本編
「どうしたの?」
碧さんが私の名を呼んでいる。
彼とお休みが一緒だったので今日は近くのスイーツ店に、期間限定のデザートを食しに来ていた。
前から行きたいと私が言っていたことを彼は覚えてくれていたようで私も楽しみにしていた。
だが先日、樹くんの姿を見かけてから私は過去の記憶に悩まされていた。
二年前、強制的に発情させられた彼は親の決めたΩの女性と番を結んだ。
私は助けを求めた彼に会いに行かなかった。
その後、私の家にやって来た彼が放った言葉。
ーどうして助けに来てくれなかったのー
そのフレーズが脳裏に浮かび、何度振り払おうとしても消えなかった。
「あ……ううん、なんでもない」
目の前にはサクサクのコーンの上に苺味のアイスクリームが乗り、アイスの部分には彩りに花柄の食用チップが散りばめられていた。
碧さんと出掛けるのを楽しみにしていたはずなのに、何故今になって思い出してしまうのだろう?
過去はもう振り返らない、前を向いて新しい人生を、私は彼と歩んでゆきたい。
そう思いスプーン手にし、一口食べた。
甘い苺のアイスと、食用チップが意外にも塩味というところが絶妙にマッチしており、これは美味しいと舌鼓を打つ。
「待った甲斐があったぁ!美味しい!」
ぱくぱくと食べだした私を、碧さんは笑顔で見ている。
「良かった、ちょっと元気ないのかもって思ってたから。でも、それだけ美味しく食べてくれてたら安心したよ」
私はスプーンを置く。
「ごめんなさい、心配かけて」
私の迷いが碧さんを不安にさせている。
考えないようにしないと、と彼を見ると突然彼が吹き出した。
「な、なんですか?」
「アイス、口元について髭みたい!」
「なっ!」
彼は笑いながら私の口元に手を持ってくるとついたアイス指先で拭い、その指先をペロっと舐めた。
「うん!美味しい!僕も頼もうかな?」
「碧さん!」
店内には他のお客さんもいるのにと怒ると、碧さんはごめんごめん、と謝りつつもにこにこしていた。
恥ずかしいけれど、嫌じゃない。
このまま、この人と一緒にいたいと私は思うのだった。
※
それからしばらく私と碧さんはお仕事に勤しんでいた。
同じ職場ということもあって休みが被らないこともあり、なかなか彼と過ごせる時間が作れなかったのだ。
ようやく二人とも休みという日ができ、休みの前日に碧さんのマンションへ泊まる予定を私は立てる。
碧さんもやっと一緒に過ごせるよととても楽しみにしていた。
当日、私は早番で彼の仕事が終わるまで時間を潰し、待ち合わせのカフェで待つことにした。
待ち時間に立ち寄った本屋で見かけた『歯科衛生士の心得とは』というイラスト付きの本を発見し、私は《初心忘れるべからず!》と思い、その本を購入する。
その足で少し早いが待ち合わせのカフェに行くと私はアイスコーヒーを頼み、買ってきた本を読むことにした。
基本的なことをおさらいするようだが、学び直すことでまたさらに患者さんに対する対応の仕方を工夫、声の掛け方などを再確認することができるのだ。
「なるほど、いざ仕事をし出すと忘れがちになることも書いてあるわ、勉強になる」
頼んだアイスコーヒーにミルクを入れ、飲みながら夢中で本を読む。
こんなに集中して本を読むなんて久しぶりだった。
気がつくと窓の外が暗くなっていた。
そろそろ碧さんの仕事も終わる時間だと思いながら私は再び本に目を落とす。
「相席、いいかな?」
「あ、どうぞ」
私は顔も上げずに返事をした。
仕事終わりの客がやって来たのだろう、席が足りなくなり、店員さんが相席を案内したのだろうと私は思っていた。
黙々と本を読んでいた私の目の端に、店員さんの姿が映る。
(え……こっちに店員さんがいる?)
そこで私は本から目を離し、顔を上げた。
向かいの席に座る相手。
黒髪に、灰青色の瞳。
少し大人びていたが、変わらない姿。
私の振り払おうとした過去の記憶と今とが、目の前にいる彼と完全に一致した。
「……樹くん……」
私は目を見開いて彼の名前を口にするのだった。
続く。