてしかたがなかった。人間の子供に喜ばれ、噂になり、多くの人から会うことを願われている彼女とは裏腹に、自分は常に子供に嫌われ、恐れられている。パーティーにも行けない。
しかも、最近は時代が変わったせいで、夜に眠らない子供も増えてしまった。おかげで彼女が罰するべき「悪い子」は夜の世界からすっかり減ってしまい、嫌われるどころか関心すら持たれなくなってしまった。ルプレは寂しさと羨ましさのあまり暴走し、ある年のクリスマス・イブにこんなことを思いついた。
──自分でパーティーをひらこう。それならば、招待されなくても楽しくお祝いができる。
そこで彼女は本来の仕事をさぼり、せっせとパーティーの準備をした。しかし、パーティーをひらくのが仕事でない彼女は、会場も飾りも料理も何も持ちあわせていなかった。ヴァイナの分は、彼女が自分の仕事で使うために分けてもらうことはできない。だからルプレは自分ですべてを用意した。灰、木の枝、石灰石をプレゼントにし、クリスマス・マーケットでお菓子を貰ってきた。
これで準備は整ったはずだった。しかしまだ、足りないものがあった。それは招待客である。
ルプレはヴァイナの招待客リストを調べた。ヴァイナはいつも、一年間「よい子」でいた子供をパーティーに呼ぶのだが、その人数には限りがあるため、運悪く抽選から漏れてしまう子供も大勢いた。ルプレはそんな
翌日、ルプレがみゆきを連れてきたことはすぐに広まり、妖精の国は大騒ぎになった。ルプレはみゆきに拒絶されたショックで小屋に引きこもってしまった。ヴァイナはまず、ルプレがこれ以上人間に迷惑をかけないよう小屋に鍵をかけ、それからルプレに連れてこられたという子供を探してまわった。しかし、世界中の子供たちの中から特定のひとりを探しだす作業は簡単ではなく、気づいたときには六年もの月日が経っていたのだという。
この話を聞いてすぐ、みゆきはパーティー会場を走りまわってヴァイナを探しだした。そしてルプレのいる小屋の場所を聞き、いくつかの品物とブーツを分けてもらって、ここまでやってきたのだった。
「あたし、駄目なのよ」
頭を膝に乗せたまま、ルプレはぽつりと言った。
「あたしは人を喜ばせることなんてできない。そういう存在なの。あたしは嫌われるためにいるの。だから、もう何もしない。それが一番なんだわ」
「そんなことない。だって、ルプレがわたしを招待してくれたって聞いたとき、わたし嬉しかったもの」
みゆきは灰しか入っていない暖炉に薪と、真っ赤な石を投げこんだ。ヴァイナから聞いていたとおり、石は薪とぶつかって火花を散らしながら一気に炎に変化し、暖炉からはあたたかな光と木の焼ける芳ばしい香りが漂いはじめた。それから、小さなオルゴール箱を開けて音楽をかけ、会場で貰ってきたかわいらしい料理と、手のひらサイズのカップケーキをテーブルに並べた。
「何をしてるの?」
ルプレがようやく顔をあげた。生気のない、青白い顔だった。
「六年前のパーティーの続き。だってわたし、途中で帰っちゃったでしょ? 招待された以上は、最後までやらなきゃ」
「あたしのしたこと、怒ってないの?」
「六年前は怒ってたよ。あの頃は小さかったから、何もわからなかった。でも、今は申し訳ないと思ってる。せっかくのパーティーをぶち壊しにしちゃったからね」
「でも、ヴァイナのパーティーのほうが楽しいでしょ?」
あいかわらず、ルプレの声は弱々しかった。
「まあね。とても楽しかった」
どうすればこの少女を元気づけることができるだろうか。みゆきは少し考え、小さい子を諭すかのような柔らかい口調で語りかけた。
「でも、わたしはルプレの用意してくれたパーティーも素敵だと思う。だって、この世でただひとり『わたしだけ』のために用意してくれたんでしょ? だから今日は、招待されにきたの。わたしがルプレのパーティーに来たいと思ったから、こうしてここにいるの」
すると、ルプレの頰に赤みが差し、下に曲がっていた口元が少しずつ上向いて、安堵したような笑みへと変わった。
「本当に? そのために来てくれたの?」
ルプレは立ちあがり、こちらへ走ってくると、ぎゅっとみゆきに抱きついた。
「ありがとう。すごく嬉しい」
その夜のパーティーは、少し特別なものになった。これまで経験してきたどのパーティーよりも地味で質素だったけれど、とても充実した時間だった。
「ありがとう、みゆき」
別れ際、ルプレは寂しげに笑っていた。
「あたし、悪い子を罰する妖精なんてやめる。もっと楽しく生きようと思うわ」
「うん。それがいいよ」
みゆきはルプレを励ますために、あえて大げさに笑顔をつくってみせ、ルプレの手を握った。
彼女はこれでもう苦しむことはないだろう。きっと楽しく毎日を過ごせるようになるはずだ。
「さようなら、ルプレ」
その言葉を言い終えると同時に、視界が反転した。
気がつくと、みゆきは自分のベッドに横たわっていた。枕元には、プレゼントの袋が入った紙袋が置かれており、デジタル時計の日付は十二月二十五日を示していた。