第二章 本編


裏切りの代償


もうすぐ終わる頃だ。
仕事を切り上げ、彼女の勤めている病院(クリニック)の駐車場に着いた樹は、スマホを手にとる。
今日は早上がりだと言っていたので、もうそろそろ電話がかかってくるだろう。
楽しく仕事に行く姿を見ていると、辞めてもらわなくて良かったと思う。
歯科衛生士の仕事は、彼女の学生時代からの夢であったから。

ー彼女の人生を、夢までも己が奪ってしまうところだったー

17年経った今でも、本当に良かったのかと不安になることがある。

(後悔なんてしてない、私は樹くんと一緒にいられる人生を選んだから)

間違ってないよ、そう言ってくれたから。

電話が鳴る。
彼女からだ。仕事が終わった後は電話をかける、これが働く際の条件の一つでもあった。

「もしもし」
「仕事、終わったよ。着替えて外に行くね」
「うん、いつものところで待っているから」
「はーい」

通話が切れた。
電話の向こうから聴こえる彼女の声を聞くと安心感を覚える。
不安なんて消えてしまう。
スタッフ用の玄関は裏手にあるので、彼女はクリニックの壁側に沿ってこちらに出てくるであろう。
朝から顔を見たのに、早くも会いたい気持ちが高まる。
そのとき、スマホが鳴った。
画面には、《蒼》と表示されている。

(こんな時間に……今は放課後の、部活のバスケをしている時間じゃないのか?)

不思議に思いながらも電話に出る。

「どうした、蒼?」
「父さん……」

第一声からただならぬ事態だと察した。

「何かあったのか?」

慎重に、ゆっくりと会話を促す。
窓の外に目をやると、彼女がこちらに向かって歩いている。
手を振ってこちらに来ていたが、樹の様子に手を止め、駆けてきた。
ドアを開けて彼女が話しかけてくる。

「なにかあったの?」

それと同時に聞こえてきた、蒼の声。

「蓮兄が、お祖父さんに……連れて行かれた」

       ※※※


「どういうことだ?」
「龍真さんから連絡あって、帰り道にお祖父さんの車が来て……」
「いつ?」
「今さっき」

隣にいる彼女も驚いている。
いつかやってくると思っていたが……
怒りが込み上げ、手に持つスマホに力が入る。

(あの人は俺が思い通りに行かない‘’駒‘’だと分かってからずっと狙っていた)

俺の子どもである、蓮を。

αの性を持つ蓮を。

「蒼、もし可能なら龍真くんと落ち合って詳しい話しを聞いて欲しい」
「分かった」

それを伝えると電話を切る。

「蓮が、お義父さんに連れて行かれたの?」

隣の彼女も不安を拭えない様子でこちらを見ている。

「ああ、あの人は蓮を、自分の良いように操るつもりだ」

かつて自分が家の言いなりになっていた時のように。

すぐに履歴から《蓮》の名前を出し発信する。
呼び出し音が鳴り、2度目で出る。

「蓮!大丈夫か!今どこにいる?」
「父さん……っ」

ガチャと音が鳴る。

「久しぶりだね、樹。可愛い孫に会いに来たんだけど、何か問題でもあるかな?」

聞きたくない声が耳に入る。

「蓮に、何をするつもりだ?」

怒りで声が荒くなるが、隣の彼女が電話の持っていない腕を持ち、首を横に振る。
落ち着いて、と言うように。
しかし相手は更にこちらの怒気をあげるような話しをする。

「蓮には将来、一ノ瀬の家を継いでもらいたいからね。こちらの学校に編入してもらおうと話していたところだ」

(それだけじゃない。目的は他にあるはずだ)

「そんなことはさせない!蓮は俺たちの子だ。あなたたちなんかに好き勝手させるものか!」
「樹くん、落ち着いて」

声を荒げる樹を、彼女は落ち着かせようとしてくれる。
しかし電話の相手は冷淡な声で言った。

「樹、お前が過去に行ったことを蓮が知ったら……どう思うかな?」
「何を……」
「母親がなぜ、βからΩになったのか。そして母親に樹、お前がした犯罪まがいの出来事……」
「それ以上話すな……」

《あの話》はきちんと子どもたちに、特に長男の蓮に話すつもりでいた。
だが、今の状況で蓮に自分が産まれた生い立ちを説明できるはずがなかった。
もし祖父から自分と母親の過去を、母親を半ば強姦するようにして繋ぎ止めたと聞かされたら……

蓮は父を、拒絶するだろう。
もしかしたら絶縁状態になるかもしれない。

以前、蓮が気になると言っていたけど、この状態で語られたくない。
樹が話さなくなったのを機会に相手は電話を切ろうとする。

「ではこのまま蓮は連れて行こうとしよう」
「ダメだ、……何が望みだ、あなたは」

分かっている。あの人が望むものは。


「樹、お前は私たちの期待を裏切った。だからその子供の蓮に優秀なαの遺伝子を、私たちが選んだΩと番になって子を成してもらう。そして一ノ瀬家を継いでもらう」

それが目的だと告げた。
ああ、やはりと樹は思った。
自分の子どもが成し遂げられなかった後継問題を、今度は孫の蓮にさせるつもりなんだと。




        ※※※


どこへ行くのか聞き出そうとしたが、やはり教えてはくれず電話は切れた。
そのあと何度掛け直しても繋がらない。

「くそっ!なんで、なんで今になって蓮を!」

力任せにドアを叩く。
怒りが収まらない。

「落ち着いて、樹くん」

不安なのは彼女も同じなのに、自分を落ち着かせようとしてくれる。
身内が、自分の父親が孫を攫い、しかも自分と同じ道具のように扱おうとしている。
目的は分かっているのに、早く助けに行きたいのに。
居場所がわからない歯痒さから自分が情けなく思う。

大切な我が子を守れないなんて。

「樹くん」

隣の彼女がこちらを見ている。
とにかく、落ち着かなければ。
頭を冷やすため、一度状況を整理した方がいい。
樹は彼女に向かって話した。

「蓮があの人に連れて行かれた。目的は昔の俺と同じ、一ノ瀬家の優秀なα性を繋ぐために、あちらが見つけたΩ性の人と番にするため」
「そんな、お義父さんは諦めていなかったの?」

彼女が蓮を身籠った日、樹たちは父親を訪ねた。
会いたくなかったがこの事実を知れば引き下がってくれる。
そう思っていた。

相変わらず冷たい視線が二人を刺す。

父親は一言、

「残念だ」

とだけ言った。
その表情からは諦めたというより失望した様子だった。

でも、蓮が誕生したあの日。

産まれてきてくれたことに幸福感を噛みしめていたあの瞬間。

第二の性が知らされた。

αだと。

一ノ瀬家は代々医者の家系だ。
その事実はあっという間に父の耳にも知れ渡ることになる。

蓮が産まれたあと、一度だけ父親が樹に会いに来たことがあった。

「おめでとう、樹。男の子だったようだね。そしてαだったと」

うすら笑いを浮かべる顔に嫌気がさす。

「これ以上、俺たち家族に近づくな」

その一言だけ告げると足早に彼女の元へと急いだ。
含みのある笑いに一抹の不安を感じながら。



         ※※
不安が現実になってしまい、どうしようかと思っていると電話が鳴った。
誰からかも見ずに通話ボタンを押す。

「父さん!」

相手は次男の蒼からだった。
「今、龍真さんと落ち合って話し、聞いていたんだけど……」
「その方面に走って、もしかして……」

心辺りがあった。

「場所、わかりそう?」

彼女が聞いてくる。

「ああ、検討はついてる」
「向かう途中で、龍真さんと俺も乗っけてよ。兄の一大事だから」
「分かった。今から走る」
「おーけー」

電話を切るとエンジンをかける。
目的の場所はおそらくーー。

車が駐車場を出て走り出した。



        ※※※


信号待ちをしているところでスマホが鳴る。この音はメッセージの知らせを受けた音だ。

「樹くん、私が見るね」

彼女が電話を触りメッセージを開く。

「蓮からだ!」

開いた文面に彼女は驚く。

《都内の◯◯料亭にいる。今のところ無事。奥にある部屋に通された。お茶飲んで待ってなさいと言われた》

「料亭……」

彼女が読み上げた文面は、やはり自分が思っていた場所だった。
信号が変わり車を発進させる。
直線道路を過ぎたところで、歩道にいる蒼たち二人を見つけた。

歩道に寄せて後部座席に二人を乗せる。

そこでふと気がついた。

お茶飲んで待ってなさいと言われた……

(まさか、そんな!)

樹は慌てて蓮に電話をかける。
しかし、何度鳴らしても相手は出ない。


「まずい!」
「樹くん……」

焦る樹に彼女も感じとったようである。

このパターン、自分が過去に飲まされた薬のやり方に似ている。


「蓮、おそらく薬を飲まされたと思う。俺と同じα性を呼び覚ます……」


αの特効薬を。

車内に緊張が走った。

一刻も早く助けに行かなければ、と。



     






続く。
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