時の国の王女
ストラは急いで王女と王子の間に割って入り、王女を庇うように両手を広げて、キッと王子を睨みあげた。
「何の真似だ?」
「王女様にひどいことしないでよ!」
ほとんど怒りに任せた強い口調でそう言うと、王子の眉がピクリと動いた。アンジュが恐怖に引きつった顔をしながら口元を手で覆うのが見える。
「僕に楯突く気か?」
「違うよ。ひどいことしないでって言ってるんだよ」
王子の問いは言葉通りの意味ではなく、ほとんど脅し文句に近かった。だが、ストラにはそれが理解できず、おまけに「楯突く」の意味もわからなかった。そのため、随分と頓珍漢な受け答えになってしまったが、この状況で彼の間違いを指摘できるものはひとりもいなかった。
「無礼な上に無知な子供だな。王女もよくこんな愚か者を招きいれたものだ」
王子の右腕がゆっくりと動き、ストラの顔の前へと掌が向けられた。
「やめろ!」
ギルバートが叫び、ストラのもとに走り寄ろうとした。
「動くな」
王子がギルバートに左手を向けて制したため、ギルバートはその場で足を止めるよりほかなかった。彼は唇をかみしめて、悔しそうにこちらを見つめていた。王子はストラの双眸を見据えて、人形のように感情のない顔で言った。
「この力は消耗が激しいんだ。だから、わざわざ庶民の子供まで殺す気はなかった。だけど、僕は無礼者がこの世で一番嫌いなんだ。そんなに死にたいのなら、王女もろとも灰になるがいい」
それは事実上の死刑宣告だった。それでも、ストラは黙ってその場に立っていた。
もちろん、ストラにも王子の意図は読めていた。きっと今から、さっきの男のような目に合わされるのだろう。だが、自分が退けば、王女が犠牲になってしまう。だから、ストラは動かなかった。力をこめて口を引き結び、ただ、まっすぐに王子の暗い瞳をじっと見あげていた。
やがて、王子の周囲と、あの大きな柱時計から、もうもうと金色の煙が湧きはじめた。それらは一斉に王子のすぐ前へと集まり、ストラの顔ほどもある大きな球体のような形へと変化した。
「ハロルド、やめて……」
王女が荒い息を続けながら、か細い声をあげた。
「これは、国とご先祖様から授けられた特別な力。そんな風に使ったら……どんな災いがもたらされるか……もう遅いでしょうけれど……せめてこれ以上は」
だが、王子は聞かなかった。王女と目をあわすこともしなかった。彼はただ、ストラと王女の全身に焦点を合わせ、そして、集まっていた金色の粒子たちを一気に解き放った。
「ストラ!」
アンジュの悲痛な叫びが聞こえた。煙たちは光線と化して、ストラを襲い──
一瞬にして、跳ね返った。
「えっ!?」
その場にいた全員が驚きの声をあげ、息をのんだ。それは、王子自身も同じだった。その顔は驚きと焦燥に満ちていた。彼の口が、困惑を表現するかのようにわずかに動いたが、そこから言葉は紡がれなかった。
一瞬のうちに、王子の全身を金色の光線が覆いつくした。ジュッと何かが焼けるような音がして、彼は床に倒れふした。
「ああ、あああ……!」
王子はしばらく呻き声をあげてのたうち回っていたが、やがて全身が黒ずんだ炭のようになり、ただの物体となって停止した。
彼を救う手立てはない。誰にも、何もできなかった。
気の遠くなるような時間、沈黙が訪れ、その場に暗い影を落としていった。誰も何も言えず、黙って床を見つめることしかできなかった。
やがて、ギルバートが重い足どりで、一歩一歩、王子のもとへと歩みより、そっとその原型をとどめぬ身体に触れた。ガラス細工に触れるように優しく触れたにも関わらず、その物体はボロボロと砕けてゆき、金属でえぐったように欠けてしまった。
「何だよ、これ」
「彼がやったのは、時間の急進。生きている人間の時間を数百年進めることで、遺体と同じように腐らせる大技です」
王女がふらつきながら立ちあがり、そばにいたストラの手を借りながらよろよろとギルバートの隣まで歩いてきた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、まだ痛みは残りますが。王家の人間は時のエネルギーに強いのです。特に、私のような第一子は」
そのとき、とり残されていたアンジュがぱたぱたとこちらへ駆けてきた。
「ストラ、大丈夫なの?」
そう言われてはじめてストラは自分の状態に関心が向き、急いで全身を掌で触ってみた。しかし、どこにも異変はない。
「なんともない。どうしてだろう」
王女とギルバートがストラの全身を目視でチェックしてくれたが、特に異常は見つからなかった。
「どうして、なんともなかったのかな?」
「わかりません。ただ、ハロルドが使ったのは、相手の時間を操作する技です。もしも相手側に『時間』というものが存在しなかったら、通用しない可能性があります」
王女はストラとアンジュの顔をを代わる代わる見た。
「あなたたちふたりは虹の住人です。そして私の知るかぎり、虹の国には『時間』という概念が存在しません。だから、時の力が作用せず、はね返してしまったのではないでしょうか」
一同はその説明に納得した。しかし、安易に喜ぶことはできなかった。殺人犯とはいえ、人間がひとり消えてしまったのだ。
「ハロルドはこんな子ではありませんでした」
王女は炭と化した王子に向きなおり、低い声でつぶやいた。ストラたちからは彼女の背中しか見えず、その表情は声から判断するほかなかった。
「優しくて、思いやりがあって、ほがらかで、勇気のある子でした。自慢の弟でした。私のことも慕ってくれて。それが、どうして、こんなことに」
はじめは冷静だった王女の声に、少しずつ感情がこもりはじめた。それは、彼女自身にも制御できない事象のようだった。水を入れすぎたコップのように、中身を詰めすぎて破れた袋のように、彼女の独白は止まらず、次から次へとこぼれだしてきた。
「何もかもが壊れてしまった……あの頃は幸せだったのに。私 が姉だったばかりに、王女だったばかりに、無力だったばかりに。いっそ、私も婚約者のように逃げだせばよかった。国なんかに縛られなければ……あの頃に戻りたい。国王の座なんていらない。地位や身分なんてものがなければ。私もこの子も、ずっと幸せに生きられたはずなのに」
彼女からあふれでる苦しみの言葉を前に、ストラたちは何も言えなかった。しんと静まりかえった室内には、王女のすすり泣く声だけがこだましていた。
やがて、少しずつ辺りが暗くなってゆき、とうとう真っ暗になってしまった。空いていた窓からは星空が顔を覗かせており、外の景色が時刻どおりの夜になったことを告げていた。
「何の真似だ?」
「王女様にひどいことしないでよ!」
ほとんど怒りに任せた強い口調でそう言うと、王子の眉がピクリと動いた。アンジュが恐怖に引きつった顔をしながら口元を手で覆うのが見える。
「僕に楯突く気か?」
「違うよ。ひどいことしないでって言ってるんだよ」
王子の問いは言葉通りの意味ではなく、ほとんど脅し文句に近かった。だが、ストラにはそれが理解できず、おまけに「楯突く」の意味もわからなかった。そのため、随分と頓珍漢な受け答えになってしまったが、この状況で彼の間違いを指摘できるものはひとりもいなかった。
「無礼な上に無知な子供だな。王女もよくこんな愚か者を招きいれたものだ」
王子の右腕がゆっくりと動き、ストラの顔の前へと掌が向けられた。
「やめろ!」
ギルバートが叫び、ストラのもとに走り寄ろうとした。
「動くな」
王子がギルバートに左手を向けて制したため、ギルバートはその場で足を止めるよりほかなかった。彼は唇をかみしめて、悔しそうにこちらを見つめていた。王子はストラの双眸を見据えて、人形のように感情のない顔で言った。
「この力は消耗が激しいんだ。だから、わざわざ庶民の子供まで殺す気はなかった。だけど、僕は無礼者がこの世で一番嫌いなんだ。そんなに死にたいのなら、王女もろとも灰になるがいい」
それは事実上の死刑宣告だった。それでも、ストラは黙ってその場に立っていた。
もちろん、ストラにも王子の意図は読めていた。きっと今から、さっきの男のような目に合わされるのだろう。だが、自分が退けば、王女が犠牲になってしまう。だから、ストラは動かなかった。力をこめて口を引き結び、ただ、まっすぐに王子の暗い瞳をじっと見あげていた。
やがて、王子の周囲と、あの大きな柱時計から、もうもうと金色の煙が湧きはじめた。それらは一斉に王子のすぐ前へと集まり、ストラの顔ほどもある大きな球体のような形へと変化した。
「ハロルド、やめて……」
王女が荒い息を続けながら、か細い声をあげた。
「これは、国とご先祖様から授けられた特別な力。そんな風に使ったら……どんな災いがもたらされるか……もう遅いでしょうけれど……せめてこれ以上は」
だが、王子は聞かなかった。王女と目をあわすこともしなかった。彼はただ、ストラと王女の全身に焦点を合わせ、そして、集まっていた金色の粒子たちを一気に解き放った。
「ストラ!」
アンジュの悲痛な叫びが聞こえた。煙たちは光線と化して、ストラを襲い──
一瞬にして、跳ね返った。
「えっ!?」
その場にいた全員が驚きの声をあげ、息をのんだ。それは、王子自身も同じだった。その顔は驚きと焦燥に満ちていた。彼の口が、困惑を表現するかのようにわずかに動いたが、そこから言葉は紡がれなかった。
一瞬のうちに、王子の全身を金色の光線が覆いつくした。ジュッと何かが焼けるような音がして、彼は床に倒れふした。
「ああ、あああ……!」
王子はしばらく呻き声をあげてのたうち回っていたが、やがて全身が黒ずんだ炭のようになり、ただの物体となって停止した。
彼を救う手立てはない。誰にも、何もできなかった。
気の遠くなるような時間、沈黙が訪れ、その場に暗い影を落としていった。誰も何も言えず、黙って床を見つめることしかできなかった。
やがて、ギルバートが重い足どりで、一歩一歩、王子のもとへと歩みより、そっとその原型をとどめぬ身体に触れた。ガラス細工に触れるように優しく触れたにも関わらず、その物体はボロボロと砕けてゆき、金属でえぐったように欠けてしまった。
「何だよ、これ」
「彼がやったのは、時間の急進。生きている人間の時間を数百年進めることで、遺体と同じように腐らせる大技です」
王女がふらつきながら立ちあがり、そばにいたストラの手を借りながらよろよろとギルバートの隣まで歩いてきた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、まだ痛みは残りますが。王家の人間は時のエネルギーに強いのです。特に、私のような第一子は」
そのとき、とり残されていたアンジュがぱたぱたとこちらへ駆けてきた。
「ストラ、大丈夫なの?」
そう言われてはじめてストラは自分の状態に関心が向き、急いで全身を掌で触ってみた。しかし、どこにも異変はない。
「なんともない。どうしてだろう」
王女とギルバートがストラの全身を目視でチェックしてくれたが、特に異常は見つからなかった。
「どうして、なんともなかったのかな?」
「わかりません。ただ、ハロルドが使ったのは、相手の時間を操作する技です。もしも相手側に『時間』というものが存在しなかったら、通用しない可能性があります」
王女はストラとアンジュの顔をを代わる代わる見た。
「あなたたちふたりは虹の住人です。そして私の知るかぎり、虹の国には『時間』という概念が存在しません。だから、時の力が作用せず、はね返してしまったのではないでしょうか」
一同はその説明に納得した。しかし、安易に喜ぶことはできなかった。殺人犯とはいえ、人間がひとり消えてしまったのだ。
「ハロルドはこんな子ではありませんでした」
王女は炭と化した王子に向きなおり、低い声でつぶやいた。ストラたちからは彼女の背中しか見えず、その表情は声から判断するほかなかった。
「優しくて、思いやりがあって、ほがらかで、勇気のある子でした。自慢の弟でした。私のことも慕ってくれて。それが、どうして、こんなことに」
はじめは冷静だった王女の声に、少しずつ感情がこもりはじめた。それは、彼女自身にも制御できない事象のようだった。水を入れすぎたコップのように、中身を詰めすぎて破れた袋のように、彼女の独白は止まらず、次から次へとこぼれだしてきた。
「何もかもが壊れてしまった……あの頃は幸せだったのに。
彼女からあふれでる苦しみの言葉を前に、ストラたちは何も言えなかった。しんと静まりかえった室内には、王女のすすり泣く声だけがこだましていた。
やがて、少しずつ辺りが暗くなってゆき、とうとう真っ暗になってしまった。空いていた窓からは星空が顔を覗かせており、外の景色が時刻どおりの夜になったことを告げていた。