導きの夢

「ルリ、どうしてここに!?」
 予想だにしていなかった来客に、あかりはあいた口がふさがらなかった。なぜ、どうして、この非日常的空間にルリが存在するのだろう。この摩訶不思議な景色に、きっとルリも驚いているに違いない──あかりはそう考えていたが、当のルリはいつもの調子でぷうっと頬をふくらせ、幾分怒りを含んだ声でいった。
「あかりったら、腕輪を鏡に映したでしょ! ちゃんと忠告しておいたのに。おかげであたし、おばあちゃんにものすごく怒られちゃった。もう、さっさと帰るよ」
「う、腕輪?」
 そういわれて、あかりは反射的に右手をあげた。そこには、ルリからもらったあの腕輪がしっかりとはめられていた。
 まさか、一連の事件の原因はこの腕輪だとでもいうのだろうか。
「あれ、そっちにいるのは誰?」
 ルリは腰をかがめて、小さな神崎の顔を覗きこんだ。神崎はルリをみあげ、ぎょっとしてうめいた。
望月もちづき瑠璃奈るりな……」
 年下の子供にフルネームを呼ばれて気分を害したのか、ルリはまた頬をふくらませた。
「ちょっと。誰だか知らないけど、呼び捨てにしないでよ」
「この子、神崎くんなの。ほら、クラスの……」
 あかりがそういいかけると、ルリは心底驚いた表情で、こんなことをいった。
「あれ、じゃあ『虹の子』じゃないの? 白い服を着ているから、てっきり『虹の住人』かと思った」
「うるさい!」
 突然、神崎が血相を変えて叫んだ。さっきまでの憔悴しきった様子から一変、鬼のような形相をしていた。それは、子供に罵声を浴びせていたときと同じ顔だった。
「二度とそんなこというな。もうたくさんだ。虹の国の話なんて、聞きたくないんだよ!」
 その瞬間、神崎の背中から噴水のように紫の血液が噴きだした。と同時に、神崎は全身をこわばらせ、弱々しい声で罵倒を続けながら、地面にへたりこんでしまった。
 あかりは神崎を立ちあがらせようとしたが、どうにもならなかった。助けを求めてルリをみると、彼女はじつに冷静な顔つきで、神崎を観察していた。そして、数秒の間をおき、「ああ、わかった」とため息をもらした。
「おばあちゃんがいってた男の子って、神崎くんでしょ。自我が削れておかしくなってるって聞いてたけど、たしかにひどいね」
 それから、手に持っていた杖で、地面にぐるっと円を描いた。白い棒に白いツタと青い玉がついた、随分と個性的な杖だった。杖が円を描きおわると、円は銀色に輝き、ついで、大きな穴があいた。
「そんな有様じゃ、すぐには帰れないよ。ちょっと寄り道して帰ろう。神崎くんの夢まで案内してあげる」
「ゆ、夢?」
「そう。夢空間をとおって帰るの。あたしは夢空間から夢にアクセスできるから。前に話したでしょ?」
 あかりはあらゆる記憶をたどって、その話を思いおこそうとした。だが、脳みそのどの部分をどうしぼっても、そんな話はでてきそうになかった。残念ながら、あかりはルリの話など、ほとんど記憶していなかった。というより、まともに聞いてすらいなかった。
「ふたりとも、あたしから離れないでね」
 三人は、水中へ飛びこむかのように、穴の中へと入った。神崎はぐったりしたまま動かないため、ルリが彼をつかんで強制的に引きずりこんだ。
「離せ」
 弱々しくつぶやく声が聞こえた。が、ルリは冷たくいいかえした。
「そんな有様じゃ、あたしからはぐれちゃうでしょ。文句はもとに戻ってからいってよね」
 穴の中は、あの星空だった。星空の中で、ルリは持っていた杖に語りかけた。
「神崎くんの夢へいくよ」
 すると、杖は応答するかのように白く光り輝いた。と同時に、三人の身体に白い光が集まってきた。
「つかまってて。はぐれないようにしてね」
 ルリが、杖の先をあかりにさしだしてきた。いわれるがまま、あかりが杖の端をにぎると、杖はものすごいスピードで一同をどこかへと引っぱりだした。
 まるで、水中を泳ぐかのように、三人は星空の中を移動していった。神崎は目をとじたまま、動かなくなっていた。そうとう身体の傷がひどいのだろう。


 やがて、遠方から金色の光球がこちらに近づいてきた。その光は、ほかの光よりもひときわ強く輝いていた。
「あれだよ」
 ルリはそれだけいい、ぐっと杖をにぎりなおした。すると、杖の飛行速度はゆっくりとさがり、徒歩よりも遅いスピードで光へと近づいていった。
 近づけば近づくほど、光の輝きは強くなっていった。あまりに強い光に、あかりは強く目をとじた。このままでは眼球が壊れてしまう。


 しばらくすると、強い光はおさまった。
 あかりはそっと目をあけ、そして、はっとした。
 この場所には、覚えがある。
 そう、そこは、一番最初に傷だらけの「子供」を目撃した場所だった。
 そして、今、あかりの目の前には、「子供」がいた。神崎のことではない。神崎と同じ背格好、同じ服装の子供が、そこらじゅうに倒れていたのである。
 子供はおびただしい数だった。どの子供も、それはひどい有様だった。みな、身体のどこかが欠損しており、床は紫の血しぶきや血だまりで汚れていた。
「なるほどね」
 ルリはその光景にまったく動じていなかった。そして、神崎をあかりに預けると、すっとかがんで、倒れている子供のうちのひとりに触れた。
「あ、まだ生きてるよ。気を失っているだけみたい」
 その口ぶりは、まるで明日の予定を伝えるかのように軽いものだった。子供がたくさんいることにも、血がでていることにも動じていない。あかりは背筋が寒くなるのを感じた。
「ほら、起きて。『自我』はちゃんとあるんでしょ」
 彼女は子供に声をかけ、その身体をぺちぺち叩いた。すると、子供はゆっくりと目をあけ、起きあがり、じっとルリをみあげ、そして、怯えたように泣きだした。
「ぼく、ここにいちゃだめ。消えなきゃだめ」
「なんで?」
 ルリはあいかわらず冷静だった。彼女の瞳には幾分冷たさのようなものが宿っており、あかりが知るルリとは別人のようだった。
「みんな、ぼくはみない。母さんはぼくが嫌い。お兄ちゃんはぼくなんていないっていった。ぼく、どこにもいない」
 ルリは神崎のほうをふりかえった。
「この子のこと、知ってるよね」
 神崎はあかりの隣で床に座っていた。彼は、先ほど意識をとりもどし、さっきから無言で体育座りをしていた。
 ルリは真剣なまなざしで、神崎をみつめていた。
「ごまかしたって無駄だよ。だって、ここはあなたの意識の世界なんだから」
「黙れ」
 神崎の低い声が響いた。普段とは比較にならないほど、厳しい表情だった。その目つきはきわめて鋭く、はっきりとした「敵意」をむけている。しかし、ルリは一切ひるまなかった。
「答えたくないならいいよ。すぐ帰してあげる。でも、帰っても神崎くんの見た目はそのままだよ。それでもいい?」
 その言葉は効果てきめんだった。神崎はしばらく唇を噛んでルリを睨みつけていたが、やがて観念したように「知ってる」とだけ答えた。
「この子のこと、消そうとしたでしょ」
「悪いかよ」
「悪くはないよ。でも、もとの姿に戻りたいなら、この子のことも戻さないと」
「戻す?」
「そう。自分の中に戻すの。こっちへきて」
 ルリは神崎を呼びよせ、子供の手を握るように促した。神崎はしばらく戸惑っていたものの、とうとう観念し、悔しそうに子供の手をとった。
 すると、子供の身体が銀色に輝いた。それは、周囲に散らばっていたほかの子供たちも同じだった。子供たちは全員すうっと消えうせ、きらめく粒子へと変化して、ゆっくりと神崎の身体へと吸いこまれていった。
 粒子を吸いこんだ神崎の身体はぼんやりと鈍い光をはなち、やがて、ゆっくりとそのシルエットがふくらみはじめた。
 数秒後、そこにはもとの大きさに戻った神崎がいた。背丈はもちろん、服装も戻り、ひどい傷も消えていた。
 だが、あかりはその事実を喜べなかった。神崎の様子がおかしかったからである。彼の顔色は悪かった。そして、吐き気を抑えるかのように口もとを手でおおっていた。
「か、神崎く」
「それじゃあ、夢を終わらせるね」
 ルリは神崎の様子など気にもとめず、両手で杖をかかげた。その途端、目の前の景色は一瞬にして、強風にあおられた花びらのように、簡単に消しとんでしまった。
 あかりとルリは、もとの星空の中にいた。神崎は、どこにもいなかった。
「これで、外側、、は大丈夫かな」
「ちょ、ちょっと!」
 あかりは慌ててルリに、神崎の不在の件を問いただした。ルリは、ちょっと申し訳なさそうな顔をして、「わかってるよ」ときまり悪そうにいった。
「神崎くんなら、今頃夢からさめてるはずだよ。時間がないから、あたしもあかりも早く帰らなくちゃ。ほら、この床ももうすぐ消えるから、つかまって」
 その言葉は正しかった。足もとの白い床はものの数秒で消えうせてしまった。あかりはルリの手をにぎり、宙に浮いた状態で質問を続けた。
「神崎くんは大丈夫なの? すごくつらそうだったけど」
「『見た目』はね。中身はどうだろ。消したい記憶や切り捨てた自我を無理やりくっつけたから、苦しいとは思うよ。でも、ほかに方法がないんだもん。しかたないよ」
 そう不服そうに口をとがらせる様子は、あかりがよく知っているルリの姿だった。彼女の口調は、いつのまにかいつもの調子に戻っていた。 
「じゃあ、あかりの出発点にいこう。杖と違って、腕輪は出発点からしか帰れないからね。今度はもう、鏡に映さないでね」
 ふたたび白い光があかりたちをつつんだ。ルリの身体はひとりでに動きだし、それにつられるように、あかりの身体も動きだした。
「でも、おかしいなあ。あかりが腕輪を使って迷子になったのはわかるけど、どうしてあの人まで迷子になったんだろ? おばあちゃんはあたしを疑ってたけど、あたし、なんにもしてないのに」
 ルリはひとりでぶつぶつ文句をいっていた。しかし、そのひとりごとは、あかりにはさっぱり理解できない内容だった。
「ほら、あれがあかりの出発点だよ」
 ルリが杖でさししめした先には、白くてまるい床があった。
「ルリ、あの、私……」
 あかりはルリにききたいことが山のようにあった。神崎のこと、「虹の国」のこと、この場所のこと、そして、鏡から聞こえた謎の声のこと……しかし、ルリはあかりの質問に答えようとはしなかった。
「今はダメ。早く帰らないと、おばあちゃんのお説教の時間が長くなっちゃうから。また学校でね」
 ルリはすばやく杖をふりかざした。
 その途端、あかりの目の前は銀色の砂のようなもので覆われ、アナログテレビの砂嵐のようになった。
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