灯台と少女

 相太そうたはとにかく、憂鬱だった。
 一ヶ月前、祖父の父の妹にあたるらしい人が亡くなった。
 相太はその人と面識はなかったが、両親に連れられてとりあえず葬式には出た。
 そして一昨日。今年は初盆だからと、大学生の相太は祖父母宅へと連行された。
 せっかくの帰省だというのに、ついてない。顔見知りの親戚はともかく、名前すらおぼつかないような老人に囲まれて、お世辞にも楽しいとは言い難い儀式に一日を費やすのは、想像以上の苦痛だった。
 その日の夕方、ようやく寺とお経と親戚の人間から解放された相太は、ふらふらと散歩に出かけた。
 特に行くあてはなかった。ただ、外の空気に触れたかった。というより、あれ以上狭苦しい畳の空間に閉じ込められていたら、発狂しそうだった。


 気づくと、目の前には白い砂浜と、広大な海が広がっていた。
 祖父母宅は海に近く、子供の頃はよく海水浴をしたものだった。昔の相太は、この海が大好きだった。田舎ゆえの真っ青な海と、これまた真っ青に澄んだ空の眩しさは、今でも容易に思い出せる。だが、この日はあいにくの雨だった。雨はついさっきやんだようで、傘を持たずに歩いても雨粒一つ顔にあたらないが、空はぶ厚い雲に覆われたままである。当然ながら浜辺には誰もおらず、相太はただ、じっとりと湿った空気と生暖かい潮風にさらされながら、一人で突っ立っていた。
 しかし、家に帰ったところで安らぐことはできない。またあの鬱陶しい親戚たちの世間話に付きあわせられるだけだ。
 だったら、一人でここにいる方がマシである。相太はなんとなく、打ちよせる波に向かって歩きだした。


 そのときだった。


 突然、海が割れた。


 スルスルと相太の足元から水が引いていき、小道が現れた。
 たしかに、ここは浅瀬で、時間によっては干潮になることもある。しかし、干潮というのはもっと時間をかけて少しずつ潮が引いていくもののはずである。こんなに急激に水が消えるなんて、空想の物語か聖書の中でしか見たことがない。
 相太は少し楽しくなった。こんな珍しい現象を見ることができるなんて、運がいいこともあるものだ。周囲を確認してみるが、誰もいない。少しくらいならいいかな、と相太は靴と靴下を脱いで裾をまくりあげ、ゆっくりと小道を渡りはじめた。靴を汚したくはなかったし、なにより、突然水が戻ってきたら大変なことになるからである。
 道は、岩でできた小さな小島へと続いていた。


 島からは背の高い灯台がぬっと伸びていた。この灯台の存在は知っていたが、近くで見るのは初めてだった。今はもう使われておらず、廃墟と化している。塗装は剥がれ、手すりは錆で真っ赤に染まっており、なんとも不気味で、みすぼらしい姿だった。
 そのなんとも言えない気味の悪さに惹かれ、相太は灯台のあちこちを見て回った。そして、ふと上を見上げて、息を呑んだ。
 灯台の一番上、見張り台に人がいた。古風なひっつめ髪に、薄汚れた着物の少女だった。少女はこちらに気がついていない様子で、一言、水平線に沈みゆく夕日に向かって呟いた。
「ここの景色は変わらないねえ」
 そこからどうやって家に帰ってきたかは覚えていない。気づいたら、祖父母宅の前まで来ていた。こちらに気づいた祖母が手招きした。
「おかえり、随分と遅かったんだね。そろそろ送り火を焚くよ」


 のちに、祖父母とともに写真を整理していると、あの少女にそっくりな人物の写真が出てきた。祖父の父の妹だという。
「この人は結局、死ぬまで独り身だったねえ」と祖母が言った。すると、それに呼応するように祖父が笑った。
「ああ、元々は許嫁がいて、結婚するつもりだったらしいんだがな。その許嫁も漁師だったんだが、ある日漁に出たっきり戻ってこなかったらしい。んで、叔母さんはよく人目を盗んでは灯台にのぼって許嫁の帰りを待っていたんだとか。ほら、あの干潮のときに渡って行ける、島みたいな岩場の……まあ、今はもう使われていないがな」
「私がお嫁に来てからもそうだったよ。近所では変人扱いされていたねえ」
「もしかしたら盆のうちに帰ってきて、また灯台に行っていたりしてな」
「ありえるわねえ。ボケちゃってからも、あの場所には毎日のように行こうとしていたもの」
 二人の会話を聞きながら、相太は古ぼけた紙の中に映る、無表情の少女を見つめた。
 喜びも悲しみも感じられない、無の表情だった。
(終)
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