第5話



「あかりの家って、遊べるものが少ないんだね」
 ある日の昼下がり、遠也とおやはあかりの部屋を見渡して、意外そうにつぶやいた。
 部屋の中央にある背の低いテーブルには、ボードゲームと、それに付属しているルーレット、専用のコマがところせましと置かれている。ふたりは部屋の中でボードゲームを楽しんでおり、代わる代わるルーレットを回しては、お互いのコマを進め、付属の小道具を用いながら頭脳戦を繰りひろげていた。
 それ以外にも、床には携帯ゲーム機やカラフルなカードゲームなどが散らばっていた。が、これらはすべて、この日のために遠也が持ちこんだ私物である。
 あかりの部屋には参考書や百科事典、文庫本やぬいぐるみが並ぶだけで、遊ぶための娯楽、とくにゲームの類はまるでなかった。
「ほかの子の家で遊ぶことはあるけど、うちには少ないかもね」
 あかりは自分のコマをルールどおりに進めつつ、返答した。
「そこまで欲しいと思うこともなかったから。学校で流行っていても、興味ないことが多かったし」
 まだ春に括られる日付にも関わらず、その日は気温が高かった。部屋の窓は、換気を目的として開け放されており、ときどき、外から初夏の香りがまざった熱い風が来訪しては、そばのカーテンをふわふわと揺らしていた。
「すごろくみたいな対戦ゲームは、相手がいないから持っていてもしかたないの。相手がお父さんやお母さんばかりじゃ、つまらないでしょ」
 あかりはルーレットの数字どおりにコマを動かし、定められた場所でぴたりととめ、自分のマスに書かれたルールに目をとおした。そこには「一回休み」の記載があった。
 テーブルの反対側にいる遠也は、わかりやすく嬉しそうな笑顔を浮かべている。腹立たしいが、こればかりはどうにもならない。
 あかりはため息をついてコマから手を離し、床に座りなおした。
「ルリと遊ぶことはなかったの? 昔からよく遊びにきてるのなら、ゲームだってやれそうなのに」
 遠也は自分のルーレットに手をかけながら尋ねた。この日、部屋にはあかりと遠也のふたりしかいなかった。ルリは父親とでかける用事があるといい、今回はふたりきりでの対戦となった。
「トランプの簡単なゲームならやるよ。でも、こういう複雑なのはだめ。ルリは自分の好きな遊びにしか興味ないし、複雑なルールばかりだと疲れちゃうっていってた」
「ああ、なんか想像つくなあ。たしかに、ルリとゲームすると事故ばっかり起きるよね」
 遠也はケラケラ笑いながら、ルーレットを回してコマを進めた。
 ルリがいない日は、いつもよりも静かだった。普段なら、遠也とルリが些細なことで対立し、毎回くだらない口喧嘩をはじめるため、室内は終始やかましい。しかし、あかりはそのやかましさが好きだった。彼女にとって、静けさとは退屈の象徴であり、寂しさをもたらすものであった。
「あの……」
 突然、遠也はぴたりと笑うのをやめ、やや遠慮がちにあかりの瞳を覗きこんだ。
「何?」
 あかりは遠也の言葉を待ったが、彼は少し悲しげな、何かいいたそうな顔をして黙ったままあかりを見つめ、それから目を泳がせて窓を見、迷うようにテーブルのボードに視線を落としてからようやく、ばつが悪そうに小さく笑った。
「先にゴールしちゃった。ごめんね」
 それは本当だった。遠也のコマは、二回連続で進んだ結果、最後のマスに到達していた。
 けれども、あかりは遠也の様子に違和感をおぼえた。なぜなら、先ほどの遠也は、とてもその程度のことを申し出るような態度と声色ではなかったからだ。そう、まるで『深刻な内容』の相談を躊躇したかのような……
「えっと、それだけ?」
 念のために確認をとると、遠也は「ええ!」と驚くそぶりをみせた。あかりの反応が薄いことが不満だったらしい。
「それだけって、悔しくないの? 負けたんだよ!?」
「ご、ごめん。負けてすごく悔しい」
「嘘だ、顔が笑ってる!」
「違うの、遠也くんの怒りかたが面白くて」
 焦りと困惑と怒りの感情を交互にだす遠也の顔つきがおかしくて、あかりは声をたてて笑った。今の彼は、はじめて会ったときの冷たさが嘘のように豊かな表情をみせてくれる。
 しかし、その一方で、あかりは先刻の遠也の様子が気になっていた。遠也は時折、本音を隠すような行動をみせる。もちろん、あかり自身も同様のしぐさをするときはあるが、遠也の場合は、それがあまりにも不自然なために本意を読みとれないことが多かった。


 夕方四時、あかりと遠也は玄関にむかった。何があろうと、休日の遊びは四時に終わらせて解散するよう、双方の親から指示されていたからだ。
「じゃあね」
「うん」
 靴を履く遠也の目線は、ちらちらと下駄箱をかすめていた。
 下駄箱の上にはいくつか写真がのっている。ここは母のお気に入りスペースで、高画質の写真たちが専用の額で丁寧にレイアウトされている。そして、どうやら彼はそのうちの一枚が終始気になっているようだった。
 あかりはなんとなく、遠也が何を戸惑っていたのかの見当がついた。そこで、彼が抱いているであろう疑問と誤解を解決すべく、一緒に玄関をでて、門前まで彼を見送ることにした。


「あの写真、気になる?」
 扉をしめて開口一番そう訊くと、遠也はビクッと身体を反応させ、おずおずとこちらを見やった。
「気づいてたの?」
「なんとなく。だって今日、私に何かいおうとしていたでしょ?」
 すると遠也はうなだれ、困ったようにこちらをみあげた。
「そうだよ。今日はルリがいないから、思いきって話そうかと思ったんだけど、やっぱり悪い気がして」
 それからしばらく口をつぐみ、それから、気まずそうに続けた。
「えっと……あれが誰なのか、訊いてもいい?」
「うん。あれ、私のお兄ちゃん。もしかして、お兄ちゃんのこと、誰かに聞いた?」
 遠也は力なくうなずいた。やはり、聞いていたのだ。


 あかりの家の下駄箱には、両親と兄が写された、大きめの記念写真がある。そこにいるのは三人だけで、あかりはいない。母親曰く、いずれは四人できちんと撮るつもりだったが叶わず、あかりが写った記念写真と並べることで、家族写真という形にしているとのことだった。玄関に入れば真っ先に目につくので、きっと遠也は最初に訪問したときから、ずっと写真のことを気にかけていたのだろう。
「ごめん……」
「ああ、気にしないで」
 心底申し訳なさそうな遠也をあかりは片手で制し、わざとらしく笑ってみせた。このしぐさをするのは何回めだろう。
 よく誤解されることが多いのだが、べつに無理をしているわけではない。この件について、あかり自身はとくに思うことも話すこともないからだ。むしろ、この話題に対して、周囲の人間がいちいち遠慮がちな態度をとってくる事実のほうが、よほど心苦しい。
「最初から隠してないし。わりとみんな知ってる話だからね」
 「噂」というのは一瞬で広まるもので、あかりと顔見知りの人間は、どういうわけか誰も彼も、あかりの兄の存在を知っていた。こちらから話した覚えもないのに、妙に哀れみの目でみてくる失礼な人も多い。
 彼らは一応親切で、事実を知っても、あえて言葉にはだそうとしない。あかりの前で兄弟の話はしないように気をつけて、それに近しい話題がでると、さりげなく話をそらした。それが気遣いであることはあかりも承知していたが、そこには、どこか遠巻きにされているような、腫れ物扱いされているような、えもいわれぬ疎外感があった。
「そっか」
 ぽつりと、遠也がつぶやいた。安堵した表情だった。
「そういうのって、その、なんていうか……寂しいって思ったりする?」
「え」
 予想外の質問がとびだし、あかりは答えに迷った。
 この場に母がいれば、「模範解答」をだすしかない。しかし、この場には遠也しかいなかった。それでも……
 あかりは唇をかんだ。
 本心をみせるのは難しい。それをしてしまえば、自分という人間の評価が揺らいでしまう気がする。もしかしたら軽蔑されて、二度と信頼されないのではないか。そこには不安があり、恐怖があった。
「そうだね。生きていたらどうだったかなって考えるよ」
 あかりはそう答えて、遠也を送りだした。
 今日も「いつもどおりの正答」で終わった。
 これでいい。あかりは自分にいいきかせた。これが正しくて、これがあるべき姿なのだと。
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