時の国の王女

「どうしてですか!?」
 仰天して目を剥くギルバートに、王女は顔色ひとつ変えずに返答した。
「責任者として出向く義務があるからです」
「けど、王女様が外出するとなったら、周りの人たちがなんて言うか」
「告げなければよいのです。今日は指示があるまで誰も部屋に来ないよう言いつけていますから、少しの間なら……」
「ちょっと、困りますよ。何かあっても俺、責任とれませんよ」
「安心なさい。いざとなればあなたは知らぬふりをすればよいのです」
 ギルバートと王女の口論はいつまでたっても収まる気配がない。そのうち、ギルバートが疲れた顔でストラとアンジュのほうをふりかえった。
「じゃあ、ふたりだけで先に行っててくれよ。飛べるんだろ?」
 それから、すっとストラのそばに来て、小声でこうつけ足した。
「様子を見たら帰ってきて、『何もなかった』って報告してくれ。仮に何か見つけても黙ってるんだぞ。そうしたら王女様は諦めるだろうから、あとで俺たち三人でもう一度行ってみよう」
 隣にいたアンジュは小さく頷いた。ストラも言葉の意味を理解できたので、「わかった」と言おうとしたが、アンジュに口を塞がれてしまった。
 そういうわけで、ふたりは白い渦の場所を確認して飛び立った。
 近づいてみてはじめてわかったのだが、渦のあたりは何もない地帯だった。人もいないし、植物もほとんどない。あるのは建物、それも崩れかけた石造りの廃墟ばかりだった。また、周囲は荒れ果てていて、手入れをされていない木々ばかりである。
 この建物は俗にいう廃工場というやつなのだが、そんなことがストラにわかるはずもなかった。ふたりは人気がないことを確認して、工場の入り口である門の前に降り立った。錆びついた門と、あちこちにひびが入っている殺風景なコンクリートの壁。周囲には鬱蒼とした大木。入り口の時点で、かなり気味の悪い場所だった。
「やだ、何ここ……」
 アンジュは呻くように呟いて、ストラに身体をすりよせてきた。
「はじめて見る建物だね! 面白そう」
 ストラのほうは、この独特の雰囲気に胸を踊らせていた。中に何があるのか想像もつかないので、早く入ってみたくてたまらない。
「こんな不気味なところが面白いわけないでしょ」
 アンジュはさっさとストラの背後にまわり、彼の背中を押して中へ入るよう促した。こうしてふたりは縦に並んで、廃工場へと足を踏み入れた。
 工場は明かりがないため外より薄暗く、しんと静まりかえっていた。ところが途中まで進むと、どこからかかすかに物音が聞こえ、人の話し声までが耳に入ってきた。
「もしかして、誰かいるのかな」
「まさか。どうしてこんな場所に?」
 ふたりがそうささやきあった、まさにそのときだった。
 背後から太い腕が伸びてきて、ふたりの首に巻きついた。ふたりは悲鳴をあげて抵抗したが腕は緩まらず、そのまま締めあげるようにふたりを持ちあげると、ずるずるどこかへと引きずっていった。


 しばらくすると、太い腕は突然ふたりを解放した。予告なく手を離されたふたりはあえなく落下し、地面に叩きつけられた。それだけでも充分なダメージだったが、相手はそれだけでは飽き足らないのか、どこからか人を呼ぶと、ふたりの身体を後ろ手に縛り、近くにあった太い柱に括りつけた。
「何するのさ、痛いよ!」
 ストラが顔をあげて文句を言ったが、相手は微動だにしなかった。相手は六人おり、どれも背の高い男ばかりだったが、その中でひとりだけ背の低い男がいた。その男はリーダー的な立場らしく、彼が軽く手を振って一歩前にでると、途端に他の男たちが綺麗にさがって道をあけた。彼は余裕げにこちらに歩を進めてくると、ストラを見おろして微笑んだ。
「おや、侵入者というのは君たちかい? さっき、ギルバートと一緒にいた子供たちじゃないか。君たちはたしか、王女の客人だと聞いたけれど。どうしてこんなところに?」
 ストラはその人物に見覚えがあった。だから、とっさに叫んだ。
「王子さま!」
 そう、彼は紛れもなく噴水で会ったハロルド王子だった。彼が「王子」で王女と関わりのある人物であることは小さなストラにもわかっていた。
「これを、ほどいてください……」
 隣にいるアンジュが消えいりそうな声で懇願した。全身が小刻みに震え、目は涙でうるんで今にも泣きだしそうだ。なぜか彼女は、ちょうど城で兵士に見つかってつまみだされたときと同じ反応をしていた。
「それは君たちしだいだね」
 王子は状況に合わない清らかな笑みを浮かべたまま、楽しそうにふたりの顔を見た。
「どうしてここへ来たのか、話してくれるかな? 偶然とは思えない。僕たちをつけてきたのかな。それとも、王女に頼まれたのかい?」
「王女様とは、も、もうお別れしてきました。帰りに面白そうだから、つい、立ちよっただけなんです。わたしたちを放してください」
「本当かい? あっさりしたものだね。王女はずいぶん君たちを気にいっていたようだけれど。それに、ここは城からはかなり離れている。理由もなく迷いこむとは思えないね。嘘をつくとあとが怖いよ?」
 アンジュは涙目で首を振った。ストラもこの王子のことは警戒していたので、正直にこれまでの経緯を話すのはまずいと悟った。
「ぼくたち、たまたま来たんだよ。だからもう何も言うことないよ」
 すると王子は、「へえ」とだけ言って目を細めた。それは、これまでの笑顔からは考えられないほど冷たい表情だった。
「エリック、ふたりを見張ってろ。このまま放っておけば、王女の側から動きがあるだろう。詳しいことはいずれわかるさ」
 指示された男は敬礼をして、ふたりの前に立ちはだかった。王子は他の男たちを従えて、工場の奥にある重い扉を開けるように言った。
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