ふたつの傷痕
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──────
妹さんを迎えに行けたので日雇いをやめて仕事を探すから忙しくなると了くんから連絡があった。了くんが塀の中にいる時に水谷さんから聞いて、一緒にお墓参りもさせて貰ったけど、まだ了くんからはご両親の話は出ないので私も何も言っていない。気付いてるだろうからって事なのかは分からないけど、了くんはいつも知っている前提で話す。
了くん意外にマメだよな、と考えて、外で会ったら私が突撃してくるのを避けるための牽制なのかも知れないと気がついた時には手間をかけさせて申し訳なくなった。でもくっついて良いって言ったもんね!遠回しに!
了くんの誕生日まであと半年くらいか。上質な肌触りの箱を撫でて立ち上がる。よし。了くんは行きそうにないし、私が報告しに行こう!
部屋着から私服に着替えて鞄を持って外に出た。とりあえず花屋さんに向かう。この前行った所で良いかな。商店街のお花屋さんに寄ってお花を買った。包んでもらっている間お喋り好きなおばさまと雑談をしていると爽やかなお兄さんが「ただいま」と話を割り、おばさまが「おかえり、達也」と返した。息子さん好青年だな。
「ねえ、どう?うちの息子」
「へ?ああ、素敵な方ですね」
「本当?あれでもね、ボクサーなのよ」
「プロボクサーですか!?すごいっ」
こんな近くにプロボクサーがいるなんて。了くんの先輩だ!視線をやると「お客さんに何言ってんだよ」と呆れつつ挨拶をしてくれた。見れば見るほどとても拳でお金を稼いでいる人には見えない。スポーツマンって言われたら…そうかも。
「てことはお花屋さんでボクサー…ふふ、なんだかギャップがあって良いですね」
「まあっ!」
「そ、そう…かな」
ほっぺを照れ臭そうにかいている息子さんを笑いながら腕時計を確認すると少し長居してしまったみたいだ。午前中に済ませてしまいたいのでそろそろ行かないと。
「ごめんなさい、お喋りに夢中になり過ぎましたね。そろそろ行きます」
「ああ、ごめんなさいね引き止めて」
「いいえ、また来ますね」
お花を受け取っておばさまとお兄さんに頭を下げてからお花屋さんを後にする。ボクサーかあ。ちょっとお話し聞いてみたかった気もするな。でもプロだし、詳しいルールも知らない一般人にあれこれ聞かれたら普通は嫌だよね…。やっぱり自分で調べよう!ルール本とか雑誌とかあるかもだし帰りは本屋に寄ろうかな。
目的地に着くと入る前に足を止めて深呼吸する。笑顔を思い出すと瞼が熱くなるけど今日は嬉しい報告なんだから落ち着かないと。同じ形の石が並ぶそこに目をやって一つずつ文字を追って行く。遠目に人影が見え深く考えずに近づいて、気がついた。
「あ」
思わず出た声を飲み込む様に口を押さえる。まだあちらには気付かれていない。そっと数歩後退りをして踵を返した時だった。なんかこっちを見られた気配がしたけど、ううん気のせいかも。早歩きで来た道を戻って影に身を潜める。しゃがんでお花で顔を隠してため息をついた。日を改めるべきだった。嬉しい報告なんだもんそりゃあしたいよね。「おい」意外にマメだって今朝思ったばっかりだったのに!「なんでいる」なんで私ってこう、間が悪いんだろ
「……樹」
「ひゃあっ!人違いですっ…うそです…」
気付かないふりで乗り切ろうとしたら名前を呼ばれてきゅんに負けてしまった。なんでも武器になるのずるい。惚けようとしたらめちゃくちゃ怖い顔になったのですぐに取り消す。様子を伺うんじゃなかった…「水谷さんか」とため息をつかれてあのそのええとを繰り返して謝ると別に良いよ、と壁に背を預けた。
「…ご報告ですか?」
「ああ、久美がどうしてもと聞かなくてな。ったく、うるせえとこばっかり似てきやがる」
「あはは。了くんママ、アグレッシブだもんね。ちらっと妹さん見えたけど、美人なところもそっくりじゃん」
「ああ?なんでお前がお袋のこと知ってんだよ」
「…………なんか用事思い出したかも」
しまった会えたのが嬉しいからって話し過ぎた。勢い良く立ち上がって去ろうとすると肩を掴まれて簡単に引き戻される。目を合わせたら、おわる!
「テメエ、なにか隠してやがるな?吐けっ」
「そ、その…えーっと、ううっ」
数分も保たずに視線の圧に負けて口を開いた。最初はリダイヤルで電話がかかってきた事。それからも何度か連絡が来て、話すうちに会うことになった事。断れず二回くらいお茶した事を掻い摘んで話すと了くんの口の端がひくひくと痙攣した。
「了くんにはまだ黙ってて欲しいと言われて、…今になります…」
「はぁ…迷惑かけたな」
「いえっ!私も、色々良くしていただいて…本当に、嬉しかった…から」
また笑顔を思い出して寂しくなる。了くんの手が伸びて来てくしゃ、と頭を撫でてくれたので気持ちを持ち直した。了くんママ、すごく了くんの事を心配してたからな。心配無いくらい優しいお兄ちゃんだって伝えなきゃ。
「お兄ちゃん?どこ行っちゃったの?」
「…来い。紹介するよ」
微かに妹さんの声がして了くんが私を見て顎で着いてくるよう示してくれた。い、妹さんに紹介…!一大イベント過ぎる!正直めちゃくちゃ嬉しい、けど。今日はやっと一緒に暮らせるって報告しに来た日なのに、家族じゃない私が出て行ったらきっと妹さんを不安にさせてしまう。今日は家族だけの日であるべきだ
「嬉しい、けど…今日は戸惑わせちゃう気がするから。また今度の機会にする」
「…そうか」
一つ頷いてから気を付けて帰れよ。と手の甲でぐりぐりと頬を撫でてくれた。嬉しい。甘やかし上手さんめ。緩む頬を押さえながら了くんもね。と見送ると背を向けて妹さんに見える位置に移動した。声をかけない所が了くんらしい。
「あ、いたっ!もーっお兄ちゃん!」
元気な声に目尻が下がる。今日は背中を見送る事はせず妹さんが横を通り過ぎてから二人のご両親の元に向かう。後ろの楽しげな声がくすぐったくて胸に花を抱き直した。凄いな、二人とも。話したい事を数えながらいつも「最近、了の様子はどう?」から会話が始まっていたのを思い出して口元が緩んだ。
────後ろを気にしながらこちらに向かってくる妹を待ちながら樹の背中を見送る。まさかお袋が構い倒していたとは思っておらず口の中が苦くなった。樹の性格じゃ何だかんだ尻尾をふってついて行くだろうし、お袋のあの含みのある視線を思い出す。なるべくして成ったと思えば諦めもつくか。
「綺麗な人…お兄ちゃん見た?あの人すごく美人だったね」
「…………」
「もうっ」
やけにあいつを気にすると思ったら顔を見てやがったのか。オレとは違う意味で目立つ顔をしているとは思っているが妹に言われるとむず痒くて眉間に皺が寄る。明るく快活で物怖じしない。さぞかし万人に愛されて居るだろうにオレなんかを選んだ物好きでおかしな奴。
上気した肌、濡れた視線、柔らかな唇。日向のような笑顔とは似ても似つかない自分にだけ見せる表情を思い出して慌てて思考から追い出す。こんな事を考えている場合じゃねえ。母親の事だから樹に色々吹き込んでいるに違いねえ。今度時間作って洗いざらい吐かせねえと。その為に帰ったら妹に飯を食わせて直ぐ動く。
「ねえお兄ちゃん。彼女はどうしたの?」
「あ?」
「前、良く夜に電話してたでしょ。上手く行ってる?」
「うるせえ」
「振られちゃったの?」
「…………」
「なんだあ。つまんないの」
腕を引いて楽しそうに話す姿が被って見える。そう思えばあいつはもっとくっついて、なんと言うか妹とは全然違う。比べる程にあいつから女を感じてそのむず痒さをため息にして逃した。それにしても妹にまでバレてたのか。こいつが寝てるような時間にしか連絡してねえのに、女ってのは本当にこう言う事に目敏い生き物で嫌になる。
「…その…私のせい、だったり…」
「ああ?」
「お兄ちゃんずっと忙しいから、そのせいで別れ「てねえ」
「え?」
「別れてねえよ。くだらねえこと喋ってねえでとっとと帰るぞ」
「ええ!?まだ続いてるの!?本当に!?」
「うるせえっつってんだろっ!」
無視してやるのを決め込んで速足で歩くと後ろから「お母さんが話してたの、本当なんだ」と聞き捨てならない言葉が聞こえた。続きを促せば「お兄ちゃんには可愛くて健気な彼女がいて、ああ言う子が娘になってくれたら安心なのにっていつも言ってた」と。いつもってなんだ。知らねえぞ。なんだそりゃあ。
態度に出した覚えは無いのにオレが樹を手放せない事を見越していたかの様な口ぶりに眉間に皺がよる。何度も捨てようとした。あの日だって口汚い言葉で罵って泣いて怯える顔を見てやるつもりだったのに、会った途端泣き縋られて気付けば小さな身体をへし折る勢いで閉じ込めていた。
知らねえ言葉を散々吐き散らすのを聞きながら細い指で撫でられると何も考えられなくなる。オレの内側に入り込んで居座ろうとする。不快だ。それなのにこれの終わりを思うと背筋が凍った。どうにもならない現実に苛立って明るい声を求めて後悔すれば、樹は直ぐにオレだと気が付いて悟ったように他愛の無い話を聞かせ暗い気持ちを溶かした。いつの間にかそこまでの距離を許してしまっていた。樹がオレに本気なのはもう分かってる。かと言ってオレがアイツの望むものをやれるとも思わない。ただでさえ人並みの事をしようとしても邪魔が入ってまともに身動き出来なくなるのに自分と妹ともう一人、なんてとても考えられない。
なにもしてやれないなら離れてやるべきだ。なのにあろう事か樹は自分自身に首輪をつけて別れるくらいならいくらでもオレを待つと言った。分かって言ってんのか?オレとの関係を目に見える物に変えた意味を。だったらもうオレのものだ。引き込んで、閉じ込めて、手足を捥いで連れ去ってやる。たとえそこが不幸の沼の中だとしてもだ。
「うふふ、そっかあ。今度紹介してねっ」
妹の弾んだ声を無視して足を進める。お茶をしたとか何とか言ってたがまさか無茶な事言われてねえだろうな。思ってたより深刻かもしれない事態に眉を顰めた。帰りにポカポカ弁当に寄って昼メシを調達して家に帰る。机に弁当を置いて上着をかけていると妹が不思議そうに声をあげた
「あれ、お兄ちゃんなんか落ちたよ。ゴミ…写真?え!?」
「あ?」
「ちょ、ちょっと待ってこの人!」
何度も握りつぶしたせいで皺が寄ってしまっているボロボロの写真を急いで取り上げて何事も無かったかのようにポケットにしまった。
「さっきすれ違った人じゃない!?お兄ちゃんの彼女だったの!?」
「とっとと飯食うぞ」
「なんで教えてくれなかったのよーっ!」
「……言ったよ」
煩さに耐えかねて今日だとお前が戸惑うかもしれねえから今度紹介してくれってよ。弁当を開きながら何でもない事のように話して嵐が去るのを待つ。
「絶対よっ!絶対だからねっ!」
「…………」
「お兄ちゃんっ!」
面倒くせえな。こんなにうるせえならさっき紹介した方が良かった気がしてくる。ただ樹がいつも妹の事を考えてくれているのを知っているので恨み言を言うわけにもいかず、騒ぐ妹の話を受け流しながらこれを日常にする為に目の前の問題を静かに見据えた
──────
今日は朝から雪が降っていて学校が終わる頃には積もっていた。帰りに友達と公園に寄って雪遊びをしていると小さい子まで集まって、みんなで色んな雪だるまを作っていた。もう直ぐ学年も上がるし、クラスも変わるかもしれないからね。雪遊びなんてそう出来るものじゃないし。いくつになっても雪遊びは楽しいし!
「わ、もうこんな時間。今日家族と外食するんだった」
「そろそろ帰ろっか。樹も帰ろ」
「寒いから自販機で飲み物買おうかなあ。先帰っていいよ」
「おっけー。また明日ね」
友達とも小さい子とも手を振って別れる。流石にちょっとはしゃぎ過ぎた。手を擦りながら公園を出て自動販売機の前に立って悩みながらもホットココアを選ぶ。素手で掴むには熱すぎる缶を何とか開けて目一杯伸ばした服の裾で挟みながら暖を取る。優しい甘みが食道に沁みる。そのまま帰るつもりだったけど公園の前を通るともう誰も居なくなっていていろんな形の雪だるまがぽつぽつ置いてある。かわいい。
もう一度公園に足を踏み入れて自分が作った雪だるまと雪うさぎの元へ帰って来ると雪うさぎの目が地面に落ちていた。うーん。もう帰るけど、せめて今だけは完璧な雪うさぎでいて欲しい。仕方なく冷たい雪の上に缶を置いて目を付け直す。沢山の仲間たちが揃っている様子はとても可愛らしくて、カメラを持ってくれば良かったと思わずにはいられない。
「ふふふ」
「なにをやってんのかと思えばやっぱりお前か」
「ん!了くん!」
大好きな声に振り向くと了くんがいた。コート!コート着てる!かっこいい〜!両手を広げて抱き着こうとして気がついた。突撃しちゃダメな時期だっけ。
「あ、危なかった…もう少しで抱き付いちゃう所だった」
「あ?なんだよそりゃ」
「んん、抱き付いたら離れ難くなっちゃうから」
置いていたココアを持って手を温めるももう随分温くなっていた。冷たくなる前に飲まなきゃ。
「…まさかこれ、全部お前が作ったとか言うんじゃねえだろうな」
「ふふふ。そう言いたい所だけど違うの。みんなで遊んでたんだあ。私も今帰るところ」
雪だるまの量に引き気味な了くんが面白くて笑ってしまう。ガキだと言われて了くんと一つしか変わらないと言うとポケットに隠れていた手が私の鼻をつまんだ。温いを通り越して熱い。
「りょーぐんほかほかだえ、くふふ」
「馬鹿野郎お前が冷えてんだよ」
鼻を摘まれて上手く喋れないのが面白くて笑ったら両手でほっぺを包まれてきゅんとする。了くんそれ、キスする時にするやつ。罪な男だ。
「風邪ひくぞ」
「大丈夫!たのしかったからよしっ」
「満足したならもう帰れ。送ってく」
「え、いいのっ!?」
「今日はもう終いだ。オレも帰る」
私のマフラーを鼻を隠すように巻き直してくれる。うう優しい…!寄り道して良かった!
「あ、待って十秒!十秒ください!」
「なんだよ、」
ココアが当たらないように気を付けながら良いと言われる前にさっき我慢したハグをする。そうか。初めからこうすれば良かったんだ。ゆっくり十秒数えて了くんを見上げると目が合った。
「ふふ、準備完了。行けます」
十秒以上経っているけど何も言われないのを良い事に時間をかけて離れる。今はココアを持っているので腕に抱き付けない。早く飲まなきゃ。腕を組んでココアに口をつけると冷たくて震えた。やっちゃった。お行儀悪いけど歩きながら急いで飲んで、自動販売機の横を通りかかった時に缶をゴミ箱に入れる。うう、寒い。了くんが巻き直してくれたマフラーを引き上げて両手で抱き付くと凄く収まりが良い。
「今日もジムだったの?」
「ああ」
「了くんはすごいなあ。いつもお疲れ様です」
別に何も凄かねえよと暗い声が聞こえる。了くんの自己評価が低すぎる。ジムに通いつつ二つしか違わない妹の生活を支えてるのにすごく無い訳ないのに。私が褒めて肯定感を爆上げさせねばならない。自分に厳しいのかな。うーん。
「見た事あると思ったら…金盗んだのは女侍らせる為かよ。女を買うのも金かかるもんな」
やっぱりな、なんて吐き捨てるおじさんがいつの間にか目の前にいて、お揃いの指輪をした隣の奥さんらしき人にこいつが例の、なんて話してる。了くんは黙ったまま私を半歩下がらせて立ち止まった。ふーん。なんか嫌な感じがするおじさんだなあ。出来るだけ声色を明るくするのを意識しながら息を吸い込んだ
「あ、こんにちは!今日は奥さまとご一緒じゃないんですね?ご家族の方ですか?お世話になってますっ」
「え?」
「な、何言って」
「先を急ぐので失礼しますね」
腕を引いて速足で立ち去る。背後でおじさんの弁明を聞きながら笑うと了くんがこっちを見てた。
「不倫ってお金がかかるんだねえ」
「お前、他所の人間関係まで把握してんのか」
「ううん適当。よく知らない人だったし」
でもなんか当たってたみたい。驚いてる了くんを見て笑ってると口をへの字にした。本当に盗んでるって思わないのか、だなんて愚問過ぎる。妹さんをちゃんと育てるって決めた了くんがそうする所が想像できない。
「私と一つしか違わないのに、了くんは本当に凄いよ」
聞いたくせに音が鳴りそうなほど歯噛みしてそっぽを向いてしまった。なんか最近二人の時間邪魔され過ぎてない!?送ってもらうくらいしかデートできないのに!待つけど。全然待てるけどね!今日だって本当は会えなかったんだし、デートできるだけ良しとしよう
「ねえ、ああ言うの、良くあるの?」
「………」
「んん、許せないっ」
「ああ言う事はもうしなくて良い。お前まで目ェつけられちまう」
「それは大丈夫だけど、つい、ううん…がんばる」
了くんが嫌な思いをしなくても良い職場、かあ。なるべく人に会わないで、できれば一人で作業ができて、密室にならないようなとこ…うーん、そんな職あるかな…
「へ、了くん?」
急に行き先が変わって声をかけると私を無視して突き進む。いつか了くんに引き込まれた路地に着くと電柱の影に押し込まれた。了くんのコートの中に収まってしまったので、もう周りからは私は見えないはずだ。私からも了くんしか見えなくてドキドキしてどうにかなりそう…
目を合わせると熱い唇が目尻に降ってきた。
「んわ、了くんっ」
「じっとしてろ」
段々唇が降りてきて、くすぐったい様な気持ちい様な痺れに小さく声が漏れてしまう。体を捩ると熱い手が私の頬を抑えて逆の頬に唇が押し付けられた。おでこを擦り寄せられて息が詰まる。甘えられてるみたいだ。鼻が当たって吐息が唇に届くと慌てて了くんの唇を指で押さえた。しちゃうつもりだったのかな。惜しい事しちゃったかも。結婚したいって思ってくれたのかもしれないのにっ!
何とかもう一回その気になってくれないかな。動きが止まってしまった了くんを無視して誘う様に指の上から何度もキスをする。するとまた擦り寄ってくれたので嬉しくて声が漏れた
「は、ふふ。了くん猫ちゃんみたいになっちゃった」
了くんの胸に置いていた手を伸ばして両手で首に縋り付いた。背伸びをして私も了くんを真似して擦り寄ってキスをする。顎先から口の端を通ってこめかみまで。了くんも分かってるみたいに屈んでキスをくれて嬉しい。調子に乗って何度もキスをして頭を撫でて了くんを労る。
「ん、んっりょうくん、おつかれさま。んっ…ぁ、すき、ん…あっ!?」
「少しだけだ」
す、少しだけって何!?私のマフラーとネクタイを緩めてシャツのボタンを外してる。三つほど外すとまたキスをくれて声が出る。息がかかる耳が熱い。こっちはもうキスどころじゃなくて耳たぶが焼けるみたいに熱を持って首をすくめた。咎めるみたいに抱き込まれるともう肩に縋るしかなくて了くんのキスを受け止める事しかできない。熱いものが首筋へと伝って漸くそれが了くんの舌だと悟る。
「ひ、あっ…んっ、あ、あつい…りょ、きゃっ」
「我慢しろ、聞こえちまうぜ」
甘噛みをされる度にビクビク震えて漏れる声を了くんの肩で隠す。私のネックレスを舌で見つけた了くんがそこを執拗になぞってから喰らい付いた。ぢゅぅ、と音がして目の前が眩む。
「ふぁ、ひ、やっ…んぅ、むっ…んんっ」
満足したのか首筋にキスをするとそっと離れていった。肩で息をしている私の頬を親指で撫でると服を整えてくれる。震える足を何とか立たせながら頼り切っていると顎を引き上げられて目が合った。見た事ない顔してる。唇を親指で潰されてそれも気持ちがいい気がして声が出る。了くんの顔が近付いて来ると期待でおかしくなりそうだ。
一センチ程の距離がこんなに憎く思ったのは生まれて初めてだった。うそ、もうキスはダメになっちゃったの!?むずがる様に背伸びをしてどうにかなってしまえと思ったのに了くんに角度をずらされて唇の端に落ち着く。了くんの頬を撫でると了くんも私の頬にキスをくれた。もどかしいっ
「ふ、はぁ…」
「ガキはオレの方だったな」
「ん、?りょ、くん…?」
「落ち着いたら帰るぞ」
私をコートの中に抱き込んで電柱に背中を預けた了くんが大きく息をついた。頷いて顔を見上げると了くんは空を見てる。んー、寂しい。こっち見てくれないかな
「はぁ、りょーくんだいすき」
「っ今はやめろ。喋るんじゃねえ」
「ええっ…んん、む…」
咎められて寂しさが増した。了くんのセーターの編み目が段々滲んでいく。今凄く涙腺がバカになっているみたいだ。いつもこんな事じゃ泣かないのに
「なっ、泣くな。そう言う事じゃ、…」
「ないてない、ひゃっ」
瞼に親指を寄せられた衝撃で雫が落ちた。ああっ泣いてなかったのに!慰めるみたいにコートの上から撫でられるとあったかくて眠くなってきてしまう。了くんの匂いに包まれて寝れたら幸せでどうにかなっちゃうだろうな。
肩で息をしなくなった私を見て落ち着いたか聞いてくれる。たまに凄く了くんを無視したくなってしまう時がある。嫌な子だな、私。黙ってるとそっと体を離されマフラーを引き上げられた。
「顔隠せ」
「どして?」
「………」
「えっちな顔してる?…ふふ、ごめんね」
意地悪したくなってコートを着直している了くんが固まるのを笑った。冷たい空気を肺にいっぱい吸って体の熱を下げると少し楽になる。よし、もう大丈夫。了くんは不機嫌そうな顔をしてるけど。腕に隙間なく抱き付いて道に戻るとさっき迄の艶やかな時間を吹き飛ばす勢いではしゃいだ。だけどやっぱりひと時の夢で終わらせたくなくて別れ際にも頬にキスをした。了くんの表情は涼しげで、さっきのキスは夢だったかも。なんて思うと面白くてくすくす笑ってしまう。
背中が見えなくなるまで了くんを見送ってから家に入ると体の中が妙に熱くて早く着替えてしまいたかった。自分の部屋に入って服を脱ぐ。ドキドキしながら鏡を見るとネックレスの下に了くんの痕が残されている。うう、夢じゃない。なんで急にこんな事、と考えて了くんの愛情表現が猫ちゃんだった事を思い出した。頭を擦り付けて、舐めて、甘噛みする。了くん猫ちゃんだったんだ…っ
てゆうか愛情表現だよね!?もうあれはめちゃくちゃ恋人だと思われてるって事でいいよね!?うう、今日は眠れないかも……とりあえず絶妙な位置なので一応絆創膏を貼って過ごす事にする。独り占めしてやるっ。
そうして機嫌良く過ごして寝て起き、れなかった…雪の中ではしゃぎ過ぎた。見事に風邪をひいて高熱を出して三日寝込んだ。明日は学校に行きたいので今日もとっとと寝てしまう。薬を飲んで布団の中でまどろんでいるとママがノックをして入って来た。
「樹、起きてる?ダーリンからお電話よ」
「だーりん?…はあい、だーりん」
半分寝ぼけながら電話の子機を受け取って誰からかも分からずに適当に電話に出る。ママが笑って部屋から出ていった。ママがダーリンって言ったんじゃん!
「……なんだその声」
「はわ、ほんとにだーりんの声がする…ゆめ…?」
「テメエ…」
了くんだった!とりあえず一発冗談を言うと了くんの声が低くなったので風邪ひいちゃった!と明るく戯けた。でも雪だるまを沢山作れたから後悔はありません。真面目に言ったのにため息で返されてくふくふ笑う。
「りょーくんは風邪ひかなかった?」
「ンなやわじゃねえ」
「がんじょーなりょーくんもすてき」
「フニャフニャ喋りやがって。…熱があんのか?」
「もーさがったよ。あ、ちがう。りょーくんにおねつかも」
鼻声で上手く話せないの心配してくれてるのかな。いつもより増してデレると了くん黙っちゃった。うざかったかな、ううん、照れたのかも。話を変えられちゃった。水谷さんが仕事を紹介してくれたって。すごい。水谷さん凄く了くんの事考えてるし、私なんかよりずっと…うーん大人っていいなと思ってしまう。私がそうだとして頼ってくれるとは限らないのに。
「たなかうんゆ?なんか聞いたことあるな」
「あ?」
「うーん…どこで聞いたんだろ…おもいだしたら言うね」
「…ああ」
了くん宅配屋さんになるのかあ。私なら毎日配達頼んじゃうや。まだ決まった訳じゃないって言うけど水谷さんの紹介ならきっと良い所に決まってる。仕事が決まらないとジムも中々行けなかっただろうし、これで少しは了くんが落ち着けるといいな。
「りょーくんのチャンピオンロードが見えてきたねえ」
「どうだかな。どうせまた「だいじょうぶだよ。今度はぜったいだいじょーぶ!りょーくんが真剣なの直ぐにきがついてくれるよ」
「…フン、何を根拠に」
「んん、てきちゅー率ひゃくぱーの勘」
ハッ!だって!フン!より馬鹿にしてる!了くんのどうせ病ってどうやったら治るの!?手がボロボロになるまで頑張ってるのに世の中の人は見る目がなさすぎる。かっこよさには気がついて欲しくないけど!すごくモテる様になったら嫉妬する!
「あたったらいっぱいちゅーしてもらお」
「外れたら?」
「いーーっぱいちゅーするし、あたってもちゅーする」
まーた鼻で笑った!良いけどね。この前より沢山してもらうんだから。はやく風邪なおしてちゅーしてもらう準備しなきゃ。仕事の話ってことはまだ暫くは了くんを見かけても見送らないとないといけないのか。元気を充電した分はまだ残ってるしちゅーしてもらったからまだ頑張れそう。次声聞けるのはいつかな。激励すると風邪を治す様に、と早く寝ろ、をいただいて終わりの気配にしかたなくおやすみの挨拶をする。
「おやすみ、りょーくん。だいすき」
「……ああ」
直ぐに聞こえた電子音。驚き過ぎて目が覚めた。い、いま返事した!?おやすみに対して!?大好きに対して!?いつも何も言わずに切るのに!!了くん狡いよもう声が聞きたい。絆創膏の上からもう随分と薄くなってしまった痕を撫でる。
ぼーっと電子音を聞いて力の入らない指で何度も切るボタンを押した。何度かの手応えで漸く静寂が訪れる。子機を枕元に放って布団を頭から被った。目を瞑ると熱い雫でシーツが濡れて気持ち悪い。
…了くんがやりたい事全部、上手く行きますように。見晴らしの良い世界が了くんの目の前に広がって行きますように。そこにわたしが、
妹さんを迎えに行けたので日雇いをやめて仕事を探すから忙しくなると了くんから連絡があった。了くんが塀の中にいる時に水谷さんから聞いて、一緒にお墓参りもさせて貰ったけど、まだ了くんからはご両親の話は出ないので私も何も言っていない。気付いてるだろうからって事なのかは分からないけど、了くんはいつも知っている前提で話す。
了くん意外にマメだよな、と考えて、外で会ったら私が突撃してくるのを避けるための牽制なのかも知れないと気がついた時には手間をかけさせて申し訳なくなった。でもくっついて良いって言ったもんね!遠回しに!
了くんの誕生日まであと半年くらいか。上質な肌触りの箱を撫でて立ち上がる。よし。了くんは行きそうにないし、私が報告しに行こう!
部屋着から私服に着替えて鞄を持って外に出た。とりあえず花屋さんに向かう。この前行った所で良いかな。商店街のお花屋さんに寄ってお花を買った。包んでもらっている間お喋り好きなおばさまと雑談をしていると爽やかなお兄さんが「ただいま」と話を割り、おばさまが「おかえり、達也」と返した。息子さん好青年だな。
「ねえ、どう?うちの息子」
「へ?ああ、素敵な方ですね」
「本当?あれでもね、ボクサーなのよ」
「プロボクサーですか!?すごいっ」
こんな近くにプロボクサーがいるなんて。了くんの先輩だ!視線をやると「お客さんに何言ってんだよ」と呆れつつ挨拶をしてくれた。見れば見るほどとても拳でお金を稼いでいる人には見えない。スポーツマンって言われたら…そうかも。
「てことはお花屋さんでボクサー…ふふ、なんだかギャップがあって良いですね」
「まあっ!」
「そ、そう…かな」
ほっぺを照れ臭そうにかいている息子さんを笑いながら腕時計を確認すると少し長居してしまったみたいだ。午前中に済ませてしまいたいのでそろそろ行かないと。
「ごめんなさい、お喋りに夢中になり過ぎましたね。そろそろ行きます」
「ああ、ごめんなさいね引き止めて」
「いいえ、また来ますね」
お花を受け取っておばさまとお兄さんに頭を下げてからお花屋さんを後にする。ボクサーかあ。ちょっとお話し聞いてみたかった気もするな。でもプロだし、詳しいルールも知らない一般人にあれこれ聞かれたら普通は嫌だよね…。やっぱり自分で調べよう!ルール本とか雑誌とかあるかもだし帰りは本屋に寄ろうかな。
目的地に着くと入る前に足を止めて深呼吸する。笑顔を思い出すと瞼が熱くなるけど今日は嬉しい報告なんだから落ち着かないと。同じ形の石が並ぶそこに目をやって一つずつ文字を追って行く。遠目に人影が見え深く考えずに近づいて、気がついた。
「あ」
思わず出た声を飲み込む様に口を押さえる。まだあちらには気付かれていない。そっと数歩後退りをして踵を返した時だった。なんかこっちを見られた気配がしたけど、ううん気のせいかも。早歩きで来た道を戻って影に身を潜める。しゃがんでお花で顔を隠してため息をついた。日を改めるべきだった。嬉しい報告なんだもんそりゃあしたいよね。「おい」意外にマメだって今朝思ったばっかりだったのに!「なんでいる」なんで私ってこう、間が悪いんだろ
「……樹」
「ひゃあっ!人違いですっ…うそです…」
気付かないふりで乗り切ろうとしたら名前を呼ばれてきゅんに負けてしまった。なんでも武器になるのずるい。惚けようとしたらめちゃくちゃ怖い顔になったのですぐに取り消す。様子を伺うんじゃなかった…「水谷さんか」とため息をつかれてあのそのええとを繰り返して謝ると別に良いよ、と壁に背を預けた。
「…ご報告ですか?」
「ああ、久美がどうしてもと聞かなくてな。ったく、うるせえとこばっかり似てきやがる」
「あはは。了くんママ、アグレッシブだもんね。ちらっと妹さん見えたけど、美人なところもそっくりじゃん」
「ああ?なんでお前がお袋のこと知ってんだよ」
「…………なんか用事思い出したかも」
しまった会えたのが嬉しいからって話し過ぎた。勢い良く立ち上がって去ろうとすると肩を掴まれて簡単に引き戻される。目を合わせたら、おわる!
「テメエ、なにか隠してやがるな?吐けっ」
「そ、その…えーっと、ううっ」
数分も保たずに視線の圧に負けて口を開いた。最初はリダイヤルで電話がかかってきた事。それからも何度か連絡が来て、話すうちに会うことになった事。断れず二回くらいお茶した事を掻い摘んで話すと了くんの口の端がひくひくと痙攣した。
「了くんにはまだ黙ってて欲しいと言われて、…今になります…」
「はぁ…迷惑かけたな」
「いえっ!私も、色々良くしていただいて…本当に、嬉しかった…から」
また笑顔を思い出して寂しくなる。了くんの手が伸びて来てくしゃ、と頭を撫でてくれたので気持ちを持ち直した。了くんママ、すごく了くんの事を心配してたからな。心配無いくらい優しいお兄ちゃんだって伝えなきゃ。
「お兄ちゃん?どこ行っちゃったの?」
「…来い。紹介するよ」
微かに妹さんの声がして了くんが私を見て顎で着いてくるよう示してくれた。い、妹さんに紹介…!一大イベント過ぎる!正直めちゃくちゃ嬉しい、けど。今日はやっと一緒に暮らせるって報告しに来た日なのに、家族じゃない私が出て行ったらきっと妹さんを不安にさせてしまう。今日は家族だけの日であるべきだ
「嬉しい、けど…今日は戸惑わせちゃう気がするから。また今度の機会にする」
「…そうか」
一つ頷いてから気を付けて帰れよ。と手の甲でぐりぐりと頬を撫でてくれた。嬉しい。甘やかし上手さんめ。緩む頬を押さえながら了くんもね。と見送ると背を向けて妹さんに見える位置に移動した。声をかけない所が了くんらしい。
「あ、いたっ!もーっお兄ちゃん!」
元気な声に目尻が下がる。今日は背中を見送る事はせず妹さんが横を通り過ぎてから二人のご両親の元に向かう。後ろの楽しげな声がくすぐったくて胸に花を抱き直した。凄いな、二人とも。話したい事を数えながらいつも「最近、了の様子はどう?」から会話が始まっていたのを思い出して口元が緩んだ。
────後ろを気にしながらこちらに向かってくる妹を待ちながら樹の背中を見送る。まさかお袋が構い倒していたとは思っておらず口の中が苦くなった。樹の性格じゃ何だかんだ尻尾をふってついて行くだろうし、お袋のあの含みのある視線を思い出す。なるべくして成ったと思えば諦めもつくか。
「綺麗な人…お兄ちゃん見た?あの人すごく美人だったね」
「…………」
「もうっ」
やけにあいつを気にすると思ったら顔を見てやがったのか。オレとは違う意味で目立つ顔をしているとは思っているが妹に言われるとむず痒くて眉間に皺が寄る。明るく快活で物怖じしない。さぞかし万人に愛されて居るだろうにオレなんかを選んだ物好きでおかしな奴。
上気した肌、濡れた視線、柔らかな唇。日向のような笑顔とは似ても似つかない自分にだけ見せる表情を思い出して慌てて思考から追い出す。こんな事を考えている場合じゃねえ。母親の事だから樹に色々吹き込んでいるに違いねえ。今度時間作って洗いざらい吐かせねえと。その為に帰ったら妹に飯を食わせて直ぐ動く。
「ねえお兄ちゃん。彼女はどうしたの?」
「あ?」
「前、良く夜に電話してたでしょ。上手く行ってる?」
「うるせえ」
「振られちゃったの?」
「…………」
「なんだあ。つまんないの」
腕を引いて楽しそうに話す姿が被って見える。そう思えばあいつはもっとくっついて、なんと言うか妹とは全然違う。比べる程にあいつから女を感じてそのむず痒さをため息にして逃した。それにしても妹にまでバレてたのか。こいつが寝てるような時間にしか連絡してねえのに、女ってのは本当にこう言う事に目敏い生き物で嫌になる。
「…その…私のせい、だったり…」
「ああ?」
「お兄ちゃんずっと忙しいから、そのせいで別れ「てねえ」
「え?」
「別れてねえよ。くだらねえこと喋ってねえでとっとと帰るぞ」
「ええ!?まだ続いてるの!?本当に!?」
「うるせえっつってんだろっ!」
無視してやるのを決め込んで速足で歩くと後ろから「お母さんが話してたの、本当なんだ」と聞き捨てならない言葉が聞こえた。続きを促せば「お兄ちゃんには可愛くて健気な彼女がいて、ああ言う子が娘になってくれたら安心なのにっていつも言ってた」と。いつもってなんだ。知らねえぞ。なんだそりゃあ。
態度に出した覚えは無いのにオレが樹を手放せない事を見越していたかの様な口ぶりに眉間に皺がよる。何度も捨てようとした。あの日だって口汚い言葉で罵って泣いて怯える顔を見てやるつもりだったのに、会った途端泣き縋られて気付けば小さな身体をへし折る勢いで閉じ込めていた。
知らねえ言葉を散々吐き散らすのを聞きながら細い指で撫でられると何も考えられなくなる。オレの内側に入り込んで居座ろうとする。不快だ。それなのにこれの終わりを思うと背筋が凍った。どうにもならない現実に苛立って明るい声を求めて後悔すれば、樹は直ぐにオレだと気が付いて悟ったように他愛の無い話を聞かせ暗い気持ちを溶かした。いつの間にかそこまでの距離を許してしまっていた。樹がオレに本気なのはもう分かってる。かと言ってオレがアイツの望むものをやれるとも思わない。ただでさえ人並みの事をしようとしても邪魔が入ってまともに身動き出来なくなるのに自分と妹ともう一人、なんてとても考えられない。
なにもしてやれないなら離れてやるべきだ。なのにあろう事か樹は自分自身に首輪をつけて別れるくらいならいくらでもオレを待つと言った。分かって言ってんのか?オレとの関係を目に見える物に変えた意味を。だったらもうオレのものだ。引き込んで、閉じ込めて、手足を捥いで連れ去ってやる。たとえそこが不幸の沼の中だとしてもだ。
「うふふ、そっかあ。今度紹介してねっ」
妹の弾んだ声を無視して足を進める。お茶をしたとか何とか言ってたがまさか無茶な事言われてねえだろうな。思ってたより深刻かもしれない事態に眉を顰めた。帰りにポカポカ弁当に寄って昼メシを調達して家に帰る。机に弁当を置いて上着をかけていると妹が不思議そうに声をあげた
「あれ、お兄ちゃんなんか落ちたよ。ゴミ…写真?え!?」
「あ?」
「ちょ、ちょっと待ってこの人!」
何度も握りつぶしたせいで皺が寄ってしまっているボロボロの写真を急いで取り上げて何事も無かったかのようにポケットにしまった。
「さっきすれ違った人じゃない!?お兄ちゃんの彼女だったの!?」
「とっとと飯食うぞ」
「なんで教えてくれなかったのよーっ!」
「……言ったよ」
煩さに耐えかねて今日だとお前が戸惑うかもしれねえから今度紹介してくれってよ。弁当を開きながら何でもない事のように話して嵐が去るのを待つ。
「絶対よっ!絶対だからねっ!」
「…………」
「お兄ちゃんっ!」
面倒くせえな。こんなにうるせえならさっき紹介した方が良かった気がしてくる。ただ樹がいつも妹の事を考えてくれているのを知っているので恨み言を言うわけにもいかず、騒ぐ妹の話を受け流しながらこれを日常にする為に目の前の問題を静かに見据えた
──────
今日は朝から雪が降っていて学校が終わる頃には積もっていた。帰りに友達と公園に寄って雪遊びをしていると小さい子まで集まって、みんなで色んな雪だるまを作っていた。もう直ぐ学年も上がるし、クラスも変わるかもしれないからね。雪遊びなんてそう出来るものじゃないし。いくつになっても雪遊びは楽しいし!
「わ、もうこんな時間。今日家族と外食するんだった」
「そろそろ帰ろっか。樹も帰ろ」
「寒いから自販機で飲み物買おうかなあ。先帰っていいよ」
「おっけー。また明日ね」
友達とも小さい子とも手を振って別れる。流石にちょっとはしゃぎ過ぎた。手を擦りながら公園を出て自動販売機の前に立って悩みながらもホットココアを選ぶ。素手で掴むには熱すぎる缶を何とか開けて目一杯伸ばした服の裾で挟みながら暖を取る。優しい甘みが食道に沁みる。そのまま帰るつもりだったけど公園の前を通るともう誰も居なくなっていていろんな形の雪だるまがぽつぽつ置いてある。かわいい。
もう一度公園に足を踏み入れて自分が作った雪だるまと雪うさぎの元へ帰って来ると雪うさぎの目が地面に落ちていた。うーん。もう帰るけど、せめて今だけは完璧な雪うさぎでいて欲しい。仕方なく冷たい雪の上に缶を置いて目を付け直す。沢山の仲間たちが揃っている様子はとても可愛らしくて、カメラを持ってくれば良かったと思わずにはいられない。
「ふふふ」
「なにをやってんのかと思えばやっぱりお前か」
「ん!了くん!」
大好きな声に振り向くと了くんがいた。コート!コート着てる!かっこいい〜!両手を広げて抱き着こうとして気がついた。突撃しちゃダメな時期だっけ。
「あ、危なかった…もう少しで抱き付いちゃう所だった」
「あ?なんだよそりゃ」
「んん、抱き付いたら離れ難くなっちゃうから」
置いていたココアを持って手を温めるももう随分温くなっていた。冷たくなる前に飲まなきゃ。
「…まさかこれ、全部お前が作ったとか言うんじゃねえだろうな」
「ふふふ。そう言いたい所だけど違うの。みんなで遊んでたんだあ。私も今帰るところ」
雪だるまの量に引き気味な了くんが面白くて笑ってしまう。ガキだと言われて了くんと一つしか変わらないと言うとポケットに隠れていた手が私の鼻をつまんだ。温いを通り越して熱い。
「りょーぐんほかほかだえ、くふふ」
「馬鹿野郎お前が冷えてんだよ」
鼻を摘まれて上手く喋れないのが面白くて笑ったら両手でほっぺを包まれてきゅんとする。了くんそれ、キスする時にするやつ。罪な男だ。
「風邪ひくぞ」
「大丈夫!たのしかったからよしっ」
「満足したならもう帰れ。送ってく」
「え、いいのっ!?」
「今日はもう終いだ。オレも帰る」
私のマフラーを鼻を隠すように巻き直してくれる。うう優しい…!寄り道して良かった!
「あ、待って十秒!十秒ください!」
「なんだよ、」
ココアが当たらないように気を付けながら良いと言われる前にさっき我慢したハグをする。そうか。初めからこうすれば良かったんだ。ゆっくり十秒数えて了くんを見上げると目が合った。
「ふふ、準備完了。行けます」
十秒以上経っているけど何も言われないのを良い事に時間をかけて離れる。今はココアを持っているので腕に抱き付けない。早く飲まなきゃ。腕を組んでココアに口をつけると冷たくて震えた。やっちゃった。お行儀悪いけど歩きながら急いで飲んで、自動販売機の横を通りかかった時に缶をゴミ箱に入れる。うう、寒い。了くんが巻き直してくれたマフラーを引き上げて両手で抱き付くと凄く収まりが良い。
「今日もジムだったの?」
「ああ」
「了くんはすごいなあ。いつもお疲れ様です」
別に何も凄かねえよと暗い声が聞こえる。了くんの自己評価が低すぎる。ジムに通いつつ二つしか違わない妹の生活を支えてるのにすごく無い訳ないのに。私が褒めて肯定感を爆上げさせねばならない。自分に厳しいのかな。うーん。
「見た事あると思ったら…金盗んだのは女侍らせる為かよ。女を買うのも金かかるもんな」
やっぱりな、なんて吐き捨てるおじさんがいつの間にか目の前にいて、お揃いの指輪をした隣の奥さんらしき人にこいつが例の、なんて話してる。了くんは黙ったまま私を半歩下がらせて立ち止まった。ふーん。なんか嫌な感じがするおじさんだなあ。出来るだけ声色を明るくするのを意識しながら息を吸い込んだ
「あ、こんにちは!今日は奥さまとご一緒じゃないんですね?ご家族の方ですか?お世話になってますっ」
「え?」
「な、何言って」
「先を急ぐので失礼しますね」
腕を引いて速足で立ち去る。背後でおじさんの弁明を聞きながら笑うと了くんがこっちを見てた。
「不倫ってお金がかかるんだねえ」
「お前、他所の人間関係まで把握してんのか」
「ううん適当。よく知らない人だったし」
でもなんか当たってたみたい。驚いてる了くんを見て笑ってると口をへの字にした。本当に盗んでるって思わないのか、だなんて愚問過ぎる。妹さんをちゃんと育てるって決めた了くんがそうする所が想像できない。
「私と一つしか違わないのに、了くんは本当に凄いよ」
聞いたくせに音が鳴りそうなほど歯噛みしてそっぽを向いてしまった。なんか最近二人の時間邪魔され過ぎてない!?送ってもらうくらいしかデートできないのに!待つけど。全然待てるけどね!今日だって本当は会えなかったんだし、デートできるだけ良しとしよう
「ねえ、ああ言うの、良くあるの?」
「………」
「んん、許せないっ」
「ああ言う事はもうしなくて良い。お前まで目ェつけられちまう」
「それは大丈夫だけど、つい、ううん…がんばる」
了くんが嫌な思いをしなくても良い職場、かあ。なるべく人に会わないで、できれば一人で作業ができて、密室にならないようなとこ…うーん、そんな職あるかな…
「へ、了くん?」
急に行き先が変わって声をかけると私を無視して突き進む。いつか了くんに引き込まれた路地に着くと電柱の影に押し込まれた。了くんのコートの中に収まってしまったので、もう周りからは私は見えないはずだ。私からも了くんしか見えなくてドキドキしてどうにかなりそう…
目を合わせると熱い唇が目尻に降ってきた。
「んわ、了くんっ」
「じっとしてろ」
段々唇が降りてきて、くすぐったい様な気持ちい様な痺れに小さく声が漏れてしまう。体を捩ると熱い手が私の頬を抑えて逆の頬に唇が押し付けられた。おでこを擦り寄せられて息が詰まる。甘えられてるみたいだ。鼻が当たって吐息が唇に届くと慌てて了くんの唇を指で押さえた。しちゃうつもりだったのかな。惜しい事しちゃったかも。結婚したいって思ってくれたのかもしれないのにっ!
何とかもう一回その気になってくれないかな。動きが止まってしまった了くんを無視して誘う様に指の上から何度もキスをする。するとまた擦り寄ってくれたので嬉しくて声が漏れた
「は、ふふ。了くん猫ちゃんみたいになっちゃった」
了くんの胸に置いていた手を伸ばして両手で首に縋り付いた。背伸びをして私も了くんを真似して擦り寄ってキスをする。顎先から口の端を通ってこめかみまで。了くんも分かってるみたいに屈んでキスをくれて嬉しい。調子に乗って何度もキスをして頭を撫でて了くんを労る。
「ん、んっりょうくん、おつかれさま。んっ…ぁ、すき、ん…あっ!?」
「少しだけだ」
す、少しだけって何!?私のマフラーとネクタイを緩めてシャツのボタンを外してる。三つほど外すとまたキスをくれて声が出る。息がかかる耳が熱い。こっちはもうキスどころじゃなくて耳たぶが焼けるみたいに熱を持って首をすくめた。咎めるみたいに抱き込まれるともう肩に縋るしかなくて了くんのキスを受け止める事しかできない。熱いものが首筋へと伝って漸くそれが了くんの舌だと悟る。
「ひ、あっ…んっ、あ、あつい…りょ、きゃっ」
「我慢しろ、聞こえちまうぜ」
甘噛みをされる度にビクビク震えて漏れる声を了くんの肩で隠す。私のネックレスを舌で見つけた了くんがそこを執拗になぞってから喰らい付いた。ぢゅぅ、と音がして目の前が眩む。
「ふぁ、ひ、やっ…んぅ、むっ…んんっ」
満足したのか首筋にキスをするとそっと離れていった。肩で息をしている私の頬を親指で撫でると服を整えてくれる。震える足を何とか立たせながら頼り切っていると顎を引き上げられて目が合った。見た事ない顔してる。唇を親指で潰されてそれも気持ちがいい気がして声が出る。了くんの顔が近付いて来ると期待でおかしくなりそうだ。
一センチ程の距離がこんなに憎く思ったのは生まれて初めてだった。うそ、もうキスはダメになっちゃったの!?むずがる様に背伸びをしてどうにかなってしまえと思ったのに了くんに角度をずらされて唇の端に落ち着く。了くんの頬を撫でると了くんも私の頬にキスをくれた。もどかしいっ
「ふ、はぁ…」
「ガキはオレの方だったな」
「ん、?りょ、くん…?」
「落ち着いたら帰るぞ」
私をコートの中に抱き込んで電柱に背中を預けた了くんが大きく息をついた。頷いて顔を見上げると了くんは空を見てる。んー、寂しい。こっち見てくれないかな
「はぁ、りょーくんだいすき」
「っ今はやめろ。喋るんじゃねえ」
「ええっ…んん、む…」
咎められて寂しさが増した。了くんのセーターの編み目が段々滲んでいく。今凄く涙腺がバカになっているみたいだ。いつもこんな事じゃ泣かないのに
「なっ、泣くな。そう言う事じゃ、…」
「ないてない、ひゃっ」
瞼に親指を寄せられた衝撃で雫が落ちた。ああっ泣いてなかったのに!慰めるみたいにコートの上から撫でられるとあったかくて眠くなってきてしまう。了くんの匂いに包まれて寝れたら幸せでどうにかなっちゃうだろうな。
肩で息をしなくなった私を見て落ち着いたか聞いてくれる。たまに凄く了くんを無視したくなってしまう時がある。嫌な子だな、私。黙ってるとそっと体を離されマフラーを引き上げられた。
「顔隠せ」
「どして?」
「………」
「えっちな顔してる?…ふふ、ごめんね」
意地悪したくなってコートを着直している了くんが固まるのを笑った。冷たい空気を肺にいっぱい吸って体の熱を下げると少し楽になる。よし、もう大丈夫。了くんは不機嫌そうな顔をしてるけど。腕に隙間なく抱き付いて道に戻るとさっき迄の艶やかな時間を吹き飛ばす勢いではしゃいだ。だけどやっぱりひと時の夢で終わらせたくなくて別れ際にも頬にキスをした。了くんの表情は涼しげで、さっきのキスは夢だったかも。なんて思うと面白くてくすくす笑ってしまう。
背中が見えなくなるまで了くんを見送ってから家に入ると体の中が妙に熱くて早く着替えてしまいたかった。自分の部屋に入って服を脱ぐ。ドキドキしながら鏡を見るとネックレスの下に了くんの痕が残されている。うう、夢じゃない。なんで急にこんな事、と考えて了くんの愛情表現が猫ちゃんだった事を思い出した。頭を擦り付けて、舐めて、甘噛みする。了くん猫ちゃんだったんだ…っ
てゆうか愛情表現だよね!?もうあれはめちゃくちゃ恋人だと思われてるって事でいいよね!?うう、今日は眠れないかも……とりあえず絶妙な位置なので一応絆創膏を貼って過ごす事にする。独り占めしてやるっ。
そうして機嫌良く過ごして寝て起き、れなかった…雪の中ではしゃぎ過ぎた。見事に風邪をひいて高熱を出して三日寝込んだ。明日は学校に行きたいので今日もとっとと寝てしまう。薬を飲んで布団の中でまどろんでいるとママがノックをして入って来た。
「樹、起きてる?ダーリンからお電話よ」
「だーりん?…はあい、だーりん」
半分寝ぼけながら電話の子機を受け取って誰からかも分からずに適当に電話に出る。ママが笑って部屋から出ていった。ママがダーリンって言ったんじゃん!
「……なんだその声」
「はわ、ほんとにだーりんの声がする…ゆめ…?」
「テメエ…」
了くんだった!とりあえず一発冗談を言うと了くんの声が低くなったので風邪ひいちゃった!と明るく戯けた。でも雪だるまを沢山作れたから後悔はありません。真面目に言ったのにため息で返されてくふくふ笑う。
「りょーくんは風邪ひかなかった?」
「ンなやわじゃねえ」
「がんじょーなりょーくんもすてき」
「フニャフニャ喋りやがって。…熱があんのか?」
「もーさがったよ。あ、ちがう。りょーくんにおねつかも」
鼻声で上手く話せないの心配してくれてるのかな。いつもより増してデレると了くん黙っちゃった。うざかったかな、ううん、照れたのかも。話を変えられちゃった。水谷さんが仕事を紹介してくれたって。すごい。水谷さん凄く了くんの事考えてるし、私なんかよりずっと…うーん大人っていいなと思ってしまう。私がそうだとして頼ってくれるとは限らないのに。
「たなかうんゆ?なんか聞いたことあるな」
「あ?」
「うーん…どこで聞いたんだろ…おもいだしたら言うね」
「…ああ」
了くん宅配屋さんになるのかあ。私なら毎日配達頼んじゃうや。まだ決まった訳じゃないって言うけど水谷さんの紹介ならきっと良い所に決まってる。仕事が決まらないとジムも中々行けなかっただろうし、これで少しは了くんが落ち着けるといいな。
「りょーくんのチャンピオンロードが見えてきたねえ」
「どうだかな。どうせまた「だいじょうぶだよ。今度はぜったいだいじょーぶ!りょーくんが真剣なの直ぐにきがついてくれるよ」
「…フン、何を根拠に」
「んん、てきちゅー率ひゃくぱーの勘」
ハッ!だって!フン!より馬鹿にしてる!了くんのどうせ病ってどうやったら治るの!?手がボロボロになるまで頑張ってるのに世の中の人は見る目がなさすぎる。かっこよさには気がついて欲しくないけど!すごくモテる様になったら嫉妬する!
「あたったらいっぱいちゅーしてもらお」
「外れたら?」
「いーーっぱいちゅーするし、あたってもちゅーする」
まーた鼻で笑った!良いけどね。この前より沢山してもらうんだから。はやく風邪なおしてちゅーしてもらう準備しなきゃ。仕事の話ってことはまだ暫くは了くんを見かけても見送らないとないといけないのか。元気を充電した分はまだ残ってるしちゅーしてもらったからまだ頑張れそう。次声聞けるのはいつかな。激励すると風邪を治す様に、と早く寝ろ、をいただいて終わりの気配にしかたなくおやすみの挨拶をする。
「おやすみ、りょーくん。だいすき」
「……ああ」
直ぐに聞こえた電子音。驚き過ぎて目が覚めた。い、いま返事した!?おやすみに対して!?大好きに対して!?いつも何も言わずに切るのに!!了くん狡いよもう声が聞きたい。絆創膏の上からもう随分と薄くなってしまった痕を撫でる。
ぼーっと電子音を聞いて力の入らない指で何度も切るボタンを押した。何度かの手応えで漸く静寂が訪れる。子機を枕元に放って布団を頭から被った。目を瞑ると熱い雫でシーツが濡れて気持ち悪い。
…了くんがやりたい事全部、上手く行きますように。見晴らしの良い世界が了くんの目の前に広がって行きますように。そこにわたしが、
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