本編


樹くんと別れたのち、私は碧さんの待つカフェ店へと向かった。
店内に入ると彼は先に着いており、コーヒーを飲みながらスマホを見ていた。

「碧さん、お待たせしてすみません」

彼はスマホから目を離し、私に気づくと嬉しそうにこっちだよと呼んでくれた。
碧さんの座る席の向かい側に座ると、彼が隣に来てと言うので隣に移動し、腰をかけた。

「どこかで時間、潰してくれていたの?」
「えっ?」

特に怪しむわけでもなく、ただ聞いてきただけだと言うのにひどく驚いてしまう。

「どうしたの?」

私は何故か後ろめたい気持ちになって下を向いてしまった。

やましいことをしたわけじゃないのに。

黙る私に碧さんもどうしたのだろうと言う気持ちが大きくなってきたのだろう。
その際、私の鞄からはみ出た雑誌が彼の目にとまる。

「その本、買ったの?」
「あ、これ、そう!この雑誌買ってて」

私は鞄から取り出して雑誌の内容を説明する。
同じ職種の為、碧さんもかなり関心があるようで見せて欲しいと言ってきた。
《歯科衛生士の心得とは》のタイトルに彼は頷く。

「これは役に立つ。基本に戻ることはとても大切なことだし」

うん、と一人納得すると私の方を向く。

「ゆっくり、読まない?その……」
「……うん、そうたね」

何を言わんとしているのか彼の目を見れば一目瞭然だった。
私たち二人は席を立ち、カフェ店を出ると碧さんの自宅へと歩いてゆくのだった。






碧さんのマンションに着いたあと、一緒に夕食を終えると二人してリビングで雑誌を見、今の現場に欠けていること、実施していて良かった点などをあげて意見を交換していた。
ふと机の置き時計に目を向けると夜の11時を回っていた。

「碧さん、そろそろ……」
「わぁ、話し込んでいたらこんな時間に。じゃあシャワー浴びて寝よっか」

雑誌を置くと彼が手を差し出してきた。

「一緒に入る?」

私は頬を赤らめて碧さんの手に手を重ねた。
触れたその瞬間、脳裏に樹くんの姿が浮かび、思わず手を引っ込めてしまう。

「……っ!」
「大丈夫?」

碧さんは心配そうに私の背中を撫でてくれている。
私はなんでもないのと言い、お風呂は別々に入りましょうと話した。
彼は残念と言う表情をしながらも、私の気持ちを尊重し、先に浴びてくるねと浴室へと向かって行った。

私は力無くソファに座り込んでしまう。
どうして、樹くんのことを思い出してしまったのだろう。

浴室から水の流れる音がする。

「私……どうしちゃったんだろう……」

机に置かれた雑誌に目をやる。

ー医者としてこれからは歯科業界ともっと関わって行かなければならないと思う。君さえ良ければ現場で働く歯科衛生士としての意見を聞きたいんだー

他職種との交流を目的として承諾した。

だだそれだけなのに私は、ひどく悩みの種を持った気がしてならなかった。

不意に着信が鳴った。

私はビクッと躰を縮こませ、恐る恐るスマホを手にする。
表示されていた相手の名は、樹くんだった。

ボタンを押すか迷っているうちに人差し指が通話ボタンを押してしまう。
私は慌てたが、まだ碧さんが出てくる様子はない。

控えめの声でスマホを耳を当てた。

「はい」
「夜分にごめんね。寝ようとしていた頃だったら申し訳ない」
「いえ、大丈夫です。これからお風呂に入って寝るところですので」

夕方出会った樹くんの声がスマホ越しに聴こえてくる。

懐かしく、そしてあの過去を思い出してしまう声を。

私はできるだけ声のトーンを落として問いかけた。

「何か、御用でしょうか?」

樹くんは手短にすると言い、私に話してきた。

「他職種の意見交換について話し合いたいんだけれど、今から言う日にちに時間、作れるかな?」

彼の言う日程はちょうど私の仕事休みの日だった。
その日は碧さんは遅番で帰りが遅い。

私は悩んだ。

帰りの遅い日は大抵、碧さんのマンションで夕食を作って待っていることが多い。
今回のシフトが出来たときも彼とそう言う話しをしていたからだ。
押し黙る私に樹くんが無理かな?日にち変えた方が良さそうだねと言ってきたので思わず、大丈夫!と答えてしまった。

返答した後、しまったと心の中で思う。
電話越しに彼がその日の待ち合わせ場所や、時間を言ってくれたが、半分私は聞いていなかった。

碧さんとの約束、どうしょう?

そちらに気が回ってしまっていたからだ。

最後に彼が当日、よろしくねと言い、通話が切れた。
私はスマホを耳から離すと約束の日をカレンダーで再確認する。

そこへシャワーを終えた碧さんが頭を拭きながらリビングへと戻ってきた。

「電話持ってどうしたの?メール?」
「え、あ……そう、友達から」
「そうなんだ、その友達の子も遅くまで働いているのかな」

大変だねと碧さんはその相手の立場についても考えて物事を言ってくれる。

そう言う気遣いのできる彼を私は好きになったのだ。


ー強引に、自分のモノにしようとした樹くんとは違うー


けれど先程思わず了解の返事をしてしまった。
それには私自身、後ろめたい過去が邪魔をしているように思えてならなかった。

「お風呂、入ってくるね」

気分を変えようとシャワーを浴びに浴室へと足を向かわせた。
何故だかわからないがスマホも持ってきてしまう。
脱衣室のカゴに置くとメッセージが入る。

樹くんからだった。

私は息を呑む。
よく机の上に置きっぱなしにしなかったものだ。

メッセージには先程話した日時、場所とご丁寧に分かりやすい地図まで載せてくれてあった。

メッセージの最後に、おやすみなさいと記載されていた。

その文面から私はなんとなくホッとしてしまう。

そう、これは他職種との関係性を語り合う為の集まりだ。

やましいことは一つもない。

私の好きな人は、東城 碧 と言う男性だ。

私はメッセージに分かりました、ありがとうございます、おやすみなさいと短文で返事を送るとシャワーを浴び始めた。

入浴後、碧さんとシャワーを浴びた熱い躰をさらに熱くするような情交を行い、私の心は満たされてゆくのだった。






続く。









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