導きの夢

「大丈夫? 調子の悪いときに家からでないほうがいいよ」
 あかりは今朝の神崎の様子を思いおこして心配になった。しかし神崎の容態は元気そのもので、彼もまた自身の健康を主張した。
「もう完全に治ったよ。なんだか変な別れ方しちゃったし、明日は休日だから、もう一度会っておこうと思って」
 それから神崎は思いだしたように「行き先はちゃんと伝えてきたよ」とつけくわえた。あかりの忠告を忘れていなかったらしい。
「あれから、色々考えてたんだ。結局、昨日のできごとはなんだったんだろうって。僕がみたのは、本当に夢だったのか、それとも現実なのかって。もし、あかり、、、が何も覚えてなかったら『夢』だってことにしていたけど、そうじゃなかっただろ?」
 さらりと名前で呼ばれ、あかりは面食らった。つい昨日までは「片町さん」だったというのに。
「神崎くん、今」
「遠也でいいよ。僕、他人なんてどうでもいいと思ってたけど、君のことは信用してるんだ。過去のことを素直に話せる人なんて、今の今までいなかったしね」
 過去のこと、というのはすなわち『虹の国』の存在のことだろう。たしかに、何も知らない人間が彼の話を真面目に聞くのは難しそうだ。少なくとも、おとといまでの自分には無理だっただろう。
「わかった。じゃあ、私も遠也くんって呼ぶよ」
 あかりは呼称変更に同意し、ついで訪問の理由を尋ねた。あかりはてっきり、彼が何か話をしたがっているのだと思っていたが、実際は逆だった。遠也は少し不満げな顔つきになり、先刻ルリが去っていった方角をぴっと指さした。
「あかりはともかく、あの望月瑠璃奈は何者なんだよ。明らかになんか知ってそうだったし、勝手に僕のことめちゃくちゃにするし。あいつが妙なやつだっていうのは噂で聞いてたけど、さすがに今回のは気味が悪いよ。だからあかりにきいてみようと思ったんだ。君とはいつも一緒にいるみたいだから」
 そこで、あかりはついさっきルリから聞いた「夢空間」の存在と、そのからくりを教えた。神崎はいぶかしげな表情で聞きいっていたが、おとなしくあかりが話し終わるのを待ち、それから尋ねた。
「じゃ、あの場所にはいろんな人間の『夢』がごろごろしていたわけだろ。それなのに、あかりはどうして『あの日』の僕の夢にあらわれたの?」
 あの日、とはすなわち終業式の日のことである。「夢」に振り回されるおかしな日々は、なにもかもあの日を起点にはじまっているのだ。
 あかりは、当日の記憶を順番に再生してみた。ルリとの会話、腕輪の存在、夢の内容……そこまできたとき、ある人物の名前が脳内に浮かんだ。
「私、『ソランジュ』って人に呼ばれたの。『お友達を助けて』って。遠也くんはこの人、知ってる?」
「知らない」
 遠也は考えることもなく、首をふった。
「覚えてないだけかもしれないけどね。虹の国のことはほとんど忘れたから」
 ちょうどそのとき、背後からドアの開閉音と、母の声がした。
「もう夕方なのに、そんなところで立ち話していたら、身体を冷やすわよ」
 すると、その言葉に弾かれたように、遠也は門からはねあがった。
「今日は帰るよ。また明日ね」
 そして、あかりが別れの挨拶をするのも待たずに、あっというまに門をでて走りさってしまった。追いつける速度ではあったが、追いかけることはしなかった。時間も遅いし、明日になればどうせ会うことになる。
 神崎遠也というのは不思議な人だ。ある意味では、ルリよりも理解が難しい。しかし、どこか共感する部分もあった。なぜ、彼の言動や態度にこれほどのシンパシーを覚えるのか、あかり自身にもよくわからなかった。


 翌日、あかりと遠也はルリの案内で彼女の自宅を訪れた。彼女の家は平屋のいわゆる日本家屋で、立派な門と広い庭がついていた。戸口にはルリの父が立っており、いつもどおりのぎこちない笑顔で一同を迎えてくれた。もっとも、表情が固いのは彼が笑顔を苦手にしているからであり、そこにネガティブな意図はない。ルリの父親が実際は心根の優しい、穏やかな人物であることをあかりはとうの昔に知っている。
「すごい。ここ、ほんとに家?」
 遠也がそうささやいてきたので、あかりは小さくうなずいた。このあたりの土地の基準からみると、彼女の家はかなり広い。慣れていない人間が戸惑うのも無理ないだろう。しかし、敷地の広さに反して、住んでいるのはルリとその父親のふたりだけだった。母親は年中留守にしているため、この家の中でほかの人間の姿をみることはまずない。
「はじめまして。あかりちゃん以外の子がくるのなんて珍しいね」
 普段ならルリの自室へと通されるのだが、この日にかぎってルリの父は、あかりたちを奥の客間へと案内した。
 どうしてよいかわからず困惑していると、背後からふすまをあける音がして、誰かが入ってきた。だが、ルリの父はこの場にいる。あかりと遠也は反射的にうしろをふりかえり、同時にあっと声をあげた。
「お久しぶり。無事に帰れたようで何よりでした」
 そこにいたのは、昨日山道で遭遇した、あの老女だった。
「おばあちゃんは、あまり人と会わないの。前からあかりには会ってほしかったんだけど、おばあちゃんがどうしてもダメっていうから」
「『おばあちゃん』? この人が?」
 ルリの祖母はこんな人だっただろうか。それを尋ねると、すぐに否定の返事が返ってきた。ここにいるのは父方の祖母で、あかりが知っているのは母方の祖母だったらしい。
「この子はすぐ魔女のことをふれまわるでしょう。噂がたつからやめなさいといいきかせているのに」
「隠すようなことじゃないもん」
「いけません」
 ルリの祖母なる人は正座をしてあかりと遠也にむきなおり、古風で丁寧なお辞儀をした。
「あらためて、はじめまして。私は 望月もちづき 千草ちぐさ。瑠璃奈の祖母です」
 あかりは恐縮して慌てて挨拶を返そうとしたが、千草は必要ないといい、ふたりを席につくよう促した。ルリの父は、急須と茶碗、茶菓子を持ってくると、そのまま黙って部屋を退場してしまった。千草は自分で四人分のお茶を注ぎながら、困ったように話した。
「あなたたちのことは、ルリから聞きました。事故や後遺症もないようで安心しました。あのときは、ごめんなさいね。きちんと説明する時間すらもなかったの。かえって不安になったでしょう」
 遠也は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で硬直していた。あかりは何度も千草とルリを見比べた。こんな人が親族にいたなんて、今の今まで知らなかった。ルリの様子からして、隠していたわけではないだろう。きっと、例によってあかりが説明を聞き逃していただけだ。
「今日きてもらったのは、いくつか確認したいことがあるからなの。まずは、あかりちゃんの腕輪について」
 その言葉に、あかりは急いで腕輪をだした。じつは、事前にルリから持ってくるようにいわれていたのだ。あかりが腕輪を座卓におくと、千草はそれまで浮かべていた微笑みを消していった。
「本来、この腕輪はあなたのような子供が気軽に持つべきものではないの。理由は危険だから。今回のことでよくわかっていると思うわ。だけど、腕輪の持ち主は、一度決まったら最後、魔女が代替わりしない限りは変えられないの。私がこの場で預かったところで、腕輪は自然にあなたのもとへと帰ってしまうでしょう。とはいっても、そのまま持たせておくことはできないわ」
 千草は腕輪をとり、ルリに差しだした。
「この場で腕輪を封印しなさい」
「ええ!」
 ルリは心底不満そうだったが、千草の表情は変わらなかった。
「従えないのなら、杖の使用は禁止しますよ。修行もとりやめ。やっぱりあなたは、人としても魔女としても未熟すぎました」
「そんなあ!」
 しばらくの間、ルリは抵抗を続けていたが、頑としてひかない千草をみて、諦めたようだった。そのさまは、祖母と孫というより、師匠と弟子の関係に近いものがあった。
 彼女が杖をとってきて、おかれていた腕輪に近づけると、腕輪は一瞬だけ白く光り、すべての石が透明に変化した。千草は腕輪を触って何かを確かめると、もとのにこやかな表情に戻り、両手で腕輪をあかりに手渡した。
「これで、この腕輪の力はなくなりました。万が一、扱いを間違えても夢空間に飛びません。でも念のため、普段は身につけないようにね。ルリの杖があれば封印は解除できるけど、解除は絶対にさせません。安心してね」
 呆然と目の前の光景を眺めていたあかりは我に返り、挙動不審ぎみに返事をして腕輪を受けとった。本当に、このふたりは何者なのだろう。それを尋ねると、千草は「もともと魔女は私だったの」と少し恥ずかしそうに笑った。
「魔女に素敵なイメージを持つ子も多いけど、実際は苦労ばかりよ。詳しくは話さないけれどね。とにかく私は、誰にも力を受け継ぐつもりはなかったわ。でも、ルリは生まれたときから異常なほど魔女の素質が強い子でね……魔女としての教育を施さないと、意識の世界と現実の世界を区別できないほどだったの。あかりちゃんなら、よく知っているでしょう?」
 じつに答えにくい質問だったため、あかりは曖昧に相づちをうつことしかできなかった。しかし、千草はあまり気にしていないようだった。
「この子の力は私よりもはるかにレベルが高くて、私でもどうしていいかわからないほどだったの。杖や腕輪は危険だけれど、いたずらに能力をくすぶらせているより、早いうちにすべてを使いこなしたほうが、この子のためになると思った。まさか、ほかの子を巻きこむなんて予想していなかったのよ。ルリにはよくいいきかせておいたから、もう危ない目にはあわないと思うわ。ごめんなさいね」
「い、いえ」
 あかりは面食らいつつも、自分がルリの話を聞いていなかったこと、腕輪の扱いを間違えたことを述べて謝罪した。千草は安堵した様子で「問題は片づいた」と話し、ついで、険しい表情で遠也の前へと移動した。
「遠也くん、一番難しいのはあなたなの。正直、あなたの場合は何が起きていたのか、私たちでもわからないのよ。なんの力もなしに夢空間へ飛ぶなんて、通常は考えられないわ。何か、心あたりはある?」
 遠也は黙っていた。彼は自分の前におかれている煎茶を眺め、ぽつりといった。
「『虹の国』って、ありますか?」
 沈黙が流れた。千草は、少しの間をおいて「ええ」と答えた。
「あれはなんなんですか?」
「死者の国よ」
 突然、部屋は静寂につつまれた。まるで、時が止まったかのようだった。縁側のむこうで吹きあれる風の音だけが、唯一、この空間を現実たらしめている。
 死者の国。それは短い言葉でありながら、強烈な破壊力をもっていた。あかりは自分の呼吸が乱れるのを感じた。
「遠也くんは、そこにいた記憶があるのね」
 遠也は小さく──よく観察しないとわからないほど小さく、うなずいた。
「昔、事故にあったりしなかった? なんらかの理由で、死に近づいてしまったのだと思うわ」
「最初から、ほとんど死んでました。生まれてすぐに人工呼吸器つけられてましたし。ずっと昏倒してて、このまま植物人間になるんじゃないかっていわれてたらしいですから」
「門の付近をさまよっていた、というのならわかるわ。けれど、聞いた話だと、あなたは女王様とも会っていたそうね」
「だいたい全部把握してました。もう、当時のことはほとんど忘れましたけど……ただ、最後に突き落とされたのは覚えています。なんの予告もなく、いきなり」
「追いだしたのは、女王様?」
「いえ、違う人です」
 千草は背筋を正したまま、遠也をみつめて黙りこんでいた。遠也はあいかわらず、千草とは視線をあわせようとしなかった。
「きっと──その追いだした人は、あなたにまだ死んでほしくなかったのでしょうね。何か、特別な事情があったのでしょう。ただ、完全に亡くなっていない人が虹の国の奥深くへ入る、というのは本来、ありえないはずなのよ。残念だけれど、詳しいことは私にもわからないわ。虹の国というのは、本当に不思議な場所だから」
 遠也はそれに対して答えを返さなかった。かわりに、こう尋ねた。
「僕の夢にでてきた『あいつ』はなんだったんですか?」
 あいつ、とは子供のことだ。遠也が「自分自身」だと説明していた、幼い存在。千草は「子供」のことをルリから聞いていると話し、次のように語った。
「それは、あなた自身の『記憶』。おそらく、あなたは無意識のうちに自分の記憶を切り落としていたの。切り落とされた記憶は行き場をなくし、小さなあなたの姿となった。そして、夢の中に現れていたのでしょう」
 それから最後に、こう結論づけた。
「今回のことは、『虹の国』が関係していたとみて、間違いないでしょう。とても特殊なケースだから、私にもはっきりした原因はわからないけれど。ひとつたしかなのは、あなたたちがいった場所はとても危険だということ。もし、身のまわりでおかしなことが起きたら、ルリに話すようにして。そして、自分たちでは余計な調査をしないこと。今回は無事に帰ってこられたけど、次はそうはいかないかもしれない」
 この言葉を最後に、千草はこの話題を打ちきり、大量の和菓子を持ってきて、たわいのない日常の話をはじめた。そしてその中で、自分が佑雲ゆくも市に住んでいること、小さな店を営んでいること、いつでも遊びにきて構わないことを説明してくれた。
 外にでたとき、すでに日は傾いていた。あかりと遠也は、どちらも親が迎えにくることになっていたので、ふたりはルリ宅の庭で暇を潰していた。ルリは、ついさっき父親に呼ばれて、姿を消していた。
「これですっきりしたよ」
 遠也は、お土産としてもらった菓子の袋をくるくる回しながら、明るくいった。あかりは遠也に、夢空間での誤解と態度について謝罪したが、彼はまるきり気にしていなかった。
「これで、僕の頭が正しかったことが証明された。昔のこと、もっと覚えておけばよかったなあ。そしたら、いろんなことを説明できたのに」
 遠也は今回のできごとをポジティブなものとして受けとっているらしく、あかりに対して礼までいってくれた。実際のところ、あかりは感謝されるようなことは一切していないのだが、彼の中ではそれに値するものがあるようだった。
 その後、遠也が話題を日常に戻そうとしたので、あかりは最後に、どうしても気になっていたことを尋ねてみた。
「昔のことって全然覚えてない? たとえば、虹の国にいた人とか」
 じつは、千草の話を聞いてから、あかりはそればかりを考えていた。もし、遠也が過去のことを少しでも覚えていたら──そう思ったのだが、返ってきた言葉はあっさりしたものだった。
「ほとんど記憶にないよ。今まで、頑張って忘れようとしてたからなあ。でも、ひとりだけ覚えてるよ。虹の国に住んでいた人」
「本当に? それって、男の子だった?」
「いや、女の子だったと思うよ」
 その返答を受けて、あかりはそれ以上の深掘りをやめた。「男の子」という言葉を期待していたからだ。
 死者の国。死を準備する国。虹の国。
 もしかしたら、記憶にない自分の兄がいたのではないかと思ったのだが、考えるだけ無駄だったようだ。


「ねえ、あの三人って、仲よかったっけ? 神崎くんが誰かとしゃべってるのなんて、はじめてみたんだけど」
 教室でそう話しかけられ、あかりは遠也に目をやった。
 遠也はふたりの男子と机を囲んで、楽しそうに話していた。あの日以来、彼は他人を警戒するのをやめたらしく、笑顔で話す姿をみせるようになった。
「あかりも仲いいよね。急にどうしたの?」
「どうもしないよ。遠也くんはもとからあんな感じだよ」
 あかりの口から、それ以上のことはいえなかった。真実を話したところで、理解できる者はいない。理解できないまま、変人のレッテルを貼られるだけで終わりだろう。それは彼も自分もよくわかっている。世の中はすべて「常識」の範疇でしか物事を認めないのだ。


「鈴木とは放課後に公園で対戦してるよ。でも、あいつ有名タイトルにしか興味ないんだよね。山田はその逆で、あいつの家にいくと古いハードやレアなソフトがたくさんあるんだ。でも、せっかくいろいろ持ってるのに、あいつプレイが下手でさ。かわりに僕がクリアしてることも多いよ」
 放課後、遠也は楽しそうに自分の交友関係について解説してくれた。ここ数週間でわかったことだが、彼はとにかくコンシューマーゲームが好きで、同じ趣味を持つ人間と仲よくなりやすいらしい。
「ねえ、今日は空いてる? じつは新しいパーティゲームのソフトを買ったんだ。簡単だし、すごく楽しいよ。大丈夫、僕がハードもソフトも全部持って遊びにいくから。もちろん親にもちゃんと断ってくるし」
「いいけど、遠いのに大変じゃない?」
「全然平気だよ」
 どういうわけか、遠也はよくあかりを訪ねてくるようになった。家の距離を考えると、負担はかなり大きいはずなのだが、彼はあまり気にしていないようだった。
「それ、あたしもいっていい?」
 隣にいたルリが目を輝かせて身をのりだした。遠也は不服そうな顔でじろりとルリを睨みつけ、いった。
「別にいいけどさ、ルリってゲーム壊滅的に下手くそだろ。次にコントローラー壊したら出禁だからな」
「あれはわざとじゃないよ! 謝ったし、ちゃんと同じの買って返したでしょ?」
「まあ、そうだけど。なんでそんなに不器用なんだよ」
「ひどい!」
「もう、喧嘩しないでよ」
 このふたりは、すぐに口喧嘩をはじめてしまう。お互いに悪意はないようだが、相性があまりよくないらしい。
 あかりはため息をついて天を仰いだ。よく晴れた青空だった。
 はたからみれば、自分たちは偶然知りあったクラスメイトとしか映らないのだろう。夢空間のことも虹の国のことも、自分たちと千草を除けば、ほかに知る人はいない。説明したって、きっと理解できない。
 そう考えると、少し嬉しいものがあった。
 自分だけ、、の居場所ができたような気がして。


 ──導きの夢  完
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