導きの夢

 あかりはその質問に答えられなかった。十二月といわれても、ありきたりな授業やテストやクリスマスイベントのことしか思いだせない。あえて、特別なことがあったとすれば……
「十八日、とか?」
 十二月十八日。それは、ほかでもないルリの誕生日だった。
「半分正解」
 ルリは少しためていった。あかりが答えにたどりつけないのを楽しんでいる風だった。彼女は隠していた秘密を暴露するかのように、嬉々として身をのりだし、続けた。
「あたしね、夢空間のことも杖のことも腕輪のことも、全部あかりに話してるんだよ。十二月の十九日に」
「十九日?」
「そ。あたし、十八日の誕生日にひとりで杖を使ってもいいことになったから、あかりと一緒に夢空間へいこうと思ってたんだ」
「私と?」
 あかりは自分で自分を指さして確認した。なぜ、自分が必要なのだろう。これまでのことでわかっているとおり、あかりは夢空間では無力な存在であり、ルリに随行したところでなんの貢献もできない。だが、それを伝えてもなお、ルリはあかりを指名した。
「あたしと一緒にいけるのはあかりしかいないの。だって、夢空間に入れるのはあかりだけだもん」
「そうなの?」
 それは意外な事実だった。あかりはてっきり、腕輪さえあれば誰でも簡単にあの空間へ旅立てるものだと考えていた。しかし、ルリは首をふってその説を否定した。
「腕輪は持ち主を選ぶよ。あたしの杖があたしにしか使えないように、腕輪も使える人が限られてる。何も知らない人には使いこなせないよ。でも、あかりなら大丈夫だって思ってたんだ。実際、腕輪が使えたでしょ。でも」
 ルリはぐいと腕をのばし、あかりが持っていた腕輪をひっぱった。あかりの腕輪をつまむ力はごくわずかだったため、腕輪はいとも簡単にルリのてのひらに収まった。
「今回のことでわかったように、あそこはかなり特殊な場所なの。おばあちゃん、、、、、、にもかなり叱られたしね。怖いと思うなら、無理しなくていいよ」
 その言葉に、あかりはほっとした。けれども次の瞬間、あかりはその安堵がいかに稚拙な心情であったかを思い知らされることとなった。
「でもね、腕輪をあげられないなら、もう夢空間の話はできない。もちろん魔女のことも。べつに誰かに禁止されてるわけじゃないけど、『怖い』と思っている人に怖い話はできないでしょ? だから、昨日のできごとはなかったことにする。夢空間も、腕輪も魔女も、最初からなかったことにして、あたしはただの人間になる」
 それは恐ろしい宣告だった。まだ「誰かに話すのを禁じられている」といわれたほうが、よほどましだった。ルリは、自分の意志であかりをこの不思議な世界から排除しようとしている。
 昨日の午前中までなら、あかりはその話にのっただろう。それまで、ルリの話す「魔女」の話は社会生活を妨害するものであり、時間の無駄であり、他者と共有できない不要な情報でしかなかった。しかし、今のあかりにとって、彼女の話は、自分の記憶に刻まれた情報を裏づけるための最後の砦だった。ルリという頼みの綱が切られれば、あの体験は消えてなくなる。神崎があかりを信頼して話してくれた記憶についても、その先をたどれなくなる。すべて、本当にただの「夢」になってしまう。
 その動機が優しさであれなんであれ、あかりにとっては死刑を命じられるに等しい条件だった。
「ごめんなさい!」
 あかりはルリから腕輪をひったくった。自分でも驚くほどの大声だった。しかし、今はそれどころではなかった。
「私、信じてなかったの」
 これを渡せば、何もかもが終わる。あかりは恥も外聞もなく、ばっとその場で頭をさげた。
「小さい頃は信じてたけど、もう小学生だし……ルリの話は創作だと思ってたから。鏡に映したのは偶然だけど、その前は腕輪を枕元において寝ていたし、どのみち、自分の意志で同じ目にあっていたと思う。十二月のことも覚えてない。真剣に聞いてなかったから。全部私が悪いの。まわりの人が嘘だっていうから、ルリのいうことも嘘だって思いこんでた。腕輪を返そうとしたのは、私の勝手な行動がうしろめたかったからなの」
 すべてを喉からだしおえても、あかりはルリの顔をみられなかった。ルリは人の好き嫌いがはっきりしており、本気で嫌った相手には容赦ない。まして、あかりは真剣な相談をまともに記憶していないような人間だったのだ。絶縁されても文句はいえない。悪いのは自分なのだ。
 あかりはじっと息もせず、身じろぎもせず、ひたすらに判決の時を待った。
「知ってたよ」
 それが、最初に発された彼女の言葉だった。軽い調子の、ちょっとおどけた声色だった。
 あかりはびっくりしてルリをみた。そこにいたのは、教室で笑い話をしているときと変わらない、いつもの楽しげなルリだった。
「あかり、あたしの話ほとんど聞き流してたでしょ。最近はずっとうわの空だったもんね。バレバレだよ」
 ルリはケラケラと笑った。いつもどおりの笑い声だった。
「知ってたの?」
 あかりがおそるおそる尋ねると、ルリは「あたりまえ」とむくれた。
「何年のつきあいだと思ってんの。あかりが信じてないことくらい、とっくの昔にわかってたよ。だから『話』だけじゃなくて、ちゃんと夢空間そのものをみせてあげないと、って思って、無理やり杖をもらったんだよ」
 それからルリは、十二月十九日にかわしたという会話をまるごとそらんじてくれた。それは、次のような内容だった。


 ──とうとう、杖をもらって、夢空間へいくことができたんだよ!
 ──そうなんだ。よかったね。
 ──ねえ。あかり、「魔女の従者」になってくれる気はある? そうしたら、一緒に夢空間へいけるんだよ。少しだけだけど、あかりも魔力をもつことができるの。いいと思わない?
 ──うん。思うよ。
 ──本当? じゃあ、従者の腕輪ももらえるようにお願いしてみるね。ちょっと時間がかかっちゃうけど、必ず渡すからね!
 ──ありがとう。楽しみにしてるよ。


「腕輪はすぐにはもらえなかった。頼みこんで頼みこんで、やっともらえたのが終業式の前の日だったの。もちろん、こんなことになるなんて思いもしなかった」
 だんだん、ルリの声が小さくなっていった。はっとみると、ルリは下をむいて杖を強く握りしめていた。強く握りすぎて、杖は小刻みに震えていた。同時に、彼女の声も震えていた。
「ごめんね、四月まで待ってから渡して、ちゃんと教えてあげるべきだった。でも、あのときは待ちきれなかったの。それに、あかりだったら、忠告を破るなんてこと、ないと思って……」
「大丈夫、悪いのは私だから。そんな顔しないで」
 あかりはルリの肩をなでて落ちつかせ、あらためて昨日の件を詫びたのち、どうしても知りたかったあのことに斬りこんだ。
「私、もうルリの話を聞き流したりしない。だからお願い、『虹の国』について教えてくれないかな」
「虹の国?」
「神崎くんのためなの。神崎くんは、ずっと虹の国のことがわからなくて苦しんでるから、ちゃんと解決してあげたいんだ」
 あかりが神崎の名をだしたとたん、ルリはあっと声をあげ、弾かれたように跳びあがった。
「そうだ! あかり、なんであの人と虹の国なんかいったの? おまけに今日は家まできてたし。いったい夢空間で何してたの?」
 ルリは今朝のことを思いだしたのか、朝と同じ不満そうな顔になった。やはり、神崎のことはこころよく思っていないようだ。
「ええっ。知らないの?」
 唐突な展開に、あかりはしばらく言葉がでてこなかった。てっきりルリはすべてを把握しているのだとばかり思っていた。そこでもう一度ルリの話を詳しく聞いてみたところ、昨日の彼女はあかりを探していただけで、神崎のことはまったく知らなかったことが判明した。
「杖と腕輪は一体だから、あたしはどこにいても腕輪の場所がわかるの。だから、腕輪の気配をたどって虹の国にたどりついたわけ。そしたら、隣に変な子がいたでしょ。あかりが『これは神崎くんだ』なんていうからびっくりしたよ。ひと目で不完全体だってわかったから、とにかく本人の夢に連れもどしたの。そしたら予想どおり残りのパーツがあったから、とりあえずくっつけたの」
 あかりは、話しているルリの表情が少しずつ変化していることに気がついた。今の彼女は、昨日と同じく冷徹なオーラをまといはじめている。やはり、「夢空間」という場所は彼女を変えてしまうようだ。あかりは背筋が寒くなるのを感じつつ、なんとか言葉を返した。
「今日の朝、神崎くんにきかなかったの?」
「知らないよ、あんな出会い頭に怒ってくる人なんか。あたしはあの人に『夢空間で会ったよね』っていったけど、あっちは答えもせずに『どけ』ってわめきだすんだもん。それ以上はどうしようもなかった」
 ルリはやれやれ、という風に首をふった。あかりはようやく、朝の喧嘩の凄まじさに納得がいった。あれは神崎の仕業だったのだ。
「いろんなこと知ってるんだね。私は自分がどこからきたかもわからなかったのに」
「入口のこと? そういうのは、だいたいの方角を杖が教えてくれるよ。あとは感覚でなんとなくわかるかな」
 ルリはさもあたりまえ、といった様子で語った。まるで、テストの暗記法でも解説しているかのようだ。それくらい、彼女にとっては意外性のない話なのだろう。
「でも、あの人ちょっと気になるんだよね。腕輪も杖もないのに夢空間にアクセスするなんて、普通は不可能だよ。杖なら誰かを連れていくこともできるけど、腕輪の力じゃ持ち主を運ぶので精一杯のはずだもん。あかりの話からすると、最初は眠って夢をみて、そこから夢空間に迷いこんだんだろうけど、それにしたって不可解だよ」
 ルリは少しうなって考えこみ、目線をあげて、天井をみあげた。
「やっぱり、気になることが多いなあ。こうなったら、直接……」
 そこまで彼女がつぶやいたとき、部屋の外から小さく玄関チャイムの音がした。母のものとおぼしき足音のあと、小さく会話する声が聞こえ、やがて母が部屋まで階段をのぼってやってきた。
「あかり、お友達がきてるわよ。ちょっと玄関にきて」
「私?」
 あかりは困惑しつつ、部屋の外へでた。
 もちろん、誰が訪ねてきたのかは見当もつかなかった。しかし、階段をおりて玄関の戸口に立っている人物の姿をみたとたん、あかりはすべてに合点がいった。あかりは彼に話しかけようとしたが、その前にルリが声をあげた。
「あっ。神崎遠也!」
 そう、あかりを訪ねてきたのは、朝方ぶりの神崎だった。
「なんでまたいるんだよ!?」
「こっちの台詞!」
 ルリと神崎は双方とも朝の件をひきずっているらしく、今にも喧嘩をはじめそうな勢いだった。
 このままでは朝の二の舞になる。なんとか争いを避けるべくあかりが必死で打開策を考えていると、急にルリが態度を軟化させて神崎に話しかけた。
「ちょうどいいかも。ねえ、明日って空いてる?」
「土曜日に予定なんてないよ」
 神崎は機嫌をそこねた様子で答えた。しかし、ルリは意に介さなかった。
「じゃ、明日一時、ここに集合ね。あたしの家に案内してあげる」
「なんで僕が」
「いいからきて。あかりも、いいでしょ?」
 ルリがこちらをふりかえったので、あかりは申し入れを承諾した。自分のほうも、明日に予定はない。
「決定だね。じゃ、続きは明日話すから」
 ルリはバタバタとあかりの部屋から鞄をとってくると、手をふって満足げに帰っていった。あまりにも急な展開に、あかりは頭がついていかなかった。神崎はルリの強引な口調に少しばかり文句をいっていたものの、約束自体は構わないらしく、明日またあかりを訪ねるといってくれた。


「あら、ルリちゃん帰ったの」
 扉の開閉音を聞いて、母が玄関までやってきた。
「せっかく遠也くんがきてくれたのにね」
 母は神崎にも親しげに話しかけていた。先ほど、玄関で彼と話をした結果、気にいったらしい。母に好かれるということは、神崎もそれなりに猫をかぶっていたのだろう。
 母は神崎に家にあがるよう勧めたが、なぜか神崎は受けいれず、丁寧ながら徹底的に拒否をした。そこであかりは神崎を玄関から離れた門へと連れだし、そこで立ち話をすることにした。
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