第4話
瑠璃奈は家にいなかった。かわりに、彼女の父がゲンを迎えた。
「燈 ちゃんの家にいって、しばらくは帰ってこないよ。かなり待つことになるけど、それでもいいかい」
普段なら彼女を待つことなど絶対にしない。だが、今回は事情が違った。ゲンは素知らぬ顔でルリに用事があるといい、堂々と邸内に入った。
瑠璃奈の父は芸術家で、娘が不在のときは自分のアトリエで過ごしている。そのため、ゲンは案内された居間で彼の足音が消えるのを待ち、それからそっと忍び足で瑠璃奈の部屋へむかった。
そこはなんとも雑多な部屋だった。床がきちんと片づいているのは、父親のおかげだろう。床は綺麗にカーペットがみえているものの、学習机とミニテーブル、そして年不相応なアンティーク調のドレッサーには大量にものが散らかされており、献身的な清掃をもってしても隠しきれない、どこかごちゃついた雰囲気を醸しだしていた。
さらに、その「散らかされた」ものたちは、およそ日常生活でお目にかからないであろう奇怪なアイテムばかりだった。石や砂、ちぎった枯葉などが詰められた小さなボトルに、あの知能で読めるとは思えない重厚な古い和綴じ本、同じく古びて変色した厚い洋書に、やたら細かい飾り彫りが入った小さな壺、暗い青のグラデーションがかかった和蝋燭と燭台、社寺にありそうな不気味な札 ……和風のもの、洋風のもの、どちらともつかないものなど、その形態は様々であったが、ひとつとしてまともそうなものはみあたらない。
昔よりひどくなってるな、とゲンは冷静に現状を分析した。瑠璃奈がおかしなアイテムを所持しているのは周知の事実で、今更驚くようなことではなかった。それよりも、今は目的のものを探さなければならない。
ゲンは机のアイテムの位置を動かさないよう気をつけながら、ひとつひとつ調べはじめた。これだけおかしな部屋なのだ、「杖」や「腕輪」のひとつやふたつ、簡単にみつけることができるだろう。
しかし、机には「杖」も「腕輪」もおかれていないようだった。そこで、今度はひきだしをあけてみた。一部の学習用具や手帳を除くと、どのひきだしも机上と似たようなラインナップだった。しかし、そこにも目ぼしいものはなかった。
この時点で、すでに三十分は経過していた。あまり長くこの部屋にいると、瑠璃奈の父親にみつかるリスクがある。それよりもまずいのは、瑠璃奈本人が帰宅してきたときだ。どう言い訳をしても、空き巣まがいの行いをごまかすことはできない。考えてもみれば、あの洗面所でのできごとが本当のことかどうかも怪しいのに、自分は何をしているのだろう。ばかばかしいことこの上ない。きっと自分は具合が悪いのだ。
そろそろ帰るか、と軽く考え、ゲンは最後のひきだしをしめて立ちあがった。ところがその途端、全身にひやりとした、それでいて爽やかな、不思議な感覚に襲われた。そして次の瞬間、部屋の奥に鎮座しているクローゼットが、気になって気になってたまらなくなった。
まるでみえない手に導かれるように、ゲンは部屋の戸口に背をむけると、ふらふらとクローゼットの前まで歩き、ドアをあけ、吊るされている衣類を両脇に押しやり、奥にしまわれていた古い木製の箱を手にとった。
箱の蓋をとると、中には──青い大玉の腕輪があった。それは宇宙 をとじこめたような紋様をもち、鈍い色味でありながらも、吸いこまれそうな奥深い輝きを放っていた。
腕輪だ。
ゲンは思わず、その不思議な腕輪に手をのばした。そこに理由や欲求はなかった。ただ、この腕輪を絶対に入手しなければならないと強く感じていた。
「熱っ!」
寒々しい色とは裏腹に、腕輪はまるで沸騰したやかんのような熱を帯びていた。ゲンは驚き、思わず腕輪を後ろに投げてしまった。
「ま、まずい」
ゲンははっと我に返り、慌てて腕輪のもとへ駆けよった。こんなの、置き場所が変わっていたら他人の仕業だとすぐにばれる。そして、状況からして、犯人がゲンだと割りだされるのも一瞬だろう。とにかくこの物体を元の位置に戻さなければ。
ゲンはもう一度、腕輪に手を伸ばした。そっと掴むと、今度は熱さを感じなかった。ゲンは安堵し、今度はしっかりと腕輪を握った。
ふと顔をあげると、そこはちょうどドレッサーの前だった。ドレッサーには大きな鏡があり、はっきりとこちらを映しだしていた。そして──
声をあげる間もなかった。
腕輪はふたたび熱をもち、全身に電流のような衝撃が走った。
視界は真っ暗になったかと思うと、真っ白な火花が散り、次に真っ赤になり、真っ青になってからもう一度暗転し、身体は床を離れて宙を漂った。
すべては一瞬だった。痛みを自覚する暇もなく、ゲンは顔から床に叩きつけられた。
おそるおそる目をあけると、そこは「星空」だった。それも、妙に見覚えのある星空だった。
「
普段なら彼女を待つことなど絶対にしない。だが、今回は事情が違った。ゲンは素知らぬ顔でルリに用事があるといい、堂々と邸内に入った。
瑠璃奈の父は芸術家で、娘が不在のときは自分のアトリエで過ごしている。そのため、ゲンは案内された居間で彼の足音が消えるのを待ち、それからそっと忍び足で瑠璃奈の部屋へむかった。
そこはなんとも雑多な部屋だった。床がきちんと片づいているのは、父親のおかげだろう。床は綺麗にカーペットがみえているものの、学習机とミニテーブル、そして年不相応なアンティーク調のドレッサーには大量にものが散らかされており、献身的な清掃をもってしても隠しきれない、どこかごちゃついた雰囲気を醸しだしていた。
さらに、その「散らかされた」ものたちは、およそ日常生活でお目にかからないであろう奇怪なアイテムばかりだった。石や砂、ちぎった枯葉などが詰められた小さなボトルに、あの知能で読めるとは思えない重厚な古い和綴じ本、同じく古びて変色した厚い洋書に、やたら細かい飾り彫りが入った小さな壺、暗い青のグラデーションがかかった和蝋燭と燭台、社寺にありそうな不気味な
昔よりひどくなってるな、とゲンは冷静に現状を分析した。瑠璃奈がおかしなアイテムを所持しているのは周知の事実で、今更驚くようなことではなかった。それよりも、今は目的のものを探さなければならない。
ゲンは机のアイテムの位置を動かさないよう気をつけながら、ひとつひとつ調べはじめた。これだけおかしな部屋なのだ、「杖」や「腕輪」のひとつやふたつ、簡単にみつけることができるだろう。
しかし、机には「杖」も「腕輪」もおかれていないようだった。そこで、今度はひきだしをあけてみた。一部の学習用具や手帳を除くと、どのひきだしも机上と似たようなラインナップだった。しかし、そこにも目ぼしいものはなかった。
この時点で、すでに三十分は経過していた。あまり長くこの部屋にいると、瑠璃奈の父親にみつかるリスクがある。それよりもまずいのは、瑠璃奈本人が帰宅してきたときだ。どう言い訳をしても、空き巣まがいの行いをごまかすことはできない。考えてもみれば、あの洗面所でのできごとが本当のことかどうかも怪しいのに、自分は何をしているのだろう。ばかばかしいことこの上ない。きっと自分は具合が悪いのだ。
そろそろ帰るか、と軽く考え、ゲンは最後のひきだしをしめて立ちあがった。ところがその途端、全身にひやりとした、それでいて爽やかな、不思議な感覚に襲われた。そして次の瞬間、部屋の奥に鎮座しているクローゼットが、気になって気になってたまらなくなった。
まるでみえない手に導かれるように、ゲンは部屋の戸口に背をむけると、ふらふらとクローゼットの前まで歩き、ドアをあけ、吊るされている衣類を両脇に押しやり、奥にしまわれていた古い木製の箱を手にとった。
箱の蓋をとると、中には──青い大玉の腕輪があった。それは
腕輪だ。
ゲンは思わず、その不思議な腕輪に手をのばした。そこに理由や欲求はなかった。ただ、この腕輪を絶対に入手しなければならないと強く感じていた。
「熱っ!」
寒々しい色とは裏腹に、腕輪はまるで沸騰したやかんのような熱を帯びていた。ゲンは驚き、思わず腕輪を後ろに投げてしまった。
「ま、まずい」
ゲンははっと我に返り、慌てて腕輪のもとへ駆けよった。こんなの、置き場所が変わっていたら他人の仕業だとすぐにばれる。そして、状況からして、犯人がゲンだと割りだされるのも一瞬だろう。とにかくこの物体を元の位置に戻さなければ。
ゲンはもう一度、腕輪に手を伸ばした。そっと掴むと、今度は熱さを感じなかった。ゲンは安堵し、今度はしっかりと腕輪を握った。
ふと顔をあげると、そこはちょうどドレッサーの前だった。ドレッサーには大きな鏡があり、はっきりとこちらを映しだしていた。そして──
声をあげる間もなかった。
腕輪はふたたび熱をもち、全身に電流のような衝撃が走った。
視界は真っ暗になったかと思うと、真っ白な火花が散り、次に真っ赤になり、真っ青になってからもう一度暗転し、身体は床を離れて宙を漂った。
すべては一瞬だった。痛みを自覚する暇もなく、ゲンは顔から床に叩きつけられた。
おそるおそる目をあけると、そこは「星空」だった。それも、妙に見覚えのある星空だった。