ー運命の歯車ー 


駅に着いた途端私たちを待ち構えていたのは樹くんの両親、一族の者たちだった。彼は両親たちに連れて行かれ、私たちの関係は終わりを迎える。

「俺の運命の番はあなただけだ!お願い、一緒にいて!」

去り際、樹くんは悲痛な叫びをあげながら私の名前を何度も呼んでいた。
私は、その姿が脳裏に焼きついて離れなかった。




※※

しばらくは心が落ち着かない日が続いたがやっと気持ちも安定し、私は前職を辞め、以前と違う職場の歯科衛生士の仕事に再就職した。

新しく就職した職場には、αやΩはもちろん私と同じβの人々が働いていた。αの者を見る度、私は彼との事件を思い出し、心が騒つき眠れない日もあった。本当は避けたかったが、逆に紛れ込むことで自分の身を守れるのではないかと考えたのだ。
α、Ωにある発情期を、私は感じ取ることはできない。しかし雰囲気でなんとなくだが、分かるようになってきた。
そのおかげか、少しずつ周りに溶け込んでいくことができるようになったのだ。
その中でも同じβ性のある男性と、私は仲良くなった。きっかけはお昼休み、私が手作りのお弁当を開けていたときだった。

「美味しそう。君が作ったの?」

2歳年上の、先輩歯科衛生士さん。
茶色の短髪に焦茶の瞳を持つ、ごく普通の男性であった。
私は最初警戒したが彼の優しさに、どんどん心が動かされていくのを感じた。
そして、お弁当の出会いをきっかけに、私は彼と話しをすることが多くなっていく。
付き合う……というところまではまだいかないものの、ほんの少し、異性と関わることに慣れていく自分がいた。


樹くんとの関係が終わりを告げ、3ヶ月が経った頃だった。
やっと自分の幸せや、仕事にやりがいを見つけ出した私に悲劇がおこる。

生理がこない。
あの激しい情事のあと、忙しい毎日を過ごしていた私は気づくのに遅れてしまったのだ。

まさか……とは思い、仕事帰りにドラッグストアで人生初の妊娠検査薬を購入する。
自宅のアパートまでの道のりが遠く感じた。
玄関を開けるとあの日、この部屋でおきた出来事が不意に脳裏に浮かぶ。

「あれは過去。もうおきないこと」

私は過去を振り払うと買ってきた検査薬で調べることにした。

「大丈夫、きっといろんなことがあって躰が疲れていたんだわ。体調が戻れば落ち着くはず」

そんな気持ちで私は検査を行った。
判定結果が出るまでの時間が長く感じる。

そして、市販の検査薬の窓に判定が出た。



窓には赤い線がくっきりと出ていた。
それは私の躰が妊娠していることを示している。

私は言葉を失った。


あの日から、私は誰とも躰を重ねてはいない。
だとするとお腹の子は……

まだ膨らんでいないお腹に手を当てる。


樹くんの子に違いなかった。




※※

次の日、検査薬では信じられない私は休みを取って市内の産婦人科を受診した。

万が一、本当に妊娠していたら……

問診票に記入し、順番を待つ。
周りには夫婦で受診に来ている者やすでにお腹の大きい妊婦さんもいる。幸せいっぱいの家庭を見ると私は無性に辛くなった。

(私は、この子を産むことはできないかも知れない……)


しばらくして名前を呼ばれ、診察室に入る。問診票に書いた内容の確認と、現在の体調などを聞かれる。
そして諸々の検査の結果、私はやはり妊娠していた。
ベッドに横になると先生が私のお腹にエコーを
あてる。

「ほら、心拍も聞こえるでしょう?これが手足なんだけど、まだちょっと分かりづらいかな?」

あと性別もまだわからないわねと先生が映ったエコーの画面を指差しながら説明してくれた。


ー私のお腹の中で懸命にこの子は生きようとしているー


自然と涙が溢れた。
口元に手を当てたが、漏れた声が嗚咽となって診察室に響く。


先生は私が落ち着くまで待ってくれていた。






落ち着いたのち、私は先生からもっとも重要なことを尋ねられた。

「あなたは、どうしたいの?」

おそらく問診票に書いたパートナーの欄が空白だったことに懸念したのだろう。
私は一呼吸置いた後、答えた。

「私は、この子を産みたいです。寂しい思いもさせるかも知れない。でも、エコーを見て決心しました。私はこの子と一緒に生きたい」

この気持ちはもしかしたら妊娠し、母性ホルモンが働いているのかも知れなかったが、私はもう迷わなかった。

(片親でも精一杯この子を愛したい)

決断した私の顔はすでに母親の姿へと変わっているのだった。


先生は私の話しを聞いて、これから気をつけることや定期検診には必ず来ること、最後に母子共に健康にねと言ってくれた。

会計を済ませ、病院を出る。

受診に来た時と違う、晴々とした心が私を満たしていた。


再びお腹に触れる。

「元気に産まれてきてね」

空を見上げると、私の決意を表したように青空が広がっていた。





※※

仕事場へ説明するのに時間がかかったが、年上の彼がうまく話してくれたおかげで私は辞めることなく続けることができた。

私の妊娠を知り、しかも私が一人で産んで育てると言った際、彼は驚いていた。

無理もない、ひとり親だと何かと苦労が多いのは目に見えている。
なので彼は一緒に暮らさないかと提案してくれた。
ありがたい話しだったが実家の父に相談してから決めたいと伝える。

彼はそれで納得してくれた。職場にいるときは頼ってくれて良いと言ってくれる。

「ありがとう、ございます……」

お礼を言うのが今の私には精一杯だった。

それから実家に帰り、事の次第を説明した私は産みたいと父に話す。
父は私の話しをゆっくり聴いてくれた。そして彼と同じように私の気持ちを最優先に考えてくれ、協力してくれると言うので、彼と一緒に住む話しは今のところ無しとなった。

頼れる人がいて、私は幸せだなと思うのだった。




※※※

それから月日は流れ、私は出産した。
産まれた子は男の子で、名前は《蓮》と名づけた。
黒髪に私と同じ茶色の瞳。
やはり樹くんの子に間違いなかったがそれでも産まれた子は愛おしく、私はひとり親でも寂しくならないよう、たくさんの愛情を蓮に注いだ。

父と同じように私をサポートしてくれた年上の彼も、蓮のことを可愛がってくれ、本当の親子のように思えてくる。
仕事の方も復帰し、実父が私の不在時には蓮を見てくれ、私は今の生活を維持する為に懸命に働いた。

帰宅すると蓮は実父と一緒に私を出迎えてくれる。

「ママぁ、おかえりっ」
「ただいま、蓮」


息子は現在2歳になり、言葉をよく話すようになった。

小さな喜びが私にとって幸せに変わる。

一日一日が蓮の成長と驚きでいっぱいだったある日、年上の彼が言った。

「結婚……しないか?僕たち」
「……でも」

私は蓮のことがあり、一歩踏み出せないでいた。
だか彼は私と蓮のことを含めて家族になりたいと言ってくれる。

素直に嬉しいと思った。

でもすぐに返事はできないと言い、保留にしてもらった。

父に話すと《こんな良い話しはない、お前は幸せになる権利があるんだよ》と背中を押してくれる。
幸い蓮も彼に懐いているので、問題はなかった。
今度の同じ休みにお互いの両親に会って挨拶しようと連絡を取り付ける。

そして今日は仕事がお休みで久しぶりに蓮を連れ、私は買い物にやって来た。

「ママ、あれなに?」
「ん、どれ?」

立ち止まり、蓮の目線の高さまでしゃがむ。

「あれはね……」

この頃、蓮は見るもの全てに興味を示している。
好奇心旺盛なのはいいのかも知れないが、私はそっと蓮の頬に触れた。
光の加減によって蓮の瞳が灰青色に見えることがある。髪質も彼と同じ黒。
産まれた頃よりますます樹くんに似てきてしまうのが正直辛い。
私を見つめる蓮の姿が彼と重なる。

「……っ」

私は蓮から目を逸らしてしまう。

「ママ?」

どうしたのと頬に触れた手を蓮は握る。
私は我に返り蓮を抱きしめた。

「ううん、なんでもない。大好きよ、蓮」
「うん!」

母親から抱きしめられ、蓮は機嫌良く頷く。
そう、私はこの子を育てると決めたのだ、揺らいではいけない。
そう自分にいい聞かせ、私は蓮の手を引いた。

「蓮、美味しい物食べに行こうか?」
「おいしい……いく!」

何食べようかなと笑顔が可愛い我が子に話しかけていた矢先、ふと気配を感じた。


人混みの中、はっきりとわかる視線。
会わなくなって3年近くが経ったが、忘れていた記憶が私を呼び覚ます。

「……樹くん」

彼はこの3年、どのような心境で過ごしていたのだろうか。
顔立ちは以前より大人っぽくなっており、隣には婚約者であろう女性がいる。
私は視線を逸らし、蓮の手を引いてその場を去った。

会っては行けない人物に出会ってしまった。


私の運命の歯車は、再び周り出したのかも知れない。









続く。
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