時の国の王女

 帽子の時計が放つ光は弱く、かろうじて足もとを照らす程度だった。残念ながら、明るさの具合も蝋燭と変わらないらしい。
 ほのかな灯りを頼りに螺旋らせん階段を降りた一同は、戸口を開けてみて驚愕した。というのも、塔の戸口のすぐそば、ちょうど蝋燭のが届く距離に、庭師らしき男がいたのだ。これで彼が暗闇に怯えていたならば、まだ話はわかる。ところが、彼はしっかりと目の前の生垣を見据え、せわしなくはさみ仕事をしていた。このとんでもない暗さも、帽子の時計に照らされていることも、まるで気にとめていないようである。
 さらに妙なことに、塔の外はうるさかった。景色と音が合っていない。塔の外は庭になっているのだが、さっきから誰かががさがさと歩く音があちこちでしているのだ。しかも、遠くでは馬車の行き交う音や挨拶の声までが聞こえる。この異常事態にも関わらず、闇の中から聞こえてくるのは何の変哲もない日常の喧騒だったのだ。
「どうなっているの?」
 アンジュはその異様な光景を恐れたのか、怯えた様子でストラの肩にすり寄ってきた。一方のストラは、呑気にこの状況を楽しんでいた。何せ、王女の帽子が照らす範囲以外はまっ黒けで、どこまでいっても何も存在しないのだ。もっとも、実際には何も「ない」のではなく、「見えていない」だけなのだが、「暗い」という概念が存在しない国で育った彼は、勝手にそう思いこんでいた。とにかく、ストラにとっては珍しいことはなんでも面白かったのだ。
「俺、ちょっとあの人に聞いてきます」
 ギルバートは王女に時計を貸りると、その明るさだけを頼りに、険しい表情で生垣と睨みあっている庭師のすぐそばまで近づいた。
「すみません、どうしてこんなに暗いのに仕事ができるんですか?」
 彼が声をかけると、庭師は目だけを動かしてギルバートを一瞥した。
「なんだお前は、こっちは仕事中だぞ」
 今にも怒りにまかせて怒鳴りちらしそうなドスのきいた声色だった。これにはストラとアンジュもすくみあがった。まるで数時間前に出くわした兵士のような声である。どうやら質問をする相手を間違えたらしい。
 ところが、彼はふと首を動かしてもう一度こちらを見、そして突然はさみの動きを止め、右手で被っていた帽子をとり、うやうやしく一礼してみせた。
「これは王女殿下。こんなところでお目にかかれるとは思いませんでした」
 これにはギルバートはもちろん、その場にいた全員が驚いた。この暗闇の中、彼はいきなりギルバートの奥に王女がいることを見抜いたのだ。
「どうして王女様がいるのがわかったんですか? こんなに暗いのに」
 すると庭師は目を丸くして、きょろきょろと辺りを見回した。
「暗いですかね? たしかに、夕方の風景ですから見通しがいいとは言えませんが。しかし、暗いというほどではないと思いますよ」
 庭師はギルバートを王女の付き人と勘違いしたらしく、先ほどとはうってかわって丁寧に受け答えをしてくれた。彼が言うには、目の前には弱々しい日光に照らされたいつもの夕方の風景が見えていて、暗闇なんてどこにもないとのことだった。
 四人は驚き、城の敷地を歩きまわり、出会った人物に片っ端から質問をしてみた。が、みな答えは同じだった。どうやら、周囲が真っ暗に見えるのはここにいる四人だけらしい。
「どうしてぼくたちだけ『まっくろ』なのかな?」
 ストラがつぶやくと、アンジュがそれに応えるようにあることを思いだした。
「そういえば、ストラが時計を触ってからこうなったのよね」
「そうだよ。でもぼく、なんにもしてないよ。こうやってちょっと触っただけだもん」
 ストラは背伸びして、ギルバートが持っていた時計を指先で軽くつついた。すると、また時計から火花が飛び散り、周囲がぱあっと明るくなった。
「うわ、なんだ!?」
「もとに戻ったわ。どうなっているの!?」
 アンジュとギルバートが混乱する中、王女はひとり、袖をまくって革製の腕時計をじっと見つめていた。そしてなぜか、落ちついた様子で現在時刻を報告した。
「今は六時四十分。この時期なら日はとっくに落ちているはずです」
「え?」
 言葉の意味を理解できないアンジュとギルバートをよそに、王女はおもむろにストラの手をとって、すっかり光を失ってしまった先ほどの時計へと誘導した。
「もう一度、触れてみてください」
 言われたとおりストラが時計に手を触れると、また周囲は暗闇に包まれた。そして、再度触れるとまた明るくなった。さらに、アンジュが時計を触っても同じ現象が起こった。最後にギルバートが試してみたが、彼の場合は何も起こらなかった。
「これではっきりしました。あなたたちがこの王冠に触れることによって、私たちは景色を切り替えることができるようです」
「切り替える?」
 三人は同時に王女の言葉をくりかえした。王女は静かに頷いた。
「今の時刻は日没後ですから、本来はあのように夜になっているべきなのです。ということは、さっきの風景こそが真実の風景なのかもしれません。私たちが今まで見せられていた夕方の空は、何者かがつくった偽の風景だった可能性があります」
「にせ?」
 またしても知らない単語がでてきたが、今度はアンジュがすぐに耳打ちしてくれた。
「嘘ってことよ」
「うそ!?」
 遅れて意味を理解したストラが叫ぶと、王女はもう一度頷いてくれた。
「でも、どうしてわたしたちが触ると『真実の風景』が見えたの?」
「ふたりは虹の住人です。私たちとは違う何かが王冠に作用したのかもしれません。どれも憶測の域をでませんが、そう考えると納得がいきます」
 これで壮大な停電事件の理由ははっきりした。しかし、もうひとつ気になることが残っている。
「あの白い渦はなんだったんだろうね」
 ストラが言うと、ギルバートが「俺も気になっていたんだ」と同調した。
「なんだったら、三人で見に行ってみるか?」
 ストラとアンジュは同時に賛成の返事をした。もしかしたら、一連の事件に関係しているかもしれない。新たな目的ができたことで、アンジュの機嫌もよさそうだった。もちろんストラも上機嫌だった。
「王女様、あとは俺たちが……」
 三人は当然、王女は城に残るものと思っていた。ところが王女は、わざわざギルバートの言葉を遮ってまでこう告げた。
「いいえ、私も行きます」
19/25ページ
いいね