時の国の王女
ストラはぽかんとして女王を見あげた。だが女王はそれ以上、何も言わない。こっそりアンジュのほうを伺うと、アンジュもまた豆鉄砲をくらったような顔で女王を凝視していた。
「そっちへ行ってどうするの?」
「東の門から『時の国』へ行ってもらいます」
ストラはアンジュを見やった。アンジュも困惑したようにこちらを見た。
「ときの、くに?」
「東の門って?」
すると女王はおもむろに、ストラとアンジュの足元を指した。
「今、あなたたちが立っているのは世界の境界線です。じつは、この世界は東と西に別れているのです。私たちが住むこちら側は、平和で規則的な西の世界。そして、東の世界は『魔界』と呼ばれる危険な世界。そして、今回の騒動の原因と考えられるのは、東の魔界にある『時の国』と呼ばれる場所なのです。ここまではわかりますか?」
アンジュは話の内容を理解しているらしく、真剣な表情で頷いた。ストラは正直、話についていけていなかったが、ひとまずここはアンジュにあわせておくことにした。あとで困ったことがあったら、アンジュに質問すればいいだろうと考えたのだ。
「よろしい。ところでふたりとも、この国に大きな門があることは知っていますね?」
「うん。ぼくもアンジュも知ってるよ」
「そうね、特にストラは門が大好きだもの」
ふたりは同時に大きく頷いた。
この孤島のような国のへりには奇妙な柵が張りめぐらされているが、一箇所だけ柵がない場所があった。それが「門」である。
その門は柵と変わらぬ背丈の小さなものだった。そして、セキュリティの甘いことに、ときどき無防備に開いていることがあった。それは来客の合図でもあり、門が開いているときはかならず誰かがやってくる。そしてその「誰か」というのは、たいてい新しい住人だった。既存の住人に飽きているストラは、いつもこの新しい住人に会うのが楽しみで、頻繁に門まででかけては、門が開いていないか確認していた。
門の外がどうなっているかは知らなかった。門には常に見張りの門番がいて、脱走者がいないか監視している。まれに姿を消すこともあるが、けして門から目を離しているわけではないらしい。それまでは気配すらなくても、誰かが開いている門に近づいた瞬間、かならず険しい顔をして現れるのだ。
「ストラは門の外にでようとして捕まったのよね」
にやついたアンジュが過去の出来事を持ちだしてきたので、ストラは頬を膨らませた。
「やめてよ。だって、外にでちゃいけないって知らなかったんだもん。わざとじゃないよ」
彼女の言うとおり、ストラは門番のいない隙に門を通ろうとして呆気なく捕まってしまったことがあった。
悪気はなかった。ただ、門が開いていて門番もいなかったから、少し外を覗いてみようと思っただけのことだ。
あのとき、たしかに門番はどこにもいなかった。しかし、ストラが門を通ろうとした瞬間、門番はいきなり彼の背後に現れた。そして彼の首根っこを掴み、さんざん叱責したあと女王のもとに連れていった。そして女王にも説教され、恐ろしい警告を与えられたのだった。声色こそ落ちついていたが、あのときの女王の鬼のような形相は今でも思いだせる。
──ストラ、あなたは何も知りません。好奇心でやったことでしょうから、今回だけは見逃しましょう。ですが、次に同じことをしたら、虹の国から消えてもらいますよ。
その言葉の真意はわかりかねたが、とにかく何かとんでもない仕置きを受けることだけはわかったので、さすがのストラも門から外へでるのは諦めたのだった。
「それで、その門がどうかしたの?」
「ふたりが知っているあれは、西側の門なのです。この国には、門がふたつあるのですよ。そして、『時の国』に行くためには『東の門』を通る必要があるのです。ですから、あなたたちは今からここを離れて、東の門まで行かなくてはなりません。東の門は、あの雲の上にあるのですよ」
「雲の上?」
ストラは遠くに見える雲を見やった。しかし、ここから見ても門らしきものは確認できなかった。もし、あの雲の上にストラの知る「門」があるというのなら、あの雲はそうとう遠くにあるということになる。
「ここからは門なんて見えないよ。あの雲、すごく遠くにあるんじゃない?」
「そうです。東の門はあまりにも危険な場所。万が一、東側から侵入者があれば大変なことになります。だから、こうして地面ごと切りはなしました」
「じゃあ、ぼくたちはどうやって行けばいいの?」
「翼を使うのです。虹の住人はみな翼を持っています。もちろん、あなたたちも。その気になればいつだって使えるのです」
そう告げてから女王は屈みこみ、ふたりの背中をそうっと撫でた。
「身体の力を抜いて、背中に意識を集中させなさい。そうすれば、自然に翼は開くはず」
言われたとおりに全身をだらんとさせ、背中に少し意識を向けると、肩甲骨あたりに違和感があり、続いてばさっという音が背後から聞こえた。
「すごい!」
「見て、身体が浮いてる!」
ふたりの背には、その身長を超えるほど大きな翼が対になって生えていた。ストラとアンジュはかわるがわるお互いの背中を見てはしゃぎ、その場を何度か飛びまわった。
「では、この虹を頼りに東へと行きなさい。東の門にはミストという門番がいます。何かあれば、彼女に助けてもらうこと」
それから、女王は小さな封筒をアンジュに手渡した。
「この手紙をミストに渡してください」
「わかったわ」
「くれぐれも気をつけて。何かあれば、無理をせず帰ってくるように」
「ええ」
アンジュは真剣な表情で答えた。一方のストラは、待ち遠しげに身体を揺らしたり、跳びはねたりしていた。ストラには女王の話はどうでもよく、早く虹の国の外を見たくてたまらなかった。
「ねえねえ、早く行こうよ!」
「もう、自分勝手なんだから」
呆れた様子でアンジュはばさりと翼を広げた。ストラもすぐにそれに習った。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってきます!」
女王は、空高く舞いあがるふたりに優しく微笑みかけた。
「健闘を祈ります。くれぐれも気をつけて」
「そっちへ行ってどうするの?」
「東の門から『時の国』へ行ってもらいます」
ストラはアンジュを見やった。アンジュも困惑したようにこちらを見た。
「ときの、くに?」
「東の門って?」
すると女王はおもむろに、ストラとアンジュの足元を指した。
「今、あなたたちが立っているのは世界の境界線です。じつは、この世界は東と西に別れているのです。私たちが住むこちら側は、平和で規則的な西の世界。そして、東の世界は『魔界』と呼ばれる危険な世界。そして、今回の騒動の原因と考えられるのは、東の魔界にある『時の国』と呼ばれる場所なのです。ここまではわかりますか?」
アンジュは話の内容を理解しているらしく、真剣な表情で頷いた。ストラは正直、話についていけていなかったが、ひとまずここはアンジュにあわせておくことにした。あとで困ったことがあったら、アンジュに質問すればいいだろうと考えたのだ。
「よろしい。ところでふたりとも、この国に大きな門があることは知っていますね?」
「うん。ぼくもアンジュも知ってるよ」
「そうね、特にストラは門が大好きだもの」
ふたりは同時に大きく頷いた。
この孤島のような国のへりには奇妙な柵が張りめぐらされているが、一箇所だけ柵がない場所があった。それが「門」である。
その門は柵と変わらぬ背丈の小さなものだった。そして、セキュリティの甘いことに、ときどき無防備に開いていることがあった。それは来客の合図でもあり、門が開いているときはかならず誰かがやってくる。そしてその「誰か」というのは、たいてい新しい住人だった。既存の住人に飽きているストラは、いつもこの新しい住人に会うのが楽しみで、頻繁に門まででかけては、門が開いていないか確認していた。
門の外がどうなっているかは知らなかった。門には常に見張りの門番がいて、脱走者がいないか監視している。まれに姿を消すこともあるが、けして門から目を離しているわけではないらしい。それまでは気配すらなくても、誰かが開いている門に近づいた瞬間、かならず険しい顔をして現れるのだ。
「ストラは門の外にでようとして捕まったのよね」
にやついたアンジュが過去の出来事を持ちだしてきたので、ストラは頬を膨らませた。
「やめてよ。だって、外にでちゃいけないって知らなかったんだもん。わざとじゃないよ」
彼女の言うとおり、ストラは門番のいない隙に門を通ろうとして呆気なく捕まってしまったことがあった。
悪気はなかった。ただ、門が開いていて門番もいなかったから、少し外を覗いてみようと思っただけのことだ。
あのとき、たしかに門番はどこにもいなかった。しかし、ストラが門を通ろうとした瞬間、門番はいきなり彼の背後に現れた。そして彼の首根っこを掴み、さんざん叱責したあと女王のもとに連れていった。そして女王にも説教され、恐ろしい警告を与えられたのだった。声色こそ落ちついていたが、あのときの女王の鬼のような形相は今でも思いだせる。
──ストラ、あなたは何も知りません。好奇心でやったことでしょうから、今回だけは見逃しましょう。ですが、次に同じことをしたら、虹の国から消えてもらいますよ。
その言葉の真意はわかりかねたが、とにかく何かとんでもない仕置きを受けることだけはわかったので、さすがのストラも門から外へでるのは諦めたのだった。
「それで、その門がどうかしたの?」
「ふたりが知っているあれは、西側の門なのです。この国には、門がふたつあるのですよ。そして、『時の国』に行くためには『東の門』を通る必要があるのです。ですから、あなたたちは今からここを離れて、東の門まで行かなくてはなりません。東の門は、あの雲の上にあるのですよ」
「雲の上?」
ストラは遠くに見える雲を見やった。しかし、ここから見ても門らしきものは確認できなかった。もし、あの雲の上にストラの知る「門」があるというのなら、あの雲はそうとう遠くにあるということになる。
「ここからは門なんて見えないよ。あの雲、すごく遠くにあるんじゃない?」
「そうです。東の門はあまりにも危険な場所。万が一、東側から侵入者があれば大変なことになります。だから、こうして地面ごと切りはなしました」
「じゃあ、ぼくたちはどうやって行けばいいの?」
「翼を使うのです。虹の住人はみな翼を持っています。もちろん、あなたたちも。その気になればいつだって使えるのです」
そう告げてから女王は屈みこみ、ふたりの背中をそうっと撫でた。
「身体の力を抜いて、背中に意識を集中させなさい。そうすれば、自然に翼は開くはず」
言われたとおりに全身をだらんとさせ、背中に少し意識を向けると、肩甲骨あたりに違和感があり、続いてばさっという音が背後から聞こえた。
「すごい!」
「見て、身体が浮いてる!」
ふたりの背には、その身長を超えるほど大きな翼が対になって生えていた。ストラとアンジュはかわるがわるお互いの背中を見てはしゃぎ、その場を何度か飛びまわった。
「では、この虹を頼りに東へと行きなさい。東の門にはミストという門番がいます。何かあれば、彼女に助けてもらうこと」
それから、女王は小さな封筒をアンジュに手渡した。
「この手紙をミストに渡してください」
「わかったわ」
「くれぐれも気をつけて。何かあれば、無理をせず帰ってくるように」
「ええ」
アンジュは真剣な表情で答えた。一方のストラは、待ち遠しげに身体を揺らしたり、跳びはねたりしていた。ストラには女王の話はどうでもよく、早く虹の国の外を見たくてたまらなかった。
「ねえねえ、早く行こうよ!」
「もう、自分勝手なんだから」
呆れた様子でアンジュはばさりと翼を広げた。ストラもすぐにそれに習った。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってきます!」
女王は、空高く舞いあがるふたりに優しく微笑みかけた。
「健闘を祈ります。くれぐれも気をつけて」