黒妖精の招待状

 どこの文献にも載っていないが、まことしやかに囁かれている噂がある。
 クリスマス・イブの夜、子供の夢だけに現れる妖精がいるという。
 妖精は子供に招待状を渡し、一夜だけ「妖精の国」へ連れていってくれる。
 そこでは盛大なパーティーがひらかれていて、言葉では表しつくせないほど美しい光景が広がっているらしい。
 妖精はいつも年に一度、世界中から数人の子供を選んで招待状をくれるのだとか──


「まあ、よくある言い伝えだけどね。発祥はどの辺だったかな。たしかヨーロッパだったと思うけれど」
 みゆきの父はそう言って、シャンパンのグラスを片手に笑った。
「それ、ほんと?」
 四歳のみゆきは切り分けられたケーキを頬張りながら、目を輝かせた。妖精の国のパーティーだなんて、聞くだけでわくわくしてくる。
「ちょっと、みゆきはまだ小さいんだから、変なこと吹きこまないでよ。本気にしちゃってるじゃない」
 母親は呆れたように息をついて、リビングの電気をつけた。途端に、キャンドルライトの幻想的な部屋は、単なる日常の生活空間へと姿を変えた。
「おい、やめろよ。せっかくいい雰囲気だったのに」
「もう充分でしょ。早く全部食べてしまいなさい。クリスマス気分に浸るのもいいけれど、今日も明日も平日だってこと、忘れないでよね」
 せっかくのクリスマス前夜であっても、両親の痴話喧嘩はあいかわらずだった。そんな父母をよそに、みゆきは皿に残ったクリームをフォークで舐めとりながらうっとりしていた。どんな姿の妖精が来るのだろう。どうやって招待する子供を選ぶのだろう。みゆきの頭の中は、魅力的な想像の世界ではち切れそうだった。


 その日の夜、みゆきは興奮してなかなか寝つけなかった。明日の朝にはサンタクロースからのプレゼントが届いているだろう。それに、パパが言っていたとおりの妖精が自分を迎えにくるかもしれない。
 しかし、昼間からはしゃいでばかりだった子供が迫りくる睡魔に勝てるはずもなく、数分もしないうちにみゆきは眠りにおちていた。


「あなた、名前は?」
 聞きなれない声が頭の中に響き、みゆきはゆっくりとまぶたを持ちあげた。
 そこは、何もない真っ白な世界だった。目の前には、みゆきより背の高い女の子がいる。真っ黒なフリルのドレスに身を包み、これまた真っ黒な厚底のブーツを履いている。髪は老人のような灰色で、瞳はぎらぎらと赤く光っていた。
「まだ寝ぼけてるの? いいから名前を言いなさい」
 ここはどこなのか、この人は誰なのか。その少し攻撃的な口調と容姿にたじろぎつつも、みゆきは質問に答えた。
「みゆき……」
「ふうん」
 少女は顎に手をあててみゆきの全身をじっくりと観察し、尋ねた。
「歳はいくつ?」
「四つ」
「あら四歳? いいわね。まだまだ夢を見られる年頃だわ」
 その言葉を合図に、どこからともなく黒い物体が飛んできて、みゆきの目の前でぴたりと止まった。思わず両手を伸ばして受けとると、それは黒い紙だった。分厚くて高級そうな厚紙で、白いインクで何かが書きつけてある。残念ながら、中身は読めなかった。というより、みゆきはこんな文字を見たことがなかった。おそらく、この場にどんな人間がいたとしても、この文字は読めなかっただろう。それもそのはず、こんな文字はどこの国にも存在しないからである。
「これはクリスマスパーティーの招待状。特別にあげるわ」
「パーティー!?」
 みゆきはぱっと顔をあげた。クリスマスの前夜、パーティー、招待状。これだけのキーワードが揃えば、導きだされる答えはひとつしかない。
「あなた、妖精さんなのね!」
「あら、詳しいのね」
 妖精は心底つまらなさそうな顔をした。その反応に、みゆきは困惑した。妖精だということを見抜かれると、何かまずいことでもあるのだろうか。
「まあ、どちらでもいいわ。あたしは招待状を渡しただけ。ついてくるかどうかは自分で決めなさい」
 黒い妖精はさっと踵を返し、白い背中をこちらにむけて、どこかへ立ち去ろうとした。みゆきは慌てて妖精のドレスを掴み、大声で「行く」とくりかえした。妖精は呆れつつも了承し、みゆきの手を握ってくれた。雪のように白く、氷のように冷たい手だった。
「あたしはルプレ。よく覚えておきなさい」
 そう言ってルプレが微笑むと、周囲の白い風景が少しずつ吹雪のような景色に変わった。そしてその吹雪も少しずつ弱まり、完全に視界がひらけたとき、みゆきの眼前に広がっていたのは、暗闇の中に色とりどりの飾りが光る、夢のようにまばゆい世界だった。
 白い粉雪の中に敷かれた赤レンガの一本道。その先ではオーナメントを思わせる赤や緑や金色のまるい光が、真夜中の空を覆いつくすほどまぶしく輝き、フェルト地のような薄い簡素な服を身につけた小人たちが所狭しと列をつくっていた。そのさまはまるで、いつかテレビで見た遠い国のクリスマス・マーケットのようで、道の両端には小さな木製の屋台が並び立ち、リースや星の形をした飾りや、クッキーのような質感の菓子などを売っている。さらにそのむこうには真っ白い外観を苺やブルーベリーやヒイラギの葉で飾りつけた、ウェディングケーキのような建物がきらびやかにライトアップされていた。
「すごい、すごい! ここが妖精の国なんだね?」
「まあ、そうね」
 ルプレの口調は冷ややかだったが、みゆきはそんなことは気にもとめず、喜びいさんでマーケットの中に突進していった。
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