黒妖精の招待状

「クリスマス会、どうだった?」
「うーん、楽しかったけど微妙」
 母の質問に、十歳のみゆきは玄関先で靴を脱ぎながらそっけなく答えた。今年のクリスマスは小学校の友達の家に集まって食事をしてきたので、帰ってくるのが遅くなったのだった。
「ご飯はおいしかったんだけど、興味ないゲームとかに強制参加させられて疲れちゃった。プレゼント交換も、みんな結構いいものもらってたのに、わたしだけ派手派手で趣味じゃない文房具セットでさ。これ、どうしようかな。本気でいらないんだけど」
「そう愚痴ばっか言うもんじゃないわよ。せっかくのクリスマスなんだから」
「わかってるって。トータルで楽しかったし、満足してるよ」
 みゆきはマフラーを外して、殺風景なリビングに足を踏みいれた。家の風景は普段と何も変わらなかった。みゆきは友人宅へ呼ばれていたし、父も仕事で遅くなるとのことだったので、我が家では一切クリスマスの飾りつけをしていなかったのだ。
 しかし、みゆきは特にそれを悲しいとは思わなかった。去年までは毎年飽きるほど家族でクリスマスを過ごしていたし、クリスマスを大切にしなければならない宗教的な事情もない。一応、さっきまでクリスマスイベントには参加していたのだし、今年はそれでいいだろうと割りきっていた。


「おやすみなさい」
「おやすみ。パパの顔が見られなくて残念ね」
「いいよ。どうせ明日見れるんだから」
 十二月二十四日の夜、みゆきはいつもどおり宿題と入浴をすませ、さっさとベッドに入った。今は冬休みだったが、みゆきは長期休暇でも毎日少しずつ宿題を進めるタイプだった。
 眠りについたら、いずれは朝がくる。目がさめたら、枕元にはサンタクロースという名の父からのプレゼントが置いてあるはずだ。父のセンスは信用できないので、今年ははっきりと欲しいものを伝えている。きっと、明日には頼んでおいた白のダッフルコートがベッドに届いているはずだ。そしてみゆきはそれを驚愕の表情で見つめ、毎日顔を合わせている「サンタさん」の前で、架空の人物である「サンタさん」への礼を言うのだ。本当はこんな茶番につきあいたくはないのだが、母に「小学校を卒業するまではパパに夢を見せてあげてほしい」と頼まれてしまったので、しかたがない。これも孝行のうちだ。


栗林くりばやしみゆきさんですね」
 アナウンサーのような綺麗な声で名前を呼ばれ、みゆきは仰天して飛び起きた。どこかの会場で居眠りでもしていたのだろうか。
 慌てて周囲をきょろきょろと見回したが、そこには何もなかった。ただ、白い。特撮映画を思わせる、人工的な白い背景が三百六十度ありとあらゆるところに存在している。それ以外には、何もない。まるでフリーズしたパソコンの中に放りこまれたかのようだった。
 最後に目線を前方に戻すと、そこには、この白い空間よりさらに白く、しまいにはうしろの景色と同化して消えてしまいそうな、色白の少女がいた。見たところ、みゆきよりは年上だろう。
「はじめまして。来るのが遅くなってしまって申し訳ありません」
 みゆきは動揺のあまり、その場で固まってしまった。少女は白い肌に、婚礼衣装と見まごうほどにレースのついたロングドレスを身につけ、きらきらと光る白いミュールを履いていた。髪もまた雪のように透きとおった白さで、唯一、赤い唇と金色に輝く瞳だけが彼女から色彩をはなっていた。
「だ、誰ですか」
 みゆきは少しずつ彼女と距離をとりながら尋ねた。この少女にはどこか近寄りがたい雰囲気があった。その風貌は美麗ではあるが、どうしてもこの世のものとは思えない。
「はじめまして。わたくしはヴァイナと申します。あなたを妖精の国へご招待するために参りました」
 ヴァイナはにこりと微笑むと、片手でみゆきの手をそっと握った。氷のように冷たいと思いきや、意外にもほのかにあたたかさを感じる、普通の人肌の手だった。
 彼女はみゆきの手をとったまま、もう片方の手を空中に振りかざした。すると、次の瞬間、白くもやついた奇妙な背景はサラサラと砂のように崩れさり、真っ白な雪道があらわれた。その先には色とりどりの灯りが煌々と輝き、とても美しい情景を生みだしていた。
 しかし、みゆきはその光景に感動を覚えなかった。かわりに、強烈な既視感を抱いた。わたしはこの場所を見たことがある。この景色を知っている。
 唐突に、みゆきの脳内に、とある記憶が蘇ってきた。それは、いやらしい悪夢として記憶のひきだしに押しこんでいた、六年前のクリスマス・イブの夢だった。
「妖精だ。夢でみた妖精の国だ! でも、どうして?」
 みゆきはすべてを理解した。そして感動と興奮と困惑に脳みそをかき乱されながら、目の前の白い妖精に尋ねた。妖精は困ったように微笑みながら、遠くを見やり、言った。
「本当は、あなたのように心が成長しきった子供を呼ぶべきではないのですが……『お詫び』として特別にお連れしました。ルプレが勝手にやったことの埋めあわせとして。ずっとあなたを探していたのですよ」
 やがて、遠くから神々しいハーモニーを奏でる鈴の音が聞こえ、立派な角を生やしたトナカイが二頭、馬車のように大きい屋根つきのそりを引いてきた。それは、かつてみゆきが心惹かれて近づいていった、あのそりだった。
「どうぞ。招待状です」
 ヴァイナは白い厚紙をみゆきに手渡した。そこには金色の文字で何かの文言が書きつけてあった。そして、その紙を受けとった瞬間、みゆきのパジャマは、花柄を散らしたライトブルーのレースを何枚も重ねた、みゆき好みのかわいいパーティードレスへと変化した。
「クリスマスパーティーの招待状です。今度こそ、正式なパーティーにご招待いたしますね。みゆきさん」
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