時の国の王女

 唐突にミストは槍を手放してストラに歩みより、両手でその顔を包みこんだ。ストラはびっくりして、その場で固まった。ミストはにこりともせず、真剣な目でじっとストラの額のあたりを凝視している。
「何してるの?」
 アンジュが尋ねると、ミストはストラに目をむけたまま答えた。
「魂の波動から、この子の姿を推測しているの。まあ、おそらくはこんな感じかしら」
 そう言ってミストが軽くストラの頬を撫でると、瞬く間にストラの全身は銀色にきらめきだした。
「ほら、これで確認なさい」
 ミストはどこからともなく、ふたりの目の前に銀色の円を召喚した。それは鏡のように光を反射し、アンジュと、その隣にいる銀色のストラを映しだしていた。
 ストラはその鏡を覗きこんだ。説明されなくても、全身がキラキラしている不気味な子供が自分であることはすぐにわかった。
 次の瞬間、ストラをまとっていた銀色の光は一斉に弾けとんだ。その瞬間、銀色にきらめくおかしな子供は消え、かわりに茶髪の髪にくりくりした大きな瞳をした子供が立っていた。ストラが右手を動かすと、鏡の中の子供は同じように左手を動かした。左手を動かすと、鏡の子供は右手を動かした。ストラは何度かそれを繰りかえし、ようやくこの初対面の子供が自分自身であることを理解した。
「これ、ぼく?」
「そうよ。自分の顔をよく覚えておきなさい」
 ストラが鏡を見ながらぺたぺたと自分の顔を触っていると、アンジュがこわごわ近寄って、後ろから鏡を覗きこんだ。
「これ、本当にストラなの? 別人じゃない?」
 アンジュは苦い顔をしていた。その化け物でも見るような怯えた目に、ストラは少し傷ついた。
「ひどいよ、別人だなんて。ぼくはぼくだよ!」
「まあまあ、落ち着いて」
 ミストがふたりの間に割って入り、今にも食ってかかりそうなストラを制した。
「この子はたしかにストラだし、この姿も別人のものじゃないわ。これがストラの本来の姿なのよ。今までストラは自分の姿を知らないから、アンジュの姿を借りていた。私はそれを元に戻しただけ」
「じゃあ、これがストラの本当の顔なの?」
「まあね。ただ、瞳の色は違うと思うわ。アンジュもそうだけど、記憶が不完全な虹の住人はみんな瞳が翡翠ひすい色になるのよ。だから、本当の顔とは印象が違うかもね」
 ふたりはもう一度鏡を覗きこんだ。たしかに、ふたりの瞳は同じ、透きとおった淡いグリーンをしていた。
「それじゃ、これが『仮の身体』よ。これがあれば、門の外の人にもあなたたちの姿が見えるわ」
 ミストがふたりの頭を撫でると、突然、ズンと全身が重くなった。
「わあ、なんだか変な感じ」
「『かりのからだ』ってなんなの?」
「あなたたちに下界人と同じ、『生きている身体』を授けたの。この瞬間から、あなたたちの姿はすべての下界人に見えるようになるわ。ただし、これを使えるのは二十四時間だけ。それを過ぎたら身体は消えて、あなたたちは誰にも見えなくなるの」
「にじゅうよじかんって?」
 ストラが尋ねると、ミストは錆びた金属製の丸い物体を手渡した。
「この針が二周するまでよ」
 それは古びた懐中時計だった。だが、ストラはそんなものを見たことがなかったので、ただ「動く丸いもの」としか認識できなかった。
「これ、面白いね! チチチチって音がする」
 するとアンジュが突然、得意げにストラの手から「丸いもの」を奪った。
「わたし、知ってるわ。これは時計っていうのよ!」
「そうなの? どうして知ってるの?」
 ストラが何気なく聞くと、アンジュはぐっと言葉に詰まり、ストラから目をそらすと、困ったように眉を寄せて考えこみ、それから、絞りだすように言った。
「それは、その……見たことがあるからよ」
「本当に? どこで見たの?」
「ええと……それは、覚えていないの。わからないわ」
 たどたどしく言葉をつむぎながら、アンジュはしばらく時計を両手に握りしめて凝視していたが、やがて何か嫌なものを弾きとばすようにブンブンと頭を振り、無言で時計をストラに返してくれた。
「さて、準備はいいかしら。それじゃ、門を開くわね」
 それからミストは、どこからか大きな鍵束を取りだし、そのうちのひとつを門の鍵穴に差しこんだ。
「門をでたら、まっすぐ下に降りていきなさい。そうすれば魔女の館にたどり着くはずだから」
「魔女?」
「ええ。東の下界に、顔なじみの魔女がいるの。魔女は虹の住人のこともよく知っているから、力になってくれると思うわ」
 鍵を回すと門はひどく軋み、がたがたとうるさく鳴いていた。
「その鍵、合っているの?」
「ちゃんと正しい鍵よ。ただ、この門は長い間開けていなかったから、ちょっと力がいるわね」
 彼女が無理くり門を両手で押すと、錆びた蝶番の嫌な音とともに門が開き、見たことのない灰色の空が現れた。
 その仄暗く禍々しい色に、ストラは魔界の空というのはなんて気味が悪いのだろうと震えたが、実際はただの夕方の空だった。その日は曇りで、日が暮れてきたことで分厚い雲が灰色っぽく見えていただけのことである。しかし、晴天の青空しか知らないストラには、そんなことは知るよしもなかった。
「ここは東側、魔界の空よ。正確には雲より下の、下界側の空ね。無事に地上についたら、目の前に見える家へむかいなさい。そこが魔女の館よ。魔女はあなたたちを助けてくれるはずだから、詳しいことはそこで聞きなさい。女王様の手紙を見れば、理解してくださるはずよ」
 ミストは先程の手紙をアンジュに握らせ、さあ行けと言わんばかりに、門の前から退いた。
「魔女の館をでたら『時の国』へ行き、何か異変が起きていないか調べてちょうだい。原因がわかればそれでいいわ。余計なことはしないこと。二十四時間経てば『身体』は勝手に消えるから、翼を使って魔女の館の上空まで帰ってきなさい。そうすれば門を開いてあげる」
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