時の国の王女
「お前ら、何なんだよ。何者なんだよ!」
部屋でひとり取り乱すギルバートの前で、ふたりはひたすら、お互いに通じない目配せをしあっていた。これはまったく想定外のできごとで、ふたりともどうすればよいかわからなかった。
やがて、ばたばたとうるさい足音が廊下から聞こえ、息を切らせたコーネリアが勢いよく扉を開けて入ってきた。
「ちょっと、いったい何事なの? やっとお父様から解放されたと思ったら、今度は王女様が私の部屋に来たいと言いだしたそうじゃない。あなたたちに会いたいそうだけれど、何があったの?」
「お、『王女様』だって!?」
ギルバートは真っ青になってストラのほうを振りかえった。
「お前、まさか『王女様』に会ったんじゃないよな?」
「えっと……」
ストラは塔にいた女性の特徴を頑張って思いだそうとした。きれいに編みこんでまとめられた黒髪、白くてなめらかな肌、長いまつ毛にふちどられた蒼い瞳、ストラでも掴めてしまうほどの華奢な腕……それらをたどたどしい言葉で伝えると、ギルバートは両手で頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
「それ、間違いなく王女だよ。あの塔に入れる若い女性なんて、あの人くらいだ。あああ、面倒なことになっちまった!」
「何が起きたのかわからないけれど、お茶会は中止ね」
コーネリアは女中に命じて部屋を片づけさせると、さっと踵を返した。
「この部屋に王女様が来るなんてとんでもないわ。あんな堅苦しい人が来たら、私の行き場がなくなってしまう。まだお父様の抜き打ちチェックほうがましよ。とにかく、急いでかわりにどこかの部屋を空けてもらえるよう頼んでくるから、しばらくそこで待っていて」
こうして三人はコーネリアの部屋から別の応接室らしき部屋に移された。ギルバートはソファの上で死人とも人形ともつかない真っ白な気の抜けた顔をしており、何を話しかけても一言も発さない。ストラはアンジュの表情をうかがってみたが、アンジュもまた、途方に暮れている様子だった。
やがて、扉が外側からノックされ、きれいに着飾った女性が扉を開けた。しかし、それはストラが先刻であった女性ではなかった。女性が扉を押さえたままさっと脇に退くと、続いて小さな眼鏡を鼻にのせたいかめしい顔の老女が入ってきた。そして、最初の女性と同じく、すぐに脇に控えた。
最後に、たっぷりとした漆黒の髪を編みこみにして結いあげた若い女性が入ってきた。この女性こそ、ストラが塔で話をした女性だった。少し不健康そうな青白い肌に、深くて濃い海色の蒼い瞳をたずさえている。身体つきは全体的に華奢で、水色の布地に同色のレースを重ねたシンプルなドレスをまとっていた。ドレスは長袖だったが、袖口から伸びる手首にはくっきりと骨が浮いている。
女性は身体の前で品よく両手を重ねたまま、ストラの顔をじっと見つめた。口もとは弧を描いて笑顔をつくっていたが、目もとはまったく笑っておらず、ストラという物体を品定めするかのような目つきだった。
「あなたが先ほどの少年ですね」
その口調は一見親しげではあったが、どことなく棘を感じるものだった。まるで、演劇の台本を棒読みしているかのような不自然さを感じる。少なくとも、本心から語りかける声ではないことはたしかだった。
ストラが無言で頷くと、女性は身体と視線をストラのほうにむけたまま、首だけを動かして背後の女性たちに指示した。
「あなたたちはさがりなさい。ここからは、私 が応対いたします」
すると老女が眼鏡を持ちあげながら眉をよせた。
「この子供たちは約束もなしに来たのでしょう。そんな者たちを姫様がじきじきにお相手をするというのですか? 他国の使者ならばまだしも、ただの子供ではありませんか」
「いいから言うとおりになさい」
女性は口調を変えずにもう一度告げた。
「私は彼らと話をしなければならないのです。今日の予定はすべて取り消されているのですから、問題はないはずでしょう」
「しかし、本日は静養のために設けられた日です。そんな日に来客対応などなさっては……」
「これも静養のうちです。いいから早くさがりなさい。同じことを何度言わせる気ですか?」
女性が語気を強めると、老女たちは何も言わずに部屋の外へでていき、まったく音をたてずに外側からゆっくりと扉を閉めた。扉が完全に閉まると、ギルバートが機械人形のように不自然に立ちあがった。
「ええと、あの、お会いできて嬉しいです……王女殿下 」
その動作と口調は、この上なくぎこちないものだった。今の彼は、あきらかに緊張している。その理由はストラにもなんとなくわかった。この女性は動きから口調から表情まで、とにかく隙がない。さっき塔で見せた怯えた姿が嘘のようだ。彼女の所作はどこまでも形式的で、恐ろしいほどに本心が読みとれない。
「私もですよ、ギルバート。あなたのお友達のおかげで助かりました。私にご紹介いただいてもよろしくて?」
ギルバートはどぎまぎしつつ目を泳がせ、引きつった声で答えた。
「あの、俺もふたりのことはよく知らないんです。いや、もちろん、知らないやつを城に連れてくるのはよくないことくらいはわかっています。俺はちゃんと反対したんですけど、コーネリアさんが連れてくるように仰って……」
「そうですか」
その女性──王女はそっけなく返事をすると、ギルバートを座らせ、自身もむかい側のソファに腰かけた。そして、ストラに問いかけた。
「先ほどは助けてくださってありがとう。あなたのお名前は?」
「ストラ」
「そちらの女の子は?」
「アンジュ……」
「年はいくつ?」
「とし?」
言葉の意味を図りかねたストラは、呆けた顔のまま固まった。数秒後、慌てたアンジュが横から割って入ってきた。
「ストラは、えっと、三歳です。わたしは五歳」
「そう。きょうだいなの?」
「ええっと、そうです」
ストラは驚いた。自分とアンジュにはそんな名前の関係性があったらしい。「きょうだい」の意味はよくわからなかったが、きっと同じ国に住む者という意味なのだろう、と彼は勝手に推測した。
王女はふたりが「きょうだい」であることに特に疑問を感じなかったらしく、軽く相槌をうつと、次の質問を投げかけた。
「では、ふたりはどこから来たの?」
その質問に、ストラはぱっと顔を輝かせた。ほかの質問には答えられなくても、この質問だけにはまともに答えられる自信があった。そこで、アンジュが何か言う前に、喜びいさんで先に答えてしまった。
「虹の国だよ!」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。アンジュは目を見開いたまま硬直し、ギルバートは信じられないという顔でこちらを見た。
「『虹の国』ですって?」
王女は唇に指をあてて、ひとりつぶやきながら、何かを思いだすように天井を仰いだ。
「まさか……あの伝説の国が存在するなんて。でも、それならあの翼にも納得がいくわ……そう、虹の国から……」
突然、王女はすっと立ちあがると、スカートを引いて深々とお辞儀をした。そして、顔をあげながらこんなことを言った。
「まだ、自己紹介をしていませんでしたね。私はレイチェル。『時の国』と呼ばれる、クロック王国の王女です。虹の国の御使 いさんたち、お話を聞かせていただいてもよろしいかしら?」
部屋でひとり取り乱すギルバートの前で、ふたりはひたすら、お互いに通じない目配せをしあっていた。これはまったく想定外のできごとで、ふたりともどうすればよいかわからなかった。
やがて、ばたばたとうるさい足音が廊下から聞こえ、息を切らせたコーネリアが勢いよく扉を開けて入ってきた。
「ちょっと、いったい何事なの? やっとお父様から解放されたと思ったら、今度は王女様が私の部屋に来たいと言いだしたそうじゃない。あなたたちに会いたいそうだけれど、何があったの?」
「お、『王女様』だって!?」
ギルバートは真っ青になってストラのほうを振りかえった。
「お前、まさか『王女様』に会ったんじゃないよな?」
「えっと……」
ストラは塔にいた女性の特徴を頑張って思いだそうとした。きれいに編みこんでまとめられた黒髪、白くてなめらかな肌、長いまつ毛にふちどられた蒼い瞳、ストラでも掴めてしまうほどの華奢な腕……それらをたどたどしい言葉で伝えると、ギルバートは両手で頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
「それ、間違いなく王女だよ。あの塔に入れる若い女性なんて、あの人くらいだ。あああ、面倒なことになっちまった!」
「何が起きたのかわからないけれど、お茶会は中止ね」
コーネリアは女中に命じて部屋を片づけさせると、さっと踵を返した。
「この部屋に王女様が来るなんてとんでもないわ。あんな堅苦しい人が来たら、私の行き場がなくなってしまう。まだお父様の抜き打ちチェックほうがましよ。とにかく、急いでかわりにどこかの部屋を空けてもらえるよう頼んでくるから、しばらくそこで待っていて」
こうして三人はコーネリアの部屋から別の応接室らしき部屋に移された。ギルバートはソファの上で死人とも人形ともつかない真っ白な気の抜けた顔をしており、何を話しかけても一言も発さない。ストラはアンジュの表情をうかがってみたが、アンジュもまた、途方に暮れている様子だった。
やがて、扉が外側からノックされ、きれいに着飾った女性が扉を開けた。しかし、それはストラが先刻であった女性ではなかった。女性が扉を押さえたままさっと脇に退くと、続いて小さな眼鏡を鼻にのせたいかめしい顔の老女が入ってきた。そして、最初の女性と同じく、すぐに脇に控えた。
最後に、たっぷりとした漆黒の髪を編みこみにして結いあげた若い女性が入ってきた。この女性こそ、ストラが塔で話をした女性だった。少し不健康そうな青白い肌に、深くて濃い海色の蒼い瞳をたずさえている。身体つきは全体的に華奢で、水色の布地に同色のレースを重ねたシンプルなドレスをまとっていた。ドレスは長袖だったが、袖口から伸びる手首にはくっきりと骨が浮いている。
女性は身体の前で品よく両手を重ねたまま、ストラの顔をじっと見つめた。口もとは弧を描いて笑顔をつくっていたが、目もとはまったく笑っておらず、ストラという物体を品定めするかのような目つきだった。
「あなたが先ほどの少年ですね」
その口調は一見親しげではあったが、どことなく棘を感じるものだった。まるで、演劇の台本を棒読みしているかのような不自然さを感じる。少なくとも、本心から語りかける声ではないことはたしかだった。
ストラが無言で頷くと、女性は身体と視線をストラのほうにむけたまま、首だけを動かして背後の女性たちに指示した。
「あなたたちはさがりなさい。ここからは、
すると老女が眼鏡を持ちあげながら眉をよせた。
「この子供たちは約束もなしに来たのでしょう。そんな者たちを姫様がじきじきにお相手をするというのですか? 他国の使者ならばまだしも、ただの子供ではありませんか」
「いいから言うとおりになさい」
女性は口調を変えずにもう一度告げた。
「私は彼らと話をしなければならないのです。今日の予定はすべて取り消されているのですから、問題はないはずでしょう」
「しかし、本日は静養のために設けられた日です。そんな日に来客対応などなさっては……」
「これも静養のうちです。いいから早くさがりなさい。同じことを何度言わせる気ですか?」
女性が語気を強めると、老女たちは何も言わずに部屋の外へでていき、まったく音をたてずに外側からゆっくりと扉を閉めた。扉が完全に閉まると、ギルバートが機械人形のように不自然に立ちあがった。
「ええと、あの、お会いできて嬉しいです……
その動作と口調は、この上なくぎこちないものだった。今の彼は、あきらかに緊張している。その理由はストラにもなんとなくわかった。この女性は動きから口調から表情まで、とにかく隙がない。さっき塔で見せた怯えた姿が嘘のようだ。彼女の所作はどこまでも形式的で、恐ろしいほどに本心が読みとれない。
「私もですよ、ギルバート。あなたのお友達のおかげで助かりました。私にご紹介いただいてもよろしくて?」
ギルバートはどぎまぎしつつ目を泳がせ、引きつった声で答えた。
「あの、俺もふたりのことはよく知らないんです。いや、もちろん、知らないやつを城に連れてくるのはよくないことくらいはわかっています。俺はちゃんと反対したんですけど、コーネリアさんが連れてくるように仰って……」
「そうですか」
その女性──王女はそっけなく返事をすると、ギルバートを座らせ、自身もむかい側のソファに腰かけた。そして、ストラに問いかけた。
「先ほどは助けてくださってありがとう。あなたのお名前は?」
「ストラ」
「そちらの女の子は?」
「アンジュ……」
「年はいくつ?」
「とし?」
言葉の意味を図りかねたストラは、呆けた顔のまま固まった。数秒後、慌てたアンジュが横から割って入ってきた。
「ストラは、えっと、三歳です。わたしは五歳」
「そう。きょうだいなの?」
「ええっと、そうです」
ストラは驚いた。自分とアンジュにはそんな名前の関係性があったらしい。「きょうだい」の意味はよくわからなかったが、きっと同じ国に住む者という意味なのだろう、と彼は勝手に推測した。
王女はふたりが「きょうだい」であることに特に疑問を感じなかったらしく、軽く相槌をうつと、次の質問を投げかけた。
「では、ふたりはどこから来たの?」
その質問に、ストラはぱっと顔を輝かせた。ほかの質問には答えられなくても、この質問だけにはまともに答えられる自信があった。そこで、アンジュが何か言う前に、喜びいさんで先に答えてしまった。
「虹の国だよ!」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。アンジュは目を見開いたまま硬直し、ギルバートは信じられないという顔でこちらを見た。
「『虹の国』ですって?」
王女は唇に指をあてて、ひとりつぶやきながら、何かを思いだすように天井を仰いだ。
「まさか……あの伝説の国が存在するなんて。でも、それならあの翼にも納得がいくわ……そう、虹の国から……」
突然、王女はすっと立ちあがると、スカートを引いて深々とお辞儀をした。そして、顔をあげながらこんなことを言った。
「まだ、自己紹介をしていませんでしたね。私はレイチェル。『時の国』と呼ばれる、クロック王国の王女です。虹の国の