時の国の王女
ギルバートが言うには、この国の国王は七年前に亡くなり、現在の国務は王女と王子が担っているということだった。王妃も国王が亡くなる五年前に他界しており、いい加減に代替わりをしなければならないのだが、権力が絡む事柄だけに面倒ごとが多く、いまだに誰が君主になるのか決まっていないのだという。
「一応、年上の王女が女王になるんじゃないかと言われてるけど、王子のほうが国王にふさわしいって言う人も結構いるらしいぜ。まあ、俺はあいつ嫌いだけど」
「どんな人か知っているの?」
「まあな。死んだ王妃様って俺の母さんの姉さんなんだよ。だから昔から事あるごとに変なパーティとかに呼ばれて、王子と王女にも強制的に会わされるんだ。王女は気難しい感じでそばにいるだけで緊張するから苦手かな。で、王子は最悪」
ギルバートはよほど王子が嫌いなのか、彼の話になると露骨に表情に嫌悪感を滲ませた。
「あの野郎、顔をあわすたびに『高貴な血筋じゃない』だの『庶民だからマナーが悪い』だの、難癖をつけて絡んでくるんだよ。でも、怒って言いかえしたら必ず俺が叱られるんだ。あいつ、それをわかってて俺に嫌がらせばっかりしてくるんだよ。あんなやつが王様になったらと思うとぞっとするね。王女のほうがずっといいよ」
「嫌なことばかりなのね」
「上流階級ってのはそういうもんだろ。とにかく、俺はああいう連中と関わる気はない。本当は城の敷地に入るのも嫌なんだ」
「わたしたちのために、ごめんなさい」
「お前らのためじゃねえよ。今日ここにお前らを連れてきたのはアレックスに頼まれたからだ。あいつがわざわざ家に来るなんてよっぽどのことだろうからな」
ギルバートがもたらす情報はどれも貴重で、この国の事情を理解するにはこの上なく役立ちそうなものばかりだった。アンジュは真剣な目で食いいるように聞いていたが、残念ながらストラにはちんぷんかんぷんだった。ストラが今知りたいのは、目の前に並べられた薄くて丸い物体たちが何なのかということと、いつになったらふたりの話が終わるのかということ、それから、この退屈な時間をどうやって過ごせばいいのか、ということだけだった。
ふと、すぐそばの窓に目をやると、ガラスのむこうにも床が続いているのがわかった。ストラは会話に夢中になっているふたりを放置して、その窓に近づいていった。そして、特に意味もなくその窓に両手を押しあててみた。
すると、窓はキイッという音をたてて、いとも簡単に前方に動いていった。じつはストラが窓だと思っていたのは正確には窓つきの扉、それもバルコニーに繋がる扉だったのである。思わぬ発見にストラは嬉しくなり、そのままバルコニーへと飛びだした。
「ストラ、何してるの!?」
「おい、勝手な真似はよせ!」
扉の音に気づいたふたりの声を無視して、ストラはバルコニーの端まで駆けていった。この部屋は屋敷の一番上にあるので、ほかの建物や敷地内の庭園の様子もよく見える。もちろん、あの悪しき思い出のある白い時計塔もくっきりと見えた。
ところが、時計塔の様子は以前見たときとはほんの少し様子が違っていた。窓がひとつ、開いている。誰かが開けたのだ。いったい、中には誰がいるのだろう。ストラは興奮してバルコニーから身を乗りだした。すると、ストラの疑問に答えるように、塔からキャアッという小さな悲鳴が聞こえ、窓から一枚の紙切れが飛びだした。続いて、窓からにゅっと手が伸びてきて、ぎりぎりのところで紙切れを捕まえた。しかしそのとき、手の主は紙切れを掴むために頭から臀部まで窓の外に乗りだしていた。
「危ない!」
ストラはすぐさまバルコニーの柵に足をかけると、考える間もなく翼を開いて飛びだした。そして、今にも落下しそうになっている窓辺の人物のもとへ飛んでゆき、すんでのところでその腕を掴んで引きとめた。
「ああっ!」
「えっ!?」
遅れてやってきたアンジュとギルバートは同時に声をあげた。アンジュの声には焦りが、ギルバートの声には戸惑いがこもっていた。
ストラが腕を掴んだ人物は、何が起きたのか理解できていない様子で、苦痛に満ちた表情をストラのほうにむけていた。掴まれた腕だけに体重がかかっているので痛むのだろう。服装や髪型を見る限り、どうやら女性のようだ。
ストラが急いでその人物を窓の内側に引き戻してあげると、彼女は全体重をかけられていた右腕をさすりながら、へなへなと床に座りこんだ。そして、ひどく怯えた様子で窓の外にいるストラを見あげ、力なく尋ねた。
「あなたは誰?」
その瞬間、ストラはハッとして自らの翼を見た。人前で翼をだしてしまった。あれほど魔女にもアンジュにも翼を見せないよう注意されていたのに。しかし、今さらどうしようもない。おそるおそるさっきまでいた屋敷を振りかえると、ギルバートとアンジュがバルコニーに立ちつくしていた。ギルバートは口を開けたまま驚愕の表情で固まっている。アンジュはというと今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「あれはコーネリアの部屋、立っているのはギルバートね。知りあいなの?」
女性はさっと立ちあがると、バルコニーのふたりを確認し、再度尋ねた。先ほどの恐怖が嘘のように冷静な顔つきと声色だった。
「うん……」
ストラが頷くと、女性は口元だけ笑ってみせた。
「助けてくださったことに感謝します。あなたはもう戻りなさい。残念だけど、この部屋に部外者を入れるわけにはいかないの。今から私がそちらの部屋へ行くわ」
「一応、年上の王女が女王になるんじゃないかと言われてるけど、王子のほうが国王にふさわしいって言う人も結構いるらしいぜ。まあ、俺はあいつ嫌いだけど」
「どんな人か知っているの?」
「まあな。死んだ王妃様って俺の母さんの姉さんなんだよ。だから昔から事あるごとに変なパーティとかに呼ばれて、王子と王女にも強制的に会わされるんだ。王女は気難しい感じでそばにいるだけで緊張するから苦手かな。で、王子は最悪」
ギルバートはよほど王子が嫌いなのか、彼の話になると露骨に表情に嫌悪感を滲ませた。
「あの野郎、顔をあわすたびに『高貴な血筋じゃない』だの『庶民だからマナーが悪い』だの、難癖をつけて絡んでくるんだよ。でも、怒って言いかえしたら必ず俺が叱られるんだ。あいつ、それをわかってて俺に嫌がらせばっかりしてくるんだよ。あんなやつが王様になったらと思うとぞっとするね。王女のほうがずっといいよ」
「嫌なことばかりなのね」
「上流階級ってのはそういうもんだろ。とにかく、俺はああいう連中と関わる気はない。本当は城の敷地に入るのも嫌なんだ」
「わたしたちのために、ごめんなさい」
「お前らのためじゃねえよ。今日ここにお前らを連れてきたのはアレックスに頼まれたからだ。あいつがわざわざ家に来るなんてよっぽどのことだろうからな」
ギルバートがもたらす情報はどれも貴重で、この国の事情を理解するにはこの上なく役立ちそうなものばかりだった。アンジュは真剣な目で食いいるように聞いていたが、残念ながらストラにはちんぷんかんぷんだった。ストラが今知りたいのは、目の前に並べられた薄くて丸い物体たちが何なのかということと、いつになったらふたりの話が終わるのかということ、それから、この退屈な時間をどうやって過ごせばいいのか、ということだけだった。
ふと、すぐそばの窓に目をやると、ガラスのむこうにも床が続いているのがわかった。ストラは会話に夢中になっているふたりを放置して、その窓に近づいていった。そして、特に意味もなくその窓に両手を押しあててみた。
すると、窓はキイッという音をたてて、いとも簡単に前方に動いていった。じつはストラが窓だと思っていたのは正確には窓つきの扉、それもバルコニーに繋がる扉だったのである。思わぬ発見にストラは嬉しくなり、そのままバルコニーへと飛びだした。
「ストラ、何してるの!?」
「おい、勝手な真似はよせ!」
扉の音に気づいたふたりの声を無視して、ストラはバルコニーの端まで駆けていった。この部屋は屋敷の一番上にあるので、ほかの建物や敷地内の庭園の様子もよく見える。もちろん、あの悪しき思い出のある白い時計塔もくっきりと見えた。
ところが、時計塔の様子は以前見たときとはほんの少し様子が違っていた。窓がひとつ、開いている。誰かが開けたのだ。いったい、中には誰がいるのだろう。ストラは興奮してバルコニーから身を乗りだした。すると、ストラの疑問に答えるように、塔からキャアッという小さな悲鳴が聞こえ、窓から一枚の紙切れが飛びだした。続いて、窓からにゅっと手が伸びてきて、ぎりぎりのところで紙切れを捕まえた。しかしそのとき、手の主は紙切れを掴むために頭から臀部まで窓の外に乗りだしていた。
「危ない!」
ストラはすぐさまバルコニーの柵に足をかけると、考える間もなく翼を開いて飛びだした。そして、今にも落下しそうになっている窓辺の人物のもとへ飛んでゆき、すんでのところでその腕を掴んで引きとめた。
「ああっ!」
「えっ!?」
遅れてやってきたアンジュとギルバートは同時に声をあげた。アンジュの声には焦りが、ギルバートの声には戸惑いがこもっていた。
ストラが腕を掴んだ人物は、何が起きたのか理解できていない様子で、苦痛に満ちた表情をストラのほうにむけていた。掴まれた腕だけに体重がかかっているので痛むのだろう。服装や髪型を見る限り、どうやら女性のようだ。
ストラが急いでその人物を窓の内側に引き戻してあげると、彼女は全体重をかけられていた右腕をさすりながら、へなへなと床に座りこんだ。そして、ひどく怯えた様子で窓の外にいるストラを見あげ、力なく尋ねた。
「あなたは誰?」
その瞬間、ストラはハッとして自らの翼を見た。人前で翼をだしてしまった。あれほど魔女にもアンジュにも翼を見せないよう注意されていたのに。しかし、今さらどうしようもない。おそるおそるさっきまでいた屋敷を振りかえると、ギルバートとアンジュがバルコニーに立ちつくしていた。ギルバートは口を開けたまま驚愕の表情で固まっている。アンジュはというと今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「あれはコーネリアの部屋、立っているのはギルバートね。知りあいなの?」
女性はさっと立ちあがると、バルコニーのふたりを確認し、再度尋ねた。先ほどの恐怖が嘘のように冷静な顔つきと声色だった。
「うん……」
ストラが頷くと、女性は口元だけ笑ってみせた。
「助けてくださったことに感謝します。あなたはもう戻りなさい。残念だけど、この部屋に部外者を入れるわけにはいかないの。今から私がそちらの部屋へ行くわ」