時の国の王女

「俺もう、何がなんだかわかんねえよ」
 城の中庭の噴水に腰かけ、ギルバートはくたびれきった様子で大きくため息をついた。コーネリアから解放された三人は、王女からの呼びだしがかかるまで待つことにしたのだが、ギルバートはずっと室内にいると息がつまるらしく、こうして中庭まででてきたのだった。
「ごめんなさい。わたしたち、正体がばれないように気をつけるつもりだったの」
「ごめんなさい、ぼくも気をつけてたよ。でも、落ちそうな人がいたから、つい身体が動いちゃったんだ」
 ふたりは揃ってうなだれた。意外にも、王女との一件について、アンジュは特にストラを責めたりはしなかった。あのまま放置していれば、王女は塔から転落していたことは間違いなく、そうすれば最悪の事態になっていたかもしれない。それに、結果として王女と面識を持つことにも成功したので、今回ばかりは見逃してくれるらしい。
 しかし、ギルバートには何重にも迷惑をかけることになってしまった。勝手に妙なことに巻きこまれて、彼はさぞかし怒っているだろうとふたりは考えていた。けれども、なぜか彼の表情は明るかった。
「謝ることなんかねえよ。むしろ、なんだか面白くなってきたじゃねえか。おまえらみたいな珍しいやつにも会えたし、レアな王女の笑顔まで拝めたし。おかげで当分話題には困らないよ。アレックスのやつがこれを聞いたら、びっくりするだろうなあ」
「アレックスとは仲がいいの?」
「昔は悪かった。でも、今はかなりいいと思う。ただ……」
 ギルバートはそこで突然口をつぐんでしまった。そしてストラたちから視線をそらし、噴水の水面を見つめながら、もう一度ゆっくりと口を開いた。
「悪いことをした」
「悪いこと?」
「俺たち昔、大喧嘩したんだよ。今になって思えば、あれは完全に俺が悪い。かなりひどいことを言ってしまったと思う。それから、あいつは変わってしまったんだ。気づいたときにはもう遅かったんだ」
 それからストラたちのほうにむきなおり、自嘲気味に笑ってみせた。
「謝ろうとするたびに、あいつは『もう気にしてない』って言うんだ。けど、明らかに俺とは距離をおいている。たぶん、本当は気にしているんだ。だから、アレックスがうちに来たときはびっくりした。あいつのほうから訪ねてきたのは今日がはじめてだったんだ」
「そんなにひどいことを言ったの?」
「そうだな、ショックだったと思う……アレックスは俺よりひとつ年下で、きょうだいみたいな感じだったんだ。だから、弟をからかうような感覚で接してきたんだ。それがいけなかった」
 そこまで喋りおえると、ギルバートは天を仰いで大きく深呼吸をし、ぽんと噴水から飛びおりた。
「関係ない話をして悪かったな。そろそろ戻ろうぜ。あんまり外にいると、嫌なやつにでくわすかもしれないからな」
「嫌なやつ?」
「ああ。この城には会いたくないやつがたくさんいるんだ。たとえば……」
 ちょうどそのとき、噴水の水音にまじって、誰かが草を踏みしめる音が聞こえた。また「衛兵」とやらが来たのだろうか。ストラがおそるおそる音のするほうに目をやると、誰かが生垣の陰からぬっと現れた。
 それは、青年だった。その服装からして、少なくとも「衛兵」ではなさそうだ。両脇には色違いの服を着た、小さな青年と大柄の中年男性を従えている。
「やあ、誰かと思えばギルバートじゃないか」
 その声に弾かれるようにギルバートは振りかえり、青年の姿を目にとめるや否や、野生の獣に対峙したかのように飛びあがり、大げさに五歩もあとずさった。
「お、おまえは……」
「ずいぶんな態度をとってくれるね、久しぶりに会えたというのに。身体は成長していても、中身は変わっていないようだ。君も、仮にも城への出入りを許される身なら、それ相応の行儀マナーというものを身につけるべきではないかな?」
 青年は輝く金髪をなびかせ、吸いこまれそうな深い蒼の双眸でギルバートをしっかりと見すえ、その爽やかな美しい顔立ちに似あわぬ皮肉っぽい笑顔を浮かべてみせた。対して、ギルバートは青年と目をあわせようともせず、猫に追いつめられたネズミのように絶望的な表情で地面の草を見つめていた。
「いいご身分だね、ギルバート? この僕に先に挨拶させておいて、おまけに無視を決めこもうというのかい。そんな無礼なふるまいをお母様に報告されてもいいのかい? 僕がほんの少し怒りを表明すれば、君なんて簡単に抹殺できるのに」
 その声色は一見優しかったが、その根底にはどこか脅しのようなものが感じられた。にも関わらず、当の本人はすこぶる楽しそうな微笑みを浮かべている。よくわからない人だなあ、とストラはひとり胸の内で思った。
 ギルバートは今にも殴りかからんばかりの勢いで相手──ではなく足元の草を睨みつけていた。そして、拳をと唇を震わせながら、これまでの彼からは想像もつかない弱々しい声で地面にむかって挨拶をした。
「お久しぶりです、殿下……ご機嫌いかがですか」
「最高だよ。偉そうな年寄りを相手にするのにも飽きていたところなんだ。君のように卑しい平民とのふれあいも、息抜きには重要だよ」
 青年はずかずかとギルバートに歩みより、ギルバートの頭をポンポンと叩いた。不思議なことに、青年は終始愉快でたまらないと言わんばかりに笑っていた。しかしそれは会えたことを喜んでいるというより、興味深い玩具を見つけた赤子のような顔だった。
「そういえば、この小さなお客様は誰だい? 君が連れてきたのか?」
「王女様が招待されたお客様です」
 ギルバートは顔もあげず、どこか遠くを見つめるようにして答えた。青年はへえ、とわざとらしく感嘆の声をあげ、じろじろとふたりの全身を観察した。
「あの姉上様が、子供を招待したのかい? 変わったこともあるもんだな。人間、気がふれたら何をするかわかったもんじゃない」
 ストラはこのやたら傲慢な態度の青年に恐怖を感じ、その場で固まってしまった。口調こそ優しいが、明らかにただ者ではなさそうなオーラをまとっている。ギルバートの様子からして、彼は危険人物らしい。
「三人とも、王女様がお呼びよ」
 ふいに、噴水のむこうからコーネリアが駆けてきた。わざわざストラたちを呼びに来てくれたのだ。コーネリアは噴水のすぐそばまで来ると、青年の存在に気づき、その場でぴたりと足を止めてしまった。
「どうしてあなたが、こんなところに……」
「やあ、コーネリア。君のお父上はご無事かい? 考えのたりない兄さんのせいで、君の家は大変そうだね。さすが裏切り者のペンバートン家だ。先祖も子孫もやることは同じだ」
 コーネリアはぐっと歯をくいしばって何かを堪えるような表情を見せ、それからすっと無表情に戻り、冷ややかに告げた。
「たしかに兄の一件は事実です。ですが、一族への侮辱はご遠慮ください。ハロルド王子」
 先ほどのかわいらしくはしゃいでいたコーネリアとは似ても似つかぬ厳しい表情だった。ストラはそのギャップに震えあがったが、青年──ハロルド王子はけろりとしていた。
「事実を言われたからって、動揺するなよ。まあ、この件は秘密裏に処理されるだろうさ。少なくとも君の家族が刑に処せられることはない」
 それから、ギルバートの左肩を二度ほど叩いてくすりと笑みをもらした。
「また会おう、ギルバート。君に会えて嬉しかったよ」
 そうして青年は両脇の男性を引きつれ、踵を返して行ってしまった。その姿が見えなくなると、コーネリアは噴水の縁を掴み、そこに勢いよく右の拳を振りおろした。
「最悪だわ、なんてやつ……! 王子でなければ引っぱたいているところよ」
「すみません、コーネリアさん」
 ギルバートが憂鬱そうにため息をついて顔をあげた。
「俺の姿を見つけて寄ってきたんだと思います。あの人、俺に絡むのが好きみたいだから……もう行きましょう」
 ストラは呆然と、怒り狂うコーネリアと力の抜けたギルバートの会話を観察していた。そのうち、アンジュが隣にやってきて、小声でつぶやいた。
「今の人、王子様なのね。王女様と違って嫌な人だったわね」
 その通りだ。あんなに威圧的で不気味で考えの読めない人は見たことがない。ストラはすぐに肯定した。あのとき助けたのが王女様でよかった。きっと王子だったら、今頃とんでもない目にあっていただろう。
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