時の国の王女

 レイチェル王女は存外に話しやすい人物だった。少なくともストラはそう思っていた。実際、彼女はとても聞き上手だった。王女はストラとアンジュが好き放題めちゃくちゃに話す内容を黙って傾聴し、いくつかの質問を挟みつつ、内容をまとめなおしてくれた。
「つまり、この国のせいで虹の国にまで異変が起きているということですね」
 王女はアンジュが持ってきた女王の手紙に目を通しながら、考え深げに唸った。
「この世界とは隔絶されているはずの虹の国にまで影響を及ぼしているというのなら、ただごとではありません。これまで調査は下の者に任せていたのですが、これからは私自身も積極的に調べることにしましょう」
 そう言いながら、王女は手紙をゆっくりと丁寧にたたんで封筒に戻した。爪先まで丹念に手入れをされた、細くて白い、美しい手だった。
「ところで、あなたたちは、これからどうするのですか」
「え?」
 ストラとアンジュは呆気にとられて、同時に王女を見あげた。それを見た王女は困ったように眉尻をさげ、口角をすっとあげて、わざとらしい笑みを浮かべた。ふたりが言葉の意図を汲みとれていないことに気づいているらしい。
「原因がわからない以上、今の私には何もできません。ですが、あなたたちがこの国でまだ何かしたいというのであれば、お手伝いしましょう。帰るというのなら、城の者に送るように言いつけましょう。さて、どうしますか?」
「帰ってもいいけれど……」
 アンジュは膝の上できちんと揃えた自分の手を眺めながら、しばらく考えこみ、そしてこう続けた。
「わたしたち、原因を調べるように言われているの。まだ時間はあるから、もう少しだけここにいるわ」
 王女は薄い笑みをつくったまま頷き、今度はストラに問いかけた。
「あなたも?」
 まさか自分に話を振られるとは思っていなかったので、ストラは仰天してうろたえた。すべてをアンジュに任せている以上、アンジュの意見に賛成であることには変わりない。ストラはひとまず肯定の返事をしたが、王女は話を終わらせず、まだストラの言葉を待っている。もちろん王女はストラに何かを喋らせようとしていたのではない。単に口下手なストラを気づかって、ほかに話すことがないか確認する時間を設けていただけである。しかし、それを「何か話せ」という圧力と勘違いしたストラはパニックになり、とりあえず頭の中に浮かんだことをそのまま喋ってみることにした。
「ええと、ぼく……王女プリンセス様ともっとお話ししたい」
 それは本心からの言葉だった。はじめこそ威圧感を感じていたものの、話を聞いているときの王女は優しく、頻繁に言い間違いをする彼を責めることもなかった。上流階級ならではの上品な佇まいや振る舞いなどは、ストラが大好きな虹の国の女王を思わせる。
 それより何より、ストラはもとから話し相手に飢えていた。虹の国の住人はそもそも人の形になることすらまれだったし、アンジュは下界のことをよく思っていないので、会話はしてもストラの好奇心によりそってくれることはない。下界では虹の国のことを話してはいけないらしいので、アンジュに指示されるまま、黙っているしかない。その点、王女は虹の国も下界のこの国のこともよく知っており、ストラの話も最後まで聞いてくれる。
 王女は鳩が豆鉄砲を食ったように目をしばたかせていたが、ふっと口もとをほころばせた。それは、今までの頑なな表情に無理やり貼りつけた形だけの笑みとは異なる、心からこぼれでた笑顔だった。
「そんなことを言われたのははじめてよ。まるで恋愛劇の口説き文句ね」
 指先を口にあてて、王女は吐息まじりにくすくすと笑った。その瞬間、それまで彼女を覆っていたはりつめた空気がふっと緩み、目の前の女性は威厳に満ちた王女殿下から、ほがらかに笑うひとりの女性に変わった。
「こ、こんな王女様、はじめて見た」
 ギルバートは信じられないとでも言いたげに目を見開き、じっと笑い続ける王女を見つめていた。王女はひとしきり笑うと、ハッとして恥ずかしげに目をふせると、唇を引きしめ、もとの厳しい顔に戻った。
「いいでしょう。ちょうど私も話し相手を探していたところです。ぜひお話したいわ。でも、三人はコーネリアの客人ですから、先に彼女のところに行って用を済ませなさい。そのあいだにあなたたちを迎える準備をさせますから」


 その後、一同はコーネリアの部屋に戻り、王女がストラたちを迎える準備をしていること、それについてコーネリアに許可を貰いにきたことを伝えた。王女が笑っていたことをギルバートが告げると、コーネリアは興味を示し、今日の予定はキャンセルしてもいいと言ってくれた。そしてかわりに、王女がどんな様子で笑っていたのかをこと細かに尋ねてきた。矢継ぎ早にとんでくる質問すべてに答えおわると、コーネリアは半開きになっていたバルコニーの扉をきっちりと閉め、「これはまだ外部にはもらせない話なんだけど」声をひそめた。
「今の王女様は元気がないの。いえ、ないはず、といったほうが正しいわね。私のお兄様が王女様と婚約していたのは知ってる?」
 ストラとアンジュは反射的にギルバートのほうを見た。この質問は、間違いなくギルバートにされたものだからだ。ギルバートは何をいまさら、とでも言いたげに肩をすくめた。
「そんなの、国じゅうの人が知っていますよ。五年前に新聞で発表されたじゃないですか」
「その話なんだけどね──じつは、お兄様は今、行方不明なの」
「えっ!」
 ギルバートは部屋中に響き渡るほどの大声をだし、そして大急ぎで自分の口を塞いだ。そして、なるべく声の音量を抑えて言った。
「行方不明って、どうして。遭難でもしたんですか?」
「いいえ──駆け落ちよ。お兄様はあろうことか、ほかの女と恋仲になって国を捨てたの。旅先でであった田舎の村娘に入れこんで、そのまま、一週間前に……」
「そんな、それじゃあ王女様は……」
「捨てられたの。おかげで今、城の中は上を下への大騒ぎよ。私の結婚式も延期になったし、お父様は毎日ピリピリしてるわ。私もう、気が狂いそう」
「そんな……」
 ギルバートとアンジュは絶句し、うつむいて黙りこんでしまった。ストラは、ふたりの雰囲気からこれが悪いニュースであることを読みとり、とりあえず口を挟まないでおいた。
「王女様、きっと寂しいのよ。だからどうか、何も知らないふりをして楽しませてあげて。王女様の機嫌がなおれば、城の雰囲気も変わるはず」
「そう言われてもなあ」
 そうつぶやくギルバートの声は意外と軽かった。あいかわらず、王女のことはどこか他人事として考えている風だった。
「俺、あの人とまともに話したことないんだよ。というわけでストラ、あとはお前に任せるよ。一応俺も残っててやるからさ」
 ストラは首をかしげた。いったい何を任されたのか、わかっていなかったからだ。世間知らずの小さなストラには、今何がこの城に起きているのか、それがどれほど重大なことなのか、何ひとつ理解できない。ストラにとってはむしろ、自分とそこまで大きさが変わらないのに、すべてを理解しているらしいアンジュのほうが不思議だった。どうしてアンジュはストラと違って何もかも簡単に把握し、適切な答えを返せるのだろう。
 ぼんやりとして言葉を発さないストラを不審に思ったのか、アンジュがストラの両肩を掴んで、激しく前後に揺さぶった。
「聞いてるの、ストラ! とにかく今聞いた話は忘れて、明るくふるまうのよ。わかった? この話は聞かなかったことにするのよ」
 聞くも聞かないも、そもそも内容を理解できていないのでどうしようもない。ストラはとにかくその場をおさめようと、大声で「わかった」と繰りかえし、やっとのことで手を離してもらった。
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