愛しい声を聴かせて 出張編。

「おかえりなさい」

夕方、樹くんがいつになく困った様子で帰宅したので、出迎えた私と息子の蓮は何かあったのかしらとお互いの顔を見合わせた。

「実は……」

彼が1泊2日の出張に行くことになったらしい。
隣の県に研修も兼ねてらしいが、本来行くはずだった同僚が熱を出して寝込んでしまったらしい。急な話しに私は戸惑いを隠せなかった。

「それじゃあ、明日から行くことに……なるのよね」

仕事なので仕方ないのだが、それでもこんな急に決まるなんて。

「パパ、おしゅごと?」

私のスカートの裾に掴まり話す息子のあどけない表情が夫に似ていて、やはり親子だなと私は思う。
そんな私の気持ちを彼も十分理解しているようだ。

「ごめんね、断ることできなくて」

私は目を閉じ、首を振った。

「ううん。お仕事だもん。仕方ないよ、躰に気をつけてね」

大丈夫、私と蓮のことはと言い次の日、私は樹くんを息子と一緒に見送った。
普段、蓮と過ごすことが多い私はさほど気にすることなく過ごしていたのだが、夕方になるに連れ、段々と心細くなってきた。
蓮がパパは?としきりに尋ねてくるので、今日はお泊まりだから帰らないのよと言い聞かせる。
息子は寂しげな表情をするが、やはり男の子なので泣いたりしない。
こんな小さいときから我慢をさせてしまうなんて、可哀想なことをしている気持ちになる。

「蓮、寂しいよね。ごめんね」

ぎゅっと息子を抱きしめる。蓮も母親に抱きつく。
明日には帰って来るというのに、初日でこんな気持ちになるなら、一層のことついていけば良かったなと私は思うのだった。






夕食を終え、お風呂も終えた私はリビングのソファに座る。
蓮はお風呂後、なかなか眠らず大変でようやく眠りについてくれたところだった。

「ふぅ」

一息つくと、何か飲み物が欲しくなりキッチンに向かう。いつもなら彼が温かいホットミルクを用意してくれたり、その日の私の体調に合わせて躰の温まる飲み物を用意してくれる。
今は一人しかいない。
寂しさが急に私を襲う。
不安で押しつぶされそうになったとき、スマホが振動する音がした。
パタパタとリビングに向かい電話を手にする。
相手は樹くんからだった。
通話ボタンを押すと、彼の声が聞こえる。

「もしもし、もう寝てたかな?」

遠慮しがちな声で問われる。それだけで私は嬉しくなる。

「寝てないよ。さっき蓮がようやく眠ってくれて」
「ごめんね、君に負担かけて」
「そんなことないよ、私は大丈夫。そっちはどう?」

私は気丈に振る舞い、彼の様子を聞く。
いきなりの出張で戸惑いもあったが、いざ行って見ると学ぶべきところがたくさんあり、これからの仕事に活かせそうだと楽しんでいるようだった。

「そっかあ、良かったね。こっちに帰ってきたらまた詳しく聞かせてね」

樹くんの声を聴いていると無性に恋しくなる。
1日だって離れるのは嫌だと言えばいいのに、私は言えなかった。
沈黙する私に彼が尋ねてくる。

「……どうしたの?」
「な、なんでもない。電話切るね、おやすみ」

通話を切ろうとしたが、彼が待ってと静止する。

「……」

ふたたび沈黙が流れる。

聴きたい、あなたの声を、直接、この耳で。

そんな思いが私の心を駆け巡り、いつしか泣いてしまっていた。
僅かな泣き啜りが樹くんの耳に届いたのだろう。

「……泣いてる?」

私ははっとし、涙を拭う。

「だ、大丈夫。泣いてない……から」

それでも彼にはお見通しだった。

「じゃあビデオ通話に切り替えて」
「や、ダメ」
「どうして?」
「今、美容パックして怖い顔になってるから」

ダメ、見せられない、こんな泣き顔の姿なんて。

「いいよ。見せて」
「ダメ」

私はなんとか通話を切ろうとする。

「明日も朝からお仕事でしよう?早く躰を休めて」

なかなか切れない通話に私はもどかしくなる。
早く切らないと心が限界だった。
寂しい気持ちが沸いてくる。

「……寂しい」

樹くんが言った。
私の心を見透かしたように。
彼がそう思っていたのか、それとも私の気持ちを代弁したのか分からなかった。

「寂しい」

私は彼の言葉を繰り返す。
それを気に一気に思いが溢れてしまった。

「……っ、一日でもダメ、私、寂しい。あなたの姿、声が聴きたいの」

堰を切ったように涙と想いが溢れて私は蓮が寝ていると言うのに泣いてしまった。
電話越しに樹くんが静かな声で私を寝室の方へ誘導してきた。私は手の甲で涙を拭いながら彼の言葉通り寝室に向かう。
ドアを開け、電気を点けると寝室へと入る。
ベッドに上ると彼が優しく言った。

「今からビデオ通話しよう」

そう言い、私も電話からビデオ通話に切り替えた。
スマホ越しに愛しい彼の姿が映る。

「……っ」

それだけでまた涙が出てくる。

樹くんは泣き出す私の話しを聞いてくれる。
ああ、なんでこんなに遠いのだろうと思う。
たった一日触れていなかっただけでこの有様だ。
二度と離れたくない。

「ぜんぜん、大丈夫なんかじゃない、離れるのはもう、嫌」

私は自分の気持ちを樹くんにぶつけた。
一通り話すと落ち着きを取り戻した私は涙を近くに置いてあるティッシュで拭き取る。

「ごめんなさい、話し、聞いてくれて。落ち着いたから、もう大丈夫だよ」

画面越しに笑顔を見せる。明日もお仕事である彼の睡眠時間をこれ以上削らせたくない。
私はそろそろ寝ようと話しを終わらせようとした。だが、今度は彼の方が限界だったようだ。

「離れて、こんなに辛いと思ったのは初めてだ。俺だって聴きたい、君の声を、近くで」

ビデオ通話では顔は見れても、声は聴こえても、直接触れることはできない。
もどかしさを感じながら彼はこんな提案をしてきた。

「ねぇ、お願いがあるんだけど……」

私はその提案に最初は躊躇ったが、蓮が起きないぐらいの声でなら……と受け入れたのだった。



※※

次の日の夕方、出張から帰って来た樹くんはお土産を持ちながら家の扉を開ける。

「おかえりなさい!」
「パパ、おつかれしゃま!」

愛しい妻と可愛い息子に出迎えられ、笑みをこぼす。

「ただいま」

彼女も微笑んだ。この声が聴きたかったと。
電話越しでもなく、ビデオ通話越しでもない、肉声の、樹くんの声が、と。
二人の間で息子の蓮が不思議そうな顔で両親を見上げている。


昨日のことは言えるわけない、ましてや子どもに……


樹くんは私の耳元で囁く。

「昨日言ってたこと、今日、実践ね」
「っ!」

今夜私は、彼に抱きつぶすまで愛されることになるらしい。



そんな夜を迎えた話しはまた次の機会に……







END.
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